06:自堕落
奏は家を出ると胸ポケットからタバコとジッポを出し火をつける。
「ふぅ~」
そして、煙を肺に吸い込み一服しながら歩き始めた。
(※歩きたばこは違反なので絶対に真似しないでください。)
前の一人暮らしの家みたいに自由にタバコが吸えないのが不便だな。家族には喫煙者だって言ってねぇし、女か友達が捕まらないときはこの家に帰ってこねぇといけねぇし…早く新しい家探さないとな。
奏はそんなことを考えつつイライラを煙草でごまかすように吸い続ける。
そして一駅分のろのろと歩くと、最近通っているパチスロ店に到着した。
自動ドアが開くと大きな音響と玉が流れる音が耳を支配する。パチスロ店に行ったことのない人だと耳障りな騒音でしかないが、奏にとっては慣れた音だ。
奏は運よく目当ての台が空いているのを見つけるとその席に座り、札を投入する。そしてまたもや煙草の火をつけ遊戯を始めた。
奏の日常はアパレルショップでの仕事、煙草、ギャンブル、酒、後腐れのない女、適当に遊ぶだけの友人で廻っている。昼は仕事かパチンコ、夜は居酒屋やクラブ、寝泊まりは声をかけてきた名前も覚えていない女の家が常だ。一般的にはクズ野郎であることは自負しているが、特に自分に害があるわけでもないので改善するつもりはない。
金欠になることは多々あってその日暮らしみたいな生活もよくあるが、自分は運よく顔が良いので女が助けてくれることが多い。
これが家族には言えない奏の本来の姿だ。
母親や再婚した凛子の父は心なしか気付いている気もするが、凛子は全く自分の本性に気付いていない。家での奏の態度を見て優しくて頼りになる兄だと信じているようだった。真面目な凛子は血も繋がっていなければ戸籍すら違う奏のことを兄と呼ぶ。最初は驚いたが、いつも人を適当に頼っていた奏が凛子には頼りになる兄として接されるのも悪くない気がする。
新しくできた妹…というより同居人はとても不思議な子だ。
まず表情が全く変わらない。内心は動じているのかもしれないが、基本無表情で平坦なトーンで話す。唯一表情が変わるのを見たのは、彼女の好きなハーブティーを前にしたときだけだ。それでも表情はあまり変わらないが、よく見るとハーブティーの前では饒舌になり表情も柔らかい。それと雷も苦手で怖がってたか。
そして、あまりにも世間の常識に疎い。ハーブティーや家族以外にあまり興味がないようで、さすがにラブホテルの存在を知らず一人でホテルに入ってきたときは驚いた。
奏の適当な嘘も信じているようで、冗談も通じない。いつか誰かに騙されるんじゃないかと心配だ。一時的とはいえ、兄として少し気を配っておいたほうが良いかもしれない。
そんなことを考えていると気付けば結構な金を使ってしまったようだ。しかも勝ちはなくただただ金を使っただけ。
「チッ」
思わず舌打ちが漏れる。
最近凛子のことを考えるとすぐに時間が経っていることがある。
若干苛ついていると、スマホが少し震えた。どうやら最近つるんでいる奴から今夜クラブに行こうという誘いがきたようだ。
残りの持ち金は少ないが、どうにかなるだろ…奏はそう考えるとけだるそうに立ち上がって、友人の待つ場所へと向かうのだった。
バチンッ
「最低っ‼このクソ野郎がっ‼」
夜の喧噪に響く乾いた音と、肩を震わせ怒った女。
目の前の奏の頬を赤く腫れており、女性に力いっぱいビンタされたようだ。
「ペッ…てめーが勝手に勘違いしたんだろうが…」
奏は口の中の血を地面に吐きつけると、路上の女性を放って歩き出す。
女性が後ろで何かわめいているが、周りが制止してくれているようなのでまた殴られることはないだろう。
奏がクラブで他の女性と一緒にいたことが気に食わなかったらしく激情して奏の頬を叩いたのだ。
俺が色んな女といるのはいつものことだろーが、勝手に彼女面してたのはそっちだろ。
頬をさすりながら駅へと向かう奏。
今日はさっきの女の家に泊めてもらうつもりだったから、今日寝泊まりできる場所がない。ホテルに泊まる金もねぇし、今から捕まる女や友人もいなさそうだ。今から駅に向かえばギリギリ終電に間に合うので、あの家に帰るしかない。
酒もまわってきて覚束ない足取りで歩く奏。
クソ…酒が回ってきた。
家に着いた頃には意識も薄れ足取りも朦朧としていた。
家に着いたのは夜中の1時過ぎ、すでに家族は皆寝ているだろう。変に音を立てて起こさないようにしなければ。
これだから家族と住むのは面倒くせぇんだよ、一人暮らしだったら適当に服脱ぎ散らして床で寝んのに。
「うえっ…」
奏は吐き出しそうな口を押さえ、リビングへと向かう。酔いを少しでも覚ますために水を飲もうとしたのだ。
フラフラとリビングに入ると、そこにはラップのかかった肉じゃがや味噌汁、焼き魚、白米等があった。そして、料理の隣にあるメモには”兄さんの分”と達筆な文字で簡素に書かれていた。
もしかして今日晩御飯がいらないとは伝えていなかったから準備してたんじゃ…いや、これまでも晩御飯の有無を言わずに帰らなかったことなんて多々あるし……
奏がそんなことを考えられるのもそれまでだった。
「おえっ…」
酔いがピークに胃の中のものを吐き出してしまう。咄嗟に近くにあったゴミ箱に吐き出したが、少し間に合わず吐瀉物が床に飛び散ってしまっている。
ガチャリ
奏が全てを吐き出し終わった時、リビングのドアが開く音がした。奏が口元を袖で拭きながら恐る恐る後方を振り返ると、そこにはパジャマ姿の凛子がいた。
「兄さん、大丈夫ですか?」
凛子がすぐに奏に駆け寄ろうとする。
「待って、俺今吐いちゃったから近づかないで!」
奏が咄嗟に手で制止して凛子を近付けないようにする。同居人とはいえ年下の女の子にこんな気持ち悪い光景を見せるわけにはいかない。いや、いつも一緒にいるようなギャルだったら特に気にはしないけど。
凛子はその言葉を聞くと何も言わずに即座にリビングを出て行ってしまった。
それを見た奏は安心感となんとも言えない情けなさに見舞われた。さすがの凛子も兄と慕う相手が吐くまで飲んで帰ってきたことに失望したに違いない。凛子の性格だと何か一言言うかと思ったが、まさか声を掛けずに戻ってしまうとは…。
「はぁ…」
奏は酸っぱい口でため息をつくと、気が抜けたかのようにソファに腰掛ける。
パチン
スイッチの音とともに急にリビングの照明が点く。
急に明るくなったために奏は目を細める。そして、その目には凛子の姿が映っていた。
凛子はゴム手袋に雑巾とバケツを持って完全に清掃する気満々の姿だ。
「り、凛子ちゃん?」
自分の部屋に戻ったと思っていた凛子が予想外の姿で現れ驚く奏。
「掃除は得意な方なので任せてください。」
凛子はそう言うと、奏が止める隙もなくテキパキと床を拭き吐瀉物の入ったゴミ箱も掃除する。嫌な顔せずいつもの無表情で掃除をする凛子を見ることしかできない奏。
「終わりました‼」
そう言う凛子は無表情だが、なんだか誇らしげだ。
「あはははっ」
そんな凛子の姿に思わず声をあげて笑ってしまう奏。失望させてしまったと思い落ち込んでいたのが嘘のように、気分は晴れやかだ。
「えっと…」
何故奏が急に笑い出したのかわからない凛子は少し戸惑ってしまう。
掃除したことがそんなにもおかしかったのだろうか…。
凛子は不思議そうに奏をじっと見つめる。
「あ、頬腫れてます。大丈夫ですか?」
奏の頬は赤く腫れており、少し唇の端も切れている。
「あ、大丈夫だよ。よくあることだし、明日には治ってるよ。」
「よくあるんですか…でも、冷やした方が良さそうです。」
凛子は冷蔵庫から保冷剤を取り出し清潔なタオルで包むと奏に差し出した。
「ありがと。」
頬を素直に冷やす奏。
いったい何があれば頻繁に頬が腫れることになるのだろうか……凛子がそう思って見つめてくることに気付いたが、女を適当に扱い殴られましたなんて言うこともできず奏は知らないフリをすることしかできない。
「お腹の調子は大丈夫ですか?家に市販の胃薬ならありますけど…」
「大丈夫だよ。ちょっとお酒飲みすぎちゃっただけだから。」
また凛子が素早く薬を取りに行かないように、奏は慌てて答える。
それに全て吐き出してしまったので、気分の悪さももうない。
「では、二日酔いに効くハーブティーをブレンドするので良かったら飲みませんか?私もちょうどお茶を飲もうとして起きたところだったんです。」
凛子は本当にお茶を飲もうとして起きたのか、それとも奏の帰宅した音で起きたが気を遣わせまいとそう言ったのかはわからない。しかし、お茶を入れようと提案する凛子の表情は心なしかわくわくしている。
「じゃあ、お願いしようかな。準備してくれてる間にシャワーと着替えしてきても良いかな?」
「はい、もちろんです。」
凛子はすぐに返事をすると小走りで自分の部屋にある材料を取りに行った。奏はその姿を微笑ましく見届けると、自分の部屋で着替えを取り浴室へと向かう。
シャワーを終え髪をタオルで拭きながらリビングに戻ると、すぐに若葉のような爽やかな香りが奏を包み込んだ。
「良い香りだね。」
奏がそう言ってテーブルの席に着くと、すでに置いてあった料理は下げられていた。それに気付いた奏は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ちょうどお茶が入ったところですよ。」
凛子は奏の前にハーブティーを静かに置く。透明のグラスカップに入ったハーブティーは透き通るイエローグリーン色で綺麗に揺らめいている。
そして自分の分のカップも持って正面の席に座った。
「胃の炎症を抑えるカモマイルと飲食疲れの胃に効くキャラウェイが入っています。ストレスを癒すオートムギも淹れてみました。」
「…ありがとう。」
奏はそう言いゆっくりと口に含んだ。香ばしい香りが鼻を抜け、クセもなく飲みやすい。
すぐに効果が出るものではないが、奏はとてもホッとするような穏やかな気分になるのを感じる。
奏がカップを両手て包み込むように持つと、チラリと前に座る凛子を見た。
凛子は味わうようにハーブティーを飲んでいてとても幸せそうだ。
「その…ごめんね、これまでも晩御飯作っていてくれたんだよね?」
奏は申し訳なさそうに言う。晩御飯が必要ないと連絡しておくべきだった。まさか連絡をしない日は晩御飯の準備をしていてくれたとは…
「え?全然大丈夫ですよ。父も忙しい人間だったんで晩御飯の有無がわからないことがよくあったんです。だから作り置きをするのは癖になっているだけですし、それに残ったとしても次の日に食べますし。」
凛子はキョトンとした表情をしていて、本当に何とも思っていないようだった。
そうか…この子は幼い頃に母親が亡くなり忙しく働く父親の元で育ったから一人に慣れているのかもしれない。慣れたくて慣れたものではないだろうに。
「それでもごめん。次からは絶対連絡するよ。」
「ふふ、ありがとうございます。」
「…。」
「…。」
沈黙が続く。しかし、二人ともその沈黙が嫌なわけではなかった。
ハーブティーを飲み終わる頃、凛子が口を開いた。
「私、これまで一人で家に居ることが多かったので雷の日に兄さんが傍にいてくれたこと嬉しかったです。それに以前も今日も一緒にハーブティーを飲んでくれてなんというか…とても安心した気持ちになります。」
「え…」
こんな自分でも誰かにとって良い存在になれるのか。でもそれも凛子が俺の私生活を知らないせいなのだろう。嬉しいが、嬉しい気持ちになれない。
「では、そろそろ寝ましょうか。」
「あ、うん。御礼に食器は俺が洗っておくよ。」
「はい、ありがとうございます。ではおやすみなさい。」
そうして凛子は部屋に戻って行った。
それから俺がゲロを家で吐いた日から晩御飯の有無だけは連絡するようにしている。
俺と凛子のメッセージ画面はシンプルで晩御飯の有無の連絡とその返事ばかりで埋め尽くされている。これまでコンスタントに連絡を取る奴がいなかったせいか、ずっと同じ人と繋がっているのは不思議な感じだ。
家族の家に帰りたくねぇと思いつつも時々意味もなく帰って凛子のご飯を食べるようになってしまった。俺がそれを選択しているはずなのに俺じゃねぇみたいで混乱する。
でも、やめられないのだ。