七、偽妹 2
「な……」
その突然の破壊音に宗次郎が振り返る。宗次郎の目にまず飛び込んで来たのは教室に向かって飛び散るガラスの破片だ。窓ガラスは元は一枚板だったことすら直ぐに分からなくなるほど、割れた瞬間に粉々に砕けて宙を舞っている。
宗次郎が目で追えたのはその破片が重力に負けて窓際の席にぶちまけられる最後の瞬間だけだった。
「何だ? ボールか?」
宗次郎はそのあまりのガラスの割れ方に目で追うべき場所を決められなかったようだ。思わず振り返った首を右往左往するように方々に惑いながら振った。
「ボール、ないぞ! 勝手に割れたってか?」
だが宗次郎はとっさにはボールも何も見つけられなかった。ガラスの破片だけが窓際の席に降り掛かり床にぶちまけられた。その惨状を確かめるように宗次郎はざっと床に目を走らせる。やはりそこにはガラスの破片以外何もない。
「……」
そんな宗次郎を後ろに残し雪野はドアから飛び出した。雪野は教室をドアに駆けながらもガラスの割れる音とともにそちらに振り返っていた。
雪野はドアの向こうの敵の気配を優先したようだ。ガラスが飛び散る様子に目をやりながらも雪野は駆ける足を緩めなかった。雪野は宗次郎の無事を最後に確かめると勢いよくドアから飛び出した。
しかし雪野を待っていたのは長い廊下の静寂だけだった。自身のクラスにも自分達以外は居ない程の早朝。廊下もまだ生徒の姿はまばらだった。僅かに遠目に見える幾人かの生徒が、遠くに聞こえたであろう窓ガラスの割れた音に驚いて振り返っている。
「逃げられた? 例の瞬間移動する生徒? でも、この匂い……」
雪野が大きく鼻で息をする。
「あの娘のマンションの前で嗅いだ匂いだわ……何て言うだっけ……そう、きな臭いじゃなくって……」
雪野はゆっくりと背後を振り返る。そこにも雪野が探しているらしき生徒は居ない。只驚きにおっかなびっくりこちらの様子をうかがっている生徒の戸惑いの顔が見えるだけだ。
「まあ、きな臭いことには変わりないわね……」
雪野はそう一人呟くと教室の中に振り返る。
そこには己の困惑を無言で示す為か両の手の平を上に向け肩をすくめている宗次郎の姿。そのわざとらしいジェスチャーの向こうに見えるのはガラスの破片が乗った友人の机だ。
「そっちはどう?」
「見ての通り。ガラスが勝手に割れた。野球部か何かの朝練のボールでも飛び込んで来たかと思ったが……床にはガラスの破片以外見当たらねえな……」
「そうね。ボールも何も見えなかったわ」
雪野はまだ警戒に目を鋭く細めて廊下の向こうを左右に窺う。
「見えたのかよ?」
雪野が廊下から戻ってこない。そうと見たのか宗次郎の方から近づいていった。
「見えたわ。多分外から一直線に何かに叩き付けられたような割れ方だったわね。どちらかと言うと、ボールで一点を突かれたんじゃなくって、棒か何か叩き付けたみたいに」
「ボールじゃなくって、バットだってか? 空飛ぶ野球部員が素振りでもしてたってか――」
宗次郎は雪野の下に来ると教室の奥に振り返る。
「何階だと思ってんだよ、この教室」
教室の奥にあったのは勿論割れた窓ガラス。そしてその向こうに広がる空の景色だ。今は空から陽光とともに風も入り込んで来ている。
「そうね……」
「まあ、お前らといると不思議なことばかりだからな。今更空飛ぶ野球部員が木製バット振ってようが、金属バット振ってようが大した問題には思えないけどよ」
「あ、そうそう。その――」
雪野が宗次郎の言葉に何か口にしかけると、
「おっと! 先生だ……どう言い訳するよ?」
宗次郎が廊下の向こうに振り返る。何人かの生徒が指差す中、教師が慌てた様子でこちらに走って来ていた。
「言い訳も何も。外側から割れてるんだから、私達は知らぬ存ぜぬよ」
「そうだな」
直ぐに駆けつけて来たその教師はひとまずは雪野と宗次郎の二人に目をやる。
そして宗次郎にだけ叱責めいた一言をかけて様子を訊いた。
「俺だけかよ! 疑われんの!」
疑われる自覚自体はあるのか、宗次郎はわざとらしくアゴと目を見開いて驚いた顔をしてみせる。
「河中くんも、私もよく分かりません。外から割れたみたいです」
雪野が宗次郎に代わって応える。
教師は確かに教室内に散らばったガラスの破片に納得したのか、ようやく二人の怪我の心配をして中に入っていく。
「優等生は得だな」
「優等生じゃないけど。まあ、確かに私の〝徳〟よね」
教師に続いて雪野と宗次郎は教室の奥に戻っていく。
ガラスは半円を描くように机の周りに散らばっていた。やはり外から力任せに割られたようだ。
教師に危ないから触るなよと注意されつつも雪野はガラスを踏みながら机に近づく。
「……」
友人の机におそらく狙ってぶちまけられたガラスの破片に雪野が眉をひそめた。
そして雪野はもう一度大きく鼻で息を吸った。己の鼻に神経を集中する為にか雪野は静かに目をつむって深く息を吸い込む。
「どうした……」
その様子に宗次郎が小声で訊く。
「そうね……少なくとも――」
雪野はまるで証拠品でも収集したかのように胸の奥に息を収めると、
「木製バットじゃなさそうよ……」
鋭く光る眼光を見せながらゆっくりと目を開いてそう答えた。