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泉の精霊と玻璃の蝶

作者: 猫乃真鶴


 国土の北に聖域を有する、ここララマウル王国では、聖女が誕生する。

 聖女。それは自身の魔力を守護者たる精霊へ捧げる乙女だ。彼女達は類まれな魔力を持っており、精霊がそれを望むのだ。精霊は聖域を通じて一帯に祝福を与える。祝福を受けた土地では豊かな実りが約束される。その為に、王国は常に聖女を聖域へと送り出していた。

 だが精霊とは、聖女の魔力——精神力を貪る者であった。精霊に魔力を捧げ続けた聖女は、ゆくゆくは精神を削られ廃人となってしまう。それでも聖女が居れば、国は豊かでいられる。彼女らの犠牲の元に国は存続しているのだ。聖女は人々から尊ばれていた。精霊も同様に敬われている。だから本来であれば、聖女の誕生は喜ばしいものであった。

 だが、エリアス王子にとってはそうではなかった。


「アーリスタが聖女!? 何かの間違いだ!」


 エリアスは叫んだ。それは、とてもではないが受け入れられなかったのだ。


「精霊様からの神託がございました。間違いなく、アーリスタ王女をお望みでございます」

「何て事だ……今更になって」


 そう言って、エリアスは頭を抱える。力を無くしソファに倒れ込む彼を、妃となるイヴリンが痛ましげに支えた。






 ララマウル王国は三十年以上前に聖女を失っていた。当時の聖女は長くその位にあった女性で、寿命であった。それでも後継者が生まれないからと、最期の時まで尽力していた。亡くなったのは精霊を祀る祭壇であったという。祈りを捧げていた最中に亡くなったせいで、発見されたのは息絶えてから数日経ってからの事だったそうだ。

 それもあってか、聖女が亡くなってからすぐに王国に異変が起きた。魔力を持たない子どもが頻繁に産まれるようになった。それはつまり、精霊の関心がこの国から離れているという意味である。聖女が生まれないのも関連しているのだろうと言われるようになったのもこの頃だ。

 このままでは国土の祝福さえも失いかねない。当時王国を支えていた者達は慌てて対策を打たねばならなかった。

 そもそも、なぜ次の聖女が生まれないのか。過去の例から見れば、聖女は世代交代するのが通例であった。それが亡くなった聖女がその任にあった頃からそれらしい者すら見つからない。精霊からの神託はもちろん、その兆しさえない。今までに起きなかったことだ、誰にもその理由も原因も突き止められなかった。それはそうだろう、全ては精霊の御心のまま。人間にどうにかできるものではなかったのだ。


「とにかく、精霊様の御心を繋ぎ止めるのだ。それしか道は無い」


 王のその言葉に皆が賛同した。それ以外に彼らに選べる道はなかった。

 ではその為に何をするか。代わりにそれが議論された。まず出たのは聖女の代わりを立てる、という案だ。しかしこれには、聖域の神殿の神官達が激しく反対した。


「精霊様にとって、聖女様は唯一です。聖女様への侮辱と受け取られるやもしれません」

「ではどうするというのだ」

「聖女様が捧げているのは魔力。その魔力以外に、精霊様が受け取られるものがあれば良いのです」

「そんなものがあるのか」

「それを探すのです、陛下。我々がやらなければならないのは、それに他なりません」


 神官はそのように進言するが、王の反応は良くない。だが、どの道このままでは国が滅ぶ。精霊の祝福には、瘴気からの保護が含まれていた事が、この時周知されていた。

 人々の間で体が黒く変質し、衰弱する奇病が広がっていたのだ。ただの病ではない、と神官が判断できたのはほとんど偶然だった。聖女の誕生と精霊についてを調べている際、古い書物にその記述を見つけたのだ。

 かつて瘴気の満ちる人の住めない地に、清らかな精霊がいた。その精霊の棲家である泉の周辺では、瘴気が見当たらなかった。だからそこに人が住み着いた。どんどん人が増え、泉の周囲には収まりきらなくなる。精霊はそれを見て大地に祝福を与えた。人が安全に生きて行けるように、とその範囲を広げたのだ。人はそれに感謝をして、精霊に力の源である魔力を分け与える事にした。そもそも王国と精霊の関係はそのようにして始まった、と書かれていた。

 古になくなったはずの病が広がっている。精霊の祝福が失われている証拠だ。

 放っておけば、人は死に絶えるだろう。だったらあらゆる手段を試すべきだ。神殿側はそう主張した。

 初めは渋っていた王家も、そうするしかないとそれを飲んだ。そうして恐ろしい試みが行われるようになった。

 魔力の豊富な女性を、聖域の泉へ沈める。あるいは血液を流し込む。一人でだめなら二人、二人でだめなら三人。女でだめなら男を。大人でだめなら子どもを。

 数年経ってもそれらの効果は現れなかった。犠牲者はどんどん増えていった。






 そうして三十余年。次第に国力も人も減る中で、ようやく新たな聖女が指名を受けた。王家に生まれたアーリスタ王女が、次の聖女だというのだ。

 神殿からそう報告を受けた王は、顔色を蒼白とさせた。


「それは誠か」

「はい、陛下。今朝、神官長の元に神託がございました」

「なぜ、なぜ今になって!!」


 本来であれば、聖女は産まれてすぐ神託を受ける。そして母親の元から離されて聖女の後継としての教育を受けるのだ。アーリスタは十八歳、ならば十八年前に神託があってもおかしくはない。


「その間、どれだけのものが犠牲になったと」

「全ては精霊様の御心次第です、陛下」

「…………」


 王は、ぐっと拳を握った。そうして目を閉じ顔を伏せる。他に術はなく、どうしようもないと思っての事だったが、民を精霊に焚べるのは王の心を削っていた。心身に癒やしようのない傷を刻み続けた王は、エリアス王子の婚礼の儀を機に位を退くつもりでいた。その婚礼の儀は数日後に控えている。

 あまりにも多くの犠牲を出した。それに耐え切れなくなっての事だったが、次に差し出されるのは己の娘。王の全身から、あらゆる力が抜けていく。


「王妃を瘴気の病で失い、我が子を守るつもりでいたが、そうか。アーリスタが」


 それだけを言った王はその後、神官と従者に退がるよう命じた。その日は一日部屋に篭りきりであったが、次の日、聖域の泉に王の遺体が浮かんだ。エリアスは失意の中、王位を継いだ。

 泉は王家の血をも飲み込んだが、聖女の指名が取り消される事は無かった。






 アーリスタは黒いドレスに身を包み、兄を訪れた。突然の王位の移動だ、城の中は慌ただしい。王となった兄が自分の元へやって来るのは無理だろうと、彼女は頃合いを見ていたのだ。

 丁度人が途切れたところだったらしい。入った部屋では、兄が机に向いていた。そこはつい先日まで、父が座っていた場所だ。そこにいる兄の姿には誰しもが違和感を覚えることだろう。


「兄様」


 アーリスタは、数日の激務でやつれてしまった兄を呼んだ。エリアスはくっきりと隈の浮かぶ顔をアーリスタに向ける。


「ああ、アーリスタ」

「どうか根を詰めすぎないよう」

「……そうも言っていられてない。こうしている間にも、国は動いているのだから」

「ええ、そうですわ。そして瘴気も、未だ国に溢れている」

「…………」


 エリアスは疲れた顔を伏せる。


「兄様、もう分かっていますでしょう。大丈夫、瘴気は私が抑えてみせます」

「だが、それではお前が死んでしまう!」


 聖女は、魔力を捧げるとやがて死ぬ。常人よりも遥かに寿命が短くなるものだった。それは建国の頃から変わっていない。精霊がそういう性質をしているのだから、それは仕方のないことだった。だがエリアスにはそれが耐えられない。エリアスにとって、アーリスタはすでに唯一の肉親となっていた。母は二人が幼い頃に。父は、つい先日自ら命を絶った。物心つく前に母を失ったアーリスタと違って、エリアスは母が亡くなった時の事を鮮明に覚えている。何よりも肉親を亡くす事を恐れるようになったエリアスは、自らの命令で妹を精霊の元へと送り出す事ができずにいたのだ。

 だからアーリスタは兄を訪ねた。


「兄様が命じる必要はないわ。私、勝手に行きますから」

「アーリスタ、何を言っている?」

「私は私の意志で行くのです。兄様の思惑は、そこには含まれない」


 妹の表情に、エリアスは彼女の言わんとする事を悟った。


「お前はそれで良いのか」

「本望です」

「精霊の為に人が死ぬ。それでいいはずがない」

「なぜ? 人にとっての牛や鶏が、精霊にとっては人である、それだけです。そこに何の違いがあると言うのです」

「それは……」

「私一人が行けば、多くの民が助かる。であれば、私は迷う事なく参ります」

「お前の自由は、未来はどうなる」

「あら。王族のそれと同じようなものでは? 決められた先に嫁ぎ、ほとんど自由の無いまま役目を全うする。イヴリンお義姉様だってそうでしょう?」


 アーリスタはそう言ってころころと笑うが、エリアスの表情が和らぐ事はなかった。それを残念に思いながら、アーリスタは努めて笑顔を保つ。


「兄様の家族は、イヴリンお義姉様が増やして下さるでしょう。私は兄様の治世を支える、その礎になる。それだけが私の望みですわ」

「……すまない」


 くしゃりと表情を歪ませたエリアスが、そう言って頭を下げた。


「本当に済まないと思うのなら、兄様、最期にとびきりの笑顔を見せて下さらない?」


 そう願ったが、それは叶わなかった。頭を下げたエリアスからは、啜り泣く声が聞こえてくる。残念だわと呟いて、アーリスタはそっと兄を抱き締めた。


「愛しています、兄様。どうぞお元気で」


 嗚咽に混ざり、アーリスタを呼ぶ声だけは聞こえたが、エリアスが微笑んでくれる事はなかった。それだけが残念でならなかった。

 翌朝、アーリスタは身辺を整え聖域へと旅立った。その数日後には、国土を覆っていた瘴気が晴れた。病に倒れていた人々は瞬く間に快癒した。聖女様が助けて下さったのだと、人々は感謝を捧げた。

 エリアスは、父王が泉に身を投げた事で、精霊の離心を防いだのだと発表した。そして、再び国土に関心を向けた精霊が、王女を聖女に選んだのだ、とも。王家が精霊を繋ぎ止めたとしたのだ。人々はそれを信じて王家を讃えた。これはアーリスタがそうするように、と告げた事だった。そうすれば国の為になるから、と。彼女の言った通りになって、エリアスはふと笑みを浮かべた。

 瘴気の抑えられた国土で、エリアスは安定した治世を敷いた。三十年に及ぶ聖女の不在は、皮肉にも国の発展に貢献していた。精霊の祝福は豊かな恵みを齎すが、それを受ける事の出来なかったこの間に、作物の品種改良が進んで多くの収穫が出来るようになっていた。最低限食うに困らなくなった、そこへ聖女が現れたとなれば、収穫量は倍増する。多くの作物を取引材料に、諸国に売り込む事で国は栄えた。エリアスは賢王として長く王位に就いた。

 反面、彼は妹を聖域へ送り出さねばならなかった事を死の直前まで嘆いていた。国が豊かになればより一層悲しみは深まる。「アーリスタ、お前にこの富を返せないなんて」とエリアスは泣く事が多かった。イヴリン妃が宥めても、彼の子ども達が叱咤しても、それは変わらない。それ程までに愛の深い王に、民もかつての王女の喪失を嘆いた。ただ彼女は聖女として聖域に居るので、その代わりに聖女へ感謝を捧げるようになった。

 やがて聖女アーリスタが亡くなった、との報が神殿より齎された。それを受け、エリアス王も臥せる事が増えた。聖女は短命だが、彼の場合は寿命ではなく心労が祟ったのだろうと言われている。聖女アーリスタが亡くなって間もなく、エリアス王もこの世を去った。ただその死の際、彼の棺から、青い羽根をした蝶が飛び立ったという。蝶はひらひらとはためいて、北の空へ消えていった。

 その後王国に聖女が生まれる事はなくなった。それでも国土には祝福が満ちている。聖域に新しい精霊が生まれたのだ。その精霊は新たに聖女を求めたりはしなかった。その姿を見る事が出来なくても、人々は精霊を崇め敬った。彼らに祝福を与えてくれる精霊に感謝を捧げた。

 いつからか、蝶となったエリアス王が聖域に赴き、新たな精霊と素晴らしい祝福を与えてくれたのだと言う者が現れた。聖女という贄が必要なくなった世界、しかも以前と変わらない豊かな生活。この奇跡のような出来事に、皆それを信じた。

 聖女が誕生しなくなり、役目を終えた神殿では、今はエリアス王を偲ぶ民達の声を集める場所になった。そうやって彼の名は、その偉業と共に後世に遺る事になる。


 泉の中央に伸びる梢に精霊が腰掛けている。その傍らには、玻璃の羽根を持った、美しい蝶が飛んでいる。

 精霊と蝶は片時も離れる事なく、ただただ同じ刻を過ごした。











 * * * * *


 アーリスタは聖域に辿り着くと、早々に精霊に対面した。彼女の父王がどれだけ呼びかけても応えなかったというのに、アーリスタが泉へやって来ると、それだけで精霊はすぐに姿を現す。


「やあ、待っていたよ」

「そのようね」


 不遜とも取れるアーリスタの態度に、精霊は笑みを深めた。


「良い魔力だ。だが性根は捻くれ曲がっている。実に好みだ」

「大層な趣味だこと」

「君には都合が良いのでは?」

「そうね。その通りだわ」


 アーリスタはくっ、と笑う。


「お陰で私は、兄様の忘らない存在となった。それには感謝しているわ」

「それだけ?」

「もちろん、それだけというわけでは。他の女が兄様の隣に侍る、それを見る前にこちらへ来られたのも、素晴らしい出来事だと思っているの」

「君は本当に、性根が腐っているね」

「あら、それはどこぞの精霊のせいではなくて?」

「言うねえ。だが、その通りだ」


 美しい姿をした精霊は、歪に笑ってみせる。


「瘴気を浄化するだなんて面倒な事、好き好んでやる精霊なんていやしない。皆瘴気を利用して、自分の都合のいい環境に変えているだけさ」

「あなたの場合は、それが人間の感情というわけね。人の欲によって穢れた魔力を好んだ」

「その通り」


 ぱちん、と精霊が片目を瞑る。随分と人間くさい仕草だな、とアーリスタは思った。建国書によれば、精霊はかなり長い間この土地に居た事になるから、それも仕方のない事かもしれない。

 アーリスタがこの精霊に出会ったのは、まだ幼い頃だった。兄の後を追い掛けているうちその姿を見失って、護衛も見つからずに木の影で泣いていた時。急にふっと周囲が明るく感じて顔を上げれば、そこには精霊が浮かんでいた。

 すぐにそれが精霊だと分かったのは、その風貌のせいだ。成人男性を思わせる体格をしているのに、顔はやけに女性らしい。髪が長いのも、女性らしさを感じる要因かもしれない。少なくともララマウル王国の男性は皆短い髪をしていた。

 なによりも人と異なるのは、彼の背に蝶のような羽根があって、宙に浮いている事だ。兄を見失った寂しさを一瞬で忘れ、アーリスタは瞬いた。そして精霊から発せられた言葉で、全てを悟る。


「良いねえ、君。その歳でそんなに歪みきっているなんて! 僕の所へおいでよ。そうすれば君の兄様は、永遠に君を忘れたりしないだろうから」


 精霊は見抜いていたのだ。アーリスタがこの世の何よりも、兄を望んでいる事を。


「〝聖女〟だなんて、聞いて呆れるわ」

「そうだね。でもそれは、人間が勝手に言い出した事だからなぁ。僕のせいじゃない」

「そうでしょうね」


 アーリスタは幼い頃から兄を慕っていた。その想いは成長するにつれ大きく膨れ上がっていき、これは家族に対するものではないな、と早々に気が付いた。兄と離れるのは嫌だと精霊の誘いを突っぱねていたのを、ある時を境に条件付きで認めた。それは兄の婚約者が決まった時だった。


「あの時の事を思い返すだけで、僕はお腹がいっぱいになるよ」

「あなたは、そうでしょうね」


 うっとりと微笑む精霊とは違い、アーリスタの心には憎悪の炎が燃え上がる。アーリスタがどれだけ望んでも決して手に入らない場所、そこにただ都合が良いというだけで選ばれた女が居座る。それは仕方のない事だ、アーリスタがエリアスの妹として生まれてしまったのだから、そうなるのが人間の世界の理だった。

 けれどもアーリスタは、その時になってようやく思い知った。このままでは、どう足掻いても決して兄を手にする事は出来ない、と。

 だから——アーリスタは聖女となったのだ。


「今までの聖女も、そりゃあ酷く利己的だった。けど君と比べると、どれもが可愛く思えるよ」

「褒め言葉として受け取っておくわ」

「ああ、是非ともそうしてくれ。兄を自分の物にする為に、聖女になるのを十五年も先延ばしにしたんだ。その間大勢の人間が犠牲になると分かった上で!」


 幼い頃から度々アーリスタの前に現れ、聖女となるよう唆していた精霊は、アーリスタの思った以上に人間くさい。今もまるで劇場の役者のように、大きく腕を広げて空を仰いでいる。

 不思議だわ、とアーリスタはそれを眺めた。風貌はまるで人ではないのに、仕草さえそれらしければ、精霊からは人間らしさを感じる。そして妙に落ち着いている自分にも、内心で驚いていた。これから二人で、恐ろしい儀式を行おうとしているのに。

 甲高い笑いを上げていた精霊が、すっと両手を下ろした。


「最高だよ、アーリスタ。きっと君の望みは叶う」

「そう。それは良かったわ」

「ちっとも嬉しくなさそうだけど?」

「だって、まだ何十年もかかるのだもの。喜ぶのはその時にするわ」

「そうか。そうだね、それがいいよ。ああ、楽しみだ」

「……そうね。それは、本当にその通りだわ」


 そう言うとアーリスタは精霊の前に跪き、魔力を捧げた。魔力とは精神力だ、アーリスタの、兄への想いで捻じ曲がって歪み、どす黒く染まった魔力は、精霊の心を満たしていく。三十年という歳月は、精霊にとっては短い間であったけれども、アーリスタから与えられる穢れた魔力は、飢えた精霊には甘美が過ぎた。恍惚とする精霊はかつてないほどの祝福を国土に授けた。

 結果として、王国は過去で最も繁栄する事になった。エリアス王の名は広く知られるようになる。誤算ではあったものの、アーリスタはそれを喜んだ。誰もが兄を尊び敬う。それが嬉しくないはずがなかった。

 そうして兄の名を聞きながら過ごして十五年、ようやくアーリスタが待ち望んだ時がやって来る。


「最期にとても楽しい思いが出来たよ」

「それは、そうでしょうね」

「君には礼を言うよアーリスタ。最高だった」

「あなたの為では、ないわ」

「ははっ! そうだね、その通りだ。やっぱり君は最高の聖女だよ。僕を利用するんだからさ」


 精霊に魔力を絶え間なく捧げていたアーリスタは、ついに精神を蝕まれ衰弱していた。彼女に最期の時が訪れようとしている。

 聖域の祭壇で横たわるアーリスタに、精霊は語り掛けた。


「もうこの土地もどうでもいいかなと、そう思っていた時に君を見付けた。これで最後にしようと、そう思ったんだけれど。ああ、残念だ。君ほど腐った性根の持ち主となら、この先何百年でも居ても良かったのに。人間は弱すぎる」

「そう思うのなら、聖女を不死にでもすれば良かった、のではないの」

「それはだめだよ。だって飽きてしまうもの。人だってそうだろう、同じものばかり食べていたら飽きないかい?」

「……それもそうね」


 目を閉じ深呼吸するアーリスタに、精霊はうんうん、と頷いた。分かってもらえて良かったよ、と言う精霊は以前と変わらない見た目だが、アーリスタの方は違っていた。髪は真っ白になり、瑞々しかった肌は皺まみれでかつての面影は無い。聖女として精霊に魔力を捧げて十五年、実年齢とは思えない程老けていた。精霊に魔力を与え続けたせいだ。今まさに彼女の命は燃え尽きようとしている。


「まあ、いい思いをさせて貰ったのだから、誓約は守るよ」

「あなたは本当にいいの」

「もちろん。もうどうでもいいからね。君以上の人間が現れるとも思えないし」

「それは、そうね」


 アーリスタがそう言えば、精霊はまた笑った。今まで聞いた中で一番の笑い声だった。それが可笑しくて、アーリスタも笑みを浮かべる。


「それじゃ、さようなら、アーリスタ。お兄さんと仲良くね」

「……言われるまでもないわ」


 アーリスタの言葉に、「やっぱり君、最高だよ」と精霊は言う。その声が遠ざかって、アーリスタの視界は真っ白に染まっていった。

 ようやくだ、と思ったのを最後に、アーリスタの意識は途絶えた。



 聖域の祭壇に残っていたアーリスタの遺骸は、精霊の光に包まれたと思うと忽然と姿を消した。同時に精霊も消えて、その跡には何も残らなかった。

 程なくして泉に、捻じ曲がった梢が姿を現した。そこに腰掛ける者の姿がある。それは紛れもなく精霊だった。だがその姿は、これまで聖域で言われていたような風貌とは異なっている。明らかに女性のようだったし羽根も無い。長く伸びるドレスのように泉の水を身に纏い、佇む姿は、高貴と言って差し支えない。聖域の異変を感じ取り泉を訪れた神官達は、神々しいその姿に膝をついた。

 新しい精霊の誕生は秘された。その精霊がどのような性質なのかを確認出来なかったからだ。だがそれからすぐに、新しい精霊がこれまでの精霊と同様、王国に祝福を与えていると分かった。ただその精霊は特に聖女を求めたりはしなかったので、神官達は首を捻った。



 精霊の側には、いつからか蝶が一匹飛ぶようになった。その蝶は、エリアス王の葬儀で見られたものと酷似していた。


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