新時代の英傑王 5
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ギルバートが泣きついて来た。
「ねえリヴィア。読んだら頭良くなる本とか無いかなあ!」
「書庫に沢山ありますよ」
「あっうん、そういうのじゃなくてね。
一冊で頭が良くなりそうな本とか、魔法具とか、ほら、ね?」
ね、じゃないよ。
そんな便利な本があったら私が真っ先に使っているのだが。
ああ、だから話を振ってきたのか。
「一冊だと、大辞典かしら。西方事録や六神全書も学ぶところが多いわね」
「あっうん。本はもういいや、三冊になってるし。
それより頭良くなる食べ物とか無いかな、やっぱり魚かなあ」
一瞬で諦めないで欲しい。
こちらは真面目に答えているのだ。
ギルバートは遠征から帰って来て早々、よく分からない焦燥に駆られて聖戦へ向けた準備を始めた。
のだが、授業は上の空、かと思えば一人で魔術の特訓をしたりと周囲へ気を回す余裕も無くなるほどテンパっている様子だ。
気を回さないのはいつも通りか。
「頭脳労働用の栄養剤なら用意できますよ」
「それって何味のやつかな?」
いやいや、気にするのはそこじゃないだろギルバートよ。もっと効能とか他に聞くべき事は無いのだろうか。
「栄養剤味です」
「あっうん。じゃあいいや」
栄養剤が栄養剤味である事の何処が気に入らなかったのだろうか。むしろ何を期待していたのだろうか。
薬は美味しくし過ぎると過度の摂取を促してしまい、逆に問題になるのだが。
美味しいとギルバートは確実に過度の摂取をすると断言出来る。
私の作る栄養剤はその辺の栄養剤モドキと違って、摂取し過ぎると副作用が起こる可能性がある位には効能が強いのだ。
もちろん用法用量をきちんと守れば何の問題もない。
「ギルバートはどうしてそんな事を言い出したのかしら」
「えっ、ええっとね。頭のいい人じゃないと出来ない仕事を任されちゃって、それで」
解ってはいたが、そうなる前から勉強をしておくべきだったのを先延ばしにして今更足掻き始めるとは、何とも計画性の無い。
「それなら雇えばいいでしょう」
「雇う…?」
その反応は何かね。今初めて知ったみたいな顔をされても困るのだが。
何故出来る者に任せようという発想が出ないのかが、むしろ疑問ですらある。
「自分一人でできることになんて限界があるもの」
「そ、そっかあ!そうだよね、そうだそうだ」
言うが早いかすぐに立ち上がり、出掛ける準備を始めようとする。
何処へ行って誰と話して雇う相手を決めようとしているのだろうか。
「うん、リヴィアありがとね!」
「どちらへ向かわれるのですか」
「え、冒険者組合だけど?」
待ていギルバートよ、そこでは軍を指揮出来る者は雇えないぞ。
「ギルバートはまずは王都でお父さまに相談するところからだと思うの」
「えっライドラス様。あ、あああ、そっかそっか。うんそうするよ」
頼むからライドラスよ、ギルバートに計画性という物を教えてやって欲しい。
おそらくライドラスは既にギルバートの直接指揮する騎士団も編成させている筈である。
報連相をガン無視していい加減に兵を揃えて来たりしたら、それこそライドラスにも、雇われた冒険者にも申し訳が立たない事態になりかねない。
大方、従騎士枠も冒険者仲間に任せてしまおうとか考えていたのだろう。
ギルバートの仲間ならそれなりの実力者だろうが、それでは例え兵を指揮したとしてもただの強い傭兵団である。
とてもではないが大貴族の軍とは言えない。
聖戦は戦争だ。冒険者のパーティ単位の指揮と、軍団同士の戦いについて専門に学んだ者の指揮とは比べるべくもない。
ギルバートは冒険者の傭兵枠参戦ではなく、大貴族の将軍枠なのだから、その役割に見合う働きをしなくてはならない。
個人技で活躍すれば良い有象無象ではなく、一軍の指揮官として活躍する義務があるのだ。
もちろん個人技で数千から万単位の軍団より働けるというのであればその限りではないが。
百人に相当する働きで英雄、千人に相当する働きをすれば名の残る大英雄とされる位なのだ。
数千相当の働きなど歴代の神子ですら成し得る者が居たとは考えにくい。
どうにもギルバートは行き当たりばったりな主人公的な活躍や展開を当たり前に期待する思考をしているフシがある。
だから自信が無かろうと自己解決の方法ばかり考えてしまうのだろう。
ヒロイックなのは結構だが、現実問題としてそれだけでは通用しないという事をそろそろ学んでも良い頃だと思う。
世の中がそんなに単純でイージーモードなら誰も苦労しない。
たった一人の英雄が世界を救えるのは御伽話の中だけである。
自分だけで出来ないのなら、それこそ出来る者に頼れば良いのだ。
健康的で、才能が有り、それを伸ばせる環境で育ち、自由が認められ、理解者に巡り合い、頼れば力を貸してくれる友人を持ったギルバートは大変恵まれている。
大英雄に成れるお膳立ての済んでいて、周囲も本人もそれを望んでいるとは、なんと幸せな男だろうか。
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異境参戦に関するお触れが出た。
世界が異境に沸き立つ中、私は家庭教師不在となり予定の空いた時間を使い王都へとやってきた。
王都はとてつもない数の人の往来で満たされており、連日教会には祈りを捧げる者や印の申告関連の人々によって満員御礼。
何処もかしこも人、人、人で人酔いしてしまいそうになる。
我が王国で普段観る機会の少ない、有翼人や森人族に地精族、精霊族や獣人族も多く見掛けた。
各種族の身体構造の違いや特性その他の能力といった識りたい知識の元が自らやって来ている。
何とも興味深い。
調べたい、識りたい、掌握したい。
分霊を動員してあらゆる感知探知把握能力を常時展開しつつ、まずはここへ来たもう一つの目的を果たす事を優先する。
早く知識欲を満たしたいという逸る気持ちを抑えつつ、一旦大公邸へと寄る。
この落ち着きの無いテンションはリヴィアとしてのものか。
最近は特に感情の昂りに引っ張られる事が多くなった気がする。
今の私の状態を例えるのは非常に難しい。
多重人格とも違う二心同体。二人が完全には混ざらずに同時に存在している中途半端な状態。
とはいえ私としては誕生時からの付き合いのリヴィアは娘の様な存在だし、いずれ自意識が独立するというのであればそれはそれで歓迎する。
それで計画が頓挫する様な事態になろうとも仕方がないとして納得するだろう。
そもそもこの身体の持ち主はリヴィアの方なのだから。
初めて王都に来た日から、ちょくちょく感知範囲に入ってきた転生者の会話を聞いたり、幽体で干渉して情報を集めているが。
転生者はサンプルが少ないのでデータとして信用度に欠けるものの、ある程度の知識は収集している。
どうも他の転生者達は、前世の自分の人格を継続しているのが主流で、次点としては記憶だけ持った別人として生まれるパターンくらいしかないらしい。
私の様な例は他に無いのだ。
私は、私という人格を完全にインストールしても容量に余裕が有り、そこへ発生したもう一人分の情報処理領域がリヴィアとなったのだと仮定している。
強い自我を有するに足るだけのポテンシャルが有りながら、私と共生する事を選び、分離もせず、いつまでも一緒のまま学び、成長している。
何というか、見方によっては私に依存している様にも見えるだろう。
私へ意思決定権を委ね、自分は感情が昂らない限り影響を極力与えない様に主導権を常に明け渡す。
乳離れもとい、父離れ出来ないまま大人になろうとしているかの如く、べったりと癒着している。
だがリヴィアの元々のスペックの高さからか、私に与える影響は年々大きくなっているのだ。
冷静さや合理性が優先される筈の私が、感情に任せたくなったり、理屈に合わない衝動に駆られそうになる。
しかもそれが心地良いと感じるのだ。
たまに思う。もし私がインストールされていなければ、この子はいったいどんな人物になっていたのだろうかと。
家族に対する愛情は本物だろう。
だが身内以外に対する共感性の無さ、無関心さは、私も人のことは言えないと思いつつも、少々心配な部分である。
実験のモチベーションも、研究者や探求者としての心持ちとは少し違う気がするのだ。
いや、思い当たるフシを繋げると危うさばかりが目立ってしまう。しかし私はリヴィアが優しい娘であることを知っている。
我慢強くて、真面目で努力家。どんなに辛く先の見えない鍛錬でも続ける精神力がある。
ありのままを受け入れて、不平や不満を口にしない。相手の良い所も悪い所も含めて、全てを受け入れる器の大きさがある。
年々酷くなる体調。割れんばかりの頭痛に虚脱感。
母親は居らず、父とは年に数日しか会えず、領地からほとんど出して貰えず、友人も無く、お茶会に参加したことすら無い。
自由と言えば邸内で限られた活動のみ。それでも日々の勉強は膨大で、学問、魔術、作法、芸術、領主学、帝王学、王妃教育、女王教育、他国の文化、幾多の言語、それら全てを熟している。
大貴族の娘とはこんなにも大変な物なのかと最近は私自身も内心では少々引き気味である。
どんなに厳しく躾けられていても他者を恨まず、妬まず、羨まず、人前では常に微笑みを絶やさない。
いや、これ以上は止めておこう。
思い返すと、リヴィアはまともな子供っぽい生き方からは大きく乖離している。
その原因の半分は紛れもなく自分のせいなのだ。
いやしかし、何でもやればやっただけ吸収して成長していくのはとても達成感が有るのだ。
つい、もっと出来ないかと期待してしまう。
おそらくプロシアの英才教育も同じなのだろう。
最初は貴族令嬢として恥ずかしくない程度の宮廷作法なんかを身に着けさせようとしたが、ほとんど一度言えば理解して、教えればマスターしてしまうのだ。
私の様にそれが楽しくなって更に先を目指すのと違い、プロシアの場合は善かれと思ってアレも教えた方が為になるとかコレを知っておいて損はないとか、リヴィアの将来を見据えて出来得る限りの知識を伝えていたのだろうが。
それを積み重ねた結果が「何もそこまでしなくても」という超英才教育へと至ったわけだ。
一人ならまだしも二人掛かりで、詰め込めるだけ詰め込んで、リヴィアの容量はそれら全てを呑み込んでしまった。
しかしまあ、これらは全ての教養は将来のための財産となる。
だが将来の事にばかりかまけていて、今を疎かにするのも問題があるだろう。
これからはちょくちょく気晴らしや楽しい事にも触れさせて行きたい。
例えリヴィアの「楽しい」が普通の感覚から逸脱していても、それはそれで受け入れるしかあるまい。
ともあれ、今は王都での用事だ。
まずはオリナウトの様子を窺っておかなくては。
人のごった返す王都の通りを馬車で通り抜け、大公邸へと急いだ。
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大公邸へと到る道中、城下で聖戦へ向けた演説を大々的に行っているのをちらりと観た。
どうやら今回の王家枠はルビリアらしく、王国は大公枠のギルバートと二大将軍を筆頭に編成する様だ。
懸念していた指揮に関してはライドラスから補佐をつけて貰った模様。
まあ、あちらは上手くやるだろう。
他にも細々した部分で、前もって出来る助力は十二分に果たした筈である。
到着した大公邸にはドルセーラと使用人達が留守番をしていた。
ライドラスとオクタヴィアとジェイムートは王城の方へ出向いている。
ドルセーラが出席してない事は問題なのだが、聞けば婚約者の家の領地へ旅行しに行く準備中というではないか。
そう言えば半年程前に婚約したという通知が来ていた。
「ドルセーラお姉さま、ご婚約おめでとうございます」
「うんありがとう。そこそこ繁盛してる地方貴族の嫡男をゲットしたのよ。これで将来安泰だわ」
身も蓋もない。
こちらが聞く前に答えて話を切り上げようとするとは、話を膨らませることを避けているのか。
まあ、話が早いのはこちらも望む所ではある。
「お姉さま、こちらをお持ちください。
お披露目会に出席した貴族家の子女達から魔術学院への入学予定者をリストアップしたものです」
「そう、凄いわね…。これで何をして欲しいの」
「学院生活での学友候補にしてください。この名簿の方達なら面倒事にはなりません」
「それは助かるわ。
そうね、私からは何も報告しないから王都内ならどこで何しててもいいわよ。じゃあおやすみ」
両親不在を良い事に昼間から寝るつもりなのか。
この姉は怠惰な面こそあるが、賢くて人の事をよく見ている。
そして家族の前では大人しくしているが、私の前では観念したように素の顔を見せるのだ。
私のする事に詮索も干渉もしてこないが、お節介には素直に応じる。
姉二人とは適度に距離を取り、積極的に交流している所を観たことがない。
学院へは同時に入学する予定だが、そのことはどう考えているのだろうか。
◇◆◇
所変わってブリューナク家。
ヒルデの実家であり、王都で暮らすごく一般的な下級貴族家だ。
「お嬢様、いつもありがとうございますぅ」
「滞在期間は短いけれど、ご家族とゆっくり過ごしていらっしゃい」
ヒルデにはいつも通り実家へ寄らせる。
王都に滞在中は基本的にオフとなっており、お小遣いを持たせて自由に過ごさせている。
ヒルデの姉にも挨拶をしたかったが、あいにくとセシリアやミルミアナと同じく学院の寮生活をしている。
急がずとも入学すれば会う機会もあるだろう。
◇◆◇
次に私はオリナウトの元へと向かう。
予めアルフレッドとは連絡を取っていたので劇団の拠点へ直接訪問する事にした。
「ひ、姫様。本日もご機嫌麗しゅう御座います。この様な場所までご足労いただき大変恐縮です」
「ふふふ。フィンツ子爵さまは最近忙しくしているみたいね」
アルフレッドは疲労の色こそ見えるが前に見た時より随分と精力的に窺える。
「はい、はいお陰様でそれはもう。
どうか私の事はアルフレッドとお呼び下さい。ああ、すぐに息子を呼んで参ります」
「それには及ばないわ。生の練習の様子が見学出来るようにザスカーに取り計らってもらえるかしら」
「はい、すぐにでも」
私が彼等を知ったのはフィアナ先生の授業の予習や自己学習の為に王都の劇場へ分霊を飛ばして調査していた時だった。
ここ『劇団レイニータウン』は大陸南部出身者達による王国で五指に入る劇団である。
五指と言えば聞こえは良いのだが、上の四劇団と比べると一段階から二段階人気も知名度も落ちる。
しかし私の見立てでは団員の質自体は良い。
彼等がもう一つ上へ上がれない最大の理由は、演出や脚本に拠る所が大きい。
「これはこれはリヴィアゼア姫殿下。この様な場所まで遥々ご足労戴き恐悦至極に存じます」
豪奢な服に身を包んだ髭面の中年紳士が慇懃な礼で出迎える。
彼はこの劇団の団長で、オリナウトを紹介した相手である。
「ザスカーも随分と演技の幅を広げましたね」
「はははっ、前はこんな事を口にしよう物なら歯切れも態度もぎこちなさが出ちまいましたがね。
お陰さんで今じゃお貴族さん方への簡単な挨拶の回りくらいは何とかやれてますわ」
衣装に似合わぬ砕けた口調でニカリと笑う。
こちらが素のザスカー団長の顔だ。
「練習の様子を観せていただきたいのですが、今は大丈夫かしら」
「ええ、そりゃもう。
さっき団員達に声を掛けてこれから通し稽古を始めるんで、よく観える場所にご案内しますよ」
この劇団がもう一つ人気が上がらなかった理由は、出身地である南部の演し物がここ王都の洗練された客層には好みが分かれてしまい、特に貴族の顧客が少なかった事にある。
南部は辺境としてのイメージが強く、南方公爵領を除けば名家と呼ばれる家も少ない。
実際貴族家であっても魔物を討伐したり畑仕事を手伝う様な土地柄なのだ。
彼等は実力こそあったが、稼ぎの少ない地元より当たれば大きい王都での成功を夢見て上京し、実力でそれなりの人気は得たが、近年はそれも頭打ちになっていた。
客層を増やそうとあれこれ手を尽くしたが、如何せん付け焼き刃の礼儀作法では貴族のお眼鏡には適わなかったという。
しかし、今行われている演劇ではまだ少し粗い部分はあるものの、決して付け焼き刃ではない正しい所作が随所に見られた。
「アルフレッド。オリナウトはよくやっている様ですね」
「はい。あの時の姫様のお言葉の意味がようやく私にも分かりました。私は息子への理解も教育の仕方も間違っていたのだと深く思い知らされました」
レイニータウンの礼儀作法の向上は全てオリナウトの手柄である。
彼はあの日の劇場で演劇の面白さに触れ、受けた衝撃から創作意欲が激しく刺激され、すぐにのめり込んで行ったのだ。
オリナウトの才能は絵画や技師や職人の技術という多彩な分野に渡っていた。
それはつまり芸術に対する感性がずば抜けて秀でている証拠である。
そして多くの分野に通ずる才能の持ち主とは、大抵はその才能を持て余すものだ。
世情から隔絶され半ば軟禁状態での生活をしていた彼なら尚の事だろう。
私は前世の様々な娯楽や芸術を知識としても経験としても識っている。
それ故にこの世界の娯楽の少なさや限定された分野しかない事にも当然理解が及んでいた。
そして前世の世界とこの世界に共通する娯楽についての知識も有している。
だからこそオリナウトが最も興味を惹きそうな娯楽にも思い至った。
それが総合芸術である。
物語、朗読、演技、音楽、歌唱、ダンス、美術。
それらが渾然一体となった総合芸術は、様々な才能を持つオリナウトにとって初めて出会った、持て余す事なく己の全力を注げる作品だったのだ。
彼の寝る間も惜しむ程の集中力と、発想力、それに学習能力を以ってすれば、何が足りないのか、何が必要なのかはやっていく内に次々に気付いていっただろう。
「姫様がお帰りになられた後10日程したある日、息子は陛下への挨拶の仕方を教えて欲しいと言って来たのです。
それまで何度教えようとしても見向きもしなかった作法に興味を持ったのです!」
彼は気付いたのだ。
今書きたくて書きたくて仕方がない脚本を書く為に必要な知識が、自分には足りていないという事実に。
だから知ってそうな人に聞いた、それが最も身近に居た貴族である父親だったのだろう。
「それからは、数日置きに様々な事を聞きに来ました。しばらくするとほぼ毎日聞いてくる様になりました。
私は嬉しかった。妻が息子にしてやっていた事を私がしてやれている事に、そんな毎日に心が救われる思いでした…」
そうして必要な知識を吸収していったオリナウトは脚本を一気に書き上げた。
何もかもが初めてでありながらオリジナルの題材を三ヶ月という異例の速さで。
「姫様へ脚本の仕上がりをご報告した時点で、もう私としては十分過ぎる気持ちでしたが、すぐに劇団の手配までして戴けて。正直どうして良いものか分からなかったのですが、息子の勢いは収まらず…」
芸術にも感性にも鮮度はある。
熟成させる事で別の切り口や味わいを変える事は勿論あるが、始めたてにそんな必要はない。
直接演技指導や脚本家として現場入りする許可を与えたのは、初速の勢いのまま全力を引き出させる為である。
「演技指導を始めてからは驚きの連続でした。
他家のパーティーへの参加をねだり、そこで教えられた礼儀作法の実践を始めたのです」
子供が玩具を渡されたが如く、とにかくすぐに試したかったのだろう。
演技指導でどう教えれば解らなくなった時は、その答えを求めてお手本を観に何処へでも飛んで行ったのだろう。
大変結構なことである。
「さすがに陛下への謁見までは無理でしたが、姫様の仰られた通り、息子の要望には出来得る限り応えました。
ご紹介戴いた商会様にも多大な御支援をして下さり、私の力では難しい事でも叶えられました」
貴族以外の人々のやり取りの様子や、劇に必要な小道具といった物まで、アルバート商会には多岐に渡ってサポートする様に言い付けていた。
「アルフレッド、皆まで言わなくとも解ります。あのオリナウトの演技を観せられれば」
壇上では出演者に混じってオリナウト本人も役者の一人となってライバル貴族の嫡男役に成り切っていた。
しかしよりよって敵役とは、実に美味しい所を選んだものだ。
「姫様。私は、私はどの様な形でこの恩義に報いれば良いのか分かりませぬ」
「ふふふ。私はきっかけを与えたに過ぎませんよ。全てオリナウトの努力あってこそです」
感極まって感涙に咽ぶアルフレッド。嗚咽を漏らすその横で、私は通し稽古を最後まで見学した。
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稽古が一段落して、オリナウトがやって来て私の前で跪いた。
「ああリヴィアゼア殿下、我が愛しき姫君よ。どうかこのオリナウトに、その麗しき御手に触れる事をお許し戴きたい」
オリナウト凄いな。歯が浮遊しそうになったりしてないか心配になったぞ。
「あら、貴方如きが私に触れようとは、ご自分の身分すら理解していないのかしら。身の程を弁えなさい」
芝居で挨拶されたので、こちらも芝居で挨拶してみようと思ったらスラスラと台詞が出た。
オリナウトの目が喜々として爛々と輝いている。
嬉しそうな事この上ない。
「けれどその度胸に免じて、此度の不敬な振る舞いには目を瞑りましょう」
ご褒美を貰えた犬みたいな目になっている。
どうやらお気に召した様だ。
「ふふふ。オリナウト、よくお勉強しましたね」
「はい、いっぱい勉強しました。エヘヘヘヘ」
笑顔を向けると、オリナウトはパッと表情を崩して子供っぽく笑う。
隣のアルフレッドはハラハラしながら見ていたらしく咽ている。
いやいや軽いジョークではないか。
「何というか、姫様って凄えな…」
ザスカーまで素人の即興劇をそんなまじまじと観察しないで貰いたい。
「ムッフフフフッ、次の脚本は極悪令嬢物にしようと思います!」
うん、オリナウト。少し落ち着こうか。
「おいおいオリナウト、うちの劇団にゃそんな大役やれそうな役者は居ねえぞ」
「ア、ハイ。じゃあリヴィア様にやって貰えればいいと思います。イヒヒヒヒッ」
解ってる。
オリナウトは冗談で言ってないねこれ。
「あら、それでは私が劇を観れないわ」
「ア、ハイ。じゃあ無しで」
相変わらずレスポンスが早い。
「ふふ。それよりこの劇はいつ頃から公演出来そうなのかしら」
「ア、ハイ。すぐやれます」
「まぁ、あと一ヶ月くらいは欲しいですねぇ」
オリナウトの気持ちが前傾姿勢過ぎる。
「ではザスカー、予定を組んでください。
オリナウト、もし公演が上手く行ったら、私と一緒に魔術学院へ入学することを許可するわ。
ふふふ。ちゃんとお勉強しておくのよ」
「ア、ハイ」
オリナウトにしては珍しく、少し考えてから満面の笑みになった。
「行きます!ウッフフフフフッ」
それを聞いてアルフレッドが遂に滂沱の涙を流し始めた。
まだ泣くのか。
「ひ、姫"様"。私"ば、私"ばあぁ…!」
「公演が終わってからでは期間はあまり有りませんが、オリナウトならきっと合格できると信じていますからね」
「ア、ハイ。合格します」
こんなに簡単に合格すると宣言出来る者が他にどれだけ居るだろうか。
オリナウトの学力がどれ程の物かは知らないが、この集中力と学習能力なら何とかなりそうである。
「アルフレッドはオリナウトに同年代の従者を付けなさい。候補がいれば願書の手配はこちらでしますが、いなければ適当な者を用意させます。
エスメラルダ、後で手配をお願いしますね」
「はーい了解です」
ザスカーは団員と打ち合わせをして公演日の日程を詰めに行き、オリナウトのやる気にも火を着けられたし、ここでやるべき事は終わった。
後はもう一通の手紙の件を済ませれば王都での用事も終わる。
しかしそのもう一通の意図がどうなのか、先方からの出方について予想は付くが、確証に欠ける事が不安要素である。




