はじまりの虹 3
発育計画
[051]
魔力を鍛えよう。
このテーマに関しては私としても熟考する必要があり、なかなか踏み切るに至れなかった問題がある。
それは何か。
まず第一に[体力上の問題]
私ことリヴィアはお世辞にも丈夫とは言えない身体だったため、この世界の魔力の仕組みもよく知らないのに安全面を確かめもせずに手を付けるなど到底許容できなかった。
自慢ではないが、リヴィアはそんじょそこらの子より遥かに貧弱なのだ。
舐めた慢心などは相応の実力を持った者の特権である。
第二に[魔力に対する理解度]
よく解らないけどとにかく使ってみよう。とはいかない。
他の転生者がどうしているのかは知らないが、もしかしたら素人判断で失敗して爆死しまくっている可能性だってあるのだ。
自分なら都合良くやれる。という浅はかな甘い考えで行動して上手くいくストーリーなど、たまたま生き残った者の語る体験の一つに過ぎない。
他の何も成せずに歴史の狭間に消えてったであろう者達の物語などはウケが悪いから残らず、生き残れなかった失敗者の体験談も観たものがいなければ残らない。
私が知りたいのは脚色された成功談より、自分にも降りかかるかもしれない失敗談である。
知らない他人が物語に憧れてどれだけ変死しようと勝手だと思うが、私はそこまでお気楽に構えていられないのだ。
第三に[適性]
例え魔力は用法さえ守れば安全と言われても、諸手を挙げて乗り出すほど無謀ではない。
自分の魔力との適性を自分で判断できるほどの知識を有しているならともかく、素人判断で適性があると思い込んで、思わぬ落とし穴で一生をフイにするなど言語道断。
そんなことになったら一生後悔することになる。
例えば、最初に使った魔力の属性が一生の適合属性という法則だったりしたら、望まない結果になったと知った際に納得できるのだろうか。
ただ楽しめればいい人生ならばそれもいいだろう。
だが私の場合はそうも行かないのだ。
第四に[安全管理]
何より、適性や知識よりも大事な要素が安全性の確保である。
自分がもしミスをした際にバックアップしてくれる人を傍に置くこと。何かあっても自力で解決できない挑戦をするならこの条件は必須である。
ぶっつけ本番で失敗しても後悔しない。
自己責任として納得できるのならその限りではないが。
弱者である私は常日頃から新しい挑戦の際には、何かあればアンネや他の使用人や祖母が駆けつけてくれる、かつ不測の自体が起こらなければバレないという状況下で行っている。
ここまでしてやっと及第点だろう。
そんな常識的な慎重さを持った私が、危険かもしれない魔力を鍛えることへと踏み切るに足るだけの理由がある。
毎日毎日、私は体内の調整ばかりで嫌になっちゃったわけではない。
初めて感じたシャバの風に何だかとっても良い気持ちになり気が大きくなったわけでもない。
とはいえ無関係でもない。
先日の日光浴以来、私はすこぶる体調が良いのだ。
普段は大半がダルかったり頭が痛かったり苦しかったり辛かったりするのが日常的だった私にとって、ここ最近の嘘のような快調は新しい段階に踏み出すには絶好の機会と言える。
むしろ、このチャンスを活かさないと次の機会まで段階の引き上げを長期間待たないとならない可能性もあるのだ。
慎重さを重視する私ではあるが、流れをモノにしないことには躍進が臨めないことは承知している。
なるべく出来るリスク回避は講じつつ、魔力操作技術向上計画を始動することを決断した。
[052]
魔力のしおり。
まずは魔力に関する前世の記憶と認識、そしてこの世界で知ったことを挙げていく。
魔力知覚、魔力感知、魔力操作、魔力循環、魔力蓄積、魔力保有量、魔力欠乏、魔力回復、魔力変換、魔力媒体、魔力暴走、魔力強化、魔力回路、魔力変質、魔力同調、魔力…魔力…
多い。
とにかく魔力の技術に関することや認識について順不同で連ねてみた。
これらの内、どれが実際にこの世界にあるのか、どれなら手を付けられるのか、ひたすら思考と運用を検討。
そして実践を踏まえて手掛かりを見つけてみよう。
【魔力知覚】
これはまだ知りたいことや試したいことはあるがひとまずこの場ではクリアとしておく。
【魔力感知】
絶賛訓練中。これもひとまずクリアとして置いておく。
【魔力操作】
すぐにでも実践できそうな気がする。取り掛かるものリストに入れる。
【魔力循環】
これはクリアに入れる。
【魔力蓄積】
取り掛かるものリスト入り。
【魔力保有量】
よくわかっていない。調べる方法を探したい。一応取り掛かるものリスト入り。
【魔力枯渇】
よくわからない。使用するなら必ずついて回る問題。魔力が尽きたらどうなるのか、リスク面を要検討。
【魔力回復】これは鍛えられるものなら鍛えたい。使用段階に入ってから検討。
【魔力変換】
魔力の補充方法や保管についても同時に検討が必要。
【魔力媒体】
魔力との親和性のある物質や道具について知りたい。これは後回し。
【魔力暴走】
やったことがない。検討は必要だが実践は後回し。
【魔力強化】
よくわからない。取っ掛かりを掴むまでは保留。
【魔力回路】
これも保留。取っ掛かりを掴んだら手を付けたい。
【魔力変質】
魔力を別のものに変質させる。この世界にそんな概念があるのか不明。よって保留。
【魔力同調】
氣の同調については訓練したが、魔力でも出来るのかは不明。祖母では桁が違い実践できないため、他の術師を探そうとしたが別の要因で断念している。これも一旦保留。
他は思い付いたら都度考えよう。まとめると。
[クリア]=知覚、感知、循環
[実践可]=操作、蓄積、保有
[付随検討]=欠乏/枯渇、回復、変換
[後回し]=媒体、暴走、強化、回路、変質、同調
学校に入ったり、師事することで解決するものが大半かも知れないが、今から手を付けた方が確実に成長に繋がる。
学習効率の上がりそうなものは行いたい。
では、まずは実践リストからやってみようか。
[053]
魔力操作。
私の魔力は他の者と見比べても明らかに粘度が高くて濃い。煮詰めたジャムの如く半固形だ。
まあ、こんなに昏く濁ったギトギトの気味の悪い性質のジャムは食べたいと思う人は少ないだろう。
操作するに当たって濃度を三段階に分けてみる。
イメージとしては固形、粘度のある液体、質量のある霧状の魔力を自分の意思で動かすこと。制御したり調整することだと思ってみる。
なのだが、やれることも不明なためまずは適当に遊ぶことにした。
ボール状にして固めたり。
移動させたり投げたり。
糸状にしてあやとりをしたり。
束ねてロープ状にして遠くのものを取ったり。
自分を包む透明の膜を作ってみたり。
膨らませたり萎ませたり。
最初は大変に苦労した。
何しろ元々が操作しづらい半固形なのだ。
意識的に力を強く込めないとなかなか動いてくれない。
少しずつ濃度別の適当な力加減を探る。
フォーカスしながら色々やっているとあっという間に時間は過ぎていた。
食事を済ませ、アンネと遊んでお昼寝して。
起きたら今度はマルチタスクで小さな固形魔力と紐魔力を同時に出してくっつけたり、体内循環と同時にやってみたり。
あっという間に日が沈み、再び食事を取ってアンネと遊んで。
一日中そんなことをしていると夜には出力が低下したような気がした。
これが魔力の消耗というものか。
途中昼寝もしているので回復している可能性があるためイマイチ全容は掴めない。
寝て起きる度にフォーカスとマルチタスクを切り替えての魔力操作遊びに没頭する。
正直に告白しよう。
実に楽しい。
ついつい熱中してしまうため、どうしても時間の概念を忘れてしまいそうになる。
特にフォーカス時にアンネや祖母が現れて慌てて訓練を打ち切ることが多々起こった。
数日が経ち、ある程度コツを掴んだのでもう少しやり方を変えてみる。
身体から離しての操作である。
やってみてわかったのは、やはり離しての操作は大変難しい。というより燃費が悪い。
操作できなくはないが、みるみる小さくなり消えてしまう。
固形魔力は小さくなる速度はやや遅いが操作しづらい。
霧状魔力はみるみる減ってしまい、操作こそ容易いものの力が弱い。
液状魔力はその中間で一番実用的である。
遠隔操作をするとものの数時間で出力が目に見えて落ちた。
これが魔力を消費するということか。
一度このまま枯渇状態を探りつつ、魔力回復の取っ掛かりを掴もうかと思い、魔力回復のイメージをしてみたところ。あっという間に出力が戻った。
そして身体の芯から熱量が減ったような感覚。
何かが起こったのは間違いないが、それが何なのかさっぱり解らない。
アンネに食事を世話して貰いながら、この怪現象について考えていた。
難しい顔をしているのをご機嫌斜めだと思われたのかいつも以上にあやされる。
[054]
元気モード終了。
再現性があるのか検討するため、何度か大量消費と魔力回復を繰り返したが、数回程度で再現できなくなった。
ついでに具合が悪くなって、あの元気ハツラツモードが終わってしまったことが残念でならなかった。
やはり魔力消費は運動と同じで、根を詰めてやれば無理が出るものなのだろうか。
しばらく魔力は循環だけに留めて氣のコントロールや霊視を中心にして体調回復を待つ。
残念ではあるが、この不健康児こそ私のデフォルトの姿である。
魔力の操作でイメージというものを掴みやすくなったのは大きい。
次いで氣のコントロールでも似たようなことが出来ないか試してみよう。
氣は肉体と連動している。つまり氣を操作しようとするとどうしても身体も一緒に動いてしまう。
もちろん自制心フル動員すれば動かないことも可能だが、所詮は赤ちゃんなのだ。
まだ身体は何も知らないのだから伸び伸びとやる。心と連動させるのは次の段階に進んでからだろう。
しかし氣の遠隔操作は魔力の比ではなかった。
めちゃくちゃ難しい。
仕方がないので体表を伝って氣を操作する手法にした。放出せずに表面に出すに留めてコントロールをする。
難しくはあったが、こちらは頑張れば出来そうな雰囲気だ。
しばらくはこれをやってみよう。
ああ、早くあの頑固で気難しい魔力制御訓練に戻りたいものだ。
[055]
季節は巡り収穫祭が近付く。
相変わらず頭痛はひどいがある程度回復した。だが、あの絶好調には程遠い。
育成は順調で離乳食を食べている。
氣の訓練の賜物なのか、ついに這って動くこともできるようになった。
あの虚弱児とは思えない成長振りには、私だけでなく祖父母も使用人達も感動していた。
祖父に至っては泣いている。
気持ちはわかるが私は私で忙しい。
ハイハイも氣を使っての身体操作と連動しているのだ。まさに真剣そのもの。
どうやら今年は体力もついてきたことを評価され、街の収穫祭への同伴を許可されたようだ。
街に出るのは初めてである。
純粋に街にも興味はあるが、それ以外にも街でなら直接人々を観察することが可能だ。
訓練のヒントが見つかるかもしれない。
収穫祭へ向けて打ち合わせがあるのか、朝からひっきりなしに来客が訪れる。
祖父も忙しそうに応対しているし使用人達も慌ただしい。
私はと言えば、もちろん収穫祭当日へ向けて筋力トレーニングを勤しんでいる。
もちろんやり過ぎは身体への負担が大きいため加減してのことだが。
筋力とは引っ張る力である。
筋肉が大きいほど、この引っ張る力は強くなる。
成長した身体であれば、この引っ張る力はほとんど害にはならず、強ければ強いほどパワーが増して、その力に耐えるため連動して骨も強くなる。
しかし赤ん坊の場合、骨がとても柔らかいため筋肉を付け過ぎると引っ張る力に骨が耐えられない。
負けた骨は柔らかさ故に曲がり変形しやすい。
また筋肉だけでなく重力の影響も強く受けてしまう。
自分の重さに骨が耐えられないのだ。
よって、立ち上がるのが早い赤ん坊はO脚になりやすく、短足にもなりやすい。
骨も曲がり、その結果として神経や血管が圧迫されやすい構造になったりと様々な悪影響を及ぼす可能性がある。
その反対に筋力が無いのも問題である。
筋肉で覆われていなければ骨に血管や神経を圧迫されやすい構造になるし、血を心臓へと送る力も弱く血行が悪くなり、四肢の末端まで栄養素が行き渡らなくなる。
両極端な例ではあるが、どちらも肉体の発育に悪影響があるため手頃な筋力と相応しい時期と成長を待ってから立ち上がるようにしなければならない。
赤ん坊の身体は急速な発育により不安定なので細心の注意が必要なのだ。
特に私ことリヴィア嬢は呪い(仮)の影響による虚弱体質なため筋力は平均よりかなり弱い。
骨も筋力に合わせて弱いだろうと推察される。
私は弱い身体に合わせて加減したメニューで健康的な筋力に近付けるためのリハビリとトレーニングの中間を意識した日々の生活を心掛けている。
体内調整により自然治癒力を高め、消費熱量と筋肉疲労の度合いを大まかに把握しながら、一度に行う運動も十分に余裕を持たせている。
決して無理はさせない。
不確定要素の大きい魔力操作訓練はしばらくお預けにして、氣の活性作用を重視。
お昼寝以外の休憩中はメニューの反芻と霊視関連の訓練に充てている。
運動と休息を繰り返すことが大事である。
体力も出来るだけ余裕のある状態を意識する。疲労状態には踏み込まない。
身体の強い者ならともかく、弱い者は一定以上の余裕をもった体力維持は不可欠だ。
身体を甘やかさずに厳しい特訓を積むのは、成長して身体がある程度出来上がってからでいい。
さあ収穫祭よ、私は万全の状態で臨むぞ。
[056]
霊視が一段階覚醒した。
合間合間にとコツコツ基礎訓練ばかりしていた霊視だが、ある時違和感を覚えた。
その後のお昼寝で私は妙な浮遊感に見舞われた。
有り体に言うと幽体離脱をしていた。
こんなこと覚醒状態で起こっていたらパニックになるかもしれないが、この時の私はやけに冷静に自身の状態を把握して特に疑問も抱かずにこれが幽体離脱だと理解していた。
働かない頭でありながら落ち着いており、空中から邸宅を見下ろしながら、同時に自分の本体も透かして観ていた。
何となく帰り道の確認をしたくなり、自分の霊体と本体を繋ぐ力の流れを意識してみる。
無意識の不安から来るものなのか帰巣本能からなのかは判断つかないが、とにかく暖かな力の流れを感じていつでも戻れるのだと意識した所で目が覚めた。
起きてすぐに、これは忘れてはいけない感覚なのだと前世の記憶の引っ張る力を強めて、意識的に転生者としての思考へと切り替える。
普段ならなるべく今生のリヴィアとしての在り方を優先して、前世の自分へ引っ張り込むようなことはしないのだが。
夢のように忘却してしまうにはあまりにも惜しい体験である。
斯くして自らのルールを少し逸脱しつつも、幽体離脱体験を分析。
物の視え方が霊視に近かったことから、霊視関連の能力と推測。
再現性があるのか要検証ということで、お昼寝前のメニューと同じことをして再び眠りについた。
結果、少し浮遊感は得たもののはっきりと幽体離脱現象と言えるような体験は得られなかったと思われる。
体調に左右されたり別の要因や条件があるのか、しばらく探ってみようと思う。
そうこうしている内に、やってきました収穫祭。
周りから観た私は何だか最近ボーッとしてることが多いと思われつつも、顔色は良く体調も悪くなさそうなので予定通り連れて行ってもらえることになった。セーフ。
父と夫人は来られなかったが、長女セシリアと二女ミルミアナはやってきた。
[057]
収穫祭当日。
去年の収穫祭では純粋に楽しげな雰囲気だった祖父母は少し緊張しているようだ。
私の街デビューのせいだろうか。
セシリアはいつも通り元気いっぱいではしゃいでいる。
朝からテンションマックスである。
あれで疲れてしまわないのだから体力強者恐るべし。
それに対してミルミアナはセシリアと一緒に行動しつつも、祖父母の様子が気になっている様子。
普段と少し違うことに目聡く気が付いている。
祖父母監視のもと、私との面会。
前々からそうだったが、やはり私に対してはよそよそしいというかどう接して良いのか分からないといった感じだ。
私にとっては街に集中できるのでそれはそれで構わないのだが。
街へ向かう馬車の中ではしゃぐ姉二人と愛想の良い私を見て、祖父母も少しだけ緊張を解いた笑顔を見せる。
普段から魔力感知で街を何度も確認しているが、自らの目で直接観るのはこれが初めての体験である。
祖父は普段からここは所領の中では田舎だと言うのだが、私の観た景観は田舎の街のそれではない。
しっかり整ったインフラ、清潔な街並み、活気ある通り、大勢の人々。
どこをどう見ても立派な市街である。
街の中心を分断する大通りは市街地の入口から反対側までで約700メートルといった所。
この世界の街の基準は知らないが、この街が決して小さくないことくらい周りの様子からわかる。
姉二人のテンションからも祭りの規模の大きさが窺えるというものだ。
もちろん大通り以外では質素な街並みだったりするのだろうが、見える範囲のこの盛り上がりは幼い私にとっては驚愕するには十分だった。
治安が良いといっても収穫祭の主役は平民。
他所から来た貴族も少しは見かけるがほとんどが領民である。
農民、商人、下働き、警備隊、主婦、大工、子供、パン屋、冒険者、花屋、靴屋、配達人、大道芸人、傭兵、教会関係者、使用人。
それが老若男女問わず、騒ぎ、笑い、語らい、楽しんでいる。
ここはファナリア大公領のカルムヴィント。
私の育った領地で彼らの生きる街。
いずれ私がこの人々全ての責任を負わなければならない。
リヴィアとしての心が純粋に祭りを楽しんでいるのと対象的に、転生者としての私は少し複雑な心境だった。
[058]
収穫祭のメインイベント。
馬車の停留地で降りた私達は祖父母と共に街の中心部へと向かう。
衛士長という漫画みたいな髭をした中年の男性が部下と共に先導していくが、衛士の数も多くてただの祭りにしては随分な力の入れようである。
祖父ジェラルドがバルコニーに上がり、主賓として軽く挨拶をした。
続いて衛士長が広場の壇上で挨拶をして収穫祭の出し物へと移る。
踊りに芸に奉納の演舞。
見るもの全てが目新しく映り、私は声も上げずにただただ魅入っていた。
演し物が一段落して食事を楽しむ頃になって、ようやくひとごこち着いてから改めて集まっている人々を観察してみた。
魔力の量が多い人がちらほら視える。
衛士長を始め、一部の鍛えてそうな衛士や冒険者達は氣の流れがやや強く感じる。
霊視で強い反応を感じられたのは祖父母くらいで他に目ぼしい人は居なかった。
強くはないものの少し変わった波形を持った者を遠巻きに感じたが、敵意は感じない。
歓談の席でも姉二人は落ち着かない様子で先程の演し物で観た演舞について目を輝かせながら話している。
今にもチャンバラを始めそうだ。
そんなお祭りムードの中を伝令と思しき衛士が駆け付けてきた。
衛士は衛士長へと取次ぎ、衛士長は祖父へと耳打ちしている。
何かあったのは明白だが、今朝方も見せていた険しい顔になる。
そして何事かと周囲を見渡す群衆に向かって宣言した。
異境の門が出現する、と。
その宣言に人々は様々な反応を見せた。
ある者は立ち上がり歓声をあげた。
ある者は顔を見合わせ不安の声をあげた。
ある者は何事かと周りに聞いて回った。
ある者は真剣な表情で武器の柄を握り締めた。
明日以降、印が出た者は衛兵詰所にて登録を済ませるように呼び掛け、会場は異様な熱気に包まれた。
ついに始まるのだ。
戦争が。
[059]
異境とはこの世界と異界とを繋ぐこの世の法則から外れた境目である。
ある者は実力を試す場として。ある者は己の名声のため。ある者は武勲を立てるため。ある者は富を得るため。
邪神の統べる異界から現れる魔物や魔人と戦うことはこの世界を守る大事な役目。
神に選ばれた者は、この聖戦へと参加する栄誉を賜り身体に印が浮かぶ。
神の加護を受けて成人の儀を終えていれば誰にでも資格が与えられる可能性があり、印が浮かび上がった者は国から家族へ援助金を与えられ、一定の訓練期間の後に異境へと送られる。
異境は神託があってから数ヶ月以内に出現する。場所もその神託の際に告げられる。
もし聖戦で大きな武勲を立てられれば、異境の出現した国から莫大な報奨が与えられる。
上手く行けば爵位を与えられ貴族として迎えられることもあるという。
今回の異境は地神領域、グランレリア大陸にそびえる黒鉄山脈に現れるのだという。
戦いに参加できるのは印の出た者と各国の軍隊。
そして各地から名乗りを上げた者で構成された義勇兵団、そして金で雇われる傭兵団である。
これらの取り決めは世界協定にてある程度決まっており、人数制限もあるため選抜でも厳しい審査を行っているのだとか。
何にしても収穫祭どころではなくなった。
私達は邸宅へと戻り、すぐさま祖父は衛士長と共に応接室へと向かった。
今回は前回の聖戦から実に七年ぶりということで立候補者も多くなる見込みだと待機中の兵士達の話す内容から聞き取った。
祖母は姉二人から色々質問されているが。セシリアは成人の儀を終えないと印は出ないと聞いてがっかりしていた。
貴族に印が出たら拒否権は無いのかもしれない。
もし印が有りながら隠蔽した場合は罪に問われるようだが、やむを得ない事情のある者、領主や国の法律に従って血続きを踏む者、戦闘に支障ある怪我や重い病のある場合は免責され、法的効力のある教会で代行者へと印の譲渡をすれば免責される。
私はといえばとにかく情報収集である。
いずれ参加することになる以上、知るべきことは早めに知っておきたい。
成人した転生者には神によって優先的に印を与えられる可能性すらある。
ならば私はこの件に関しては無関係では居られない。
いずれ来るその日までにやれることはやっておかなくては。
[060]
出現した異境での戦争を境界聖戦と呼ぶ。
数年に一度、邪神達の領域へと世界が接近してその接合部に異境が発生する。
神に選ばれし勇士達はその身に聖なる印が現れる。
印を持つ者は異境へと渡る資格が与えられる。
印持ち一人につき神より5名までの同行者が認められている。
印は神託が下される教会で宣誓の儀をすることで立候補者への譲渡が可能である。
印を持つ者は異境において神々より祝福を与えられる。
聖戦への参戦は世界人類の義務であり、国家種族の境なく協力して臨むべきものである。
聖戦を目的とした徴兵制度は所属する国家と主神の宗派によって異なる。
異境では素顔を晒すことは禁じられており、神より与えられた仮面と衣を纏う。
聖戦で大きな戦果を上げれば異境の出現した地に豊穣が約束される。
異境の出現領域は少なくとも十年以上の間は新たな異境が現れない。
聖戦に敗北することはその地に不浄を招くことになり厄災が降りかかる。
聖戦関連での犯罪は特に重い罪として扱われる。
以上が今わかっている聖戦に関する情報である。
真偽の程は定かではないが、かつて聖戦に敗北したことで滅亡した国家もあったらしい。
印が現れるのが成人した者となっているからか聖戦に参戦するのも成人してからという話だが、印の譲渡や同行者にもそれは適用されるのだろうか。
王紋がどうのという話もチラリと聞いたが、今後も情報を集める必要がありそうだ。
[061]
収穫祭からしばらくして。
季節は冬となり、私は霊視の訓練を重視していた。
この霊視、聖戦の印を看破できるようだ。
成人の儀を迎えていない私には異境行きの印が出ることはないが、心構えと準備はしておかなくてはならない。
転生者である私にはおそらく印が出てしまえば異境行きを拒むことは出来ないだろう。
それに貴族家の者としての責任もありそうだ。
印持ちは発現からすぐに教会への申告が義務付けられており、以後は聖戦まで教会の監視下での生活を余儀なくされる。
また、王族や貴族であれば参戦する者は公表されるが、基本的に平民の印持ちは直前まで上層部以外に公にはされない。
何にしても印は目立つ場所に現れるので隠すのは難しく、基本的には本人の申告制である。
例え隠しても審秘官や神官の眼にはお見透しらしい。
霊的な視覚を有していれば視えるのだから識別方法は思ったより多いのかもしれない。
祖父母は収穫祭の後すぐに王都へと立って行った。
姉二人はしばらく滞在したが、夫人の待つ領地へと帰還した。
もっともセシリアは相変わらず落ち着きなく滞在中は聖戦へ参加したことのある執事長達へあれこれと質問していた。
どうやら前回の異境は人神領域で出現していたらしい。
それも歴史上稀に見るほどの大勝利だったというのだ。
そんな中で親交深い地神領域での発生。
王国では前回の聖戦においての大勝利で余力を残していたらしく、今回は有望な若い騎士や兵士達に経験を積ませたいと考えているらしい。
そして聖戦において一番の問題は王家のしきたり。
六大神の祝福を受けた王家は、その血筋にある者から毎回一人必ず聖戦に参加させなければならない。
実は私の祖父ジェラルドは現国王の弟であり、過去五度の聖戦に参加している大英雄なのだという。
いやまあ、やたらと所領が多くてしかもどの領地も良物件ばかりだから何か理由があるとは思ってはいたが、なるほど納得の理由である。
何でも若かりし頃に天神領域の聖戦にて鬼神の如き活躍で形勢不利を覆して逆転勝利したことで、当時天空人の王女であったプロシアとの縁談を手にしたのは有名な話で、今や劇場の定番演目になっているのだとか。
やるじゃないかジェラルド。
それから次代の担い手の育成も兼ねて魔術学院の経営陣となり、私の父ライドラスを初め数々の英雄級の才能を持つ者を見出した。
母ティアーナもまた凄まじい活躍で世界中にその名を轟かせたという。
私の家は単に家柄だけでなく実力で地位を築き上げた本物の英雄貴族らしい。
四女である私はともかく、唯一の男児であるジェイムートの双肩には多大なる期待と責任と重圧とその他諸々が伸し掛かるのだろうか。
英雄貴族あるあるとしておそらく印の発現の有無に関わらず、いずれ必ず聖戦行きにされて戦果を挙げさせられるのだろう。
本当に不憫な兄である。
せめて優しく接してあげよう。
[062]
冬も半ばを過ぎた頃になっても祖父母は未だ帰ってこない。
使用人達の話によれば。聖戦に向かう騎士や魔術師の訓練に付き合ったり、選抜大会の来賓として出席したり色々と多忙だったようだ。
聖戦は既に終わっている頃なのだが。
ともあれ私はごく普通の幼児を装いながら、コツコツと将来設計のために訓練の毎日である。
この冬の成果として。まず幽体離脱のコツを掴んだこと。
魔力操作に関して一つ閃きがあったこと。
氣のコントロールが上達したこと。
そして一般的な同年代の幼児までとは行かないまでも、それなりの体力を手に入れたことである。
大抵の初めたての挑戦にはフォーカスで集中した特訓から入っているが、幽体離脱に関しては逆効果だったようだ。
他にもフォーカスでの睡眠だとおねしょが酷かったため、試しにマルチタスクで挑戦したらすんなり成功した。
これはどうやら睡眠中の本体とは別意識での操作ということらしく、幽体離脱中はぼんやりした頭で思考が纏まらないのもそれが理由だったようだ。
解ってしまえば納得のいく結果である。
ちなみに排泄に関してはまだ独力ではできないためおしめの取替えだが。おねしょだと不快な時間が長くなるので、なるべくアンネや他の使用人が傍に居るときにするようにしている。
また、魔力操作に使えそうな閃きこそあれど魔力欠乏状態のリスク回避のため、絶好調の時に行いたいので今は保留にしている。
氣に関しては地道な積み重ねしかないのだと最近は思っている。
成果としては体表での操作はだいたい出来るようになった。
体外操作や放出については、生命力の消費でもあるためリスクを考えると自由になる絶対量が増えてからが望ましいだろう。
ストレッチや運動、ハイハイによるトレーニングと十分な食事により、筋力も体力も並の範囲くらいまで向上したと思われる。
だが私の志はまだ上にある。目指せ健康優良児。
この冬の間に幽体離脱の本格的な修得を進めようと思っている。
理由としては、前に断念した遠距離知覚の問題が限定的に解決するからだ。
要は幽体離脱した先で知覚すれば良いのだ。
そうすれば遠距離で判別できなかった個々を見分けられるし、細かな様子を窺うことだって実現できるだろう。
目や耳が幽体でも機能するというのはどういう原理なのか不明だが、そう感じているだけで実際には別の原理で補完しているのかもしれない。
いずれは魔力や氣だけでの遠方知覚の方法を探りたいが、まずは情報収集のための手段としてできそうなことを優先したい。
何より幽体離脱の素晴らしい所は、眠ってる間に出来るので周りに不審がられない点である。
今の私はさしずめスリーピングベイビーならぬスニーキングベイビーである。
[063]
冬の終わり。
ようやく陽射しに陽気を感じるようになった頃、祖母プロシアが帰ってきた。
祖父ジェラルドは所領で最も大きなハバートート領で仕事を消化中、父ライドラスはまだ王都に滞在しているという。
まだ肌寒いと感じる時分だが、帰ってすぐ私と何人かの使用人を連れて馬車で街へと向かった。
高位の魔術師然とした衣装に身を包んだ祖母の姿はまるで女神のように神々しさすら漂わせていて、笑顔を一度も見せることなく街の広場を見下ろす館のバルコニーへと上がった。
そして高らかに地神領域での聖戦が勝利に終わったことを告げたのだった。
しかし私は領民に勝利を報告する祖母の笑顔から少し無理をしていることを見抜いていた。
その後に続く聖戦へと参加した領民が英霊となった報告の間、霊視により隠しきれない感情の波がはっきりと視えていたのだから。
領民は喜び歓声を上げる。
歓声を上げながらも涙を流す者が何人も居たのを、私は祖母と同じ高さからただ眺めていた。
貴族の務めを果たした後、街では宴が催された。
私達は大公邸へと戻り、遅まきながら祖母の帰宅と聖戦の勝利を祝って使用人達を交えた身内だけの晩餐会となった。
ファナリア家では聖戦のあとはこうして使用人を交えて食事をするのが習わしらしい。
食事が終わり就寝する頃になり、私はこっそりと幽体離脱をして祖母と執事長エスクラッドの話し声に聞き耳を立てたのだった。
領民の前では勝利と言ったが、実情は散々なものだったようだ。
今回の異境発生は前回から期間が開いていたこともあり、十分な準備ができていたため投入された軍勢の規模も大きく、名の聞こえた勇士も数多く参戦していた。
聖戦が始まってすぐ優勢となり、過剰戦力だったのではと将校たちも笑い合っていたのだという。
しかしある時を境に戦況は一変した。
突然の総大将の死と主力部隊の損失。
地神領域の王族を殺害したのは味方のはずの勇士だったのだ。
戦場は荒れに荒れ、逆賊も複数の箇所で同時に反旗を翻し、優勢だったはずの聖戦はあっという間に混沌と化した。
一時は全滅の可能性すらよぎる程の大混戦の末に、勇士の一人が逆賊の頭目を討ち取り、形勢を立て直してからくも邪神の軍勢を押し戻した。
敵を撃退することこそ達成したが、被った被害は大敗のそれであったという。
主賓国の王族の死、参戦した多くの勇士の死。
勝利で得たものより失ったものの方が大きいのは明らかで、実情を知るものは誰一人として喜べなかった。
今は逆賊達の素性を調べるとともに関係者の洗い出し、その経緯について各国で調査をしているのだという。
それでも一応は勝利である。
言い伝えの通りなら神の祝福を受けた地神領域は大いなる実りを約束され好景気に湧くことだろう。
逆賊を討ち取り勝利をもたらした英雄には多大な褒章と名誉が与えられるらしい。
祖母の送り出した騎士や魔術師からも戦死者が出たという。
学院の卒業生達からも。
祖母が私室で流す涙を見ながら、私は哀しみよりも使命感を募らせるのだった。
今回の聖戦には私以外の転生者も関わっていたのだろう。彼等はどう戦ってどう死んでいったのか。
私が成人するまでにあと何度異境は現れるのか。
そしてどれだけの犠牲を生み出すのだろうか。
それを何とかするためにも、私は私の計画を立てなければならない。