一、科学の娘10
「家族ね……」
千早がぽつりと呟く。
その様はまるで自分の問題のように、真剣な表情でそのことを考え始めたかのようだ。
「……」
花応はそんな千早の顔を真っ直ぐに見られなかったようだ。視線を逃すように首を斜めにうつむいてしまう。
「ご家族とうまくいってないの?」
千早はそれでも踏み込んできた。
「別に……」
「ご両親と、あんまり話さないの?」
「……〝あれ〟が、両親だっていうんだったら、あまり話さないわ……」
「ご両親をそんな風に言うのは――」
「――ッ! あなたに何が分かるの? 皆、私が継ぐグループの財産狙い! 本当の両親が生きていたら……」
花応が突然声を張り上げ、終わりも唐突に唇を噛んだ。吐露すると吐露しないの丁度中間でバランスを取る為に、花応は唇を噛んで己の言葉を呑み込んだのかもしれない。
拳もギュッと握る。何も掴んでいないその指が、己自身を責めようとするかのよう掌に食い込んでいく。
「……」
千早がそんな花応をじっと見つめた。
「ごめんなさい……私達は住んでいる世界が違うの。かかわらないで……世界的企業の財産を、血を分けた親族で奪い合うような家なの。私の家はね……そうよ。私の家族は〝敵〟だらけなのよ……」
「……」
千早は今度も黙って花応を見つめる。
花応はそらした目を一度も千早に向けることができなかった。
『敵』と口にした時の己の顔。その歪んだ表情が保健室のガラス棚に写っていた。
ガラスに薄く映った自身の顔。そのガラス棚の中に収められていた――やはり〝桐山〟の文字の踊る薬品のビン。それらが重なる。
じゃあ……もう、いいでしょ――
今度こそ本当に己にしか聞こえないように口中で呟き、花応は千早から見れば黙ってドアに向かおうした。
「――ッ!」
そんな花応を悲鳴が引き止める。
花応が反射的に振り返ると、天草がベッドの上で震えていた。
寒気ではないようだ。その証拠に身を縮こまらせて、己の肩を抱いて震えていてた。
「イヤッ!」
「天草さん? ちょっと……どうしたの?」
先に反応していた千早が天草の肩を掴もうと手を伸ばしていた。
「いや……どうして……なんで……」
天草はベッドに上半身を起こしていた。そのまま千早の手から逃れようとするかのように、手をついて後ろに下がって行く。腰に巻き付いたシーツが、よれて天草の後ろでしわくちゃになっていく。
天草はそんなことに構っていられないようだ。目を見開き、細かく震えながら、何故か千早と花応のいる方向から距離を取ろうとする。
「天草さん? もう大丈夫よ。ひとまず、ここは保健室だから――」
「イヤッ!」
「な……何?」
花応は帰りかけていた足をベッドに向けた。
「どうしたの? 私達は別に――」
心配げに手を差し伸べる千早。
「何? 何事――」
近づいてくる花応。
そんな二人に――
「――ッ! イヤッ! こないで!」
天草は枕を投げつけながら更に後ろに下がる。
「大丈夫よ。私達はあなたをどうこうしたりしないわ」
千早が軽く手で枕を払いのけ、優しく微笑みかけた。
「……」
声に出しては同意しなかったが、花応もベッド脇にまで戻ってきた。
「どうして、どうして……あなた達二人が――」
天草は千早の話を聞いていないようだ。一人で震えながら呟き始める。
「私達? 私と桐山さんがどうしたの?」
「――ッ! とぼけないで! 私を……私を――」
「何なの? その……」
こんな時でも相手の名前を口に出せなかった花応。何もできることもなく、千早の横で突っ立つように口だけ開いた。
「さあ? 混乱してるのかな? あま――」
千早がベッドに身を乗り出し、天草を落ち着かせようと手を伸ばした。
「うるさい! 私の――」
その手を天草が振り払う。
骨と骨のぶつかる音すら聞こえる程、天草の手が千早の手を力強く打ちつけた。
そして天草が口にしたのは――
「私の――〝敵〟のクセに!」
先程花応が憎悪を持って発した言葉と同じものだった。