六、復讐者 10
「ちょっと! 人に携帯押し付けて、何処行くのよ?」
花応によって包帯をグルグル巻きにされていた雪野の両手。丸っこいまでに白く巻かれたその両手で、雪野は携帯を受け取り損ないお手玉でもするように二、三度宙に弾いてしまう。
「トイレよ! じゃ、メールの返信よろしく!」
花応はイスから立ち上がるや振り向きもせずにダイニングのドアの向こうに消えていこうとしていた。
「ちょっと……メールの返信よりも、先ず電話でしょ! 速水さんに襲われてるかもしれないのよ!」
雪野は自身がイスから転げ落ちそうになりながらようやく携帯を両手で挟み込むように掴んだ。
「どっちが襲ってんだか!」
「花応ってば!」
小さくなっていく花応の声。雪野が戸惑ったように見えなくなった花応の背中に呼びかけると再び携帯が着信を告げた。
「――ッ! かかってきた! あっ――」
雪野は反射的に電話をとるが、
「違う――『桐山』? 家族の人? しまった! 出ちゃった!」
実際は宗次郎からの電話ではなかったようだ。雪野は目の端に一瞬写った『桐山』の文字を読み上げながら、とってしまった電話を慌てて耳にあてる。
「もしもし? すいません! これ、桐山さんの電話です!」
雪野は相手が話し出す前に一方的に捲し立てた。
「『桐山さんの電話』? どちら様です? 花応はいないんですか?」
電話の向こうの主は若い女性のようだ。花応や雪野と同年代。同じ高校生のような若くてはりのあり、まだ何処か子どもっぽい甲高さも残っている声だったた。
「花応ですか? 桐山さんは今おトイレに。私は桐山さんの友達で、千早と言います」
雪野はまだ花応が戻ってこないかと廊下の向こうに目をやりながら応える。そして興味深そうにこちらを見ているジョーに向かって人差し指を立てるや己の口元に持っていった。
雪野の黙っててね合図にジョーが無言でうなづく。
「『友達』? あの花応に? 友達?」
電話の向こうの少女はさも不思議そうな声で雪野に応えた。不意を突かれたと言うように、その語尾が驚きに極端に上げられていた。
「何か、おかしいですか?」
「……」
電話の向こうの主は答えない。
「……」
だがその沈黙の向こうから僅かに聞こえて来た音声に雪野は不快げに眉間に皺を寄せる。
「トイレなら、いいです。花応には家族から電話って、伝えといて下さい。折り返しはいいって、言っておいて下さい。多分折り返しとか、してこないと思いますけど」
「そうですか。折り返さなくって、いいんですか? 何なら、私がかけ直して、花応に電話させますけど」
眉間の皺を収めて雪野は電話の向こうの主に提案する。
「いいえ。折り返しの電話ができないんじゃなくって、『してこない』――って言ってるんです」
「はぁ……」
「では、失礼します」
電話の向こうの少女はそれだけ告げると一方的に電話を切った。
「何よ……花応に友達がいるのが、そんなにおかしい? 鼻で笑うことないじゃない? 聞こえないと思って。魔法少女様の耳は地獄耳なんだから、受話器離して鼻で笑ったって聞こえてますっての。家族の方にしては、失礼ね」
雪野はぶつくさと呟きながら切れた携帯に目を落とす。
「桐山……何て読むのかしら?」
雪野はそのまま着信履歴を呼び出した。
「『かれこい』……違うか? 女の子だよね、あの声。花応の家族って、妹さんか何か? いるなんて、言ってたっけ?」
着信履歴に残されていた『桐山彼恋』の文字。
雪野が読みを当てんとしげしげと携帯を眺めていると、
「人の携帯見て、何をぶつくさ言ってるのよ? あのバカに電話繋がったの?」
花応がいつの間にかダイニングに戻って来ていた。
「あ、花応! 今ね――」
雪野がダイニングの入り口に立つ花応に答えようとした丁度その時、
「あ、河中から電話――むむ、こっちが先よね」
その雪野の手の中で花応の携帯がもう一度着信を告げる。
「今からなの?」
「そうよ。河中は今から。もしもし河中? 千早だけど。大丈夫なの?」
雪野は花応の方を窺いながら携帯に耳を傾ける。
「『河中は今から』? 別の電話でも来たの、ジョー?」
「ペリ。折り返しはいいみたいなこと、言ってたペリよ」
河中と話し込み始めてこちらをいちいち振り向けなくなった雪野。そんな雪野に代わって花応はジョーに訊く。
「ふぅん。折り返しはいいのなら、ありがたいわ」
「とにかく、そっちは大丈夫なのね?」
電話の向こうの河中に状況を訊いていた雪野は険しく眉を寄せながらも、花応に向かって包帯だらけの指で丸を作ってみせた。
「あのバカも、一応無事みたいね」
「ペリ。電話の方は、折り返さないペリか?」
「ふん。大事な用事なら、もう一度かけてくるでしょ。要らないって言ってる折り返しする必要なんてないわよ」
「折り返せないペリしね」
「うるさい」
花応がジョーの頭を軽く小突く。
「痛いペリ」
「知るか」
「ああ、花応。代わる?」
ようやく話が一段落したのか雪野が携帯の通話口を押さえて花応に振り返る。
「別に。代わらなくっていいわよ」
「そうなの? 一応花応にかかって来た電話だし。浮気現場の写真の真相、問いたださなくっていいの?」
「浮気とか、それ以前の問題だし」
花応がムッと眉間に皺を寄せ唇を尖らせる。
「あっ、そ。じゃあ河中、明日必死に弁解しなさいよ。本気で怒ってるわよ、花応」
雪野はわざとらしくも意地悪な笑みを浮かべて花応に振り返り、
「怒ってるのは、勝手にくっつけようとしてる雪野にでしょ?」
「痛っ!」
その花応は先にジョーを小突いた時より激しく雪野の脳天に拳を打ち込んだ。