六、復讐者 16
「さあ、これが科学的な楽器――テルミンよ! 思う存分、科学を堪能してもらうわ!」
花応が自慢げに胸を張りジョーに向かって手を指し示した。その目は室内であるにもかかわらず陽光を受けたかのように輝いていた。花応が指し示す手の先には四角い箱から二本のステンレス製のアンテナが伸びた機械が置かれている。
雪野も花応に調子を合わせてわざとらしく頬に力の入った笑みで宗次郎に視線を送った。
「お、おう……」
宗次郎が戸惑い気味に二人に応える。
「では、ゴホンペリ……」
ジョーが首の蝶ネクタイの角度を両手で大げさに直しながら嘴を開く。わざとらしく咳払いまでしてみせて喉の調子を整えた。ジョーの両手は蝶ネクタイから離れると大きく左右に拡げられる。
「おお……」
大型の水鳥が羽を拡げる様はそれなりに美しかった。空と水辺を生活圏とする鳥の野生の力強さと無駄のないフォルムに宗次郎が思わずか感嘆の声を上げる。
その宗次郎の視線に機嫌をよくしたのか、ジョーが嘴を上に向けるとかたかたと鳴らした。そのかたかたが即席の演奏会の気分を更に盛り上げた。
ジョーの羽が花応がテルミンと呼んだ機械に向けられた。だがジョーの羽は直接触れることはなくその二本のステンレスの棒の手前で止められる。
二本の棒は一本は上空に向かって、もう一本は横に向かって伸びている。ジョーはその二本のステンレスの棒の手前で止めた羽を大仰に構えてみせる。
そしてジョーがゆっくりと羽をそれぞれの棒に近づけると、テルミンから電子的な音程が鳴り始めた。
「おお……」
宗次郎がその様子にもう一度驚きの声を漏らす。
テルミンはジョーの羽の動きに合わせて音程と音量が微妙に変わった。
「ふふん。どう?」
ジョーの奏で出す電子音に乗せて、花応が歌うかのように自慢げに鼻を鳴らす。
「『どう』って。確かにちょっと驚いた。触れてないのに演奏してやがる。どうやってるんだ?」
宗次郎が原理を見破ろうとしてかやや身を乗り出して答える。
「二本のステンレスの棒が、言わばアンテナなのよ。音程と音量の指示を受けるアンテナ。ジョーの羽の位置を静電容量で感知してね、後はそれに合わせて音を出すのよ」
「せいでんようりょう?」
「静電気の静電に、容器の量の容量よ。導体の電荷の量のことね。人それぞれに静電容量が違うから、演奏する人によって演奏のくせが出るのよ。何とも不思議な楽器でしょ?」
「そうか……確かに不思議だな。音はまあ、マヌケだが……」
宗次郎がその少々こもったような電子音に困ったような声を上げる。慣れない笛をゆっくりと鳴らしたよなう音を電子的に再現されたような音がジョーの羽の動きに合わせて演奏される。何処かメリハリのない間の抜けた音だった。
「むむ! それはジョーが付け焼き刃だからよ! ちゃんとした奏者のテルミンは、それはもう凄いんだから!」
花応がムキになって宗次郎に身を乗り出す。無防備なまでに宗次郎に顔を近づけて宗次郎を視線で屈服させようとか、その自慢の吊り目の目尻を更に吊り上げていた。
宗次郎はその様子に困ったように眉間に皺を寄せる。
その二人の様子に雪野がクスクスと笑った。
「そうか?」
「そうよ!」
「まあ、ペリカンでも演奏できるってんだから、確かに凄いわな」
「でしょ? テルミンの特徴よ。触れずに演奏できるなんて、凄いわ。科学の不思議よ」
花応が直ぐに機嫌を直し今度は腕まで胸の前で組んで自慢げに胸を張った。
「ちなみに、アンテナのステンレスはクロムやニッケルと鉄の合金鋼よ。ステンが汚れや錆の意味だから、そのレス――それが『ない』って意味でステンレスね」
「錆びないのか?」
「錆びないんじゃないわ。最初から錆びてるのよ。それ以上錆びないって感じ。そこはアルミニウムと同じ。鉄単体だと錆びでぼろぼろになるんだけと、クロムやニッケルと合金にするとことで、アルミニウムと同じく錆の皮膜を作るようになるの。不導体皮膜ね。ほら。キッチンの流しで、塩素系の洗剤で洗わないで下さいって書いてあるじゃない?」
「いや、知らない」
「もう! それぐらい知っときなさいよ! 洗い物とかしないの?」
「これが、意外にするんだな。俺も」
「じゃあ台所用漂白剤で、除菌とか漂白するでしょ?」
「いや、いつも適当だし」
「もう!」
二人はジョーの適当な音程と音量の強弱を背景に、ややお互いの温度差に強弱のある会話を交わす。
「塩素系の洗剤でたまに漂白とか消毒とかするでしょ? 特にウィルスが心配な時とか? この時に使うのが次亜塩酸ナトリウムとかの塩素系の洗剤じゃない。でもステンレスの流しには使っちゃダメよ。台所用とはいえ、台所そのものに使っちゃダメなのよ。ステンレスの皮膜は塩素に弱いからね。まあ、日常が科学的にできてる証拠よね」
「そ、そうか……」
「そうよ!」
「ペリー。ペリー。ペリー」
ジョーが二本のアンテナ然としたステンレスの棒で羽を動かし、それに合わせてこちらも間の抜けた調子で節を付けた。皆の話題の中心となり上機嫌なのか楽しげに細い首を振っていた。
「ぺりー! ぺりー! ぺりりりりー!」
己の演奏で話題が盛り上がっている。
そうと見たのかジョーが更に上機嫌に歌い始めると、
「ジョー、歌はいいわ。余計マヌケになるから」
そんなジョーを花応が冷めた様子で止めさせた。