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1000通りの計画  作者: Terran
間章 創作活動 3
67/99

真要素核 1




[353]

 魔力量について語ろう。


 この世界の魔力は大きく分けて3つの魔素がある。

 生物の体内で生成する[生体魔力(オド)]。

 世界を循環する自然界に満ちている[自然魔力(マナ)]。

 使用されて排出された排気魔力や、副次的な作用によって変質した有害な魔素である[瘴気]。


 オドは主にこの世界の魔術を使用する際に使われており最も身近で、世間一般に魔力と言えばほぼオドの事を指す。

 マナは一部が精霊術や仙術に応用されるものの、ほとんどが手つかずで任意に扱うには相当な修練を要求されるが、それでもほんの一端しか扱えない。

 瘴気は変異魔素であり一般的には魔力とは見做されておらず、その在り方も広義的で特定の一要素を指す物ではない。

 他に明確に対応した語も無く、敢えて言うなら排気物であり塵でもあり穢れだろうか。


 さて、魔術学院に限らずエリュダイト全域で言える事だが、魔力を伸ばすというのは人々にとっては力を増す事を意味している。

 どこの国家でもその研究をする機関が設立されており、大昔から様々な方法が試されてきた歴史がある。

 そうやって培われてきた技術や研究の末に通説として定着した個人魔力量についての世間的な常識というものがある。


 人間族の魔力上限が伸びるのは二十歳前まで。

 それ以降は個人差もあるが微々たる量で、一生の魔力量は最も伸びる成長期にどれだけ魔力について学び鍛錬をしたかによって決まる。

 これについてはほぼ確定しており、種族差によって年齢のピークこそ異なるが骨子となる基本的な考え方としては共通する。


 唯一魔族だけは例外的にピークとなる時期こそ無いものの緩やかに一生かけて伸びるとされている。

 オドは体内で生成される以上、その生成器官は身体の成長によって大きく左右される。

 その為に諸説ある様々な憶測やら民間伝承的な魔力量向上の秘術がまことしやかに横行しており、個人差もある事からどの程度の効果が有るのか定かではない。

 その中でも特にポピュラーな成長方法としていくつか挙げておく。



・「魔力枯渇」

 体内魔力のほとんどを使い切る事で肉体に負荷を掛けて急速な回復を促す。

 筋肉を鍛えるのと同様の効果が期待されており、酷使する事で再生された魔力生成器官をより発達させる事で魔力上限を増やす。

 特に肉体の成長期に行う事で、より太く、より強靭に、より大容量で、より早く生成出来るように改造され成長していくとされている。

[世間の評価]: ☆☆☆☆

[私的な評価]: ☆



・[魔素注入]

 本来は毒素となる瘴気に類する魔素を薄めて継続的に接種させる事で耐性の向上と魔力の代謝を促進させる。

 体内に溜まった魔素を排出する働きとはつまり魔力を押し出す作用であり、副次的に魔力の通りを良くする効果が期待される。

 この方法の優れている点は魔力の循環強化や代謝スピード向上だけでなく、適応反応により瘴気に対する耐性を得る事にある。

 それは魔術への抵抗力の向上にも繋がり、リスクこそあるが適量を見定められるだけの研究が為されていれば最も効果的とも目されている。

[世間の評価]: ☆☆

[私的な評価]: ☆☆☆☆☆



・[魔力神経移植]

 この場合の魔力神経とは即ち魔力生成器官や魔力伝達神経と魔力変換や魔力循環に関わる生体部品全般を指すが、実際に移植技術が確立しているのはその一部だけである。

 当然だがドナー適合しなければ拒絶反応を引き起こすので検査は慎重に行う必要がある。

 前世のフィクションにあるような誰でも移植出来るだなんて都合の良い話はない。

 例え肉親であっても適合しないケースはザラで、更に魔力神経を完全に順応させるには一定の年齢以下でなければ大部分を不意にしてしまう可能性が高いとされている。

 しかし幸運にも一族の中で適合する者が居て、移植に成功すればその恩恵はかなり大きい。

 世代を超えて継承された魔力神経は一代では到達し得ない領域にまで発展させられる可能性があるからである。

[世間の評価]: ☆☆☆☆☆

[私的な評価]: ☆☆☆



 この他にも歴史上では様々な試みが為されており、人工魔力器官を埋め込んだり、二人を繋ぎ合わせて魔力の増大を図ったり、器官を一度切り離して培養してから再度移植したりと手法はバラエティーに富んでいる。

 一定以上の成果を得られた技術はそれなりの数が発見されているが、そのほとんどが現代では禁忌として封印されている。

 大叡書館の地下に埋もれた秘術の数々は非常に興味深かったが、持ち前の知識で当たり外れの区別の付く私にとっては一読すれば十分であった。


◇◆◇


 さて、これらを踏まえて魔力量に関する私の見解を述べておこう。

 私の十年以上による研究で明らかになったのは、この世界の個人の魔力は、『最大容量』、『上限値』、『限界値』、『生産力』の四つの要素から成り立っているという事である。


 『最大容量』とはまさしく本人の最大魔力許容量のことである。

 通常の人では最大容量までの魔力を自力で維持する事は不可能であり、どんなに訓練しても自然な生産で保有出来る量は限界値までだ。

 最大容量は器である身体の成長で大きくなるが、訓練や技術では決して増やす事は出来ない。

 また、異物を組み込んだり移植したりしても基本的に増やす事は出来ない。

 下手をすれば減らす結果となるだろう。


 『上限値』とはその名の通り本人の自由に使える魔力量の上限である。

 自身の魔力が枯渇するまで魔術を使った者の行き着く先は、この上限値まで使い切った状態の事を指す。

 そしてこれは訓練する事で引き上げる事が可能であり、一般的に最大魔力上限値と認識されている分母の正体こそがこれである。

 私からしてみれば魔力枯渇まで使い切って上限を引き上げる行為はただ単に自由に扱える魔力の幅を慣らしながら増やしているだけの現象であり、魔力そのものが増大している訳では無い。

 例えるなら、息止め(無酸素状態)を繰り返し練習することで、徐々に馴らして息止めの最長時間を延ばしていくようなものだ。

 機能上の限界も最初から定まっているし、大変危険な行為である。

 そして限界値は上限値のように引き上げる事は出来ない。限界値を超えるというのは、そのまま身体を破壊するのと同義だからだ。

 そこには根性論も精神論も介在する余地は無い。

 上限値をいくら引き上げても限界値までしか魔力の行使は出来ず、仮に限界値をどんなに破壊しても最大容量を超えて行使は出来ない。


 『生産力』とは体内魔力を限られた時間内により多く練り上げたり、自然回復出来るかを表す力である。

 これは訓練によってある程度は伸ばせる物で、枯渇状態からの自然回復に慣れさせたり、魔素を注入して体内魔力を強制排出させる事でも訓練になる。

 しかし、魔力も無から生まれている訳ではないので生産スピードを上げるという事はそれだけ身体への負担も大きくなる。

 何より憂慮すべきなのは、こちらもやり過ぎに注意しなければならない事だ。

 そして、やり過ぎかどうかは残念ながら見た目にも数値にも、余程過酷な事を強いられなければ値として異常は検知されない。

 だが自覚出来る異常を報せる身体からのサインよりも、もっとずっと手前で止めなければやり過ぎのリスクを背負う羽目になるだろう。

 残念な事に、このリスクをしっかりと理解している者はあまり居ない。

 せいぜいが引退した冒険者の所謂ポーション中毒症くらいしかまともに認知されていないだろう。


 鶏で例えるなら、養鶏場で卵を沢山産み続けた鶏は食用には向かなくなる。

 何故ならば、身体の栄養素のほとんどを長年卵を生産し続ける事で使い切っていて身も骨もスカスカになっているからだ。

 そしてそれは人も同じであり、魔力生産力を過剰に上げた者の末路も似たような物となる。

 本来ならば使うべきではないデッドラインを超えて魔力を反復して生産すれば、徐々に身体の芯から摩耗して行く。

 しかも慣れてくると無自覚にデッドラインより先の魔力生産をどんどん行ってしまう。

 そして意外とそのデッドラインは余裕そうに見えて結構浅い所にあるのだ。


 最も安全に魔力を利用して、寿命を減らさず引退後の後遺症のリスクを回避したいのであれば、魔力枯渇訓練など以ての外。

 訓練で無理やり引き上げる前の初期の頃の上限値以下の運用だけに留めていれば何ら問題は無い。

 年に数回枯渇する程度なら無茶をした分の負担も完全に回復しきるだろう。

 しかし毎月二回以上ともなれば、肉体の健康的な回復力を以ってしても少しずつ身を削って行く事となる。


 そもそも、魔力上限値とは肉体への負担を掛けない為に生まれ付き備わっている安全装置である。

 魔力枯渇と回復を繰り返して無理やり上限や生産を引き上げる行為とは即ち、身を削る行為に安全装置が作動しないようにブレーキを徐々に緩ませて壊す訓練をしているに過ぎない。

 つまり、自分の魔術師としての寿命と未来の可能性を少しずつ犠牲にする事で本来の才能以上の力を無理に出力させているだけなのだ。

 決して実力が上がっている訳では無い。


 当然だが上限値を上げまくった者は安全装置が利くラインが上がり過ぎていて、摩耗ラインまで使っても余裕で魔力を使い続けられる体質になる。

 壊れてしまって危険域を遥かに超えた先にある引き上げた上限値までは、現在進行系でいくら身を削っていても自覚症状が無くなり、全然気が付かなくなるのだ。

 一度や二度だけなら生まれ付き肉体に備わっていた安全マージンの範囲内なので問題無いが、それを何度も繰り返していればいずれ破綻する日が訪れる。

 引退する時になってもおそらく「過酷な戦闘が多かったから身体に無茶させたんだ」とか適当な理由を付けて自分を納得させるのだろう。

 完全な検討違いという訳では無いが、実力以上の力を求めた者の末路は悲惨な物である。


 引退時期を前倒しで早めつつ、不健康でお先真っ暗な引退後の生活を送りたくないのであれば、くれぐれもリミッターを破壊する訓練は慎むべきだろう。




[354]

 転生者の使命を優先して、使命を果たした先の人生まではどうでも良いという考えの者であればそれは自己責任の範疇だと思われる。

 しかし、前途有る一人の現地人の未来を奪うとなれば話は別だ。

 それは他者が責任を持てる範疇を完全に逸脱している。

 故に、私は警告するのだ。

 前に捕獲した転生者の記憶を探った際にそれに気が付いてから、すぐに私は魔力枯渇からの超回復の繰り返し訓練の大きなリスクについて論文を纏めて魔術協会へと提出してある。

 これが浸透するまでには長い時間が必要となるだろう。

 しかし一度教育課程にまで浸透すれば、上限破壊訓練については無知で野蛮な方法として駆逐されるのは明白である。


 前世の記憶を持つ転生者だからこそわざと踏んでしまう罠知識。

 こういった間違った知識をあまり世界に広めないで欲しいものだ。

 己の身一つ救えない者が、何が世界救済なのだろうか。

 改善出来そうな部分すら放棄して大義名分を掲げる連中の気が知れない。

 利己的で己の身が最も可愛い者が、余力で他者にも手を差し伸べてこそ気兼ねなく救済活動へと心血を注げるという物である。

 自己犠牲で救って良いのは自分より遥かに大切な存在だけである。

 自己犠牲とは、よく知りもしない不特定多数を救済する言い訳としては下の下。

 現実を観ようとせず実力の伴わない者の世迷い言に他ならない。


 まず自分を救い。

 次に周りの者を救い。

 その関係者を救い。

 手の届く範囲を救い切ったら、世界でも何でも救えば良いのだ。


 常識的に考えてみてほしい。

 自分すら救えない者に世界の命運など預けられる訳が無い。

 少なくとも私が世界の命運を託すとしたら、全てを救い切ってもなお余力の有りそうな者が居るならそっちを選ぶ。

 だからこそ私はまずリヴィアと、そして周囲の者を優先するのだ。

 手の届く範囲、その更に先まで救い、そしていずれは世界をも救おう。


 その上で、これを逆から観て言わせて貰えば。

 私より救済の実力が低い者の計画で世界を救おうとするなど以ての外である。

 せめて私より実力と余力を身に着けてから出直して来て貰いたい。

 故に私は、私より遥かに実力が上回る者による救済を求める。

 だが仮に私が一番であるならば、仕方があるまい。

 その時は私が救おう。


 この前提からリヴィアの感情が何度も、ある衝動を私に与えてくるのだ。

 そろそろ他の転生者を見限ってはどうか、と。

 私以外の転生者を全て消してから世界を救済する方が余計な邪魔が入る余地が無くなり、より確実なのではないかと。

 それに対して私の答えは勿論イエスだ。

 私以外の転生者が居なくなればとてもやりやすい。

 実に合理的で難易度もかなり低く抑えられるだろう。


 だが、それはしない。

 公平ではないからだ。

 優しさが無いからだ。

 愛が無いからだ。

 希望を捨てたくないからだ。


 合理的な側面からすれば、どれも実に下らない取るに足らない要素だが。

 残念ながらリヴィアはもうれっきとした【神】なのだ。

 ならば理想の神足り得る要素はなるべく積んでおきたい。

 余力のある限り、良識ある善なる神へと育って欲しいと考えるのは人として当然では無かろうか。

 だからどんなに窮屈であろうとも、なるべくリヴィアには善神として経験を積んで貰いたい。

 でなければいずれ最悪な悪神となるのは、贔屓目に見ている私ですら確実だろうと思っている。


 せっかく異界の邪神を退けても、新たに君臨する神が邪神以上に邪悪な神とあっては本末転倒なのだ。

 いや、リヴィアがそれで幸せならば私としては最低限は目的の達成と言っても良いのだが、おそらく幸せにはなれないだろう。

 リヴィアは愛する者に愛されないと幸せにはなれない、そういう性質だからだ。

 愛する家族に愛されて育っているからこそ、今の均衡が保たれている。

 誰も彼もがリヴィアを敬愛するからこそ、生来の邪悪さが鳴りを潜めている。

 それくらい、私も自覚している。


 故に、私にとっての最良の結末とは、世界を救済するのはもはや単なる前提に過ぎず、更にリヴィアを立派な神として育て上げる事こそが今や最も重要な目標となっている。

 しかしこれが凄まじく高難易度なのだ。

 何しろリヴィアは善性の上限値が僅かにしかなく、悪性の上限値が極めて高い。


[善性: /10]:[悪性: /190]

[秩序: /10]:[混沌: /190]


 普通の人なら100:100になる所がこれである。

 生来の邪悪さを鎮める為になるべくガス抜きをさせながら、それでいて悪意にもなるべく晒させず、中庸を目指すより他に選択肢が無い。

 おそらく敵である異界の邪神の方がまだ良識ある分母をしていると思われる。


 リヴィアは人一人救ったら、人一人殺しても良いと当たり前に判断するタイプだ。

 幸せにしたら不幸にしても良いと判断するだろう。

 実にバランスの取れた考え方だが、それでは善神とは言い難い。

 世界を救ったら、世界を滅ぼしても構わないと判断されたら即終了である。

 せっかく私が世界救済してもリヴィアに壊されてはそれこそ本末転倒。

 私が常に傍に居ればそんな事にはならないと思うが、救済した後どうなるかなど分からない。


 仮に私が元の世界へ還されたらリヴィアは単身になってしまうのだ。

 もしその後リヴィアが世界を崩壊させたりしたら、それは何と言うか世界救済を請け負った者として無責任ではないか。

 私は己の仕事に対する矜持としてそんな結末にはしたくない。

 滅亡回避は勿論だが、異界の邪神が居た頃より悪い世界になられても後味が悪い。

 となればリヴィアをせめて公平で中立な神くらいには育てておかなければ、安心して世界救済を成就することは適わない。


 まあ、神の内面など世界に暮らす人々にはさして関係あるまい。

 実態はどうあれ、表向きは人々に愛される中立の女神リヴィアとして世界を運営出来るように教育しておけばそれで良いのだ。

 だから、可能な限り転生者皆殺しによる解決という最も安易な方法を取る訳には行かないのだ。


 いやはや、前世で子を持たなかった事をこれ程までに後悔する羽目になろうとは考えもしなかった。

 研究者として仕事が趣味だった私が落ち着いたのは人生としてはほぼ晩年に近い頃。

 その頃にはもう年齢的にも世界情勢としても、家庭を持つなど到底不可能な事態になっていた、というのは言い訳だろうか。

 ともあれ子育てが初めての私にとって、幼神の育成は世界救済より遥かに困難なミッションとなってしまっている。

 リヴィアが育ちの良い素直な娘であることがせめてもの救いか。




[355]

 体内要素の考察をしよう。


 この世界に来てから言葉を覚えるより早くから氣の扱いを修得してきた私であったが、氣功の真髄は正直なところ魔力や霊力よりずっと奥深く難しい。

 元々のリヴィアの才能や気質も大きく関わっていると思われるが、コツを掴むのに大変な労力と時間を重ねてきたというのに進みが最も遅い。

 一言で言えば、向いていない。


 だが不思議な物で、向いていない事が必ずしも極めるのに不都合という物でも無いらしい。

 ひたすら積み上げるだけ積み上げて、それがどんな道になるのか検討も付かなかった氣功ではあるが、ある種の真理に辿り着いたと共に、全てが繋がり急激に実を結び始めた。


◇◆◇


 師の居ない私にとって、私とリヴィアの間にある修得の経験を別個に理解し同調と互換を繰り返すことだけが手探りな中でも唯一の、編み上げ紡いできた技法を最短で昇華する方法であった。

 性格も気質も大きく異なる私達だからこそ、経験の差も顕著で互いの視点も理解度も足りない部分を補完し合っている。

 ひたすら冷徹な私と激情のリヴィア。

 氣功には性格や気質が反映されており、これを一度中庸の源氣にまで整えるまでに五年の歳月を要したのだ。


 基準は分からないが私達の理解力を十全に発揮出来ていれば、他の技術ならばここまでの歳月を掛けずとも容易に修得出来たはずだ。

 そういった観点からも向いていないのがよく解る。

 内功にばかりかまけていて外へと発揮する技術にまで至ったのは、鍛錬を開始してから随分時間が経ってからである。

 そこへ至るまでに私のしていた勘違いもまた昇華を遅らせる原因となっていた。


 まず最初にリヴィアの体内環境が最悪であったこと。

 氣はか細くどこもかしこも詰り、行き場を無くした澱みに身体が毒されていた。

 特に魔力の質が悪かったのが氣の習熟にまで影響しており、体内環境が悪いから更に悪くなる悪循環を生み出している。

 しかし、それは単純に呪いの影響で身体が弱っていたから澱みも生じやすいというだけの話ではなかったのだ。

 根本的に『ぐちゃぐちゃの氣』がリヴィアの本質であり、根源だったのだ。


 体内魔力も悪意で煮詰めたドブに粘り気を加えたような強烈な腐臭漂う特製ジャムだったが、氣も色んなモノが混ざり合って地獄のハーモニーを醸していた。

 向いていない原因の一つがこの氣の性質である。


 生物として成立して生きているのが不思議なくらい、リヴィアを構成する根幹要素の悉くがアンバランスで混沌として矛盾に満ちている。

 呪いはそれを更に腐らせるのに一役買ってはいるが直接の原因ではない。

 正直この惨状をどう処置すれば良いのか解らないので、ただひたすらサラサラの氣になるように澱みを解消したり、か細い氣脈を開いたりと改善工事だけを徹底して行ってきた結果。

 人並みとは言わずとも、何とかまともに流れる程度にはまとまりを見せてきた。


 断言しても良い。

 こんな無茶苦茶な体内環境の生物は自然界では成立しない。

 先天的な障害なのか、染色体異常なのか、元からそういう生物なのか、転生特典のせいなのか、全部プラズマが原因なのか、宇宙人の嫌がらせなのか。

 とにかく原因となりそうな要素を洗い出し、似たような症例を文献から探して理解を深めるべく研究を重ねてきた。


 近い症例として、まず魔物や魔獣が挙げられる。

 魔物とは異界の概念とこの世界の概念とが混ざり合った生物や現象が具現化した存在だ。

 故にそのままではこの世界の生物として成立し得ない矛盾だらけの性質を有しており、両世界の概念を極小単位の異境としてエネルギー体を結晶化させた魔核を体内に持つことで安定させている。

 世間では魔石と呼んでいるそれは様々なエネルギー資源として利用されているが、無茶な概念すら内包できる高純度のエネルギー結晶なのだから、万能なエネルギーとして利用できて当然である。


 魔獣とは魔物と違い元からこの世界に棲息していた動植物に魔素や異界の要素が蓄積されて変容した物を指す。

 軽度の物は変異した獣というだけだが、重度の物は魔物と同様に魔核を体内に持つ。

 どちらも異なる概念の生物としての特性を併せて有しており、魔核無しでは安定しない混ざり物の要素が身体を巡っている。

 リヴィアの体内環境に当て嵌めて観ても、混ざり合った性質同士が下手すれば互いの邪魔をしてしまうという辺りは似ていると言えるだろう。


 それと、更に近しい性質を有した生物の代表格が合成獣(キメラ)である。

 本来繋げてはならない異物同士を結合させた不自然な生命体。

 無茶な混合物という意味ではリヴィアの体質に近い。

 実際に合成獣を生み出したり、魔物や魔獣を生み出したりする経験でリヴィアの体質改善と理解を深める研究の一助とした。


 氣は全ての自然界に生きる生物が持つ。

 いくら魔獣化していてもそれは変わらず、魔物であっても少々特殊ではあるが氣を有している。

 合成獣の研究者の多くは、拒絶反応が起こらず内臓器官や代謝と免疫機能さえ正常に働きさえすれば生物として成立していると錯覚しているらしい。

 しかしそれだけでは30点だ。

 合成獣は体内環境からして不安定そのもの。

 実際には魔力も氣も霊体も矛盾だからけの目茶苦茶で、それが短命たらしめる原因の一つとなっている。


 その不安定さを解消させるための代替器官として大型の魔石が組み込まれているが、その素材となる魔石を内包していた魔物とは別の生物なのだ。

 デカくて容量や濾過機能が高ければ何とかなるのは最初だけ、歪みは徐々に肉体を内側から蝕み、やがて各種機能不全に陥って予想だにしていない症状を発症して死に至らしめる。

 私からしてみれば文献にある合成獣はどれもこれも失敗作ばかりで、生物学、遺伝子学、異境に対する理解度、魔核に対する理解度、氣や魔力や霊力といった生命体の根幹に関わる要素の理解度のその全てが甘いと言わざるを得ない。

 児戯にも等しい駄作である。

 高度な実験をしたいならせめて基礎から学び直してからにして欲しい。

 でなければ材料となった生物が勿体ない。


 文献にある合成獣はどれも基礎からやり直しレベルの何の役にも立たないゴミデータばかりで、彼等の稚拙な技術レベルでは生物を弄くるには早すぎるのだ。

 生物の可能性を知りたいならまずは自分の身体から解明するべきだというのに、文献や論文からは自分の身体を制御したり鍛錬していると思われる描写も裏付けも根拠の片鱗も匂わされていないのだ。

 何を思って研究者をやっているのだろうか、理解に苦しむ。

 無学、無教養、無知蒙昧。

 どうして何も知らないのに段階を飛ばして高度な分野に手を出してそれを誇っているのだろうか。

 研究資料にある彼等の所業を知れば知るほど、その無能さ加減に呆れてしまう。

 高度な学問は優秀な者に任せて、自分達は別のもっと難易度の易しい研究でもすれば良いと思うのだが、それくらいの分別も持ち合わせていなかったのだろうか。

 実に不可解である。


 生命を弄んで良いのは、もう弄ぶくらいしか成果を得られる手段が無くなってからである。

 倫理観の薄い私ですら生体実験は必ず成功するレベルまで技術力を引き上げてから行っているのだ。

 超能力の開花にしたって転生者の脳を弄るのは成功すると解っていたからリヴィアにも好きにやらせたに過ぎない。

 私は研究者としての矜持を持って、生きた被検体には確実に成功する施術だけをしているというのに。

 文献にある合成獣の研究者共ときたら、人体実験ですら同じ失敗を続けるような無能なのだ。

 これでは二流三流どころか、錬金術師を名乗る事すらおこがましいではないか。


 どうせなら彼等を素材にして必ず成功する合成獣を生み出してお手本としてあげたい。

 そうすれば自らの身体の中にこそ彼等の求める正解が有り、必死になって解明して元に戻る技術を研究するに違いない。

 それが結果として正しい合成獣の造り方へと繋がり、真に価値のある研究データとして後世に残せる資料となるだろう。


 我ながら素晴らしいアイデアだ。

 既に故人の者も多いだろうから今度時間がある時にでも墓を掘り返して生命を吹き込んで合成獣の素材として使ってあげよう。

 生涯を賭けて研究した分野が失敗作のままでは浮かばれないだろうし、間違いを正すチャンスは与えてやりたい。

 これは一種のボランティアのようなものだ。

 この場合は私のする施術は善行に含まれるに違いない。

 何しろ間違いを正して世界の利になる一歩を歩ませ、更に志半ばで研究を完成させられなかった錬金術師者達に挽回の機会を与えるのだから。

 まさに模範となる善行そのものではないか。

 どんな間違いを冒した者にも是正の機会は与えて然るべきである。


 錬金術師に倫理観は足枷でしかないのはよく解る。

 しかし、自らの研究にプライドを持つならば研究に対して真摯な気持ちと責任を忘れてはならない。

 特に命を素材にするなら、それに見合った成果を上げられなければ自らの命を差し出す覚悟くらいは最低限持つべきなのだ。

 それが出来ない者に知識の探求者を名乗る資格は無い。

 真の知識の探求者たらんと欲するならば、必ず成功するか、自らを礎として捧げるか、この二択しか選択肢は無いのだ。


 だが安心して欲しい。

私達ならば確実に彼等の夢見た合成獣の成功体へと完璧に造り変えてあげられるだろう。

 そして彼等の夢を叶える形で私達も必要とする研究資料として活用できる。

 こうして互いに利となる、まさにwin-winの結末を迎えるのだ。

 悪意や悪行の連鎖は、最後は善意や善行で締め括ってこそ完結に相応しい。


 という訳で、たかだか死んだ程度では、私達の理想とする善意からは逃れられないと思い知って頂かなくてはならない。

 折角彼等は失敗したのだから、骨の髄まで失敗を有効活用しなければ効率的な躍進は望めなかろうとも。

 先程も言ったが倫理観は錬金術師にとっては足枷でしかない。

 その足枷を自ら引き千切った者には、当然ながら足枷を無視した責任の取り方を教授しようと思う。

 実に公平で筋が通った結論だろう。






《あとがき》


・「魔力枯渇訓練のリスクについて」

あくまでもエリュダイトの場合の話です。

もしかしたら別の異世界では何のリスクも負うことなく魔力を高められるかも知れません。

読者の皆様が異世界で実行するかどうかについては全て自己責任である事を認識した上で判断して下さい。


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