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『あの庭は妻の趣味だから潰せ』と仰ったそうですね。  作者: 秋月 もみじ
第2章

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第12話 実技


大広間の中央に、土が置かれていた。


学術委員会が用意した「標準土壌」、王都近郊の畑土。pH6.5、含水率適正、有機物豊富。植物魔法師にとっては扱いやすい土だ。


「この土壌を使用し、浄化蘭の種子を発芽させてください。制限時間は一刻」


委員長が告げた。傍聴席には委員五名に加え、王宮の植物魔法師三名、文官数名、そしてゲルトルート。エーリヒは最後列に座っている。ルートヴィヒはまだ来ていない。


標準土壌の前にしゃがんだ。指で土を摘む。匂いを嗅ぐ。柔らかくて、豊かで、優しい土。


これでは意味がない。


「委員長。一つ、お願いがあります」


「何でしょう」


「この土壌ではなく、私が持ってきた土を使わせてください」


傍聴席がざわめいた。委員たちが顔を見合わせる。


ポケットから革袋を取り出す。中身を標準土壌の隣に広げた。赤茶けた、乾いた土。グリューネヴァルトの荒野の土。


「この土は、グリューネヴァルト伯領の荒野から持ってきたものです。pH4.8、含水率は極めて低い。通常、植物の発芽には適さない土壌です」


委員長が土を見つめた。明らかに劣悪な土壌。ここで植物を発芽させるのは、標準土壌の何倍も難しい。


「……許可します」


靴を脱いだ。


傍聴席が静まった。王宮の大広間で、裸足になる人間を見たことがないのだろう。大理石の床が冷たい。足の裏に硬い石の感触。つま先が縮む。


ゲルトルートの眉が動いた。侮蔑ではない。困惑だ。筆頭植物魔法師は、土に裸足で立つ魔法師を見たことがないのだろう。王宮の庭師は手袋をする。私は手袋を外す。それだけの違いだが、その違いが三十年の溝だ。


荒野の土の上に、裸足で立った。


足の裏から、土の情報が流れ込んでくる。水分量。温度。ミネラル組成。微生物の活性。靴越しには感じ取れない、土の「声」。


「土の状態は足の裏が一番わかるんです」


誰に説明するでもなく呟いた。傍聴席の誰かが小さく笑ったが、嘲りではなかった。


手のひらを土に当てた。目を閉じる。魔力を指先に集中する。


荒野の土が震えた。乾いた粒子の間に、緑の光が浸透していく。私の魔力が、根を求めている。


浄化蘭の種を一粒、土に埋めた。指で押し込む。深さ三センチ。種の殻に魔力を注ぐ。殻が割れる。白い根が、土の中に伸び始める。


目を開けると、委員たちの顔が見えた。身を乗り出している。植物魔法師たちも目を見開いている。


この土で。この荒野の、痩せた、乾いた土で、浄化蘭が根を伸ばしている。


根が水を探す。乾いた粒子の間を縫うように、下へ、下へ。本来なら地下水脈まで到達しなければ水は得られない。でも、ブルーメンタール式の魔力誘導で、空気中の水分を土壌に引き込むことができる。月光草の原理を応用した技法。これは論文に書いた。でも、見せるのは初めてだ。


双葉が土から顔を出した。淡い緑。荒野の赤土の上に、小さな命が立っている。


委員の一人が椅子から腰を浮かせた。植物魔法師たちが互いの顔を見ている。この土壌で発芽させたことの意味を、専門家だからこそ理解している。


◇◇◇


そのとき、大広間の扉が開いた。


ルートヴィヒが駆け込んできた。息を切らして。手に、布に包んだ何かを抱えている。


「母上」


衛兵が止めようとした。ルートヴィヒが「ヴァイスフェルトのルートヴィヒです。証拠品の持参です」と叫んだ。声が若い。十八歳の、必死な声。


委員長が頷いた。衛兵が道を開ける。


ルートヴィヒが演壇に走り寄り、布を開いた。深根樹の主根。昨日見たサンプル。でも、それだけではない。主根の先端に、浄化蘭の幼根が絡みついていた。


「ヴァイスフェルトの庭から持ってきました。馬場を掘り返した地下から。深根樹の主根に、浄化蘭の根が自然に接合していたんです」


ルートヴィヒの声は旅の疲れで掠れていたが、一語一語に力があった。


「母上がいなくなってから一年以上経っていますが、根同士が勝手に繋がっていました」


自然接合。


私が設計したシステムが、私がいなくなった後も、根が自律的に維持しようとしていた。属人的だと言われたシステムが、実は自律的な回復力を持っていた。


言葉が出なかった。


ルートヴィヒが根を差し出す。受け取ろうとして、指先の感覚がなくなった。「ありがとう」も「よく来た」も言えない。頷くだけ。頷いて、根を受け取る。


根に触れた瞬間、指先に脈動が伝わった。弱い。でも確かに生きている。ヴァイスフェルトの水脈の記憶を、この根はまだ持っている。


大広間の荒野の土の横に、ヴァイスフェルトの根を置いた。


二つの土地が、大理石の床の上で並んでいる。


浄化蘭の双葉に魔力を注ぎ続ける。双葉が三枚葉になり、茎が伸びる。白い小さな花が開く。


荒野の土で、大理石の床の上で、浄化蘭が花を咲かせた。


傍聴席が息を呑んだ。


エーリヒが最後列から微動だにせず見ている。腕を組んで、背もたれに体を預けて。あの人はいつもああだ。遠くから見ている。でも見ている。


目が合った。小さく頷いた。それだけ。それだけで、手の震えが止まった。


ゲルトルートが立ち上がった。


傍聴席の最前列から、ゆっくりと。顔色が変わっている。何かを決めた顔。何を言うのか。


「委員長」


ゲルトルートの声が大広間に響いた。


「私の告発を、取り下げます」

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