六、復讐者 13
「今日は一日このノリらしいわよ、河中」
雪野がテーブルにヒジを着く。そのまま意地悪げな笑みを浮かべて、己のアゴを包帯の巻いた拳の上に置いた。
「おいおい……」
その長期戦をあからさまに予想させる雪野の態度に、宗次郎はげんなりと漏らしながら缶コーヒーを手にとった。
宗次郎がプルタブに指をかけると、
「ちょい待った。私の家に来たのに、普通に缶コーヒー飲む気?」
その缶を花応が横からこちらも軽く包帯の巻かれた右手で押さえる。その顔にはどうにも自慢げなな笑みが浮かんでいた。
「何だよ? お客さんにコーヒーももてなさないのか、桐山の家は?」
宗次郎が花応が押さえる缶コーヒーを引き寄せようとする。
「もてなすわよ。でもウチに遊びに来たのに、普通に飲むの?」
その缶コーヒーを花応がぐっと力を入れてその場に引きとどませる。
「『普通に飲む』に決まってんだろ? 何か、特別なコーヒーなのかよ? どう見ても市販のこの缶コーヒーが?」
更に力を入れる宗次郎。だが押さえている花応の右手にまだ包帯が巻かれているせいもあってか、それは男子の本気の力の入れようではないようだ。
「ふふん! 甘いわね!」
宗次郎と缶コーヒーの綱引きをしながらふふんと鼻を鳴らす。
「微糖って書いてあるが?」
「中身の話じゃないわよ」
「じゃあ、外身かよ? はいはい。アルミの話は聞いたよ。こっちのスチール缶にも何か科学的な話があるのかよ?」
「そうよ! この世は全て科学的! 勿論我が家はもっと科学的! ウチに来たからには、もっと科学的におもてなししてあげるわ! そう例えばこの缶飲料達! 何故スチール系とアルミ系に別れてるか分かる?」
花応はようやく満足したのか缶コーヒーから手を離す。
しばらくその様子を微笑ましげに見ていた雪野とジョーが目の前の缶をそれぞれに手にとった。花応の前に残されたのは炭酸飲料のアルミ缶だ。
「分からん。缶コーヒーがアルミ缶だと、安っぽいからか?」
「もう! 新聞記者志望でしょ? もっと探究心を持ちなさいよ! 答えは圧力よ!」
花応は残っていた缶を手にとる。アルミのそれは花応が握ると軽くへこんだ。
「圧力ね……」
「そうよ! 原子番号13! 元素記号Al! アルミニウム! 柔らかくって加工しやすく、何より軽い! 加工しやすいのは、展性が高いお陰ね! 展性ってのは金の時にもちょっと話したけど、圧力とか打撃で壊れることなく変形する力のことよ! これを加工に役立てるのね! 密度は一立方センチ辺り2・70グラム! 比重で言うと鉄の約35%と軽量なの! 加工には柔らかくに越したことはないし、輸送には軽いに越したことないでしょ? まさに工業製品には大助かりね!」
花応が目を輝かせて力説を始めると、
「お、おう……」
宗次郎は目を泳がせて花応に応える。
「で、缶コーヒーにスチール缶が多く、炭酸飲料にアルミ缶が多い理由! レトルト殺菌って言って、中身を缶に入れてからの加圧しての殺菌が、缶コーヒーとかの飲料には必要なんだけど、アルミ缶ではこれが無理なのよ! 技術的な進歩で、今はそうでもないけど基本的な理由はそれね! それに輸送にはそれなりの強度必要だわ! 薄くて軽い加工がされたアルミニウムでは強度が心配でしよ? でも大丈夫! 中身の炭酸飲料がそれを解決してくれるわ! アルミ缶が炭酸飲料に使われるのは、炭酸による内側からの圧力が強度を支えてくれるからでもあるの! そしてアルミニウムは酸素やケイ素に次いで、地殻中に沢山含まれている――金属として数えれば一番多いってことね! それだけ身近に手に入るってこと! これも経済的に大変な利点よ! よく利用されるはずだわ! でも、勘違いしないでね!」
「花応、そこは『かかか、勘違いしないでよね!』って、言い淀んだ方がいいわよ」
缶ジュースに口をつけながら雪野が横から口を挟む。
「するか! そんな言い方!」
花応が真っ赤になって雪野に応えれば、
「あら、そう?」
雪野は澄ました顔でジュースを喉の奥に流し込む。
「ペリ」
その横ではジョーが器用にアルミ缶からこちらもジュースを細い喉の奥に送っていた。
「で、何を俺は勘違いしたらいけないんだ?」
「そうよ! 沢山地殻にあるからって、直ぐに利用できると思ったら大間違い!」
花応はまだ少し赤い顔を宗次郎に向ける。
「だ、そうよ、河中。〝近く〟にいるからって、安心しちゃダメよ」
雪野はニヤニヤと笑みを浮かべながら花応と宗次郎の両方に目をやる。
「お前は何の話をしてるんだ、千早?」
「さあ、何でしょうね?」
「雪野! 話の腰を折らない! で、アルミニウムはイオン化傾向が大きいから、地中には酸化物やケイ素塩として存在するの! アルミニウムは酸素との結合力が強いのよ! 酸化しやすいってことね! これはアルミニウムのある意味欠点でもあり特性でもあるわ! 酸化しやすいってのがね!」
「そうか?」
「そうよ! アルミニウムは酸化した状態で地中から掘り返されると思って! 酸素を取り外さないと、アルミニウムとしは使えない訳よ! で、これをどうにかするのが電気分解! この時使う電気量がハンパないの! だからアルミニウムは電気でできてるとか、電気の缶詰とか言われるわ!」
「ペリ!」
打ち合わせでもしてあったのか、花応が手を伸ばすとジュースを飲み干したジョーがその手にアルミ缶を手渡した。
「電気もただじゃない! 何よりアルミニウムは融点が低いから、アルミニウム屑にして溶かすのが比較的楽! この二つを考えた結果、アルミニウムは――」
花応は空にアルミ缶をずいっと宗次郎に差し出した。そこにあったのは矢印がアルミの文字を囲むように三角形を形作るリサイクルのマーク。
それを力強く宗次郎に突き出しながら、
「リサイクルするのがとっても科学的なのよ! 電気量も押さえられるし、勿論原料がリサイクルできるしね!」
花応はまるで我がことのように自慢げに胸を張る。
「そうか……分かった……」
「そう? よろしい」
「で、桐山。こんな調子が、今日一日続くのか?」
宗次郎は突き出された『アルミ』の文字と、ようやく声の調子を落ち着けた花応の顔をしげしげと見比べる。
「そうよ、河中――」
その宗次郎の様子に満面の笑みを浮かべ、
「今日一日、科学的におもてなししてあげるわ」
花応はふふんと楽しげに鼻を鳴らした。