七、偽妹 24
「テルミット反応……」
眼下で燃え上がる炎に教室の窓から身を乗り出した少女が呟く。少女は己の見ている光景が信じられないようだ。少女は窓枠に手を着きその特徴的吊り目を力一杯見開いていた。
校舎の下で広がる異様な光景。少女はその見開いた目を細かく震わせ、自然と開いてしまっている口をわななかせた。少女は更に掴んだ窓枠を痙攣する程強く掴む。
己が目にした光景故か、それとも自然と入ってしまう力のせいか、少女の顔からは完全に血の気が失せていた。
「テルミット反応を、こんな学校で……何なの……何をやってるのよ、花応……」
彼恋は燃え上がる炎に瞳を揺らしながら一人呟き続ける。
「おやおや、これで終わりかな?」
その彼恋の横から不意に声がかけられる。
「……」
彼恋は応えることも出来ずに乗り出していた上半身を少し起こして振り返る。
そこにはいつの間にか近くに寄ってきていた生徒会長が立っていた。
「訊いていいかな? 彼はこれでお終いかい? 桐山妹さん?」
「えっ……」
「君なら、何が起こったのか分かるかと思ってね。僕たちに教えてくれないかな。科学的なところをね」
生徒会長は『僕たち』と口にしながら、軽く振り返り後ろに視線を送った。
「……」
そこには厳しい視線を向けて来る宗次郎と、探るような視線を向けて来る速水の姿があった。
教室の向こう廊下側に張られた煙幕はまだ健在だった。だがその物理的な煙の壁を押す勢いが次第に増していっていた。
「テルミット反応は、急激な酸化還元反応……鉄よりも酸化し易いアルミニウムが、酸化鉄から酸素を奪うことで急激に燃え上がる現象……鉄は酸素を還元され、アルミニウムは酸化される……酸化と還元は一対の反応だから……残るのは酸化されていない鉄と、酸化されたアルミニウム……」
「ふふ、それで?」
「でも全身が酸化鉄(III)で、仮にその分量があるとすると……花応が撒いたアルミニウム粉末は、絶対数が少なすぎて……反応もすぐに終わるはず……」
彼恋は答えながら眼下に目を戻す。
彼恋の言葉通り反応はすぐに終わっていた。小金沢を一瞬で覆った炎は既に消えていた。
小金沢は両膝を地面に着いていた。そして苦しげな顔で見上げている。その動きはまるで拘束されているかのようにぎこちない。ままならない体で小金沢は強引に首を上げているようだ。
「これはどうなってるんだい?」
生徒会長は己を見なくなった彼恋に続けて尋ねる。
「多分……体の表面だけ、個体の鉄になっているはず……純粋とまではいかなくても、溶けて固まった鉄になって……もうあの変な流砂のような自在な動きは出来ないはず……」
彼恋は訊かれるがままに答えた。
「それが彼女の狙いだったんだね? 身動きが取れなくなったら、流石の彼ももうどうしようないからね」
「……」
彼恋は今度は応えない。彼恋の視線が眼下の己によくに少女に無言で注がれる。
「……」
その目を更に生徒会長が無言で見つめた。
校舎前で雪野が魔法の杖をふるった。
ままならない体をよじって小金沢がその杖から発せられた光から逃れようとする。だが先の化学反応の炎とは違う何処か妖しい光が、小金沢の全身をこちらはゆっくりと覆っていく。
「彼は敗れたね。二度のチャンスを生かせなかったみたいだ」
「……」
生徒会長の言葉に彼恋は応えない。
「2Al+Fe2O3……Al2O3+2Fe……」
彼恋は返事の代わりに化学式を呟いた。
「それにしても、すごいね君のお姉さんは。友達のピンチに、最後に颯爽と現れて。瞬く間に相手の正体を見破るや、その対処法をすぐに見つけ出した。最初の磁石こそ阻まれたけど、その後の切り返しがこれだ――」
「……」
彼恋が無言で生徒会長に振り返る。
「彼女は何て言うか――そう。〝本物〟だね」
「――ッ!」
その言葉に彼恋が目を剥く。
「いい目だね。でも彼女は本物だよ。本当に力を持っている。敵に立ち向かい、現実を変える力をね」
「あいつは……私にとっては偽物よ……」
彼恋が窓枠を更に力の限り掴んだ。
「あの力を否定するのかい?」
「あれは、変なペリカンと……おかしな同級生の力のおかげよ……あの娘の力じゃないわ……」
彼恋がぎりりと奥歯を噛んだ。
「そうだね。でも、あの力を否定するには。君には力がない――」
生徒会長が何を言い出すのに気づいたのか、
「てめえ!」
宗次郎がその肩につかみかかろうとした。
「野暮ッスね」
だがその腕を速水が掴んで止める。
「速水! てめえも! そんなに〝敵〟が欲しいかよ!」
「そうッスね! 自分、もっと力が欲しいッスよ!」
掴ませた腕を振りほどこうとする宗次郎。だがその手は女子の手に掴まれてまったくびくとも動かせない。
そんな二人の様子を背中で受け流し、
「君もあんな力が手に入ったら、本物だと思われるよ」
生徒会長は彼恋の耳元に己の唇を持っていった。
「……」
応えずに彼恋はじっと眼下の姉を見つめる。
その憎悪に揺れる瞳をちらりとだけ見ると、
「力が欲しくないかい――」
生徒会長は彼恋の耳元に〝ささやい〟た。
(『桐山花応の科学的魔法』七、偽妹 終わり)