一、科学の娘13
「さてと、物理的な攻撃は何とかなるとして――」
雪野は己の手の平に、魔法の杖をペタペタと叩きつけながら独り呟く。
「正気を取り戻させるには、今の私の魔力じゃ少々心許ないのよね」
雪野は挑むように保健室の向こうを見つめる。
天草が肩を上下させていた。怒りに我を忘れているようだ。
「何なのよ……」
雪野の後ろで花応が地面に座り込んだ。
周囲では野次馬の数はもう窓を全て埋める程になっていた。
「桐山さんも目立っちゃってるわね。天草さんの正体も皆には知られたくないし……」
雪野が油断なく視線を横にずらした。地面に激突したままぴくりとも動かないジョーの姿をその端にとらえる。
「ジョー! 煙幕お願い!」
「ペリ! 雪野様のお役に立つペリ!」
先程まで全く動く気配を見せなかったジョーが、鞭で打たれたかのように立ち上がった。
「ペリッ!」
ジョーは一際威勢よく奇声を発すると、今度もアゴを外さんばかりに上下に開いた。
「――ッ! 何なのよ? 煙!」
「そうペリ、花応殿」
ジョーは大口を開けるや否や、ぐるぐるとその場で回り始める。口中から周囲の視界を奪う濃度の白い煙が吐き出されていった。
ジョーを中心に周囲の視界がどんどん悪くなっていく。
「てか、大口開けて。気持ち悪いわね」
「不思議生命体ジョーの口の中は、とても不思議ペリ。煙幕ぐらいどうってことないペリ。雪野様の魔法の杖も、口の中から取り出したペリ。感激ペリ」
「口の中って……」
花応が煙の向こうに霞み始めた雪野の手の中の魔法の杖を見つめる。
「そうね……ちょっと嫌だったわ……」
雪野がスカートの端で手を拭った。
「いくら、雪野様でもひどいペリ! ジョーの口の中は汚くないペリよ!」
「汚いに決まってんでしょ!」
「花応殿もひどいペリ。何処のどんな物でも、別次元を通じてまるで隣にあるように取り出せるペリ。ジョーの特殊能力ペリよ」
「何? 〝余剰次元ポケット〟とでも言いたいの? 『次元』なんて科学用語、不思議な現象に便利に使わないで」
「なんだ、これ?」
「煙が? 前に進めないぞ!」
煙の向こうで教師らしき声がした。煙の向こうにもがく大人の姿も透けて見える。
「ジョーの煙幕は物理的ペリ。皆に煙たがられる力――自慢の能力ペリ」
「『皆に煙たがられる力』って……あんたね――」
「皆して! 私をバカにして!」
軽蔑の目をジョーにぶつける花応の言葉は、天草の襲撃に遮られた。
天草が壊れた窓を飛び越えて花応達に飛びかかってくる。
「キャーッ!」
「天草さん! 目を覚まして!」
花応が悲鳴を上げ、雪野がその攻撃を魔法の杖で受け止める。
「くう……この……」
だが雪野はその衝撃を全て受け止め切れない。上履きの底を地面にこすれさすように、その体ごと後退してしまう。
「ちょっと……」
雪野の背中にかばわれていた花応。最後はよろめいたその雪野の背中を、花応は思わず支えようと手を添えた。
「ひっ……」
そして声になり切らない悲鳴を上げる。
ゼリーを彷彿とさせる半透明になった天草の顔。それは顔色というものを一切失っていた。
それでもその憎悪に歪む表情だけは読み取れる。花応が悲鳴を上げたのはその形だけで分かる内心の歪みの為だ。
「何で、私だけが……」
「天草さん……」
そして天草が実際に漏らした言葉に、花応は雪野の背中で息を呑む。
「何で私だけが標的にされるのよ? 放っておいてよ! 私は独りが好きなのに――」
「……」
花応は位置と形しか分からない半透明な天草の目を見つめた。
「私はいるかいないか分からないぐらいで、丁度良かったのに……」
「だから透明になるのを望んだの? 独りでいられるように?」
「そうよ、桐山さん。あなたも、そうでしょ? いつも一人だもんね、桐山さん」
「――ッ!」
「正直、羨ましかったわ。孤高を気取れるあなたがね。近づかないでっていう、雰囲気を全身で放って成功しているあなたがね。私もあなたみたいになれたらって、本気で思ってたわよ。そうよ。あなたは私。成功しているかどうかの違いだけ? そうでしょ、桐山さん?」
「わ、私は……」
花応は思わず天草から目をそらした。そらした目に飛び込んできたのは、己が支えている雪野の背中だった。
「……」
天草を押しとどめていた雪野が、花応の様子を確かめるように首を廻らしチラリと視線を送った。
「私は――」
花応はその雪野の様子に気がつかない。
「私は、あなた……」
手を貸す為に手を突いていた雪野の背中。その背中が斜めに破れている。
「私はあなた――とは、違うわよ……」
花応はその背中の破れた制服を握り締めながら、顔を上げて勇気を振り絞るように天草に向き合った。
2015.12.19 誤字脱字などを修正しました。