第13話 正しい名前
「告発を取り下げます」
ゲルトルートの声が反響した。大広間が再び静まる。
「理由を述べてください」
委員長が促した。ゲルトルートは傍聴席から演壇の横に歩み出た。背筋が伸びている。三十年分の何かを、降ろそうとしている背中だ。
「先ほどの実演を見ました。荒野の土壌で浄化蘭を発芽させ、開花まで導いた。これは禁術の力ではありません。植物魔法の極致です」
ゲルトルートの目が私を捉えた。
「私は三十年間、この技術を『異端』と呼んできました。それが誤りだったと認めます」
傍聴席がざわつく。王宮の筆頭植物魔法師が、公の場で自らの誤りを認めている。
「三十年前、私はブルーメンタール家に弟子入りを申し込み、断られました。先代は『血筋に依存する技術だ』と言いました。私はそれを『排他的な秘匿主義』と解釈し、恨みました。そして恨みが『異端』という言葉に変わりました」
ゲルトルートの手が袖口を摘んでいる。無意識の動作。この人の緊張の表れだ。
「しかし今、目の前で証明されました。先代の言葉は間違っていた。この技術は血筋ではなく、学びで受け継げる。その証拠が……」
ゲルトルートがルートヴィヒを見た。
「あそこに立っている青年です。ブルーメンタール家の血を引かない義理の息子が、独学で庭の復元に取り組み、深根樹の主根を守り、ここに持ってきた。秘匿された技術が、血を超えて渡った」
ルートヴィヒが直立している。十八歳の青年は、学術委員会の場で名前を呼ばれるとは思っていなかったらしい。耳が赤い。
「フローラ・ブルーメンタール」
ゲルトルートが私に向き直った。
「あなたの祖母は、私を断ったとき、こう言いました。『申し訳ない』と。あの言葉の意味を、私は三十年かけて誤解していました。祖母があなたに課した『誰にも教えるな』という遺言も、きっと同じ誤解から生まれたものだったのでしょう」
私は何も言えなかった。祖母の顔が浮かぶ。台所で、土のついた手で私の髪を撫でてくれた祖母。「この技術は大事なものだよ。大事だから、守るんだよ」。
守り方が、間違っていた。秘密にすることで守ろうとして、秘密が壁になった。
「ゲルトルート様」
声が出た。掠れていた。
「祖母は間違えました。でも、あなたも間違えました。三十年間、恨み続けたことは」
ゲルトルートの顎が引かれた。
「そして私も間違えていました。十三年間、声を上げなかったことは」
大広間が静まった。三人の女が、三つの間違いを並べた。
「でも、今日から変えられます。この論文は、技術の公開です。学びたい人がいれば、教えます。血筋は問いません」
ゲルトルートの目が光った。三十年前の二十五歳の少女の目。学びたかった人の目。
「……教えてもらえますか」
「もちろん」
◇◇◇
委員会が判定を下した。
「ブルーメンタール式水脈浄化術は、禁術には該当しない。論文の内容および実技試験の結果を踏まえ、王宮はこの技術を正当な植物魔法として認定する」
拍手が起きた。傍聴席から。まばらだが、確かな拍手。
「また、フローラ・ブルーメンタールの申請に基づき、独立植物魔法師制度の創設を王宮に勧告する」
マティアスが眼鏡を直した。口元が動いている。苦笑だ。自分の計画が崩れたことへの。でも、悔しそうではなかった。むしろ、感心しているように見えた。
「加えて」と委員長が続けた。
「ヴァイスフェルト領の水脈崩壊に関する調査報告に基づき、前公爵ヴィクトル・フォン・ヴァイスフェルトの王宮への虚偽報告を認定。公爵位を剥奪し、辺境伯に降格する。領地の水利管理は王宮が直接監督する」
ヴィクトル。
あの人の名前が、大広間に響いた。公爵位の剥奪。社交界の華と呼ばれた男が、辺境伯に。
溜飲が下がるか、と自分に問いかけた。
下がらない。上がりもしない。ただ、「そうか」と思った。当然の結果だ。十三年間の虚偽が、十三年分の帰結を受けた。
ルートヴィヒの顔を見た。蒼白だった。父の降格を、この場で聞いた。十八歳の息子にとって、これは辛い知らせだ。
でも、ルートヴィヒは立っていた。背筋を伸ばして。震えていたが、倒れなかった。
◇◇◇
判定の後、大広間の隅でリーゼのことを思い出した。
あの子の指先の光。緑がかった淡い光。植物魔法の光。
エーリヒの亡き妻は、植物魔法の素養があったのだろう。確かめる術はないが、リーゼの指先の光は偶然ではない。遺伝だ。亡き妻がこの荒野を「緑にしてほしい」と願った理由が、わかった気がする。自分にできなかったことを、誰かに託したかった。
その「誰か」が、巡り巡って私になった。そしていつか、リーゼがその技術を受け継ぐかもしれない。
ブルーメンタール家の女たちの系譜は、血を超えて、家を超えて、続いていく。ルートヴィヒへ。リーゼへ。そしてゲルトルートへ。
「この技術の正しい名前を、考えています」
エーリヒに話しかけた。大広間を出る廊下で。
「まだ決まらないんです。ブルーメンタール式、というのは家の名前であって、技術の名前ではない」
「……急ぐことはない」
「ええ。名前は、根が張ってから決めるものですから」
エーリヒが横を向いた。口元が緩んでいるのが、横目で見えた。
「また植物の話をしている」
自分でも気づいた。結局、私はいつも植物の話に戻る。それが私の言語で、私の世界だ。
でも今は、植物の話を聞いてくれる人がいる。隣に。




