八、生徒の鑑 1
桐山花応の科学的魔法
八、生徒の鑑
突き抜けるようによく晴れた朝の青い空に向かって、科学的な反応によって生まれた煙が立ち上っていく。
校舎の前に敷かれたアスファルトの通路では、魔術的な力によって作り出された光が輝いていた。
「……」
その煙の元となった化学反応を引き起こした少女――桐山花応がその光をまぶしげに目を細めて見つめる。
「力なんて、ない方がいいですよ……」
今まさに魔法の光を発する少女――千早雪野が己の力を高める為にか両の目をつむって呟いた。
「ぐ……この……」
光を浴びせられる小金沢鉄次は動けない。
「何を……した……」
小金沢は憎悪に剥く。いや目を剥こうとしたようだ。先ほどまでは流砂のような変幻自在さを見せていた小金沢の体。今は金属質な銀色の光を放っている。それは一瞬で熱せられた後に外気で冷やされ金属質な光を陽光に輝かせながら固まっていた。
小金沢はアスファルトにヒザを着きままならない体で花応と雪野を見上げている。
「ペリ……」
花応をその水鳥然とした翼で地面まで下ろしてきた不思議生命体――ペリカンのジョーが、怯えたように花応の後ろに隠れる。ジョーはその視線を直に向けられた訳でないのにすごすごと後ろに隠れた。
「目を剥くのも、しんどそうですね、先輩」
花応が小金沢の全身を見下ろす。
「てめえのせいだろ……」
「科学の力ですよ。先輩を襲ったのは、テルミット反応と呼ばれる化学反応です。酸化鉄や酸化銅から、酸素を還元して、アルミニウムなどが酸化する反応です。酸化と還元は一対ですから、それ自体は当たり前です。ですが、特に激しく発熱と発光を伴って反応しますので、このような反応は、テルミット反応と呼ばれています。特別の施設を必要としませんので、屋外での溶接――そうですね、鉄道のレールの溶接などに使われます。ものすごく理にかなった、先人の科学的な知恵ですね」
「はっ……」
小金沢が力なく笑う。
「鉄や銅と比べれば、アルミニウムの方が酸化し易い。混ぜただけじゃ勿論ダメですが、マグネシウムリボンなどを使って安全に着火すれば、後はご覧の――ううん、ご自身で体験した通りです。マグネシウムリボンよりも、確実に雪野が火を点けてくれました」
「友達を、着火材代わりかよ……」
「ええ。雪野なら、絶対にやってくれると思いましたし。結果、自身の化学反応による高熱によって、酸化鉄は溶解し単純に言えば純粋な鉄になります。発熱が終わり、外気で冷えた鉄は当然固まります。砂鉄から、一塊の金属として精製されるんですよ。先輩に力を与えていた非科学な流砂の優位はなくなり、案の定表面が固体化した先輩は身動きが取れなくなったということですよ」
「終わりです」
二人の会話を他所に雪野が静かに宣言する。
それと同時に小金沢の全身から光が消えた。そこに残されたのは砂鉄の力を存分にふるっていた敵ではなく、汚れてしまった制服を着た一人の男子生徒だった。
小金沢はまだ立てないようだ。自由を取り戻した体でその場でヒザを着いたまま立ち上がらない。
「……」
それでも小金沢はようやく自由に動かされるようになった目を憎悪に歪めて雪野を睨みつける。
雪野はその視線を無視し周囲を見回す。
当然のことながらそこには登校の途中に出くわした生徒達の困惑の顔が取り巻いていた。生徒も教師も突然の出来事に自然と体が固まってしまっているようだ。
「けっ……どいつも、こいつも……現実が理解できねぇって顔してやがる……」
小金沢も周りを見回し悪態をつく。
「花応、先輩をお願い……」
雪野は一人身を翻すと自分たちを取り巻く輪に向かって歩いていく。
「言いくるめにいくんだな……ご苦労なこった……人が燃えたところなんか、見せて……何て言って誤摩化す気だってんだ……」
「だったら、大人しくやられて下さいよ。四酸化三鉄なら、ネオジム磁石で片を付けることも出来たのに」
鼻で息を抜いて小馬鹿にした笑みを浮かべる小金沢に、花応が苛ついたようにまぶたを痙攣させて侮蔑の視線を向ける。
「知るかよ。いくら、敵だからって。酸素を強引に奪って、その熱で溶かすヤツに言われたくないね……」
「酸化は必ず還元が伴います。その反応が激しければ、熱も光も出ます。当たり前の化学反応です」
「はっ! 結局この世は、奪い合いってか? 強引に、激しく奪ったもん勝ちってな……」
「先輩なら、そうかもしれませんね」
「競合の中小企業から、利益を激しく奪ってる大会社のお嬢様に、言われたくないね……」
小金沢が挑発するように顔を歪めて花応を見上げる。
「……」
小金沢の視線と問いに花応は無言と無表情で応えた。
「違うってかよ?」
小金沢の更なる憎悪の乗った視線に、
「2Al+Fe2O3……Al2O3+2Fe……」
花応は答えずに一人呟きながら振り返る。そのまま己がジョーにしがみついて落ちてきた校舎の教室を見上げた。
「私は、別に……何も奪ってなんてなんかいないわ……」
花応はその答えを問いかけてきたたった今倒した敵ではなく、
「……」
教室から己とそっくりの顔で見下ろす妹――桐山彼恋に向かって呟いた。