一、科学の娘11
「敵?」
花応がその言葉に大きく息を呑む。
自身も口にしたその言葉。それを天草が怨嗟のごとく吐き出した。
「……」
花応が一歩後ろに退いた。まるで天草の怨嗟の声が胸に突き刺さったかのように、胸を思わず押さえてよろめくように退いた。
――私の家族は敵……
そして己が吐いた言葉が、自身の胸を今度は締めつける。
天草はひどい形相をしていた。怯えているのか視点の定まらない揺れる瞳で、それでいて威嚇するかのように目を剥いて。恐怖で歯を噛み締めながら、そのくせそれでも武器はあるのだと言わんばかりに唇だけは剥いてその歯を見せようとしている。
花応は知っている。自分もさっき似たような顔をしたことを。
「落ち着いて、天草さん。私達があなたの敵な訳ないでしょ? 私達は倒れたあなたを保健室に運んだだけよ」
千早は冷静なようだ。
ベッドに身を乗り出して天草を宥めようとする千早の後ろ姿。彼女の表情は花応からは見えなかった。
「うるさい! 皆して、私をバカにして! 何であなた達みたいな恵まれた人間が――何の同情よ! 何? いじめられてる私に優しくして、自分はいい子だってアピールしたいの? 美人で優しくって皆に好かれる性格優等生! 別世界の令嬢様で異次元の成績優秀者! 何なのよ? 何でなのよ! 何であなた達みたいな二人が――」
「混乱してるの? 天草さん、落ち着いて」
「う・る・さ・い! そんな顔して! 本当は心の中では、私のこと笑ってるんでしょ? 自分には簡単にできることをできない私を! 自分達が自然と持っているものを持ってない私を! どんくさくって、バカで……皆のストレス解消の対象にされて! 文句も言えずにへらへら笑っているだけの私を!」
天草が手足を闇雲に振り回して叫び続ける。
「桐山さん、手伝って。このままじゃ怪我しちゃうかも」
千早が天草の手足を押さえようと手を伸ばした。
「……」
だが花応は呼びかけられてもその場を動けなかった。
「今朝も、ずぶ濡れになった私を見て、ホントは笑ってたんでしょ!」
「誰にやられたの? 誰かにいじめられたのなら、何なら私から言って……」
千早は天草の手足を掴まえることができなかったようだ。せめてもか、それでも言葉で相手を宥めようとしている。
「うるさい! 私をいじめて、傷つけて! それで今度は優しくしようだなんて! バカにするな!」
「何を言ってるの? 私も桐山さんも、あなたのこと傷つけたりしないわ?」
「――ッ! とぼけないで! 私を傷つけたのは――」
千早の最後の一言に、天草が一際憎悪に目を剥いた。
そして、その瞳が射抜いたのは――
「あなたじゃない!」
呆然と立ち尽くす花応だった。
「――ッ!」
花応は驚きに目を見開く。
だが動いたのは瞼だけだ。その他は石膏で全身を固められたかのように動かない。
自分にこれ程の憎悪向けられている。その現実が花応を更に立ち尽くさせた。
「何を言っているの、天草さん? 桐山さんは――」
そんな花応の耳に冷静な千早の声が届けられる。
「いじめられてるあなたの為に、あの教室でたった一人立ち上がってくれたのよ」
「へっ?」
花応の緊縛が解けた。
「誰もが他人ごとと決め込んでだんまりを決めている教室で、私が入ってきた時、桐山さんだけが何か言おうとして立ち上がっていたわ。私が頭に血が上ってて、思わず大声出したから途中で止めたみたいだけど」
見てたの――
花応が千早に目を向けた。だが天草を宥めようとしていた千早の背中しか見えない。
「ねっ。だから私達はあなたの敵じゃないわ」
「どこまでもとぼけて……」
天草が拳を握りしめ、歯もギリリと噛んで呟いた。
「私を傷つけたのは……私を――」
天草がベッドの上でゆっくりと立ち上がる。
何処か明確な形を持たないような、柔らかな立ち上がり方だった。
「――ッ! 何……」
花応が驚きに目を剥いた。
立ち上がった天草の輪郭がぼやけ出していたからだ。
「私を〝ずぶ濡れに〟したのは――」
天草を形作っていた境界線が曖昧になり、その身が内から光りだしている。
「何なの……」
「……」
花応の驚きの声を背に、千早が黙ってベッドから身を離した。
そのまま花応を守ろうとするかのように、後ろに下がりながらその前に立つ。
天草の輪郭が曖昧になっていたのは、その身が透明になっていったからだったようだ。
見る見ると天草の体が透けていく。
「あなたご自慢の――」
天草の全身が全て半透明になった。
「『アルカリ金属』とやらでしょ?」
その姿はまるで――
「え? 敵……」
今朝花応を襲ってきた敵。その少女版のような姿だった。