六、復讐者 15
「さあ、次のおもてなしよ! ジョー、来なさい! 雪野。ポテチの片付けお願いね」
ポテトチップス散らばるテーブルの上。そのテーブルから立ち上がり花応は上機嫌に席を離れる。
「ペリ!」
ジョーがイスの上に乗せていた水鳥然としたまるっこいお尻を飛び上がらせてこちらも席を離れる。
「一日中、この調子で科学講義を聞かされるのか?」
ダイニングを出て行く一人と一匹の背中を見送ると、宗次郎が脱力したようにテーブルに突っ伏した。
「そのつもりだったらしいけど、流石に話しっぱなしはダメじゃない――って私が花応に言っといてあげたわ」
雪野がテーブルを濡らしあった布巾で拭いながら答える。拭いているのは散らばったポテトチップスの破片だ。大きな破片は既に拾い集められ、拡げられた袋の上に乗せられていた。
その二人の向こうでは、花応がジョーとともに廊下の向こうに消えていく。
「ありがたい。普通にゲームとかしようぜ」
「花応の部屋にそんなものがあると思うの?」
「ないのか?」
テーブルに突っ伏していた宗次郎が顔だけ上げる。
「なかったわ、何処にも」
テーブルを一通り拭き終わった雪野が立ち上がる。雪野はそのままキッチンに向かった。
「何をして時間潰してんだ、日頃の桐山は」
「私も聞いたわよわ。いつも休日は一日一人で科学実験してる――気がつけば日が暮れてるって」
雪野は流しで蛇口を捻ると布巾をすすぎながら答える。
「筋金入りだな、あのマッドサイエンシストめ。で、ゲームがなきゃ、何するんだよ。流石に話だけで時間潰せないぞ。俺にガールズトークを期待するなよ」
「何か映画でも見る?」
「あるのか?」
宗次郎がようやく上体を上げて雪野に振り返る。
「ないわね。なかったわ。宇宙創造のロマン的かつ科学的に検証する番組とか。宇宙開発の苦労に焦点をあてたドキュメンタリーとかは、山積みになってたけど」
布巾を絞り終わった雪野がテーブルに戻って来た。
「楽しいのか、それ?」
「楽しいらしいわよ。花応と初めて食堂で食事した時も、ビッグバンがどうのとか。宇宙の温度がどうのとか。色々聞かされたわ。すっかり右から左だけど」
「なるほど。そんなドキュメンタリーばっか、これから見せられる訳だな?」
「見たいの? 見たいなら、そっちでもいいわよ!」
雪野と宗次郎の会話を聞いていたのか、花応がダイニングに戻ってくるや軽やかに近づいてくる。
「何だ? 別の準備でもあるのか?」
「あるわよ。後は、ジョーが戻ってくるのを待つだけよ。ジョーに科学的な余興をさせようと思ったんだけど。『クォーク・グルーオン・プラズマ』とか、『インフレーション理論』とか。宇宙創世の秘密を知りたいのなら、今から科学ドキュメンタリー鑑賞会に切り替えてもいいわよ」
花応が宗次郎の隣の席に座る。
「いや、別に。宇宙創世の秘密とか、そんな大きな話、知りたい訳じゃないから」
「そう? じゃあ、『グルーオン』とか『フェルミオン』は? 『クォーク』レベルのミクロな――小さな話なんだけど、そんな小さなものが宇宙創世にかかわっているのよ。勿論今の私達の宇宙そのものも支えてくれているわ。『ヒッグス粒子』は質量をもたらしてくれたし、グルーオンは『強い力』でクォーク同士を結びつけてくれている。アルミニウムの製造に必要な電気の『電子』はフェルミオンね。目に見えないミクロのものはとても不思議よ」
「目に見えないなら、放っておこうぜ」
「もう! 新聞部! もっと好奇心持ちなさいよ!」
「俺は科学記者じゃねえよ! 興味ねえよ!」
「むむ! ふふん……今からお見せする光景を見ても――ううん、見えなくっても……」
花応が楽しげに含み笑いを浮かべながら挑発的に目を細める。
「何だよ?」
「同じセリフが吐けるかしら? ジョー! 用意はいいわね?」
花応がダイニングの向こうに振り返る。
「ペリ」
そこにはいつの間にか戻って来たジョーが細い首に蝶ネクタイを巻いて立っていた。
ジョーは花応に応えて白い水鳥そのものの右手を挙げる。
そのジョーの前には平べったい菓子箱程の大きさの矩形のものが置かれていた。細長いステンレスの棒が底面から伸びでており、床からの支えになっている。
一見したところの印象は何かの電子機器のようだ。鉄でできたその本体らしき矩形の筐体から、こちらもステンレス製らしき棒が二本伸び出ている。
一本は本体の端から上に。もう一本は本体の反対側の端から横に出ている。
横から出た棒は途中で輪を作って曲線を描いて曲げられており、Pの字を描くように本体に戻って来ている。
「何だ?」
その見慣れない機械に宗次郎がまぶたをぱちくりとまばたかせた。
「ふふん。これはとても科学的な楽器よ」
「楽器?」
「そう、楽器よ! 音楽でおもてなししてあげるわ! 勿論科学的にね! これは目に見えない力で演奏できる不思議な楽器――」
花応が自慢げに胸を張りながらジョーに手の平を差し向ける。
それに合わせてジョーが両方の羽をアンテナ然としてた二本の棒に伸ばす。ジョーはその機械そのものには触れなかった。
だがジョーが触っていないにもかかわらずそこからは確かに音程を得た音が流れ出す。
「おお! なんだこれ?」
宗次郎がその様子に思わず身を乗り出すと、
「テルミンよ!」
花応がどんと胸を張ってその楽器の名を告げた。
次回の更新は2013/01/16予定です