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六、復讐者 2

「ふん!」

 花応が顔をそらしたままもう一度大きく鼻を鳴らした。それはいつまでもこちらを見ている二人に向けて鳴らされたようだ。だがその程度の鼻息では二人の笑みを含んだ視線は振りほどけなかった。

「うう……」

 その花応の背中にすすり泣く声が届けられる。

「……」

 雪野と宗次郎から顔をそらしていた花応。その頬に浮かんだ朱色がすっと自然に落ちた。花応は無言ですすり泣きに振り返る。

 勿論すすり泣いていたのは氷室零士だ。氷室が作り出した冷気の壁はなくなり、その絶対零度近傍まで高まった力が作り出した固体もない。全てが白煙と化して気化し公園の清浄な空気の中に霧散していった。

 白煙はもう氷室を隠してはくれなくなっていた。氷室は今や両ヒジと両ヒザを地面に着けた姿をさらして、震える肩から背中を花応達に向けてむせび泣いている。

「ジョー! 煙幕もいつまでも張ってられないわ! 解除お願い!」

 雪野がその泣き声が作り出す空気に耐えられなくなったのか不意に声を上げた。

「ペリ!」

 ジョーが慌てて応え翼を羽ばたかせた。両の翼はジョーが外周に張った物理的に煙幕にそれぞれ向けられた。

 こちらは魔術的な力で呼び出されていた煙のせいか、そのジョーの一羽ばたきで一気に煙幕が晴れた。

 周囲の視界を覆っていた白い煙幕が霧散すると、その向こうに目を白黒させた市民の姿が現れる。

「雪野。逃げてから、煙幕解除すればよかったんじゃない?」

「それじゃ、いつまでも懐疑心を持たれちゃうでしょ? 軽く暗示をかけておくわ。直接戦闘は見られてないから、簡単に自分自身を誤魔化せる程度の暗示をね」

 雪野が今度はジョーが足下に吐き出し始めた煙を従えてくるりと振り返る。雪野の目が不思議そうにこちらを見ながらも近づいてはこない市民に真っ直ぐ向けられる。

 その目に妖しいまでの光が宿る。濡れた宝石のように雪野の瞳は内と外から光を放った。その光は遠目にこちらを見守る市民すら射抜いたようだ。不安げにそれぞれで見合って何事かささやき合っていたはずの市民が一斉に静まり返る。

「お騒がせしました! これはただの踊りの練習! ただひたすらに舞い踊る為に、この場をかりそめにお借りしただけ! 内なる血潮の踊るままに、この白煙を舞台と踊らせていただきました!」

 雪野が巫女が穢れを祓うかのように魔法の杖をふるう。その先についた妖しい光と雪野自身の目が放つ光が、その場を遠巻きに取り囲んだ市民の目を奪う。

 市民はそれでも時折不安げに互いの目を見合わせた。

「驚かせて申し訳ありません――」

 雪野はその様子に慈愛のこもった笑みを浮かべる。そして何も心配することはないと言わんばかりに、その笑みで花応達の下を離れて市民に向かって行った。

「ですが。踊る為にこの足を。舞う為にこの腕を。歌う為にこの口を。我らの先祖は大地にただ向けることを止めたのです。ただただ大地に隷属し、それがもたらす恵みを浅ましくつつくのを止めたのです。この足が自由に歩を踏み。この手が自在に空を切り。この口が奔放に思いを語り。まさに生の喜びを語る為に――踊り舞い歌う為に生まれて来たのです。ならばこのような天気の日に踊らずにいられましょうか」

「これか? 俺がこの間、騙されたのは?」

「そうよ。私も一時忘れさせられたわ」

 宗次郎がごくりと息を呑み、花応も息を殺して雪野の背中を見守る。

 市民達は雪野の動きに目を奪われていた。雪野は実際に踊りながら彼らに近づく。その動き一つ一つに意味が込められているようだ。一歩足を運んでは市民の輪の中に入るかのように。一つ手を前に出しては彼らの身の中にまで入るかのように。雪野は舞いながら人びとに近づいていく。

 雪野はその間も何か口にしていた。市民達にはその言葉もその心の内に入っていくようだ。皆が雪野が話しかけ近づくごとに惚けていく。

「なんかこう――いつもの千早と違うな……」

「そう……私も、そう思う……」

「冷静に聞くと、大したこと言ってないんだがな……」

「魔力が乗ってるからね……呑み込まれるみたいよ……実際皆聞き入ってる……」

 声に出すことで呑み込まれまいとしたのか、宗次郎と花応が慌てたように口を開く。

「……」

 いつの間にか顔を上げていた氷室も黙って雪野の背中を見つめていた。

「……」

 花応がその氷室に目を落とす。

 花応はツバを乾く喉の奥に押し込むように呑み込み視線を外す。

「忘れたいの?」

 そしてようやく氷室に声をかけることができた。

「……」

 氷室は答えない。

「雪野なら、忘れさせてくれるわよ……」

 花応が雪野の背中を目で追う。雪野は今や観客と化した市民の前に大きな身振りで近づいては遠ざかり、まさに舞うように何か語りかけている。

「忘れたくない……」

「そう……じゃあ、覚えておくの?」

「忘れられる訳ないじゃないか……」

「ゴメン……よく分からないけど、私にはどうしようもない……」

「僕はただ……君に……君に、認められたかっただけなんだ……」

「私とあなたは一度二度、話しただけ……正直そういう重い話、単に困る……」

 花応は最後まで氷室の顔を直視できなかったようだ。雪野の背中を目で追いながら、それでいて焦点の合っていない瞳でその姿を写すだけにする。

 雪野の姿を追うことで花応の顔はどんどん氷室からそらされていった。

「うわわわぁぁぁぁっ!」

 氷室は地面に突っ伏して号泣を始め、

「……」

 花応は雪野が戻ってくるまでその目をそちらに向けることはしなかった。

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