はじまりの虹 4
[064]
春の訪れ。
私は今、ピクニックに来ている。
それというのも先の聖戦の戦後処理は数ヶ月にも及ぶ後始末となり、何人もの王族関係者が亡くなるという大惨事に各国首脳陣はあっちこっちでてんやわんやの大忙し。
国内のことは残った王族と臣下の皆さんで回すことになり、お陰様で我がファナリア大公家も例に漏れず大仕事を請け負っている。
とはいえ、それは大人達の話。
事情を知らされない子女達はフリーダム真っ最中なのである。
私の場合は聞き耳立て放題なので事情は知ってるものの、何せ幼児ですから。
忙しくて構ってやれない祖父母や父母に代わってアンネと使用人達は私の遊び相手をしたり、面倒を見たり近くに連れ立って気分転換をさせるように言われているのだ。
会えないのは寂しいが、事情を知る者としてはどうしようもないと理解はしている。
身内からも参戦者はいたらしいが不幸が出なかっただけ、うちはマシなのかもしれない。
とりあえず今はプチピクニックを満喫することに集中したい。
春の陽気を一身に浴びるのは実に爽快。
何だかとても身体が軽く。こんな体調でピクニックをするのなんて初めての体験である。
いや、この身体の軽さ、覚えがある。
あの時も確か陽射しの心地良さを全身で受け止めていたような。
いやいや、まさかとは思うのだが。
陽射しと体調がリンクしているのか。
もしかして私は太陽エネルギーでも吸収して溜めておけるのだろうか。
仮にそうだとして、これって何ていう能力なのだろうか。
私は転生者としての前世の記憶を検索してみるが思い当たる能力は無かった。
敢えて例えるなら光合成とか、太陽光発電とか。
手のひらを太陽にかざして握ったり開いたりして充填される仕組みが視えないものかと確かめる。
少々混乱しているが、何となく充電が完了したような気がする。
魔力や氣や霊力とも違う。
そのどれを以てしても感知できないからだ。
この謎エネルギー、大丈夫なのだろうか。
ものの二時間程度だが、ひとしきり草原での運動を堪能したあと帰宅。検証は持ち越しである。
[065]
ひとまず私はこの謎エネルギーを安全に利用するためにも、何とかして感知する方法を模索することにした。
何となく感じている雰囲気はあるものの、気の所為と言えなくもない。
私の前世の性分なのだが安全性の確認できないものを野放図に使うような真似はしたくない。
今生のリヴィアの人格形勢を前世の人格で引っ張りたくはないのだが、それでも一人のヒトとして幼児に訳の分からないエネルギーを使わせるのはどうかと思う。
まあそんな事を言い出したらほとんどの転生者を否定することにもなりかねないが。
そこはそれ、他所は他所、うちはうちである。
何はともあれこの太陽エネルギーなんと呼んだものか。
【魔力】、【氣】、【霊力】ときたら残る力は超能力とか念力とか、どちらとも違う気がする。
よく解らないけど凄い力なのだ。
考えるべきは使い方や安全性であって名称ではない。
とはいえ命名は大事な要素でもある。
スーパーパワーでは安直か。
よし、ソーラーパワー(仮)としておこう。
[066]
私は太陽の申し子だったのか。
ソーラーパワー(仮)改め、神力(仮)。
この世界には太陽神は居るのだろうか、前世の私の世界には居た。
そしてだいたいが最高神である。
ならば太陽エネルギーを神力(仮)としておいてもイメージとしては外れていないような気がしないでもない。
この神力については調べ方すら不明ではあるが、副次的な恩恵、すなわち絶好調があるためこれを利用して訓練をしていこうと思う。
仮説でしかないがもしかしたらこの神力、呪い(と言われているもの)の効果を緩和する作用があるのかもしれない。
つまり、長らくお預けにしていた魔力操作にようやく着手できる日がやってきたのだ。
前回の魔力操作の際には三種類のやり方を試した。
そこからいくつかの問題点が挙げられた訳だが。
魔力操作の訓練が出来なかった期間も思考や分析は継続していたが、遠隔操作は体内の魔力を未加工の魔力のまま放出して行うことは大変燃費が悪くて制御も難しいと結論付けた。
そこで魔術の登場である。
魔術とは魔力に一定の法則性を持たせたり力の向きを型に嵌めた式にすることで成り立つと思われる。
この力の向きを式に頼らず、その都度指示して作用させると構成する魔力そのものをどんどん消費してしまうのだと思われる。
故に魔術の形態を取らせることが燃費の悪さを最小限にする。
常に目まぐるしく揺らぐ思考と直結させてマニュアル操作し続けるのと、必要な式だけ織り込んで指示する回数を減らして効率化したセミオートとでは、圧倒的に後者の方が難易度も消耗も抑えられるということだ。
あくまでも仮定ではあるが、概ねそんなところではないかと推測している。
思えば前世でも魔術関連が出てくる物語では、魔力を魔力のまま扱う例はほとんど見なかった。
せいぜいが魔力波を放ったり漏れ出ているものを察知したりする程度で、魔力は魔術や魔法の形式を取ってこそ本領を発揮していた。
ような気がする。
そのため熟練の魔術師ほど魔力に漏れがなく無駄がない。効率化が上手く行っているのだと仮定する。
機械を動かす際に発熱するのと似たような理屈だろう。
理想としては発熱せずに電力全てを作用や運動エネルギーに変換できれば良いのだが、技術力やら素材の質によって効率化しきれておらず、熱エネルギーへと変換されてしまうのだ。
暖かくする目的で起動しているのではない家電の発熱現象は、概ねエネルギー効率の無駄である。
熟練の魔術師とはこの家電の発熱現象のような余分なエネルギーロスを極力抑えられる腕前を持っているのだと思われる。
それだけ技術力が高いのだ。
同じことが私の魔力操作にも言えるだろう。
操作に変換できているエネルギーがごく僅かで、ほとんどが無駄消費に回されていると思われる。
こうして理屈が解ればあとは簡単だ。
今考えられる対策は3つある。
1つ目は[技術力の向上]
無駄消費を抑える訓練を反復してひたすらコツコツ積み重ねながら覚えていく。
2つ目は[式の構築]
つまり魔術を使う。体内の魔力をありのまま魔力として使うのはあまりにも効率が悪い。
3つ目は[やり方、視点そのものを切り替える]
燃費の悪さや己の扱いにくい魔力の性質を気にしなくて良い方法を試すのだ。
この3つ目こそ、私が冬の間に閃いた方法なのである。
[067]
視えるから囚われる。
魔力とは何だろうか。エネルギーの一種だろうか。空気の様なものなのか。電気の様なものなのか。光の様なものなのか。火の様なものなのか。
私は何となく水のようなモノだと捉えてみた。
固体にも液体にも気体にもなる。意思を反映して変幻自在に姿を変える不定形のエネルギー。
ならば氷の状態、水の状態、水蒸気の状態はそれぞれ視認できるが、薄まった水蒸気はやがて視えなくなるのと似たような現象と捉えられる。
では薄まった水蒸気は消えて無くなるのか。
答えは否、視認が困難になっただけで存在はしている。
ならば魔力にも同じことが言えるのではないだろうか。
固形で遠隔操作した魔力は操作したり時間経過で縮んでいき最後には消えてしまうが、実際には目に見えなくなるほど薄まっただけと考える方が自然だ。
液状魔力も霧状魔力も同様だろう。
つまり、身体から離した魔力はそのままにしておくと薄まっていく性質があるのだ。
浸透圧や気圧のようなものだろう。周りの密度と同化した魔力は認識できず見分けがつかない。
ならば、逆に薄まった魔力を操る術を身に着けられないだろうか。
もし可能であればそれは燃費を気にせず宙空の魔力を使えるということだ。
魔術はいずれ成長すれば学習する機会は巡ってくるだろう。
祖母は偉大なる精霊魔術師、父は宮廷魔術師、祖父は魔術学院を運営する立場にある。
どう転んでも魔術なぞいくらでも学べる環境にある。
下手な素人魔術を独学で身に着けて、結果変な癖でもつけてしまうよりプロに教わる方が安全だし無駄がない。
私は無知な自身を過信しない。
仮に私が天才であったとしても、私の魔力発見から数ヶ月やそこらの開発力が数百年の歴史、いや下手したら千年単位の研鑽や研究を上回れる等と考える方がどうかしているのだ。
そんな浅はかな考えがまともな世界で通用するわけがない。
なまじ独学が上手く行ったとしても、学問というものは結局はキチンと学べばもっと短い期間で習得できたというオチになるのは明白だ。
私はそんな愚かしい真似はしない。
恵まれた環境で学べるのであればもちろん貴族特権を利用してでも有効活用させていただく所存だ。
それが最も効率的なら親の脛だって齧らせてもらおう。
慢心を発揮したいなら、せめてこの国の誰よりも魔術の扱いに長けてからでいい。
故に、ここでは魔術という方法ではなく純粋な魔力操作の向上に努める。
拡散した魔力を使える可能性があるならそれを研究してみようと思う。
どうしても出来なさそうなら自己魔力で鍛錬すれば良い。
斯くしてこの時の私は知る由もないことだが、魔導大学の研究室で代々研究され続けた悲願とも言うべき秘術の分野に着手したのであった。
[068]
わかったことがある。
神力は普段の何気ない生活を送る上でも少しずつ消費している。
訓練で力を使った際に意識することで神力を変換して力の回復に充てることも出来る。
神力を十分に蓄えている状態であれば呪いによるデバフを緩和して体調が良くなる。
概ねこんなところである。が、どれも検証せずとも何となくそうではないかと考察していた通りの結果なので別段驚くようなことはない。
体力だろうと魔力だろうと氣だろうと霊力だろうと回復を意識すれば神力を消費して立ちどころに補充が出来るのは、どういうメカニズムなのか全く不明だがとにかく便利である。
神力の充填には日光浴をリラックスした状態で行う必要があり、日照にも依るが満タンには最低でも2時間ほど掛かる。
これも研究次第で短縮可能かもしれないが、いかんせん外に出て検証できる回数が限られており研究が進まない。現状では緊急時の急速充填とは行かなそうだ。
太陽光の照り返しや神力の自然回復分もあるのかも知れないが、おそらく普段の日常生活の細々した部分で無意識的に消費もしていて、充填を実感できていないのだろう。
とはいえ先日のピクニック以来、陽気の穏やかな日は度々外出させて貰えており、魔力実験用の光合成には事欠かない。
おかげで訓練や研究は捗り、とても充実した毎日を送っている。
私の魔力は昏く淀んで濃い粘着質な魔力だが、それは裏を返せば霧散しにくくいつまでもしつこい油汚れのごとく残り続ける性質とも取れる。
その分扱いも難しくサラサラの血液のような他者の魔力と比べると特異性が際立つ。
その特異な性質を利用して宙空に漂う微粒魔力制御する手法についても手応えがあった。
時間をかけて自分の魔力を拡散させてから薄めた魔力を呼び水に周囲の魔力をくっつけて掌握。
動きは緩慢だが広範囲の操作が出来たのである。
まだまだ改良の余地があり、現状では使い道はないが一歩前進。
別の方法も検討している。
氣に関しては本当にコツコツしかない。
最近は氣に性質を付加することを研究している。
氣に反発力を持たせたり粘り気を持たせたり渦を作ってみたり。
手探りで地道な作業だが、神力を得てからは氣の扱える量が増えたような気がする。
神力ほどでないにしろ、いまいち要領を得ないのが霊力である。
幽体離脱を使えるようになってからは遠方の視察や聞き耳といった活用の幅が増えたことは喜ばしいのだが、霊力そのものの研究が進んだわけではない。
幽体離脱することだけに霊力があるとも思えない。
他の利用法がないか今一度探ってみる必要がありそうだ。
例えば念力。
感応力や念動力といった超能力とかにも分類されるあれ等が使えないかと試しているが、取っ掛かりが無いと難しい。
そもそも可能かどうか在るのかどうかも不明である。
一つ出来れば次に挑む。
こうやって積み重ねることでも成長を感じている。
成果と呼ぶには地道な基礎や土台造りばかりではあるが、これらが実を結ぶ日が訪れるのを信じて今はただ積み上げるのだ。
人としての当たり前の元気という要素を手にして、私はこの当たり前の幸せに柄にもなく舞い上がっているのかもしれない。
根拠など無くても元気があれば、何でも出来そうに思えてくるのだ。
【二歳児】
[069]
春の終わり頃、祖母が帰ってきた。
長いお務めから解放されたことを喜んでいる祖母は妙なテンションのまま私に抱きついてきた。
いつもの澄まし顔とは打って変わって晴れ晴れしている。
デスマーチでもしていたのだろうか。
私は久々に顔を合わせた祖母にリヴィアとして触れ合いながら、しっかりと重要な会話に聞き耳を立てておく。
実母ティアーナの容態も良くなり、今は元気な姿を見せているのだとか。
しばらくしたら本来の職務にも復帰するらしいが、その前に私と会いたがっていたようだ。
とはいえ私にはまだ長旅はさせられず、母も神子という立場から公務に参加せざるを得ず。今回はお流れになってしまったという。
聖戦の事後処理もようやく一段落したとはいえ、やることは山積みで祖父も父も手が離せないため祖母だけが帰ってくることになったのだ。
仮にこのまま何事もなく大人になったとしたら。家督は祖父から父を経て兄ジェイムートへと渡り、私や姉達はどこかの貴族家へ嫁ぐことになるのだろうか。
揉めることなくそう流れていくことを期待したい所だが、ジェラルドの直系の血筋となると私だけである。
ややこしいことにならないといいのだが。
そう言えば、私には婚約者が居たような気がする。
どこの誰なのだろうか。話を全く聞かないので影が薄い謎の婚約者X。
しかし0歳児時点で決まっていたとは、もしや国家ぐるみの政略結婚なのではなかろうか。
凄く、その線が濃厚ですね。
この世界では神子とその子供はやたらと重要視される。
下手すると平民ですら神子ならば下位の王位継承権持ちより立場が高いとすら思える。
この世界の文明レベルについてはどの程度かわからないが、お見合い写真やそれに類するものはないのだろうか。
いや、今はこの話題は置いておこう。
個人の意思でどうこうできる問題ではなさそうだ。
いずれ王都へ行くこともあるだろうからその時に改めて文明レベルを確認することにしよう。
[070]
時の長さは人それぞれ。
私の場合は時が経つのは早いと感じている。
試したいことや挑戦したいことが多く、スケジュールを決めて出来得る範囲で一つずつ進めているがどうしても時間が足りない。
時の長さが人によってまちまちならば、どうにか他者より長い時間を確保できないものだろうか。
と、ふと考えた時。思い付いたことがあった。
時の魔法はあるのだろうか。
そもそも魔力に時間の概念はあるのだろうか。
魔力は生物的なものか、物質的なものか、概念的なものか、ただの熱量の一種なのか。
例えば生物的なものであれば時を戻したり進ませるのは難しいと思われる。生物は流れ巡るものだ。
生物というカテゴリーである以上は流れを逆流することも巡りを妨げることも、どう考えてもコスパが合わない。
生物が生物足り得るには、前に進むしかないのだ。
少なくとも前世の世界ではそうだった。体感では生物の有り様はこの世界でも違いはないように感じられる。
では物質的だった場合はどうだろうか。
おそらく擬似的な時魔法は成立する可能性が高い。が、自由自在とはいかないだろう。
超えなければならない壁、つまり課題が多すぎる。
発想一つで突破できるほど容易ではないのは前世の知識からも想像できる。
だが、物質的と捉えるにはやや疑問を感じるところである。
大きな要素を見落としていなければ実際に魔力操作を検証してきた手応えとして、物質的ではないのではないかというのが私の見解だ。
根拠は提示できないので結論は保留する。
とはいえ、それは私個人の考えであってこの世界の人々が物質的と解釈して使用している可能性がないわけでもない。
変に先入観を持てば足元を掬われる場面に遭遇しないとも限らないだろう。
概念的だった場合。こうして時魔法に期待を持っている身としてはあまり歓迎したくない事実ということになる。
まずこの世界には人々の営みに介入干渉する神々がいる。
そんな世界に時の性質を操る術があり、それが概念的だと仮定すれば導き出されるのは時が神の領分であるという答えだ。
それは非常に宜しくない。
いかな英雄、勇者、転生者であろうと時に干渉されたのではどうしようもない。
そんな力は実行権を持った人格を有する神に持たせてはならない。
最後に熱量的なものである可能性。
正直に言えば、これであって欲しい。
熱量的なものならば時魔法は理論上は可能となるだろう。
もし理論上だけで実現不可能なほどの熱量が必要とあれば、私が修得できずとも他の誰であろうと使うことの代償は大きいだろう。
要するに、誰も使えないが一番平和である。
仮に代償が想定したより少なく使えるのであれば、熱量的なものならば私でも修得出来る可能性があるだろう。
従って、魔力が熱量的なものであると仮定して時魔法について考察する。
現時点ではそれ以外のケースで想定しても利にならず不毛だからだ。
不要な可能性で労力を割かれて時間を浪費することになればそれこそ本末転倒。
私は時間が欲しくて時魔法を求めているのだから。
ひとまずは時間制御の代替案から着手しよう。
脳開発や発育中に時を上手く扱えれば、成長してからの時間の価値と比べて何倍もの価値がある。
家族との触れ合いの時間より訓練を優先することの価値とは果たして何なのか。
少なくとも私はどちらも両立したいからこそ時間が欲しい。
時の長さは人それぞれだが、時の価値も人それぞれだ。
[071]
裏技は好きだが反則は好まない。
その境にあるのは人によっては非常にくだらないプライドに見えるだろうが、大事に思っている人にとっては譲れない矜持なのだ。
転生者として前世の記憶を有している時点で反則なのだが、今回のケースではそうとも言い切れない。
他にも多数の転生者がいるため、前世の記憶に関しては持っている者はそれなりにいる。
最近はお昼に庭で運動の時間を設けるのが日課となっており、毎日太陽光発電ができる。
日中に貯めた神力を秘密訓練で自由に使えるようになって効率が跳ね上がった。
実に充実している。
庭での時間は祖母と過ごし、屋内で人目がある間は微粒魔力を使った訓練や氣流操作。
アンネとの時間は各種体内循環だけにしている。
アンネは私にとっての母代わり。私の些細な変化にも気付いてしまうので注意を払っている。
さて、時の技術についてあれこれ考えていた私だったが。当面の間の代替案として比較的現実味のある試みをと採用したのが思考加速である。
これは脳の発育に多大な影響を与える可能性があるため、出来ることならある程度成長してからと考えていた。
思考加速は手を付けるのが早ければ早いほど適した脳構造へと発育することが見込まれるが、それはリソースの要求量が大きいからこそ起こる副作用である。
それは私の提唱する赤ん坊の全能の脳を、格下げして可能性を狭めた万能の脳へと改造することに他ならない。
とても気が引ける。
そこで代替案の落とし所として、マルチタスクの一部の思考加速に挑戦してみようと思う。
思考の一部だけの加速とは、と元がフォーカス型の自分でも可能なのかどうか疑問に感じる思い付きだが、これは理論上は不可能ではないはずなのだ。
そもそも思考とは全て同じ速度で行っているものではない。
会話や手作業、計算や移動といった思考としても簡略化されたり効率化して他より早く巡らせられるものはある。
今回は熟考するような複雑な思考の加速に挑戦するつもりだが、気は進まないが裏技も反則も使うことにする。
正確には思考加速ではなく思考圧縮である。
完全予測能力の土台を構築するのだ。
実際に完全予測能力を得るには今の脳開発状況では無理だ。
そのための土台造りだけに留める。
利用するのはアイリスと神力のフル活用。
まずはアイリスで自己暗示を掛けて思考圧縮をフォーカスで無理やり実現させる。
魔力氣霊力を同時に活性化させた状態で行うことで、どの要素を激しく消費するかを神力の補充をもって確かめる。
神力の使い方としては完全に裏技だ。
消費した要素がその試みに必要な力、という逆算をするのだから自力で達成したわけではない。
マルチタスクでその要素だけに絞って力を注ぎ、あとは自己暗示と神力による注ぎ足しと物量によって押し切る。
燃料が足りてさえいれば後は修得に必要な土台だけを用意して、努力や経験や知恵を積み重ねることなく無理やり身に着けさせる実に乱暴なやり方だ。
勝算はあるが、間違いなく無茶をさせることになるだろう。
だが多少のリスクは背負わなければ次の段階には進めない、と最近感じているのだ。
段階を踏んで成長させることは予め決めていたが、思考加速や思考圧縮は脳の発育が一定以上かつ一定以下のタイミングでしか最大効率を出せない。
それより早ければ超偏向特化型の欠陥品にしかならず、逆に遅ければそれだけ完成時のクオリティは落ちる。
というわけで脳開発は少し早い気もするが大幅拡張している今が旬なのだ。
このチャンスは逃せない。
皆が寝静まった夜、私は静かに眼を開いた。
さあ、天才の時間を始めようか。
[072]
リヴィア、二度目の生誕祭。
祖父母、父と夫人、そして姉三人が集まり家族と使用人達だけの誕生日パーティー。
去年ほどの規模ではないが、ささやかながらも暖かな祝の席となった。
皆遠いところからご苦労です。
我が敬愛する兄上は私の実母ティアーナの元で過ごしているようだ。
母は最近また体調を崩したらしく、本人は強行しようとしたが医師の決定により長距離移動は断念したらしい。
代わりに母手作りの髪飾りを誕生祝にと贈られた。
渡せなかった去年の分と合わせて二つ。
鳥の髪飾りと月の髪飾り。
鳥となって今すぐにでも飛んでいきたい。
月となって暗く寂しい夜も見守りたい。
というメッセージだと父から教わった。
恋文かと思うほど熱い内容である。
私の母はロマンチストなのかもしれない。
何でも母自身の手で付与魔術が掛けられている特別製なんだとか。
付与魔術、実に興味深い。
長女セシリアと二女ミルミアナからはリボンを贈られた。
赤と橙、姉それぞれの髪の色と同じだ。
初顔合わせのまだ幼い三女ドルセーラからは熱い眼差しを贈られた。めっちゃ見てくる。
祖父ジェラルドからは靴だ。
まだ立って歩いてないのだけど、気が早いというか。
成長の遅い私を想っての願掛けみたいなものなのだろうか。
祖母プロシアからは新しい本だ。
読んで聞かせると反応が良いから好きなんだと思われている。
ええ合ってますとも。
父ライドラスからはドレスだ。
いや、すぐ成長するし出席するような催し物もないから一番実用性が無いような気がするんですが。周りの反応はとても良い。ま、いっか。
夫人オクタヴィアからはオルゴール。
聴いてて心地良くなる素敵な贈り物だ。
音の出るものはとても良い、100点。
それとギルバートからは外国の絵葉書。
それを見て大人達はギルバートの思い出話を始めている。
いやそれより、ギルバートって誰。
大叔父クラトスからは謎生物のぬいぐるみ。
大叔父クラトスは祖父ジェラルドの弟でオクタヴィア夫人の父に当たる。我がファナリア大公家との血の繋がりにおいては密接な間柄。
ぬいぐるみなら他の贈り物と被っても問題ないし無難なチョイスだ。
今度魔力操作の練習で動かしてみようかな。
けどこの生き物は何だろう。セシリア欲しがってるし。
他にも大伯父夫婦や曽祖母やら何やら会ったことのない色んな親戚らしき人物から贈られてきたみたいだが割愛。
何に使うのか解らない物もあったが気にしないでおこう。
久々の家族団らんを心ゆくまで堪能して、その日は贈り物に囲まれて就寝した。
私が心から楽しむことができた日は、これが最後となった。
[073]
母について話さなければならない。
私の実母ティアーナは人間族の祖父ジェラルドと天空人と森人王族のハーフである祖母プロシアの間に産まれた神子である。
プロシアは子供に恵まれにくい血統からか、長い期間を経てようやく授かったのが私の母ティアーナだった。
難産の後遺症でそれ以上子供を産むのは命の危険を伴うと診断されたが、ジェラルドは生涯で妻はプロシア唯一人という誓いがあったため、後継者問題を抱える大公家としては異例の一人娘として育てられることとなる。
国の審秘局から派遣された審秘官とプロシアの故郷である天王国から派遣された天使官の判別の結果、ティアーナは神子であることが判明した。
神子は大変希少かつ国家にとっても世界にとっても重要な存在で、近年では徐々に増加傾向にあるらしいが、今現在存命中なのは世界でも30名程度しか確認されていないという。
強く聡明で国の至宝と評されるほど美しかったティアーナは、たちまち理想の神子として世界中から注目を集めることとなった。
六大神の加護を受けた王族の血を引き、両親の偉業からも史上稀に見る血統の神子として幼少期より縁談の話で持ちきりだったという。
とはいえ、神子の婚姻は神託が優先されるため政略結婚には用いられない。
当時学生だったティアーナは首席の座を競い合ったエディンドート侯爵家のライドラスと恋に落ち、教会を通して神に婚姻を認めてもらったらしい。
エディンドート家は先王弟の血筋で純血種でもあったため結婚相手としては申し分なかった。
ライドラス本人もジェラルドとプロシアとは既知の仲だったため、異例ではあったが神託によらない婚姻となった。
しかし幸せな結婚から数年、事態は思わぬ形で翳りを見せる。
二人に子供ができなかったのだ。
子供は天からの賜りもの。
最初のうちはたまたま恵まれなかったと思っていたが、時の経つにつれティアーナは心が不安定になっていった。
神託による婚姻ではなかったから子供を授かれなかった。
そういう噂が流れ追い詰められていくティアーナにファナリア家は苦心の末、ジェラルドの弟クラトスの娘オクタヴィアを第二夫人として迎え入れる決断をした。
オクタヴィアは従妹であり幼い頃から仲が良く、ティアーナもオクタヴィアならばと了承した。
直系ではないもののどちらもジェラルドの親戚であり王族の血を引く最上位の血統。
大公家を継ぐには相応の血筋ということで周囲を認めさせ、オクタヴィアが第二夫人となった翌年に第一子セシリアを出産してからは表向きの騒動は収束した。
実際にはライドラスが成人する前にオクタヴィアの生家であるリットアール侯爵家とも縁談の話があったくらいなので、元より両家の親類からはこの婚姻に反対するような理由もなかったのだ。
エディンドート家としてもリットアール家としても心情的な問題以外にはメリットしかない。
長女セシリア誕生の同年に二女ミルミアナも誕生。
順調に跡取りを産む従妹とは裏腹に、ティアーナは精神状態を悪化させてしまう。
いくら神子として持て囃され、相応の実力があり聖戦で活躍し名声を高めようとも。彼女も一人の女性だった。
表向きはファナリア所領の一つの領主となり、聖戦後の療養のために駐留することとなっていたが。実際は心を病んでいく姿を他者に見せられなかったためだ。
信用できる少数の使用人だけと静かで穏やかな小領地での生活。
そこで何があったのかは誰も語らないので分からない。
オクタヴィアが三女を出産して二年後、ティアーナは心の病から立ち直り、夫や家族と共に暮らせるようになった。
そしてオクタヴィア夫人が待望の男児ジェイムートを出産。
世間が大いに沸き立つ中。続いて念願のティアーナが娘リヴィアゼアを出産したのだった。
出産は大変な難産であった。
産まれた子はすぐさま審秘眼による審議を受けて神子ではないと判別され、先天性の呪いにより生まれつき虚弱体質でいつ死んでもおかしくない状態だと診断された。
これは絶大な力を持つ神子ティアーナの力を恐れた邪神が妨害していたため長らく子供を授かれず、邪神の呪いに苛まれながら、ついに打ち克ち娘を誕生させるに至ったと国中に広まった。
その代償は大きく、ティアーナ自身も危篤状態となり生死の境を彷徨った。
ティアーナは王都より医療体制の整った領都へと搬送され、娘リヴィアゼアは呪いの影響を抑えるため清浄なる地カルムヴィントで育てられることとなった。
母子共に危険な状態だったため、それ以降の移動は差し控えられた。
母ティアーナは要長期療養として回復に努めることとなり、娘リヴィアゼアは多数の使用人と祖母プロシアの元で虚弱ながらも順調に育っていく。
そしてリヴィアゼア誕生から二年。
母ティアーナは突然の死によって娘を一度も抱くことなくこの世を去った。
[074]
死は平等ではない。
死は文明の進んだ世界であればある程度の調整が利く。全く同じ死値を受けたとして、延命できる者と延命できない者とでは死までの時間も、その価値も変わってくるだろう。
重病人を救うために奔走し続けた医師が医療行為の中で感染や発症した病で死ぬこともある。
よって、限りある時間の中にあって死の訪れは不平等である。
不平等であることを知りながら平等を説くのは、傲慢を通り越してただの詐欺である。
そういう者は幸せな虚言で誤魔化し合うことを良しとする者達だけで完結することを強く望む。
否定する者は彼らにとっては邪魔なのだ。
少なくとも私は死が不平等であることを自覚していて、それを嘆きも訴えもしない。
平等には不平等の介在する余地はないが、不平等には平等の介在する余地がある。
より厳密に言えば不平等は平等を含めた全てなのだ。
つまり平等と不平等が混雑する場合、それは全て不平等で片付けられる。
使い魔により母の訃報が届いてからすぐに祖父と父は王都へ急行した。
祖母は泣き続ける夫人を宥め、姉三人は心配そうに覗き込む。
夫人ははたと顔を上げ、すぐに私に抱きついた。
私が守る。貴女を必ず守る。泣きながらそう何度も言い聞かせるように、いつまでも。
しばらくして、祖母は使用人達に姉達と夫人を寝室に向かわせた。
祖母は今夜は私と過ごすと言い使用人達を下がらせ、念の為にと私の寝室に魔術を掛ける。
その間の祖母の真剣な顔を見て、私はとても嫌な予感を感じていた。
確かに私の出産後は何度か体調を崩していたが母は快方に向かっていたはずだ。
急死などあり得るのだろうか。
そして部屋の灯りを消して戸締まりを確認する頃になって、部屋の戸が控えめに叩かれた。
使い魔による連絡が新たにあったという。
その内容に祖母の顔は見る見る青ざめていった。
私はよほどの内容なのだろうと聞き耳と盗み見をして、悪い予感が的中していることを確信した。
世界中で神子が次々に突然死している。
現在確認されているだけでも十件以上に及ぶ。
今後も増える可能性有り。
不審死以外であっても、どんな些細な内容でも異変があれば報せよ、と。
私は神経を研ぎ澄まし、予兆に備えた。
[075]
私の順番はじきに訪れるだろう。
念のために確認しておく。
魔力、氣、霊力正常、神力はおそらく満タン。
さて、私の残りの寿命はわからない。
本日までやれることはやってきたつもりだが、果たして神子としても最上位の実力を持つ母を殺せる何者かに狙われて、虚弱体質改善のための訓練しかしてない私如きがどうこうできるのだろうか。
いや、祖母が側に居るとはいえどうにか出来るとは思えない。
それでどうにかなるなら一人二人ならともかく二桁人数の神子を葬るなど不可能だろう。
それでも祖母の体調もチェックする。
なるほど緊張状態というより臨戦体制といった揺らぎ。
焦りや混乱も見られるが許容範囲内。
一件でも難しい神子殺しの同時多発が、通信手段の限られたこの世界で一晩の内に起こせるものだろうか。
どう考えても理屈に合わない。
虚偽報告の可能性も考えたが、私の滅多に表れない嫌な予感がこれから何か起こると告げている。
おそらく物理的な手段ではないはずだが、邸宅内外もチェック。
今のところ異常は見られない。
街の方まで魔力感知範囲の拡大。
不完全で精度が低いため細かなことは何もわからないが、大きな魔力の流れがあるのであれば引っ掛かるはず。
こちらも視える範囲では異常無し。
となれば次に確かめ…、来たか…!!
[076]
凄まじい圧力に反応して思考を圧縮。これは予兆だろうが、予期せず受けてからでは打てる手も限られる。
今現在得られる情報から考えられる可能性を絞り込もう。
まず魔力。
ここ大公邸を中心に渦巻き始める巨大な流れを観測。
おっといきなり本命だろうか、しかし魔力はまだ特定の性質に変化していない純粋な魔力のうねりでしかない。
これなら純魔力の遠隔操作で散々扱ってきたものだ。
集まり始めて一秒も経っていない今なら私程度の操作でも掻き乱すくらいは可能だろう。
時間稼ぎくらいにはなるかもしれない。
タスク2で実行予約。
次に氣。
ひりつく感覚は有るが大きな変化はまだ無し。
予兆では使われないのか、あくまで直感が反応しているだけで異常は観測されない。
もしかすればこの大掛かりな仕掛けが起動する段階になってから利用される可能性もあるため、警戒しつつ保留。
タスク3で待機。
そして霊力。
なるほど大きな歪みが発生している。
この仕掛けが特定の相手の命を奪うものであるなら霊力の干渉は十二分に有り得る話だ。
霊力を用いれば霊魂の見分けがつけられる。
魔力では観たことも会ったこともない相手を始末するには大まかな位置情報を元に大規模破壊をする必要があるだろう。
となれば予兆から次の段階に入れば自ずと霊力の干渉が起こると仮定できる。
要警戒事項としてタスク4で即実行可能な状態で起動。
まだ魔術を教わってない身としては、この段階で術式を知ることも察することも困難。
頼みの綱は祖母だが、頼るにしてもまずは十分な対抗手段を講じられるだけの時間作りから始めなければなるまい。
神子を殺す術式。
それを行うために必要な実力とはどの程度のものだと推察できるか。
まず神子の実力はこの世界においては、世界最強を10として段階分けするなら概ね7〜9くらいだと仮定する。
つまりこれを何人も殺せる存在が居るとしたら、常識的に考えれば少なくとも同ランク以上つまり7以上の実力者ということになる。
しかし先程の一報から察するに、一方的な殺戮を行わない限り複数人を葬るなど不可能だろう。
つまり実力が同等以上ではなく格上である可能性か、同格多人数による犯行か、もしくは対抗できないほど手早く済ませているか。
誰も予想しなかった画期的な手口によるものか。
そのどれかか、その全てだろう。
可能性として一番高そうな場合で想定するなら、格上が多人数でしかも仕事が早いとしよう。
それだけ聞けば完全に詰んでいる。
残念ながら転生者として最初から言葉ペラペラで魔術訓練をするような最強街道は進めず、せいぜいがマイナスをプラマイゼロにまで押し上げた程度のただの二歳児である私では1〜10段階の実力で言えば間違いなく1だ。
こんなことになるなら自重せずに振る舞っていれば良かったのだろうか。
いや、今より多少マシでも2や3の実力でどうこうできる範囲を超えている。
こんなの予想できませんよ普通。
犯人は既に母を殺害している。
その連絡が着てから私が狙われているのだとしたら、もう他の神子は殺し尽くされたのだろうか。
いや、私がもしこの仕掛けを講じる側ならどう考えるか。そこから順を追って考えてみよう。
なに、死ぬまでまだ時間はある。
今この瞬間において私は殺された神子達とは死への向かい方に大いなる不平等が生じているのだから。
死が平等なのは死後の話。
生きている限り死は常に不平等なのだ。