八、生徒の鑑 2
「……」
彼恋は黙って眼下を見据えた。
騒ぎを中心に円をなす野次馬達。その円に向かって雪野が一直線に歩いていく。雪野が中心に残してきたのは倒れそうな男子生徒と、ペリカン然とした魔法のマスコットキャラ。
そして自身が偽物と呼ぶ姉――
己とよく似た目がこちらを見上げてくる校舎前の状況に彼恋は無言で視線を落とす。
「ふふ……」
その彼恋の耳元から生徒会長が顔を上げた。ほくそ笑むような笑みを浮かべている。その彼恋の頬を辺りを見つめる視線はまるで獲物を捕らえるクモの糸でも粘り着いているかのようだ。
何か絡めとったような見えない糸が彼恋の耳元と生徒会長の視線をつないでいる。
「男子はスケベッスね! 必要にかこつけて、女子の耳元に直接〝ささやく〟なんて! 退くッスよ!」
細い目を何処までも細めて速水颯子がけらけらと笑った。その顔は何処までも楽しそうだ。裏も表もなく心底笑っている。
だがその手に込められた力はそんな無邪気なものではないようだ。掴んだ男子生徒の腕の先から血の気を失わせながら速水は更に指先に力を入れる。
「てめえ……」
今まさに真実を追い正義感に燃える新聞部の男子生徒――河中宗次郎は食い込む指の痛みにか、それとも今の状況の悔しさにか、奥歯をぎりりと噛み締めて速水を睨みつける。
「何ッスか、河中?」
「そうやって、自分のライバルを作って……お前自身の経験を積むのが、速水の――お前の狙いか……」
「ふふ……別に、自分でライバル作ってる訳じゃないッスよ。こちらの生徒会長さんが、せっせと世の中のヒネタ連中に〝ささやい〟てくれてるだけッスよ」
「俺が止めるのを、邪魔してくれてるじゃねえか?」
「誰しも、力を手に入れる権利がある――そうは思わないッスか?」
速水の笑みが顔の奥から新しい表情を押し出してきたかのように変わる。それは無邪気なものから、何処かやはり無邪気ではあるが薄ら寒いものに変わる。
半円を描くような細い目がわずかに開けられ、ほんの少しその円の描く弧が変わる。そしてその下に続く頬から自然な力が抜けただけでその笑みは様変わりした。
速水の細い目が何処か谷底を覗くような吸い込まれるような光をたたえる。
「その力で、この騒ぎだぞ……」
だがその谷底を宗次郎はあえて深く覗き込む。掴まれた腕をそのままに屈しないと言わんばかりに宗次郎は速水を睨み返した。
「騒ぎは正義の魔法少女様が、偽りの記憶を皆さんに植えつけてくれるッスよ……河中も知ってるはずッスよ……大した正義っぷりッスよね!」
「お前らが、所構わず暴れるからだろ……」
「バレたら、バレたでどうとでもなるッスよ。それより真実を追い求める新聞部が、隠蔽に加担してるはいいんッスか?」
「この……」
「新聞部なら、むしろ正義の魔法少女様の不正を暴いて欲しいッスね」
「そ、それは……」
宗次郎が無意識にか視線を泳がせ窓際にふと目を移す。
彼恋はまだ窓の外を無言で見つめており、生徒会長はこちらに振り返っていた。
「ふふ……」
宗次郎と目が合った生徒会長は速水とはまた違う笑みを浮かべる。冷たい笑みだ。氷の表面をノミで笑みの形に刻んだような笑み。その笑みの背景には喜びや衝動などまるでなく、ただ刻んだだけの笑み形が生徒会長の顔に浮かぶ。
「違うッスか?」
邪悪な無邪気さで笑う速水はからはそれでも興奮に似た感情がその頬に浮かんでいる。
宗次郎の腕を掴んだまま、今やその弱みも掴んだと言わんばかりの無邪気で邪悪な笑みだ。
「……」
それに対して生徒会長の笑みは何処か物のような笑みだった。
「く……」
その二つの笑みに見つめられ宗次郎が苦々しげに声を漏らす。
「桐山――妹の方!」
宗次郎が生徒会長の横で背中を見せている彼恋に横顔に呼びかける。
「……」
彼恋がゆっくりと振り返る。無言だ。
「何て言うか――初めましてだな。お前の姉のクラスメートの河中宗次郎だ。こんな騒ぎに巻き込んで悪いな」
「……」
彼恋は応えない。姉によく似た目を宗次郎に向ける。
「だが、そいつの言うことは聞くな……そいつの〝ささやき〟に耳を貸すと、今暴れてた小金沢みたいになっちまうぞ……」
「……」
「なあ、妹……信じてくれ……」
「私はアレの妹じゃないわ……正確には従妹よ……アレがある日ウチに来て、これからはお姉ちゃんだとか突然言われたの……同い年なのに、私が少し後に生まれてたから……」
「そ、そうか……そこら辺は、こっちの桐山から聞いてなくってな……」
「笑わせるわ……それからの……アレのお姉ちゃんぶりは……」
「おい……」
「何がお姉ちゃんよ……科学にしか興味ないくせに……誰が必死で、あんたに話を合わせて……その結果がこれ……何なの……この非科学な状況は……」
一人で呟くように漏らす彼恋に、
「ふふん……」
「ふふ……」
速水と生徒会長が同時に笑った。
「桐山妹……」
宗次郎は名を呼ぶことしか出来ないようだ。
「そうね……こんな非科学な世界……まっぴら御免だわ……」
「そうだろ……桐山妹……」
「ふふ……」
宗次郎の手をようやく速水が離した。
宗次郎はやっと解放された手を下げる。速水に掴まれていたその腕は掌の形に赤くなっていた。
「じゃあ……」
彼恋の言葉と腕の解放に緊張が緩んだのか、宗次郎がほっと安堵の息を漏らす。
だがそれはただの油断だったようだ。
「そうね……」
桐山彼恋はもう一度窓から眼下に目をやり、
「こんな世界――否定できる〝力が欲しい〟わ……」
自らが偽物と呼ぶ姉を見下すように見下ろした。