はじまりの虹 5
[077]
神子は大いなる力を持つ。
生後すぐ審秘眼による判別で神子を見分ける。
神子となれば国を挙げてのパレードとなるほどの一大事になるが、それは何故か。
神子は異境の聖戦において無類の力を発揮する。
異境はこの世界と異神の世界との狭間。
そのため異世界の理も適用されており、この世界の法則だけでは立ち打ちするのは難しい。
しかし特別な存在である神子は異境においても非常に強力な戦力となる。
また、神子の次の世代の子供には通常より高い確率で英雄たる資質を持った子供が生まれやすい。
あくまでも生まれやすいだけで、元の確率が低すぎて簡単にはいかない。
一万回の誕生クジをして0.1%の当たりを引くのと、5回の誕生クジをして5%の当たりを引くのなら、圧倒的に前者の方が出るように。神子誕生の確率は極めて低いので数が物を言う。
神子は一国に一人いれば多いらしいのだ。
ただし、この確率を狙って引けるかという話になれば後者は非常に高い確率となるだろう。
貴族階級にある者が我が子を英雄にしたいのであれば神子と婚姻するのが一番可能性が高い。
この一点に尽きる。
もちろん候補には王族やその血縁から選ばれるのだが、王紋持ちという神の加護を受けた一族に英雄が生まれることの利点は挙げればきりがない。
まず王紋があれば印が無くても異境に入れる。
もし王族の神子が戦果を挙げ続けられれば王威を示すのにも最適である。
この世界では政治的にも世界の脅威に対抗するにも神子の存在は非常に大きく、その価値は計り知れないのだ。
そんな神子を邪魔と考えるのは神子の居ない国だったりするのだろうか。
それとも異界の神、邪神を崇拝する組織だったりするのかもしれない。
ともあれ邪魔と思っても殺すのは容易ではない。
国の宝である神子の身は常に守られているし、そもそも実力で倒すことは難しいのだ。
もし命を奪おうと思うのなら暗殺か、はたまた大規模戦略兵器、この世界の場合儀式魔術や専用の魔導具に頼るしかあるまい。
そしてもう一つ可能性があるのはその中間。戦略級暗殺魔術だろう。
ただし暗殺魔術なんていうのは騙し討ちのそれも一発屋だ。
ネタが一度知られてしまえば二度と成立しない。
だが、確実に殺そうと思うならこれが一番成功の確率は高いだろう。
これが一般人相手なら推理小説の如くトリックで殺すことも可能だろうが、相手は超人である神子だ。
生半可な方法では殺せない。
たった一度の殺しのためだけに大掛かりな仕掛けを用意して前例の無い方法で誰にも対策する暇を与えず一撃で仕留める。
ここまでして初めて確実な抹殺が可能だろう。
一人の神子を殺すだけなら年単位の計画で騙し討ちを狙うのも有りだろうが。
今回のは複数人を別々の場所で連絡を取り合う時間も与えず電撃的に行っている点から、成功さえすれば見つかろうが関係ないハイリスクな作戦を使ったと見るべきだろう。
歴史的な一大プロジェクトにしか思えない。
だとすれば、この戦略級暗殺魔術(仮)は予め対策出来れば確実に対抗できる欠点があるはず。
今日この日さえ生き延びれば二度と同じ犯行に脅かされなくなる可能性は高い。
証拠を残さず対抗も難しく何度も使える手口なら同じ日に複数人を殺すなんてハイリスクを冒す必要などない。
証拠が残るから、対抗されるから、何度も使う前にバレるから、決行初日の内に全てを終わらせないとならないのだ。
ならば可能性はある。
予め手札だけをひたすら揃えてきた私になら、打てる手を打てば敵の狙いに対抗し、生き延びることも不可能ではないかもしれない。
既に私の思考は圧縮され、今こうして冷静な分析を進めていること自体が対抗の第一歩なのだ。
[078]
やるべきことを見極め、実行しよう。
もし大規模破壊ならば強力な結界だけでも防げるはずである。
その場合、大規模破壊である報が告げられていなければおかしい。
神子本人に告げて身を守らせれば生還可能だからだ。
だが現実にはそうなっていない。
神子が殺されているのに原因が伝えられていないのは見た目には判別できない謎の方法で、純粋な破壊ではない殺害手口を使っているに違いないのだ。
毒だろうか。
いや、別々の場所に居る者をほぼ同時に殺害する毒を散布する術式ならば現場を観ればすぐに分かる。
狙撃だろうか。
いや、一人二人なら最も確実な方法かもしれないが、一日で別々の場所の十人となれば現実味が薄い。
では転移狙撃というのはどうだろうか。
いや、物質の転移技術はおそらくこの世界でもオカルトなのだろう。
あれば私は母と会えていた。
ならば呪殺の可能性はあるだろうか。
いや、神子が強力な呪殺で簡単に殺せるのだろうか。
距離は呪いなら何とかできそうなイメージだが、呪いという概念をすぐに着想できる世界で対策されないはずがない。
ただの呪殺ならばかき消す力を持った神子も身辺を護る者にも居るはず。
そう、身辺を護る者にも防げないのは明らかにおかしい。
となると考えられるのは明らかにおかしい点を、不可能を可能にする仕掛けが存在する。
神子を殺すのは何故出来ない。
そんなのは簡単だ。神の加護によって超人となっているからだ。
ならば前提を壊せば答えも自ずと導けよう。
つまり神の加護さえ何とかできれば殺せる。
ということは、邪神の力で神の加護を無効化してからの呪殺、だろうか。
なるほどそれなら破壊でもなく、何故死んだのかも判るまい。
何しろ死因が呪殺というのは普通に考えて有り得ないのだから。
気が付いた者が呪殺で神子が死んだと言ってもすぐには信じてもらえないだろう。
だがそれは初日だけだ。
医療術者なり教会関係者が死体を詳しく検査すれば呪殺である動かぬ証拠が出てくるだろう。
そうなってようやく直感で呪殺と判断した者の言うことが正しかったと認められるのだ。
そんなことではとっくに他の神子達が死んでいるのだから手遅れなのだがね。
そうして後日、神の加護を一時的に無効化するなり穿くなりした方法を見つけ出す。
そして二度と同じ事件が起こらないように対策されるのだろう。
鈍い、遅い、何もかもだ。
神の加護を盲目的に信じているからこそ救える命すら捨てることになる。
さて、ここまで流れが予測出来たが危機的状況なのは変わらない。
私の完全予測は未完成ではあるが、状況の推移からこの程度のことを見破るのは他の者でも可能な範囲だ。
しかし遠方の相手へ的確に対象者を選別して殺すなんてことは出来るのだろうか。
それも聞く限りは連発していないとおかしい。
どこか自動的に対象者を識別している部分が術式に盛り込まれているはず。
例えば髪の毛とか、前の世界での知識には呪う対象の身体の一部を触媒にして呪うなんていう話は聞いたことがある。
触媒を使った遠距離呪殺。
いや、それだと私が狙われることの説明にならない。
世界中の神子とその子供の組織サンプルを入手できるとは考えられないからだ。
例えば前世の世界で各国の王族全員の組織サンプルを入手できる者は居るのか。
居ない。
個別ならともかく一箇所で全部は無い。
それを通信手段も運送手段も未発達な世界で実現可能か。
もっと無理だ。
ならば公式に神子ではないと判別された赤子の私の組織サンプルを使って狙う可能性はゼロだ。
つまり別の方法を使って殺害対象を識別している。
術式介入できない私には術式を知ったところで発動を止められないが、発動されても平気なように対策することは不可能ではない。
つまり私を狙うための識別部分を誤魔化せばいい。
何処を基準にして対象者としているのか。
先程の連絡の内容から少なくとも神子と一般人は識別できている。
一日限りの騙し討ちとなれば術者は時間をかけずに相手を殺しきりたいはずだ。
ならばそこに付け入る隙は有りそうだ。
[079]
仕組みが解明できれば話が早い。
標的に関しても概ね神子であれば呪殺する類いのものだろう。
となれば指定座標内に居る複数の神の加護を強く受けた者を選別して発動している可能性が高い。
そして神の加護を貫通するか一時的に中和するなんてことが簡単にできるとも考えにくい。
邪神が力を貸していると考えるのが妥当か。
それとも神殺しの神具のようなものでも使っているのだろうか。
ともあれ実に宜しくない。
祖母プロシアも標的にされる可能性がある。
プロシアは天空人と森人王族の混血であり神子の母なのだ。
つまり神子に近く、神子を産むことの出来る存在。
見方によれば聖母である。
プロシアがどれだけ神子に近いのかなど、今の私には判断は出来ない以上。
巻き込まれる危険性があるものとして対処しなければならない。
仮に標的は指定座標内で複数の神の加護を最も強く受けている一体、ならば私が受ければ対象になることはないだろう。
しかしそれでは私が受けることが不可避となり、即ち術式成立を意味する。
私にとって悪条件ばかり目立つが、好条件も挙げてみよう。
一つ目は[土地]
ここは精霊に祝福されし清浄の地。
呪いの力を抑える働きがあるという。
もちろん限度はあるだろうし、大出力相手では心許ないが、呪殺であるなら僅かでも緩衝材になる可能性はある。
二つ目は[加護]
私に掛けられている加護はプラスの加護ではなくマイナスの加護。
仮にプラスの加護の強さに比例した威力であったり、プラスの加護の力を反転させて呪力を高めるのであれば、マイナスの加護持ちには全く通用しない可能性すらある。
楽観視は性に合わないのでこの可能性は脇に退けておく。
三つ目は[神力]
そもそも私はこの神の加護に分類される重苦というデバフを抱えているのだが。重苦というマイナスの加護を緩和できる作用を持つ神力ならば、この呪殺を相殺することに使用できるのではないかと考えられる。
もちろん呪力に比べて保有神力が足りなければ完全な相殺は期待できないだろう。
他にも小さな好条件はあるが、大きな部分としてはこの三つである。
出来得る限り術式に込められた魔力は散らすつもりだが、私程度の稚拙な操作では焼け石に水だろう。
それと幼児が使う程度の氣を用いた生命力強化や霊力による魂の保護が穿けない威力ならば神子を殺すなど不可能。
よってこちらも無いよりマシなだけの悪あがき。
私の予想通りなら時間稼ぎでプロシアの結界が間に合っても、おそらく簡単に突破されるだろう。
結局のところ私に打てる手段など限られているのだ。
神力を使って身を守るか、神眼を使って大元を絶つか。
[080]
不確かな方法で命を危険に晒すなど、私の主義に反する。
一か八かの賭けなど、単に情報処理をしきれず予測が立てられない者の言い訳に過ぎない。
運と呼ばれる物がこの世に確かに在るのだと仮定して、神の加護を穿つ力に通用すると本気で信じられる要素は無い。
ならば必要なのは運ではなく必然だ。
このままではほぼ確実に私は死ぬ。
十全な準備が整った状態で敵と相対できるなんていう状況は、実際にはほとんど無い。
現に今、私は自力で立って歩くことすら出来ない赤子の段階で、こうして誰にも防げなかった文字通り必殺の一撃を放たれようとしている。
実に見事な手際。敵ながら素晴らしい。
前の世界の物語にも、育ちきる前に芽を摘むという手段を取ろうとする悪役は何度も登場していたが、不思議と成功する者は少なかった。
なぜ彼らは成功しなかったのか。
大抵の場合、それは余裕から来る油断や、事前準備がずさんであったり、運に見放されたり、仲間の裏切りに合ったり、計算が間違っていたり、未知の力に阻まれたりする。
だが仮に自分が強敵になり得る者を抹殺しようと思ったら、油断などするだろうか。
事前準備を他者に任せたりするだろうか。
運も極力関わらないように注意しないだろうか。
裏切りを徹底的に警戒しないだろうか。
計算には余裕を持たせないだろうか。
未知の力なんて都合よく在るだろうか。
答えは否だ。
私ならその全てを徹底的に洗い出して一部の隙も無く確実に遂行する。
むしろ、その程度のことをクリア出来ない者が人生を賭けた大事な仕事を任される可能性は、現実的には限りなくゼロだろう。
そして今、私を狙っている者は私同様に確実に抹殺を遂行出来る者だ。
そうでなくては困る。
100%成功出来る真のプロでないと困るのだ。
でなければ、母が殺されるはずがない。
二流に親族を殺されるなど考えただけで犯人を軽く百度は殺しても気が済まない。
敵の作戦は既に大成功を収めた。
今更私が生き残った所でそれは覆らないだろう。
だから私は、私を殺す者を信用する。
不可能を可能にした、誰も成し得なかった神子の大量暗殺を成功させる者の腕を認める。
だから私は、大切な縛りを棄てて全力で対処することにする。
これからすることがリヴィアの未来にどんな影響があるのか解らない。
けれど、やらなければその未来すら奪われるなら迷う贅沢など許されない。
[081]
取るべき手段は何度もシミュレートした。
邸宅の上空に集まり始めた力のうねりは魔力の渦となり本命を通すための穴となるだろう。
圧縮された思考を解き放ち、分轄された意識で宙空の魔力を掴み、渦となる魔力の奔流を掻き乱す。
これはあくまでも時間稼ぎ。修練を始めて間もない私の貧弱な魔力量では邸宅を包む直径約200m程の範囲しか魔力を制御下に置けない。
プロシアは結界を張り、大きな攻撃に耐えうる強力な防壁を築いている。
魔力は完全に遮断されているらしく、これ以上は私の魔力を邸宅周辺に散布することはできなくなった。
上空の渦の中心部が光り、魔力ではない何かが確かにつがえられたのを感じた。
その瞬間、私の制御下にあった周辺一帯の魔力は拡散し、プロシアの張った結界は砕け散った。
その反動で吹き飛ぶプロシアの姿と邸宅の屋根を横目に見ながら、渦の中心の何かが私をロックオンした気配を怖気として感じ取る。
繋がった。それだけあれば十分だ。
周囲に誰も居ないのを確認して、私は準備していた神眼を開き、消耗する体力を神力で補いながら再度思考を加速させた。
輝く瞳で渦の先の術者達を認識する。
儀式を行っているのは二百人は居るのか、いや五百人以上は居たのだろう。
その中核に六人の術者。
傲らず、油断も無く、事前準備も怠らず、運に頼らず、仲間に恵まれ、十分な余力を持って、未知の可能性の芽すら摘もうという。
一体どれだけの研鑽を積んだのだろう。
準備にどれだけの時間を費やしたのだろう。
世界中の人々の目を欺き、これだけの事件を起こすのにはどれだけの熱意が必要なのだろうか。
残念ながら今の私ではまともにやっても太刀打ちは不可能だ。
それは視れば理解る。
時間が限られていることが残念で仕方がない。
弱い自分に手段を選ぶ権利などない。
それが心底残念でならない。
次は負けない。
次は危機には陥らない。
次は十二分な準備をする。
次は家族を誰も奪わせない。
その為に私は私の未来を、可能性を掴む。
奥の手と言えば聴こえは良いがこれは事実上の敗北宣言だ。
私は七色に輝く虹神眼を開く。
この使い方は初めてだが、リヴィアゼアとして産まれたその瞬間に誰に教わるでもなく理解していた。
昏く淀んだ深淵の先に私の意識は呑み込まれ、そこで眠るように途絶えた。
――――――――――
[082]
ああ、そう言えば私はこんなにも苦しみの中で生きていたのだった。
さて、我が故郷をもっとじっくりと眺めていたいが状況は切迫している。
圧縮した思考で引き伸ばされた時間感覚の中だが、止まっている訳では無い。
もう数秒でこの身に呪災は降り掛かる。
あの力の解析をしたい所だが、魔法も満足に扱えない現在の状態ではそれもままならない。
ほんの僅かだが隣国の皇都から視られている感覚がある。
ふむ。こんな幼少期から既に人神眼を開眼していたとは、流石は歴代最高の勇者と言われるだけの事はある。
それよりも、まずは術者を確認しよう。
場所はアイリスで逆探知した神殿。
この呪災を引き起こしているのは確か機関の生き残りのガイルといったか。
Dr.達の話によれば私と同様に前世の知識から着想を得て己を鍛えたタイプ。
そこから独自の呪殺術を開発して身に着けたという暗殺呪術のプロフェッショナルだとか。
一人呪殺する為に、一人の呪術師の命を代償とする禁忌の秘術。
そこに滅んだ異神を一柱使って造り上げた神器を加えて、神子ですら殺せる呪災を引き起こす事に成功した。
既に三百余名の犠牲を払って神子とその血を引く者達のほとんどを抹殺済み。
但し、一人ずつ順番に術式を発動させなければならない事や、方角別に予め割り振った術者数を変更出来ないといった欠点もある。
五大陸にそれぞれターゲットの分布数を大まかに割り出して配分したのだろう。
人神領域の方角への割り当て数が多いのも当然だ。
私や勇者の呪殺順が遅かったのも偶然ではなく、そうした事情があったからだったのか。
さて、じっくり考察したい所だがこれ以上の犠牲が出る前に対処しなければならない。
[083]
この私は複数の神眼の力の応用で未来の可能性から引き寄せた前借りの私ではあるが、正確には時間を超えて未来からやってきたのではない。
故に現時点で確定している部分の知識は持って来れたが、不確定部分に関しては何も知らない。
やれる事はたかが知れている。
あくまでも今の私の身体は二歳になったばかりの赤子。
技能に関してもこの時点で手を付けた分野をもっと上手に扱えるに過ぎない。
神力もまだ十分な量を保持しておけないので大掛かりな真似は出来ないしそもそも今は夜だ。
太陽からの補充も望めない。
実に残念だ。
神器を回収して研究したいが現状ではどうやっても持ち帰るのは無理そうだ。
異神骸は滅多に手に入らない希少な素材なのだが、この時点の私への手土産としてせめて使われている術式の解明だけでもしておこうか。
幸いにも術式自体はそう難しいものでは無かった。
今の頭でも骨子部分の理解は容易い。
というよりかなり雑な作りに見受けられる。
これはおそらく彼等には魔術や精霊術、巫術や仙術に関する知識や観測方法は確立されているが、神力や創世力をしっかりと認識出来ないせいだろう。
神器もお世辞にも扱えているとは言えない。
せいぜいが漏れ出る劣化した力を精製もせずにそのまま送り込んでいるに過ぎない。
それもかなり不格好に。
つまり、異神か邪神かは判らないが異神骸から神器を形成したものの、力を正確に観測出来ない。
扱えない、触れられない、認識出来ないので時間で劣化して漏れ出た力を使う為に、大掛かりで大雑把な仕掛けだけを組み立てた。
見えない触れない漏れて流れる水を使おうと地形そのものを傾斜させる事で、後は自然に任せて目的地付近へ流れ落ちる様にしているだけだ。
こんなものを術式と呼んで良いのかすら怪しい。
それでも力は紛れもなく神の物だ。
空間すら飛び越えて加護を中和して干渉する力は人の手には余る。
稚拙な神器の扱いに対して呪殺部分の術式は比較にならない程の完成度である。
一人前の呪術師一人の命を犠牲にして発動する様な術式なのだ。
当然だが失敗では済まされない。
相応の完成度なのも頷けるというものだ。
彼等の研鑽、労力、熱意、人生、その全てを懸けた一世一代の大儀式。
一人の研究者として、一人の芸術家としてもこれを壊すのは大変忍びないのだが、事情が事情だけにやむを得ない。
私は神器へと干渉して操作権を奪取。
彼等の術式へと不自然にならない様に接続させた。
これで儀式を続ければ呪力のメルトダウンの様な現象が引き起こされるだろう。
彼等は神力を認識出来ないので、何が起こるのか解らないまま引き金を引くのだ。
しかしそれだけではあまりにも理不尽なので安全装置を付け加える。今止めるなら最悪な事態にはならない様に。
彼等は一方的に多くの人へ理不尽な死を齎したが、私はそんな事はしない。
ちゃんと引き返せる道を用意した。
だからどうか、ここで引き返して欲しい。
大人の神子達は聖戦で多くの命を奪って来たのだろう。
だが子供の神子達にはまだ罪は無い。
ここで、安全装置の部分で止めるのなら、神罰の領域に足を踏み入れた彼等にも、せめて人罰の裁きを受ける権利を与えたい。
けれど、もし止まらないなら…。
「ふふふ…」
[084]
同時刻。とある神殿。
予てからの計画を、遂に実現する日が訪れた。
「今日は記念すべき日である。
異界の神々を邪神として辱め、簒奪者達を六大神等と崇める真なる邪悪の使徒共を殲滅する日なのだから」
海神領域を除いた五つの大陸へと注ぎ込まれる大呪界儀式。
異神の神器を触媒にした苦節五十年に及ぶ下準備によって達せられた『神罰計画』の大詰め。
「既に第一級の使徒の殲滅が終わり、第二級も間もなく完了する。次は使徒の穢れた血を僅かでも受け継ぐ邪悪なる者を浄化しなければならない」
世界救済機構が果たせなかった大願を、この五十年間で育て上げた弟子達と自らの命を懸けて成就する日。
「我等の神は奴らが聖戦と呼ぶ侵略戦争により滅びを待つだけとなったその身に残る全ての力を使い、我等に神器を授けられた。
神器に遺された力は僅かで、もう間もなく完全に力を失い塵となるだろう」
ただ一度きりの奇跡を起こすために、あらゆる障害を乗り越え一部の隙も無い計画を立てた。
成功しようと失敗しようと、託すべき組織とは一切の繋がりを遺さず我々は独断で決行した。
今は亡き偉大なる宗主の別の計画では我等がディノセンティアを獲得する道をも見ていた。
しかしどうあっても手に出来ないのならば、計画を実現しようとする彼等の為にせめて風穴を穿つ。
「一刻も早く完了させなければならない。不浄なる世界に滅びを。そのための礎としてせめて一匹でも多くの使徒を滅ぼさなければ」
六大神の加護を打ち破る神器の力を引き出す抵抗力が一層強まった。
それと同時に一時的に儀式が中断される。
神器は元々制御しきれる物ではない。
故に不測の事態を想定してあらゆる準備は整えて来ている。
用意していた弾丸の形状をした別の神器の欠片を用いて塞き止められていた抵抗力を破り、再び旧遺物『大呪界』へと力を流させた。
「我等の神を邪神と呼ぶ者達に裁きを与えよ。
穢れし魂を浄化せよ。邪悪なる者に裁きを!」
そして神殿に集った六名の術師と残る二百余名の邪教徒達は一斉に苦悶の表情を浮かべ、顔色はみるみる青ざめ、全身から白く濁った血を吹き出し掠れた叫び声を上げた。
「「〜〜〜ッ〜〜〜ッッ!!」」
ある者は喉を掻きむしり、ある者は胸を押さえた。
目から血を流す者、吐血する者。
その場に蹲る者、身を捩り転げ回る者。
次々と倒れ伏し、意味を為さない言葉か呻きが重なる。
全身の肌が充血し血管が浮かび上がる。
次第に顔から血の気が失せて白くなり、溶けた内蔵を吐瀉した。
「(何が、起こったのだ…。六大神の怒りに、触れたのか…。だが、もう遅い…)」
最早言葉は発せず、内側から起こった異変とまともな思考を保てない程の苦痛で、全員が掠れた呼吸と無意味に這いずる事しか出来ない。
ジワリと全身を蝕む苦痛の原因が呪いの反動による物だと分かるが、それと同時に理解不能な力が逆流をしている。
この力の源泉は彼等の呪い。
儀式を続けられなくなり呪力の供給が断たれたせいで反動は彼等をひと思いに殺さずにゆっくりと蝕むに留まった。
痛みすら感じるべき神経も溶けたというのに、苦しみだけは自身の込めた呪いから溢れる。
終わらせる術を失った彼等は、身動きも取れないままただ苦しみに悶えるだけで表情も変えられず、最期は全身が土気色になった。
[085]
呪いとは、失敗すれば術者へと還るもの。
世界中の神子を呪殺する大規模術式を構築するには五百人からなる呪術師の力だけでは足りなかった。
だから遺跡から発掘した太古の旧遺物『大呪界』を修繕して呪力の増幅を図り、神子の加護を打ち破る力は滅び消え逝く前の異神の遺骸から鋳造された一本の神器によって達せられた。
しかしあらゆる事態を想定して用意された儀式とはいえ、実際にこれほどの規模で発動するのは初めてのこと。
むしろここまで上手く行った事が奇跡だったのかも知れない。
決行前にも想像を上回る力に対する世界の揺り戻しが起こり得ると説いた者も居た。
これがもしそうならば、我々の身に起こった異変はまだ前兆に過ぎない。
行き場を失くした力の奔流はまだ飽和せずに滞留しており、これが決壊した時に生じるであろうエネルギーに太古の遺物と神器の力が加わり、肉体を内側から融解させる以上の大災害が発生するのは容易に想像出来る。
そして、静かになった神殿内に横たわる邪教徒達の身体が原型を留めなくなる頃に、唐突に終わりの時は訪れた。
飽和したエネルギーは邪教徒達の身体を白く発光させて、一瞬で膨張した後に熱と光と轟音を神殿とその周囲の地形に撒き散らした。
星神領域の近海に浮かぶ島は眩い閃光を発して地図からその姿を消し去った。
爆心地となった神殿に遺っていた邪教徒達は魂ごと塵となって消滅。
神殿の在った場所を中心に爆縮したエネルギーは黒い重力場へと姿を変え、その際に発生した衝撃波は海を隔てた大陸の辺境にまで余波を届かせた。
奇しくも崇める神と同じ末路を辿った彼等は、神と同じ虚無へと落ちたのだろうか。
私はその一部始終を神眼で見届けた。
[086]
実に愚かで憐れで、とても可愛そうね。
死んじゃう悪戯。そう、これは悪戯。
人がいっぱい死んじゃう悪戯。
公平な悪戯。
ああ、ああ、なんて可愛そうなの。
なんて可愛い死に様なのかしら。
ああ、ああ、ああああぁ、死んじゃう。死んじゃうのね。
だめよ。
そんなことしたら死んじゃうのに、今やめれば生きられるのに。
ふふふ。だめ、だめだめ、可愛そう。
やらないで、死なないで。
だめよ、死んじゃうから。
でもやるのね、やっちゃうのね。
可愛い。
死んじゃうのにやっちゃうのは、とても可愛いらしい。
ふふふ。
可愛い。可愛そう。
ふふふふふふふ。
とても可愛い。
内側から熔けちゃうね。
可愛そうね。
ふふふふふふふふふ。
でもまだ死なないわ。
まだ生きてるのね。
ふふふ。
可愛い。
もっと頑張って、頑張って呪力を込め続ければ苦しくなく死ねるのに。
ふふふ。
可愛そう。
何で止めちゃうのかしら、死ねるのに。
ふふふふふふふ。
溶けるの嫌よね、だから止めちゃうのは可愛いわ。
ふふふふふふふふふふ。
いつ、死ねるのかしらね。
可愛そう。可愛そう。可愛そう。可愛い。可愛そう。
ふふふ。
可愛い。
大丈夫、大丈夫よ。
止めてもゆっくり溶けるから、いつかちゃんと終わるから、だから大丈夫よ。
ふふふふふふふふ。
ああ、あああぁ。終わっちゃうのね…。
そうね、終わっちゃうのは哀しいわね。
ふふふ。
でも、終わっちゃうのは嬉しいのね。
やっと終われるのは、幸せよね。
ああ、そうよね、とても幸せなことだわ。
ふふふ。
ええ、みんな光ってとっても綺麗ね。
だから、もう可愛そうじゃないわね…。
そう、だからこれでもうおしまい。
愉しい時間はあっと言う間に過ぎていくわ。
ああ、やっと思い出したわ。
ずっとずっと忘れていたけど、私はこの日、初めて私を自覚したのね…。
[087]
終われば冷静な時間が訪れる。
私、私は。
公平だなんだと言いながら、どうしてこんなにも必要以上に苦しめる終わり方を用意したのだろう。
悍ましくて、愉しくて、胸がすくような、悪意ある悪戯が、この上なく甘美で、心を躍らせられて。
私は、いや、リヴィアは。
こんなにも邪悪な本性を持っていたなんて。
ああ、それが理解って尚も、今この顔に浮かぶ表情が笑顔なのだと識っても、罪悪感なんて無かった。
「おかあさま。ふふふふ。いまのひかりは、ちゃんととどいたかしら」
愉しかった。心の底から。
母の仇討ちが、これほどまでに爽快な気分にさせるなんて、私は識らなかった。
ああでも、もうこれっきりにしないと駄目だ。
リヴィアは、公平で優しいリヴィアにならないと。
もう家族は殺させない。理不尽な死なんてあってはならない。
だから理不尽な死の無い人生を送るべきだし、そんな人生には公平さと優しさは必要なのだ。
そういう人生を歩んで、歩んで歩んで。
それでももし、もし仮に家族がまた理不尽な目に遭ったら。
きっと、それまで蓄えた善行と公平さと優しさの分だけ、何をやっても罪悪感が相殺される様な気がするから。
どんなに邪悪な行いで報復したとしても、きっと悦楽と爽快さしか感じないと思うから。
だからリヴィアは、これから限りなく善を生きないと駄目なんだ。
ああそうか、善と悪はバランスが大事なんだ。
両方があってこそ私とリヴィアの均衡も保たれる。
そんな当たり前の法則でも、知っている事と理解する事の違いを改めて実感させられた。
きっと転生者としての使命も、私とリヴィアの双方が満足する方法で成し遂げないと意味が無いのだ。
考えなければ。
私もリヴィアも満足する様な、優しくて愉しい世界救済計画を。
――――――――――
[088]
破壊された大公邸と気を失っていた私と祖母は異変を察した衛兵達の手によって、現場から離れた場所で発見されてそのまま保護された。
目立った外傷が無かったのは、祖母の張った結界と清浄なる大地や精霊達のおかげということになっている。
前代未聞の神子殲滅計画は、詳しい原因は不明のまま主犯達のアジトと思しき場所一帯の消滅をもって収束した。
今頃は世界中が大混乱に陥っていることだろう。
彼等の神器の使い方は酷く歪だった。
まるで瓶から溢れる水に干渉できない者達が膨大な魔力を使って大工事を行い、盛土や切土を駆使して土地を傾斜させてから無理やり水を引き特定の場所に流し込むかのような。
そんな術式を使っていた。
神力を使えない者が無理に扱おうとすると、ここまで不細工な方法に頼るしかないのか。
そうまでして実行するだけの価値が神子暗殺にあったのだろう。
彼等のやろうとしたことの全てを否定するつもりはない。
それが彼等なりの正義で、命を賭すだけの価値のある計画だったのだろう。
ただ私には私の都合があり、今回はそれがぶつかり合った結果なのだ。
あの消え方では遺体を発見することも証拠を見つけることも困難だろうが、それはそれこれはこれ。
私の母の命を奪ったのだ。
消滅するくらいの代償を支払うくらいで丁度いい。
今回のことは私にとっても教訓となった。
たまたま神力の扱いが下手な相手だったから助かったものの、別の手段を用いられていたら命を落としていたのは私の方だったかもしれない。
例え異境が出現していなくてもこの世界は戦争中なのだ。
彼等が何者だったのかはよく分かっていない。
アイリスの力で一時的に思考を大幅に前借りさせた副作用で記憶はところどころおぼろげなのだ。
しかし課題は山積みである。
あれだけ様々な技術を磨いても、それが通用しない方法で攻められれば為すすべはなかった。
結局、私が最後に頼ったのは自分の培った技術ではなく生まれ持った神眼の力。
その事実が何より悔しい。
これからは何が起こったとしても、何をやろうとしても対処できるように、手札を増やしておく必要がある。
やり方を大幅に修正しよう。
そしてしっかりとした計画を立てよう。
他の誰でもない、私だけの方法で。
これからは多少のリスクは目を瞑る。
必要とあれば何でも使う。
もう家族は誰も殺させない。命の価値は平等ではないのだ。
ここからだ。
転生者一人一人が持っているであろう計画に劣ることのない、私なりの計画を実行しよう。
これにて第一章は完結です。
ご意見ご感想等、お聞かせ頂けたら作者のモチベーションになるかも知れません。
第二章は物語時間にして約3年後。
舞台はカルムヴィント領からリンデノート領へと変わります。