六、復讐者 12
「いやはや……」
日曜日のお昼前。花応の部屋のダイニングに招き入れられた宗次郎は開口一番呆れた声を漏らした。
「むっ。何よ?」
宗次郎に先立ってダイニングに入った花応が頬を軽く膨らませて振り返る。
「ようこそ! 私も手伝ったわよ!」
ダイニングに座っていた雪野が自慢げに手を広げて宗次郎を迎え入れる。
「ペリ!」
その隣に人間くさくお尻を着けて座っていたジョーも羽を上げて宗次郎を歓迎する。
「風船膨らませてるのは昨日で知ってたけど、何だこりゃ――」
宗次郎は部屋を見回した。ダイニング中の空いているスペースに銀色に企業ロゴが印刷された風船が浮いていた。
色紙で作られたリボンも天井に吊るされ部屋を横切るように垂れている。前日までテーブルの上を占領していた実験器具類は片付けられていたが、幾つのかの器具が残されていた。その器具にパーティー用の色とりどりな装飾用のシールが貼られており、無愛想な器具が多少なりとも華やかに飾られていた。
「子どもの誕生日会かっての」
「るっさい。冷静になって一回引っ込めようかと思ったけど、雪野が断固このままって言い張ったのよ」
「千早、止めてやれよ」
「だって、この方が面白いでしょ?」
「まあな。とりあえず座らせてくれ」
宗次郎はそうとだけ答えると目の前のテーブルのイスを引いて腰を降ろす。
その目の前に紙の束を重しにした風船の紐がぶら下がっている。宗次郎はイスに座るや上を見上げぷかぷかと浮いている風船を見つめる。
「で、こいつの中にヘリウムが入ってるんだって?」
「そうよ」
花応が答えながら宗次郎の横に座る。縦長のテーブルの長い方に座った宗次郎。正面には雪野とジョーが座っており、花応は自然と宗次郎の横に座ることになった。
「ふふん……ジュースとってくるね……」
その様子に雪野がしてやったりの笑みを浮かべる。どうやら自分とジョーが並んで座ることで、花応と宗次郎が反対側に並んで座るように仕向けたようだ。雪野は二人が着席すると立ち上がり冷蔵庫に向かう。
「こういうのって、爆発したりしないのか?」
宗次郎がそう口にしながらも天井に浮かぶ風船をつつく。
「何を言ってるのよ、あんた?」
「だって、気球とかよく爆発してないか?」
「いつの時代の気球の話をしてるのよ? それは初期の水素を使った気球の話よ。水素は酸素と混合されると、アセチレンに次ぐ広い爆発限界の範囲を持ってしまうわ。爆発限界は可燃性のある気体や液体が爆発する為の条件ね」
「〝混同する〟と、爆発するのか?」
「〝混合する〟とよ。あんたが水素とヘリウムを混同してるのよ。てか、実際に混同して爆発とかさせないでよね。ウチにはいっぱい化学物質があるんだから。で、こいつに入ってるのはヘリウム。全ての元素の中でもっとも沸点が低く、超流動という巨視的な量子的現象まで起こしてくれる素敵な希ガスよ」
「そうか? そうそう。氷室はとりあえず元気――はなかったような気がするが……まあ、あの後無事に家に帰ったよ」
「あ、そ」
「素っ気ないな」
「ふん……」
花応がテーブルに座ったまま顔を宗次郎から背ける。
「はいはい、湿気った話はやめておきましょう。それこそ爆発的に楽しまないとね。ね、花応?」
冷蔵庫をまさぐっていた雪野が、ジュースを腕の前に回した両手に抱えて振り得る。両手が包帯でぐるぐる巻きにされており、そうしないとうまくジュースを持てないようだ。雪野はお行儀も悪く尻で最後はその扉を閉めてテーブルに戻ってくる。
「炭酸にする? それともコーヒー?」
雪野が抱えたジュースを上半身を前に折り曲げてテーブルに置く。大小二種類の缶がその上に幾つか並んだ。小さい缶はスチール缶で大きな缶はアルミ缶だった。
「サンキュ。じゃあ――」
宗次郎が何げなくテーブルの上の缶に手を伸ばすと、
「ちなみに、炭酸系の缶ジュースにはアルミ缶が使われてるわ! そして天井に浮かんでいる風船に使われているのも同じアルミニウム! 液体にも気体にも、容器として使われる金属! アルミニウム! 今日作った料理の落としぶたにも、アルミ箔を使ったわ! すごいでしょ、アルミニウム! 身近な科学って、素敵よね!」
花応が不意に立ち上がって力説する。
「何だ?」
その様子に宗次郎が伸ばした手を途中で止めて目を白黒させる。
「あはは。花応らしく、おもてなししてくれるらしいわよ」
「ペリ」
打ち合わせでもしていたのか、雪野とジョーが花応の様子に驚きもせずに笑みを浮かべて顔を見合わせる。
「はあ?」
眉間にあからさまに皺を寄せて不審な表情を浮かべる宗次郎。
「ふふん! そうよ――」
その様子に花応は不敵な笑みを浮かべて振り返ると、
「科学的におもてなししてあげるわ!」
これまた自信満々にすぐ隣に座る宗次郎をビシッと指差した。