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1000通りの計画  作者: Terran
第二章 リンデノートの小公女
10/99

リンデノートの小公女 5


【異境: 魔神領域】


[127]

 収穫祭も終わり、義母オクタヴィア一行はハバートートへと帰って行った。

 そしてミストリア姫も王都へとルビリア便の送迎による帰還である。

 長距離高速移動術式こと【俊迅】は非常に興味を惹かれる術式なので、何とか感知系や探知系や空間把握や、予め予測した動きや流れの圧縮思考から導き出した諸々を考慮して、魔力の流れや術式展開から発動の瞬間と加速までを観察したのだが。

 魔術知識に乏しい私では、いざ発動されてしまうと速すぎて魔力感知では情報処理が追いつかないのだ。

 完敗である。

 眼を使わずにあの技巧を盗むのは至難の業だろう。

 もっと根本的な術式の基礎の成り立ちから、動作や作用といった一連の仕組みを解明。

 理解を深めないことには分析も解析もままならないという結果である。

 これでまた新しい課題が出来た。

 その為にも、術式の授業に入れるところまで何とかヒルデには頑張って貰いたい。

 勝手に勉強しても良いのだが、現時点での知識量で魔術のプロを知らないフリで騙せるだのと驕った考えは持てない。


 しばらくの間、私自身については別の訓練に充てることとしよう。

 先日の王都で感じた脳活性化についてももう少し研究、精査したいと思っていたところだ。

 脳内物質を任意に引き出すことが出来るようになるなら様々な活用法があることだろう。

 生理的作用というものは任意に引き出すのも調整するのも可能である。


睡眠、排泄、呼吸、瞬き、落涙。


 これらは普段無意識に行っているが多少訓練すれば操作することは容易だ。

 もっと上級者になれば。


発汗、体温、鼓動、消化。


 といったことも操作可能になる。

 現に私は日々の意識的なトレーニングにより、ここまでのことなら苦もなく半無意識的に持続だって調整出来る段階にある。

 脳内物質の生産と供給の操作とは、最上級の生理的作用の一つ。

 すなわち覚醒である。

 いわゆるゾーンとか言われている極度の興奮状態の先にある冷静で最適化された状態のことで、芸術家やクリエイターの言う神が降りている状態も覚醒に該当するのだろう。

 他にも痛覚遮断や疲労感を無視したり、知覚の鋭敏化といった様々な作用を任意に制御できるようになると期待される。


 私の使っているフォーカスや不完全な思考圧縮も、この覚醒を究めることで完成形となるのだ。

 私自身の問題というか短所で、冷静になるのは得意だがなかなか興奮状態にならないため、長らくこれの糸口が掴めなかった。

 だが、先日王都で購入した薬や素材で製薬すれば可能なはずだ。分類としては精油なのだが、薄めて薬として飲んでもお香として焚いても効果がある。

 前世で何度も試した副作用の無いオリジナルブレンドなので子供が使用しても問題はない。

 法律上の取り扱い制限については良く解っていない。

 そもそも似たような薬が無いから私のオリジナルでどうにかしようと言うのだ。

 つまり未発見のレシピによる新種の薬なのだから、当然ながら未分類薬品である。

 まあ、未確認の副作用さえ無ければそれでいい。


 本心では薬になど頼らずに修得したいのだが、本能で生きているタイプの者ではないと極度の興奮状態へ至るのは困難なのだ。

 つまり私に限れば修得難易度は最高ランクである。

 もちろん服用には細心の注意は払う。

 前世ならともかく、この世界では有害である可能性もあるのだ。

 薬や素材として出回っている物を使っているのだから、この世界でもまず間違いなく安全だろう。

 それでも万が一や億が一は有るかも知れないので、ひとまず動物実験からにしようと思う。

 分量と効能に関しては憶えている。

 臨床データがいくつか入ればすぐにでも実用化に移れるだろう。

 毒と薬は紙一重、用法用量はしっかり守ってこそ人の役に立つ良薬となるのだ。


 ふむ、どうせならとても甘くて美味しい薬にしてみようか。

 そう、これはただ何となくの思い付きであって特に深い意味はない。

 苦くて効能の薄い薬を散々飲まされてきた事への反発心とか、そんな低い次元の子供っぽい理由などではない。はずだ。

 あくまでも一人の科学者として、一人の芸術家として、より良い物を作りたいという純粋な気持ちで取り組もうという意思の表れである。

 異論は認めない。



[128]

 観測者によって観えている物の捉え方は異なる。

 今朝は早くから騒々しかった。

 早朝に目覚まし代わりにピアノが響き、飼育小屋の鶏が興奮して脱走した。

 私は起床済だったので脱走した鶏の様子を観察している。


「あっわっ何」


 飛び起きたギルバートなんかはファンシーな柄の寝間着のままやってきた所を非常に興奮した鶏に足元を通られて驚いて転んでいた。


「待ってくださいよぉぉ」


 それを追いかけるヒルデ。

 比較的大人しかった鶏は既に捕まえられている。

 何故か収穫祭が終わっても居座るディルムン家のお二方だったが。

 アルバートはどうやら娘の授業の様子が気になって仕方がなかった様だ。

 というわけで、本日は生徒ではなく教師側の授業参観となった。

 頑張れフィアナ先生。


「はい、では音感の授業からですわね」


 そう言っていつも通りノリノリに三音同時から四音、五音六音と音感のテストをしていく。

 これにどんな意味があるのかは分からないが、いつもの授業風景が見たいというアルバートの意向を尊重して、いつも通りノンタイムで答える。

 フィアナ先生も全く緊張なくいつも通りである。

 何事にも自信満々の姿勢を崩さない。

 まさに貴族の子女の鑑だ。


「んん〜ん。姫様は本日も素晴らしいですわ」


 鳴った音を答えるだけの簡単な作業である。

 間違える道理もないので授業参観向きなのだろう。


「では次はわたくしの奏でた通りに弾いてくださいませ」


 いつも通りにお手本で弾かれた通りになぞって弾いておく。

 今日は授業参観用に新曲のようだ。

 ここは少しサービスしているのだろう。


「んん〜まっ。姫様は何でも出来てしまうのですわね」


 いつも通りの賛辞。

 真面目に授業をこなすだけで褒められるのだから称賛のバーゲンセールである。

 特に感じ入るものでもないが、フィアナ先生の名誉のためにもサボるわけには行かない。


 そんな感じで脳は暇なので庭園のヒルデと逃走した鶏のチェイスを感知しながら淡々とこなしていく。

 興奮が冷めてきた順に確実に捕まえていくヒルデの勘の良さこそ実に素晴らしい。

 あれを考えずに本能的にやれるのだから大した才能だろう。

 ただの聴覚と指の体操とは偉い違いだ。


「さあ、まだお聴きになりたい方もいらっしゃるようですが音楽はこれくらいにして。次の授業に参りますわ」

「フィアナせんせい。きょうのお話なあに」

「そうね。今日は姫様のお好きな別の大陸のお話はどうかしら」

「ききたい。フィアナせんせい、お話して」

「えぇえぇ、それじゃあ。魔神領域アルラシアについてにしましょう」


 その様子を観ているアルバートは顔を赤らめ目に涙を浮かべている。いったいどの辺がお気に召したのだろうか。

 そうこうしている内に、庭園での攻防も決着したようだ。

 生きた動物の不規則な動きを捕えるのはヒルデにとっても良い訓練になっただろう。

 まさに一粒で二度美味しい、一石二鳥である。



[129]

 魔神領域アルラシア。

 危険な魔獣や魔物の棲まう魔大陸のことである。

 主な種族は魔族、亜人族、闇人族。


 魔族には階級があり、下級魔族が最も多く特徴としては身体能力が高い。

 中級魔族は魔力に秀でており多彩な魔術を使える。

 上級魔族は数は少ないが身体能力も魔力も高く寿命も長い上に、更に固有の能力まで持つという。


 亜人族は多種多様な種族の総称で、総じてやや知性が低く群れで生活しており、言葉を話せてもカタコトであることが一般的だ。

 しかし繁殖力も生命力も高いため、魔大陸における労働力の大半を占める大事な役割がある。

 不毛な土地の多い魔神領域において彼等無しでは経済も生産も崩壊してしまうだろう。


 闇人族は数こそ少ないが長寿で技術にも知恵にも優れている。

 総じて実力は高いが個人主義且つ排他的で他の種族と群れることを嫌う傾向にある。


 魔神領域は他の大陸と比べて過酷な環境であるため一般的に実力至上主義として有名だ。

 大きな国は5つでそれぞれが【北の魔王】、【西の魔王】、【東の魔王】、【南の魔王】、【闇人族】によって統治されている。

 その他にも小国がいくつかあるが、少数部族であったりで各々の規模はとても小さい。


 魔王は全員上級魔族で、自国内に出現した異境へは人間族の国家と違い王自らが指揮を執って遠征することは有名だ。

 魔族や亜人族は強い者に従う本能があるため、魔王就任には主に強さが優先される。

 また、純血派の勢力が強い関係で上級魔族は基本的に混血をしようとしない。

 更に魔族からは神子が誕生しない事から、世界的には珍しい神子に依存しない軍団を形成する国家でもある。

 現魔王は4か国共に齢250年以上と長寿で強力。

 これも歳を重ねるごとに魔力が増大する魔族ならではの特徴だ。

 最も高齢なのは南の魔王で御歳は既に1000歳を超えているのだとか。

 魔大陸は南に行くほど環境が過酷となるため、南の魔王が如何に強大な存在なのか、これだけでは想像のつきようがない。


 今回の魔神領域の異境には西の魔王国内に出現した事から、他の魔王軍からの援軍と合流して西の魔王自ら出陣するのだという。

 参戦する主だった戦力は。


 西の魔王軍からは[極星の魔王セプラ]を筆頭に。

 その配下の七魔将から[炎翼将ドルベ]、[魔眼将メルク]、[幻魔将ヘクダー]、[千仞将グレーズ]の四将軍が参戦。


 北の魔王軍からは魔剣四天王の一角[五行剣のヤモツ]が参戦。


 東の魔王軍からは[魔精召喚士ダノ・ダリ]が参戦。


 南の魔王軍からは大幹部[邪仙燕尊]が参戦する。


 特に邪仙燕尊は魔大陸だけでなく世界の歴史に名の刻まれた大英雄で、大変珍しい上級魔族と精霊族の混血。

 邪仙もただの称号ではないらしく間違いなく世界トップクラスのネームドである。

 西の魔将として参戦している千仞将グレーズは、若かりし頃に燕尊を師として仰いでいた弟子の一人なのだとか。

 特殊な精霊術の亜種である仙術の流派の一つを極めており、本気になれば山すら動かすという。

 何ともスケールがでかい。神子超えてませんかね。


 極星の魔王セプラで有名なのは極星の名の由来となった魔力光による、無詠唱、無挙動、射程無視、防御無視の必殺の光線。

 要するに破壊光線である。

 光線なのに遠方まで拡散したり減衰したりしないのは、光線のように見えてるだけで原理は全く違うのかもしれない。

 何とも興味深い。


 前回の地神領域での辛酸からか、どうやら本気で魔王一柱とそれぞれの魔王軍のエースを投入する大盤振る舞いに出た様子。

 ちなみに魔王を二柱で参戦させないのは代々のルールで、命令系統を明確にして一本化する目的があるようだ。

 立場が違えば見え方も変わる。

 魔王軍、味方としては頼りになりそうだが。

 異境で相対する者からすればどう映るのだろうか。



[130]

 慌ただしい秋も終わり、季節は冬へ。

 今日は待ちに待った魔術の初授業である。

 というのも先日ついにヒルデが自分の魔力の知覚と感知のコツを掴んで、そのままトントン拍子に操作もある程度出来るようになったのだ。

 ギルバートは今までの停滞が嘘のように進んでいくことに驚きつつも喜んでいた。当のヒルデ本人は。


「コツさえ掴めばこんなもんですよぉ。今なら何だって出来そうですっ」


 と得意満面で、体調にも問題は無さそうだった。

 そうして魔術の授業を開始しようと意気込んだのだが、こうも早く進むと思っていなかったギルバートの準備不足で後日改めてとなり今に至る。


「うん、じゃあね。今日は魔術の基礎の術式の勉強からするから」


 そう言ってギルバートは手書きの簡単な術式が書かれた陣をいくつか見せた。


「じゃあやってみて下さい」


 何をやるのだろうか。


「ギルバート先生。わかりませんっ」


 ヒルデが模範解答を答えた。


「えっと、ごめん。どの辺かな」

「何をすればいいのか分かりませんっ」

「ギルバート。いっこずつおしえて」


 もうわざとなんじゃないだろうか。

 いや、いっそわざとであって欲しい。


「あっうん。えと、じゃあまずね。この陣の通りに魔力操作で編み上げます」

「編み上げる…?」

「次に魔力を適量注入します」

「適量…?」

「すると魔術が出ます」

「出るん、でしょうか…」


 ギルバートよ。

 それは出来る人に教える手順であって、出来ない人に教える説明ではない。

 あとヒルデの表情を観て察してあげて。


「あれえ?」

「ごめんなさぁい」


 今の説明で大丈夫だと思ってた感とか出さないで貰いたい。

 準備期間って何だったのだろうか。あれえはこっちの台詞である。

 結局その日は、魔力操作で陣を編むやり方から一つずつ丁寧に教えないとならない。

 ということをギルバートに教える授業になった。

 もう家庭教師はフィアナ先生一人でいいんじゃないだろうか。


その日の夜、遠隔魔力操作の延長で遠方の微粒魔力を使ってギルバートの見せた陣を小さく描いて術式を完成させたところ。

 少量の水が出た。

 初めての魔術は真水生成。

 一応暴発しても無害な術式を選んではいたようだ。


 翌朝。

 リンデノートとその近隣領にだけ夜間に季節外れの大雨が降った跡が見られたが。

 それだけで雨のことは誰も気にすることはなかった。


「お嬢様、起きてくださぁい」

「…ふぁ」


 そして私は今生で初めて寝坊をした。


「おはようございます。

大っきな虹が出てて綺麗ですよぉ」


 ペース配分には気を遣っていたはずだが、魔力切れでも起こしたのだろうか。

 何だか久々に長い夢を観ていたような気がする。

 それも夢の中でまで咄嗟に真水生成の術式を使った様な…。


 いやはや、リヴィアが初めての魔術にここまではしゃいでしまうとは。

 好きこそ物の上手なれ、魔術の修得は思ったより捗るかも知れない。



――――――――――



[131]

 魔神の仮面を着けた軍勢と、邪神の仮面を着けた軍勢がぶつかり合う。

 既にこちら側の放った幻獣部隊は掃討されているが、敵の本隊を引きずり出すことには成功していた。

 西の魔王セプラ配下の魔将はここぞとばかりに武勲を挙げようと前線へと赴いた。


「星の動きが怪しいのう」


 我が南の魔王軍からの援軍部隊には自陣本営への左翼ルートを守るよう命令を受けている。

 この防衛線を守る将である燕尊様は聖戦開幕時に本営に張った『仙術・堅如磐石』を発動させて以来、暇そうにしていたが。

 異境の空の星々にどういった意味があるかなど分からない。

 けれど形勢が有利に転じた今になって、唐突に自らの仙術で生み出された環状石から降りて首を傾げた。


「こりゃあもう一波乱あるぞい」


 燕尊様がそう言うのであれば何かまだ敵に大きな策があるのかもしれない。


「本陣へ遣いを出しますか」

「そうじゃな。将を何人か下がらせるよう云うてやれ」

「直ちに遣いを出せ。緊急だと言付けよ、杞憂に終われば良し」


 私はすぐに部下を伝令に走らせた。

 前回の地神領域でも形勢有利から大きなトラブルに見舞われ、あわや敗戦という所まで追い込まれたのだと聞き及んでいる。

 そのトラブルというのが何なのかは伏せられていたが。

 人為的ミスによるものか、未だに解明されていないものなのか…。


「イカン。急いで軍を退かせい」

「ッ!すぐに軍を下がらせろ、これより本陣まで後退する!」


 一体何があったというのだ。

 私には窺い知る術はないが。絶対防壁とまで謂われた燕尊様の部隊が防衛線を棄ててまで軍を引かせるような事態なのか。

 急いで部隊を本陣まで向かう中で、天へと走る一条の光と地を揺らす轟音が進行方向から確認された。


「間に合わなんだか。

拙いぞ小僧。あの小童め何が万全じゃか。あっさり殺られおったわ」


 今何と言った。

 燕尊様が小童と呼ぶのは、この戦場において一人しかいない。


「燕尊様、それは確かなのですか」

「呆けておる場合か。じきにここは地獄へ変わるぞい」


 今まで見たこともないような苦渋の表情を浮かべる邪仙のドスの効いた声に部下達は震え上がる。


「死ぬ覚悟はァ出来とるんじゃろう。

死んでも門は守らんとなァ」

「転進、門だ門へ向かえ。決して氾濫だけはさせるなッ!」


 防衛線を棄てて、本陣も棄てる。

 これはつまり敗北宣言だ。

 最悪の場合のみを想定した早期撤退である。

 完全に兵達は浮足立っている。

 それはそうだ、私だって何が起こっているのか判らないのだ。

 だがそれ以上に燕尊様の命令を実行出来なければ、もっと悲惨な未来が待っているだろう。


「モタモタするな、とにかく緊急時の撤退訓練を思い出せ。遅れる者は置いていくと伝えろ!」


 この後はただただ必死に、何も判らないまま走り、我々の通ってきた門の前に夜通しで陣を敷いた。

 燕尊様の仙術を重ねて要塞を築く。

 元からもしもの時のためと燕尊様の指示でここは整地済であり、陣営を造る手間はかなり省略できた。


◇◆◇


「あっちはもう駄目じゃなァ」


 この老将には何が視えているのだろうか。

 あれから二日経つが我々の陣への攻撃は小競り合い程度のもので大きな変化は無い。

 別の大隊にいた敗走兵から聞いたところによれば、あの日起こったのは想定し得る最悪の出来事だったのだという。

 北の魔王軍からの援軍を率いる将、ヤモツが本陣で突如乱心。

 西の魔王セプラはいち早く極光を以て応戦するも致命傷を負い死亡。

 魔王を殺害したヤモツは周囲の主だった将へと力を振るい、何名もの士官を道連れにしてからメルク率いる魔導部隊到着の直後に不利を悟り自刃した。

 私には一瞬その言葉の意味が判断できなくなっていた。何故ヤモツは裏切りを。

 北の魔王の差し金か。

 これは敵の計略なのか。


「しっかりせい小僧。考え込むより部下に指示を出さぬか、馬鹿たれめ」


 その声に我に返る。

 そうだ、理由や疑問に思考を妨げられてはならない。

 私は今や将の一人で、仙術の維持で自由に動けない燕尊様から部下を預かる身なのだ。


「まずは残存部隊について詳しく調査せよ。

周辺への偵察部隊を増員、孤立した友軍との合流を急がせろ。

既に二日経っているのだ一刻の猶予もない。

可能な限り見つけたらここは安全だと伝えろ」


 矢継ぎ早に指示を出す。

 我々の部隊の人数では門を二つは守り通すことは出来ない。ならば。


「例え敵に見つかろうとも構うな。

この門一つを死守するのであれば、敵がどれだけ来ようとも燕尊様のお力なら守り通せる!」


 残る二つの門の内一つは生き残っているであろう右翼のダノ・ダリ率いる東の魔王軍に任せる。

 西の魔王直轄だった中央門は破棄してでも残りの門を守り抜く。


「中央門には構うな。

あの先には既に我等南の魔王軍の後詰め部隊が待機していることだろう。

今回出兵出来なかったマルサス卿辺りが武勲欲しさに急いておられるやも知れんぞ」


 実際に異境の氾濫(スタンピード)が起こった場合に備えて門の外には部隊が用意されているはずだ。

 もちろんいつ起こるのか、起こらないかも知れない氾濫(スタンピード)を警戒して四六時中見張るのは難しい。

 だが気休め程度と分かっていても。言っている自分自身がそうであって欲しいと願うように、兵達もそう信じることにしたようだ。


「少しは気の利いたことも言えるようになったのう。

安心せい、今回の責任は儂が取る。小僧は生き残ることだけ考えておれば良い」


 実際、責任は重大だ。

 未だかつて魔神領域の異境で敗北は無いのだ。

 今回はアルラシア並びに世界の歴史上初めての汚点として記録されるだろう。

 燕尊様は自分の責任と申されているが、私も将の一人として責任を問われる。

 それならいっそ私が全面的に矢面に立って、今後も世界に必要な燕尊様への責任追及を少しでも減らすべきだ。


 いや、私は何を考えているんだ。

 もう生き残った後の心配とは随分と余裕があるものだな。

 生き残ることだけ考えろと燕尊様は仰られたのだ。

 まずはそれを実現させねばなるまい。

 願わくば、一人でも多くの兵を無事に帰還させられることを。


「女神様。どうか今一度、私に勇気をお与え下さい…」



[132]

 甘く見ているつもりではなかった。

 中央門の付近へ偵察に出していた小隊は生き残った西の魔王軍の魔眼将メルク率いる一団と接触。

 南の魔王軍の防衛線で合流するように呼び掛けたがこれを拒否された。

 本陣こそ陥落したものの、異境内の各地で生き残った将校達の部隊を集めて中央門の守備に再編する準備を固めているという。


「そんな、無謀過ぎる!

メルク殿以外の西の魔王軍の将軍達は本陣が落ちる前に最前線へ向かっていた。

敵陣内で分断されて孤立した部隊が後方まで生きて辿り着くなど到底不可能だ。

帰ってこれたとしても、とても戦力として期待出来るとは思えない!」


 聞けば生き残りを集めて再編された中央門の部隊には負傷者が多く、戦える者は全体の2/3がいい所。

 何より、本陣で後方支援を担当していた医療術を扱える者の多くを失ったのが決定的である。

 せめて戦えない怪我人だけでもこちらへ収容できないものか。


「すぐに動ける兵を集めろ!

この場を動けぬ燕尊様の名代として私が直接中央門へ出向いてメルク殿と交渉する」


 燕尊様は中央門は棄てると言ったが、敵の本隊が来る前ならば怪我人の護送をするくらいの時間はある。

 こちらの防衛拠点は十分な備えが有り、彼等を収容しても聖戦の終わりまでなら兵站を保たせられるだけの余裕があるのだ。


「それは無理じゃな。儂が許可せんわい」


 いつの間にか天幕の外で待っていた燕尊様が出立しようとしていた所を制した。


「何故ですか!

今ならばまだ助けられる、不測の事態を想定しての備えでは無かったのですか!」

「戯け小僧が!

友軍を助けんとする心意気は善い、じゃが負傷兵を受け容れに行って部下の命を引き替えにしては本末転倒じゃろう!」

「ですから時間が惜しいのです。

今すぐ行けば敵の本隊が来る前に済ませられます!」

「阿保め、西の小童が何故果てたかもう忘れおったか!」


 セプラ様の死因、北の魔王軍の四天王ヤモツによる乱心…。


「いや、まさかそんな。

あれが計画的なもので、燕尊様は他にもまだ同朋に紛れて刺客が潜んでいると、そう思っておられるのですか…?」

「有り得ぬ事が起こうとるから儂らは窮地に陥とるのじゃろうが。

安全な防衛線を張った程度で呆けとる場合か」


 燕尊様の言う通りだ。

 何を私は甘いことを考えていたのだ。

 守りにばかり、生き残りの人数のことばかりに気を取られて肝心な部分を見ようとしていなかった。


「小僧。お主は強く賢く義に厚く、今どき珍しいくらいに真面目な好青年じゃが、将としては若く優し過ぎる。

良いか、初陣の将に課せられとる最大の戦果は生き残ることじゃ。

仮にも将なら魔眼の娘の意をもう一度よう考えるんじゃな」


 その通りだ。

 生き残る。言うは易いがそれは一般の兵と違い、将校であれば場合によっては他者を切り捨ててでも必ず生還するという意味だ。

 この場合はメルク殿をお救いした上で怪我人を護送するならともかく、防衛線を守る部下の命を危険に晒してまで怪我人だけを死地から連れ帰るのでは釣り合いが取れない。


「申し訳ありません…」

「全く、爺に何度も同じ事を云わせおって。

儂が耄碌したらお主が背負って帰るんじゃぞ」


 おそらくメルク殿も中央門の放棄を拒否したのは西の魔王軍の暫定指揮官としての立場から、生き残っている東と南の魔王軍を生還させる為に囮となる決断をしたからなのだ。

 それに聖戦には時間制限がある。

 例えどれだけの被害を被ろうとも籠城戦で門を守り抜ければ敗北にはならない。

 そしてその場を動けない負傷兵であっても、籠城戦であればまだ戦い方次第では役割を与えられる。


「エギム様!」


 横合いから飛び込んできた人影に反応出来たのは部下の咄嗟の呼び掛けのお陰だった。

 確か周囲の哨戒中に保護した負傷兵、いや刺客か!


「■■■■■、■■■■!」


 理解不能な言語を発して飛び掛かる人影の、その顔を視て一瞬躊躇してしまった。


「莫迦者がッ!」


パシャりという音と、一瞬視界を奪われた刺客へと意識を向けるや否や、直後に刺客の身体が至近距離で爆発した。



[133]


「小僧、返事をせぬか!

ぐう、雑兵共が、何をしとるんじゃ!

受け入れた兵に刺客が入り込んでおる。死ぬ気になって探し出さんか!」

「ゴホッ、エホッ。私は、大丈夫です…」


 凄まじい音と光に巻き込まれたが、直前に刺客が怯んだ一瞬のお陰で防御が間に合い大事には至らなかった。


「そうか…カカッ、驚異的に頑丈よのう。

爺に心配掛けさせるな莫迦者が」

「燕尊様…」


 まだ視界は戻らないが、刺客の爆散する直前に見せた表情が目に焼き付いている。


「我々は、何と戦っているのですか…」


 異境の聖戦は、その異境の出現領域の神と、敵対する邪神との間で行われる。

 そして、魔神領域の軍勢には魔神の仮面と外套で、敵の邪神の使徒達には邪神の仮面と外套で表面が覆われる。


「邪神の使徒じゃろうに。頭でも強う打ったか」

「違います。視えたんです、仮面の向こうの表情が、一瞬ですが…」


 だから視える筈が無いのだ。

 敵対する者の顔もハッキリとした姿形も。


「ッ…!小僧、指示を出したら上がれ」


 燕尊様は地面を隆起させて私達の会話が聞かれない様に高台を作り出した。


「敵は偽物の仮面と外套を纏っている。

隠蔽された識別に惑わされるな、精巧な物ではないから注意深く観ればすぐに分かる。

哨戒中の部隊にもすぐに通達せよ!」


 作りの粗雑さから、この聖戦が始まってから急造された物だと分かるが、邪神の使徒はとてつもなく知能が高い。


「小僧、何を見た」

「燕尊様。

いえ、咄嗟の事で動転していて、有りもしない表情なんてものを錯覚してしまったのかも知れません」

「云えと命じとる」


 感情を感じさせない平坦な声でそう命じる。

 しかし私は自分が視た物を信じられないでいるのだ。


「私の眼には、『人間』に視えました」

「小僧、そいつはここだけの話にせよ。

決して口外せんことじゃ」

「しかし、邪神の使徒は世にも悍ましい邪悪なる異形だと教えられてきました。

それに我々の仲間に化けるなど、そんな行動を取るなんて、あれではまるで…」


 遮る様に燕尊様の指が顔の前に出された。


「シーッ……。『今は考えずこの場は儂に任せよ』、良いな」


 仙術だろうか。

 指先へ意識が集中してしまい、周りの音や景色が認識の外へと追いやられる。

 そう言えば、爆発の直前に小さな魔力が目の前で弾けた様な感覚があったのを感じた。

 いや、違和感はそれだけでなく。  そうだ、あの爆発からは魔力を一切感じなかった。

 あれは…


「小僧、天幕で暫し休め。

警戒は儂に任せれば善かろうて」

「はい。少し頭を冷やしてきます…。

でもその前に部隊に指示を…」

「儂に任せよと云うたじゃろうが、莫迦者」


 そうだ。今の私は冷静ではない。

 爆発の影響もまだ残っている。暫くは燕尊様に任せて休息をとるべきだろう。


「ぬう、流石に効きが悪いのぅ。

じゃが休息は必要じゃろうて、聖戦はまだ終わらん。

無理にでも眠って貰わんと最後まで保たんわい」


◇◆◇


 敗北の決定した聖戦。

 その日を境に敗走した友軍の捜索隊を出すのを打ち切り、翌日から過酷な籠城戦を強いられる事となった。

 日に日にここへ攻めて来る敵軍の数が増えているということはメルク将軍率いる中央門の再編部隊は陥落したのだろう。

 いや、折角稼いで貰った時間で更に守りを強固に出来たのだ。

 ならば我々に出来るのは、せめて生き残った我が軍の被害を最小限にして異境崩壊までの間、守りに徹するのみ。

 何故あの一瞬だけ敵の姿が視えたのか、あの時私を救った小さな魔力は何だったのか。

 いいや、考えてもすぐに答えの出ない物はこの際全て後回しだ。


「(いや、案外あれが女神様のご加護だったのかも知れないな…)」


 私には部下達を故郷に帰し、この聖戦で起こった事実を持ち帰り敗北の責任を取る必要がある。

 死ねば敬愛する女神様の元へと逝く事が出来るのだろうか。

 いや、だとしてもそれは今ではない。

 どうせ死ぬならこんな訳の分からない世界ではなく、故国の土を踏んでからだ。

 まだ胸を張って女神様にご報告出来る成果を何も挙げていない。

 必ず生きて帰る…。



――――――――――



[134]

 その日、世界は凍りついた。

 あの常勝無敗の魔神領域の魔王軍が敗北したという報せが入ったからだ。

 聖戦での敗北とはすなわち、その領域の荒廃を意味する。

 大地は枯れていき、水は干上がり、農作物の育ちも悪くなる。

 更に敗戦時に処理しきれなかった敵軍の魔獣や魔物が門を通ってこの世界へと侵入し、より強大な力を得て人類に害なす存在となる。


 元より魔神領域は危険な魔物の跋扈する魔大陸。

 それが更に溢れ出した魔物の大群で蹂躙されれば、人々の住めない土地となるだろう。

 西の魔王セプラと付き従った魔将の4名も戦死。

 北の魔王軍と東の魔王軍の派遣部隊も全滅。

 残ったのは最後まで自陣営の門を守り抜いた邪仙燕尊率いる南の魔王軍と、僅かな手勢を率いて敵軍の目から逃げ続けていた東の魔王軍の将ダノ・ダリと僅かな兵だけだったという。

 これは敗北と呼ぶには生易しい。

 紛うことなき大敗である。


 しかし前評判通り大英雄邪仙燕尊は大敗の中でも部下の士官達をほとんど失うことなく、門にも敵軍を一兵たりとも近付けさせなかったのだという。

 これはますます仙術に興味が湧いてきた。

 そんな鉄壁の守りを築いた仙術とはどの様な理論で作用するのか、如何にして修得するのだろうか。

 事態を重く見た六神連盟はダノ・ダリ並びに燕尊と直属の部下を召還し、詳しい事情を把握するために聴聞会を開いているのだという。

 近く魔大陸に世界中の冒険者が集められて緊急クエストが発令されるだろう。

 各国から聖戦の英雄達が派遣されて氾濫で溢れた魔物の大討伐が実施される見通しだ。


「しばらく振りに魔大陸料理を食べたくなったので、旅行に行ってきたいと思います」


 とギルバートが言い出したので、こっそり執事長エスクラッドに告げ口しておいた。


「ギルバート先生。お嬢様の授業はどうするんですかっ」

「あっ。えと大丈夫だよ。

ちゃんと僕秘蔵の魔術書とか置いていくから。

それで勉強すればすぐに立派な魔術師になれるから、ね?」


 行くなら止めないが、ジェラルドかライドラスから許可は取るように。

 あとその魔術書たぶん上級者向けのやつだから。

 絶対に素人にやらせるやつじゃないから。

 エストバース王国も連盟への加盟国だ。優秀な冒険者を派遣することの御触は出るだろうから、それを待ってからの方が良いと思われる。

 旅費も出るだろうし、軍部も名簿作りやすくなるし、戦力把握もしやすくなる。


 これからまた世界は動かざるを得ないだろう。

 地神領域での辛勝。

 呪災による神子の喪失。

 魔神領域での大敗。

 既に海神領域は百年前に滅亡し、地神領域は弱体化し、魔神領域には大きな傷痕を残した。

 それは既に世界の半分の勢力に痛手を被らせた事を意味している。

 これから先に何事も起きない保証などない以上、時代は大きく移り変わらざるを得ない。

 着実に世界崩壊へのカウントダウンは進んでいる。

 出来うる限りの準備を、何が起きても対応出来るだけの備えを。

 私もまた世界の変化に適応しなければならない。






《余録》


第二章も完結しました。


増える新キャラ、増える謎、増える伏線。

情報量が多く、読み進めるのは大変かも知れませんが追って頂いてる皆様に感謝を。


ご意見ご感想等、頂けましたら幸いです。


第三章は物語時間では約4年半後ですが、その前に間章が挟まる予定です。

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