はじまりの虹
この作品には重要な要素や情報を敢えて語らなかったり伏せている部分がいくつもあります。
主人公の認識していない要素が欠落していたり、解釈の困難な場面や矛盾した表現も随所に見られると思います。
こうした手法に慣れていない方や苦手としている方にはかなり読み難い作品となっております。
投稿自体も初めてなので至らない点やご不快に感じられる部分も多々あるとは思いますが、今後ともお付き合い戴けたら幸いです。
(全体のプロットは完結まで出来上がっているので、後は何処まで形に出来るかの挑戦になると思われます)
【0歳児】
[007]
意識がある程度まとまって来たのは果たして良い兆候と言っていいものなのか。
イマイチはっきりしてなかった頃の方がずっと冷静で色々と合理的だった気もするが、きっと赤子の身体に定着してきたからこそ精神も引っ張られているのだろう。
ふははははっ。
なるほど、これが若返りと言うものなのか。
0歳児に出来ることなんてたかが知れている。
神眼を使えばありとあらゆる事を可能とするかも知れないが、この世界の事をよく知らない内に下手でもしたら大変である。
変に目をつけられたら今後の束縛が厳しくなりかねない。
リスクは負わなくて良い状況を作り出してこそ賢いというもの。浪漫より賢実こそがモットー。私は賢く生きる。
転生者の最大の強みは何かと問われれば、それはやはり前世の記憶というのもあるが、根本的に言えば意識がはっきりしていることだ。
何事も為すにあたっては意識を連動させなければ学習効率が悪い。
身体は幼児、頭脳も幼児だが、前の世界の知識だけは付属している。
そう、0歳児でありながら既にイケナイことだって知識がある。耳年増ならぬ脳年増、とはいえ脳も未だ発展途上。
赤ちゃんは天才という説があるように今ならどんなことだって学習できるし、逆に前世の知識のせいで成長に制限がかかっているとも考えられる。
理屈っぽい私は特にその傾向が強くなる可能性が高そうだ。
[008]
この世界には魔力が在るらしいのだが、転生者に区分される私にとっては未知のエネルギーだ。
ならば魔力の循環や操作を試してみたいのだが、果たして魔力操作なんてものは赤子の身体に悪影響がないものだという保証はあるのだろうか。
そもそも私の知識にある魔力の概念と、この世界の魔力の概念が同じという保証も無い。
こんなことを考えることになる辺り、私もまだまだ認識が甘かった。これは反省すべき事案だ。
ひとまず体内魔力器官を酷使するのは一旦お預けにする。早急に情報を得たいところだが仕方がない。別の角度から成長のアプローチをしてみよう。
時間は有限なのだ。
まずは人気が無くなった時を見逃さずアイリスを使って、もし居るなら精霊を観たり魔力を直視してみよう。
出来ればアイリスに頼りたくはないが、身動き一つ満足に出来ない私にとっては唯一の世界に対する干渉手段である。
余裕の無い状況である以上、背に腹は代えられない。
なるべく普段は瞼を閉じたまま生活する。気配を感じよう。
視れば何でも解決する能力がある以上、視なくても何でもできるようにしてバランスを取りたい。
アイリスは便利だがこれに頼り切るのも考えものである。そもそも視るエネルギーは何処から賄っているのか、どうして干渉も作用も簡単に出来てしまうのか。何故自分を視る事が出来ないのか。
いずれ解る日は来るのかも知れないが、それまでは最低限の使用だけに控えておこう。
[009]
赤ちゃんは天才というのはどうやら本当らしい。
触りの部分だけはアイリスを使ったが、視える物は在るのだという認識が功を奏したのか、五日で生物の気配を察知するコツを得た。
だがまだ瞼は開かない、私の瞼は鉛のように重たいのだよ。ふふはははっ。このままどこまで能力が伸びるのか試したい。
早速だが修得した感知で辺りを見渡す。
おっと乳母さんや、ご機嫌な赤ちゃんはお気に召したご様子ですが、出来ればそっとしておいて貰えると助かります。
魔力関連は未だお預けにしているつもりだったが。
あれからまた数日後、どうやら盲目のまま魔力を視ることが出来るようになってしまった模様。実に興味深い。
しかしこれは瞼を閉じたまま眼で視ている状態であると推測される。明らかに逸脱しているので少し練習してから封印する。
感覚を掴んでいれば似たような状態に陥りやすくなった際に軌道修正判断が的確になるので数時間だけは慣らしておいた。
翌日には生体感知に魔力感知が追加された。魔力を認識したおかげで感覚を掴みやすくなっていたのかも知れないが、
成長の矯正に繋がるので素直に喜んではいられない。変な癖を付けずになるべく天才状態は維持したいのだ。
しかしながら新たな能力を得る度に全能からは遠ざかり万能へと近付く、それが成長というものなのかも知れない。
万能から最も遠い存在である何も出来ない赤ちゃんこそが、あらゆる可能性を持つという全能の存在なのだと今ならそう思える。
今はまだ、この何も出来ない全能感を揺り籠の中で噛み締めよう。今後の成長が実に楽しみだ。
[010]
生後約二ヶ月、虚弱故に移動させるのも危険と判断されているのか、未だに母との触れ合いは無い。それがとても落ち着かない。
転生者としての自我が赤ん坊としての自我に引っ張られているのは認識しているが、母が側にいないというのがこれほどまでに苦痛であるということを完全に失念していた。
寂しい、悲しい、怖い、不安、心が…寒い。
これは明らかに成長に支障をきたす事態であると断言する。
全能の天才期間にこのストレスは明らかに悪影響であり、大いなる損失だ。
ストレスは急激な成長を促進する効果はあるが、それは無理やりの成長である。
本来ならばピース一つ一つを埋めていってから完成させるべきパズルを、繋がりをほとんど無視して僅かな時間に糊で無理やりくっつけて完成させるようなものだ。
当然だがちぐはぐで脆く、くっつかずに余ったピースは散らばったままである。
実に損益が大きい。
見込めるはずの地盤固めや土台を強固にせず過程を飛ばして次の段階へと進出させてしまうのは、時短にはなるが天才期間を短くする結果となり明らかに悪手である。
だが、早く母に会いたい。触れ合いたい。早く。
この気持ちは、今の私には抗い難い。
私は決断した。ここに居る私こそが親であると。
このまま生みの母を母として認識し続けるのは私の成長を妨げる。
寄り添い温もりを与える存在は身近に感じられなければ万全の成長が望めない。
我ながら転生者の勝手な都合による判断ではあるのだが、この子には親が必要なのだ。
私は初めて自分の都合でアイリスを使って生みの母の記憶を薄めた。
本当に申し訳ない。
本来ならば謝っても謝りきれない程の残酷な決断を、こうも短い時間で導き出せる己の倫理観の薄さに、この時ばかりは罪悪感を憶えた。
いや、それは言い訳の為に憶えたのだ。
この判断は間違っていないはずだ。
あの胸の痛みと、この染み渡る胸の暖かみがそう確信させるに足る根拠だと、そう思い込むより他なかった。
[011]
ある日、家に客が来た。
相変わらず目は開かず、耳も反響が大きくて聴き取り辛いが、少しずつ言葉は理解はしてきている。
私はというと日課の気配感知範囲と精度向上訓練に努めていた。おかげですぐに察知したのだが。
どうやら医者らしい。
魔法のある世界で医者。いつもなら不必要な要素は成長や思考の妨げになるので気を割かないのだが、教会に権威があり治癒魔術らしきものもあるのになぜ医者が必要なのか疑問に思った。
祖父の体調が悪いのだろうか。今朝も庭で剣を振るっていたはずだが。
実は隠された病が発覚したとか。
例えば癌であれば傷を治す魔術での治療は難しいだろうが、それが解るほど医療技術は発展してるのだろうか。
自分の可能性も考えたが、私の場合は衰弱に類する呪いであると言われているため教会の管轄である。
ちょくちょく教会の関係者が訪れては呪いの定期検診をしていったり、悪魔祓いめいた儀式を受けた事もある。当然だが効果は全く無い。
であれば今更医者の出番でもなかろう。
と思ったが、医者は祖父母と共に私の部屋へと入ってきた。
どうやら私だったらしい。
何か不味いことをしただろうか、実は目で見てないから気付いてないだけで皮膚病とかでも患っているのだろうか。
いつも通り頭痛や身体の不調で慢性的に苦しいだけなのだが。
そこではたとあるかのに思い至った。
医者は目を開けない赤ん坊を診に来たのだ。
[012]
見えるのに目を開けないことを気付かれる可能性を考えるより前に、視る力を悟られるのがまずい。
どうすべきか、診る前に問診をしている祖母と医師の会話を盗み聞きながら対応策を講じる。
目こそ開けていないがなるべく余計なことはしてこなかった。
赤ん坊のすることなんてそう多くない、愛想は良い方だと思うし変に魔力を使ったりアイリスも使わないようにしてきた。
せいぜい軽い自己暗示や記憶整理程度だ。
下手に色々考えると脳の発育にクセが付いてしまうので避けたいのだが。
大人になればクセを重ねていくことで複雑な処理を効率的に行えるようになる。
最適化すればするほど脳の整理が上手くいっているため仕事のデキる人間足り得るが、赤ん坊には必要ない。
無限の可能性を思考の最適化なんかで失うのはご法度だ。私はそれを望まない。
結論。ここは一つ、無になろう。
アイリス封印、各種感知センサーオフ、思考力の低下、医師が帰るまで実行。
[013]
医師の検査が始まった。瞼を触ったり、ルーペで観察したり。なんとも不安で不快なので泣いた。
無、私は無、赤ちゃんが泣くのは当然。乳母があやして宥めてくれる。
落ち着いたら口を開けさせられたり触診したり、関係なさそうなこともしてくる。家族以外に触られるのは大変不快である。
イカンイカン、無だ。
無と一言で言うのは簡単だが、実行するとなると難しい。今は赤ちゃんなのだ。
そりゃもう本能のままになるより他無いのだ。
瞼を無理やり開かされたが異常は見受けられず原因の特定には至らなかったようだ。
産まれて初めて観たものが名も知らぬ医者なのは嫌なので祖父母の気配があった方へ視線を向けておいたことで、何とかファーストウォッチは祖父母であったことがせめてもの救いか。
貴族に呼ばれたことで何とかしようと躍起になって原因究明に積極的になりそうな雰囲気を察したがどうすればいいのかわからない。
私は今、無なのだ。
突然だが、視覚情報とは実に膨大である。
人が世界を認識したり情報を得ようとすると、その大部分は視覚によって賄われる。
視覚情報を得られない者は聴覚や嗅覚や触覚で補おうとするため、視覚で使うはずの情報処理能力を割り当てて、より鋭くなる傾向にある。
では逆の場合はどうなるだろうか、今まで視覚という情報源を得ていなかった者が突然膨大な情報を認識する。
それは乾いた砂漠に雨を与えるようにあっという間に吸い込まれていく。
その勢いは赤ん坊の天才の脳には大洪水だった。
それこそ、他の事に割くリソースを全て費やすほどに。
全力を傾けてしまった。意識が、思考が、全身の筋肉すらも。
油断していた。
本能のままの状態でこの濁流は私の全神経を視覚からもたらされる全情報の処理へと回されたのだ。
つまり、私は漏らしてしまった。
おしめの取替ということになり診断は終了した。
結果的に乗り切ったが釈然としない。
無、無とはいったい…。
[014]
先日の検査結果、問題なし。
視えているようだが視神経が未熟で強い光を好まないのではないか、というのが医師の見解。
そういう例は大して珍しくないので成長すれば自然と目を開けるようになるため心配しなくて良いとのこと。
あまり長期間続くようなら再度診断に来るというから注意しておこう。
今しばらくは大丈夫だろうが盲目トレーニングはどこかで切り上げなくてはならない。
目を開けないことを心配したのはどうやら乳母さんだったようだ。
私に最も接しているだけあって様々な事に注意を払っているらしい。
心配かけたのは申し分ないがこれは訓練なのでどうか気に病まないで欲しい。
余談だが私が診断の際に祖父母と共に初めて観た乳母はアンネ。
実に柔和な笑顔が似合いそうな若奥さんといった雰囲気だった。
心配そうに覗き込むあの顔は記憶フォルダにしっかりと記録された。
この人の母性は疑いようがない。
祖父はジェラルド。
ダンディな髭面の美形中年だった。
精悍で少々眉間のシワが深くてやや厳しい雰囲気だったが、孫が可愛くて可愛くて心配で仕方ないのは目を観れば伝わってきた。
祖母はプロシア。
ひと目見て前の人生の記憶の誰よりも美しい。
理知的な切れ長の目に宿る意思が強そうで、全身から気品が溢れている美女だった。
どう観ても二十代といった風貌だったが、耳が長く神秘的なオーラに包まれていて人間ではないのはすぐに解った。
あとスタイルが良過ぎる。
医師は、いいか。
重要でないフォルダにしまっておこう。
余計な情報は成長の妨げと割り切っていたが、私を心から心配する乳母と祖父母の顔を見ることは悪影響ではないはずだ。
それで多少のリソースが割かれることは含み損として仕方ない。
だからこれでいいのだ、きっと。
[015]
今更だが、私は前の世界での記憶が一部不明瞭であり、それが影響してなのか性格も少々異なっている気がしている。
顔も名前も思い出せない。
それでも不確かながら前は男だった様な気もするのだが、今生では貴族令嬢になってしまった。
性差の少ない幼児期はあまり気にならないが、いずれこのことが精神に影響を与えるのではないかと懸念している。
出来れば成長過程で悪影響のない環境を望みたい。
そんな私に凶報が届いた。
0歳児で婚約締結である。
実に大貴族らしいスピード婚活。人生に無駄な時間を割かないという点においては評価できる。
だが待って欲しい。
こちらは相手の顔を見てないどころか親の顔すらまだ見ていない。
祖父は私の前まで来て皇子の婚約者になったことを報告してくれた。
しかもご丁寧に嫌なら断ってくれて良いとまで言ってくれたのだが、無茶を言わないで欲しい。
まだ声帯は未発達で言葉は話せない。
身だしなみには気を使っているのだろう、祖母が長命種なのも関係していそうだが、祖父の口は臭わなかった点は安心した。
悪影響が出ても困るのでこの話は記憶には留めておくものの私的重要フォルダには入れないことにしておく。
もっと大きくなってから考えよう。
[016]
姉の話をしなければならない。
長女セシリアはとにかく元気だ。というよりガサツだ。
私より6つ上で元気に走り回っている。というよりじっとしていられない。
そしていつも二女のミルミアナと一緒にいる。
何故突然姉の話を始めたのか。
それはごくごく単純な理由からで、王都から遠くの領地にあるこの別邸へわざわざやってきたからだ。
実に騒がしい。
私は今とても忙しいのだ。
今日だってこれからお昼寝の時間だというのに、余計なことをされて余計なノイズを成長過程にある脳に植え付けられてはたまったものではない。
子供のすることにいちいち文句をつけるのは大人気ないとは思うがこちとら赤ん坊なのだ。
今はとても大事な時期だから変に刺激しないでもらいたい。
仕方がないのでこの状況でもできる訓練をしようと思う。
周りの喧騒に耳を傾けず己の内側にだけ精神を集中する。
つまりは瞑想だ。
外界と完全に隔絶した精神内にのみ自己を投影するのは、言うは易いが実行するのは難しい。
何故ならば私は常日頃から周囲の情報を得るための訓練ばかりしていたからだ。
逆はすぐには実行できない。
セシリアは祖父の護衛騎士ベルギオンに剣の稽古をせがんでいる。
その年で女の子が剣の稽古とは些か早い気もするが、というよりわんぱくな子供に長物を持たせてもろくなことに使わないとは考えないのだろうか。
気配からして勢いだけで振り回してるようだが、動きは軽く剣の扱いは意外と丁寧である。
対してミルミアナは野生児の動きをするセシリアと違い冷静に相手の動きを見ながら剣を振っている。
冷静なのは悪いことではないが、じっくり見てから振るのでは遅いのだ。
ましてやお子様、後の先を取れる技量があるわけもなく。
いやいやいかんいかん、私は自分の修行に集中するのだ、己の内側へ精神を向けろ。
私は無だ。
いや無はダメだな、また漏らしてしまうかもしれない。
幸い祖父母は庭に出て姉二人の相手をしたり観戦したり、使用人達は邸宅内で食事の準備をしている。
今なら邪魔も入らず集中できる。
一説によれば集中とは一種の緊張状態であり、全身の緊張状態を徐々に抜いていくことで反動でリラックス状態になるのだという。
私は陽気の中で緊張状態からリラックス状態へと移行したのである。
つまり、眠ってしまった。
元々お昼寝の時間だったのだから仕方ない。
[017]
赤ん坊とは実にままならない。
腹が減れば危機感から泣くしかない。
お漏らしすれば不快感から泣くしかない。
長時間人と接してないと不安感から泣くしかない。
疲れたら眠ってしまうし、起きたら起きたで見知った顔がないと泣きたくなってしまう。
つまり、私は目が覚めて泣いてしまっているのだ。
誰か早く何とかしてほしい。理由や原因は特に思い至らないがとにかく何とかしてほしいのだ。
泣きながら泣き声の煩さにうんざりする。
実に騒がしい、私が。
今日は姉二人の接待に使用人もバタバタしており、いつもより泣き声に反応してやってくるまでのブランクが長い。
おかげで泣き疲れてしまった。
これでは訓練どころではないではないか。
私はなるべく前世の人格で余計な成長阻害をしたくないので、割とリヴィア本人の本能部分を抑制しないようにしている。
これは推測なのだが、大抵の転生者はやたらと手の掛からないマセた赤ん坊をしているのではなかろうか。
それをしては人格形成も前世に大きく引きずられ、成長を早めることになるだろう。
早熟なのは同じスタートラインに立つもの同士では有利に働く。
早く大人になった方が筋力も知性も上回れるのだから当然である。
しかしそれは一過性の成長に過ぎない、と私は考えている。
急激な成長は成長率の天井を低くする。
12才で急成長を始めて15才で成長の伸びしろがほとんど無くなる者と、15才で急成長を迎えて18才で成長の伸びしろを無くす者とでは、最終的な到達点に平時の3年分に相当する違いが出るものだ。
もちろん成長の質にも左右されるし、理性的に効率的な成長を調整して行えばそれだけ伸びる量は上がるだろう。
転生者の多くは効率化にばかり目が行き、急成長ラインを見落としている可能性が高いと推測する。
私の目指す理想の成長とは、なるべく長く、いつまでも伸ばし、且つ質の良い成長をすることにある。
つまり急激に大人になってはいけないのだ。だから泣くし漏らすし手が掛かってなんぼである。
アンネには感謝してもしきれない。
これからも大いに手を焼いて欲しい。
世の転生者諸君、私は君達より更に上を目指す。
例えば、成長期が遅くて周りの声変わりの早い連中にどんどん差をつけられている子ほど、他者より長く成長できる可能性を秘めている。
時間は大事だが決して急ぐことなかれ。
子供の可能性を最大限に高めたいのなら、尚さら急がば回れである。
[018]
私には姉が三人と兄が一人いる。
長女セシリアと二女ミルミアナとは今日初顔合わせである。
セシリアはとにかく活発で男勝り。
王家の子息と婚約させようとしたが失敗したみたいだ。
何かやらかしたに違いない。
ミルミアナはセシリアといつも一緒にいる。
どこでも一緒でまるで双子のようだが、同い年の年子というやつだ。
三女はドルセーラ。これといって話題にならず話が出ないので不明。
長男はジェイムート。私より少し早く産まれたらしい。
ファナリア大公家で待望の男児ということもあり話題が豊富。
家族が女ばかりで苦労しそうだ。
強く生きろ。
そうして私はついにセシリアとミルミアナと対面したのだった。
対になるようにサイドテールにした髪型、同じデザインの服、どちらも明るいブラウンの髪色。
なるほど確かに双子に見えるが、性格は全然違うようだ。
さすがに姉の顔は隙をみて瞼を開けて見ておいた。
成長しても家族の顔と名前が一致しないのは困りそうだし仕方ない。
今日は泊まりで明日には両親の待つ領へと帰るらしい。
[019]
気になることを言っていた。
どうやら私の母だけが姉兄の母とは違うらしい。
これには複雑な事情があるのだろう。
だがしばらくは後回しの記憶としてポイだ。
夜までたっぷり寝たから目が冴えている。
昼間に出来なかった精神修行を始めよう。
瞑想するぞ瞑想するぞ瞑想するぞ瞑想するぞ。
修行するぞ修行するぞ修行するぞ修行するぞ。
最初はアイリスを使って簡単な自己暗示しつつ鍛錬をする。
導入さえ出来れば没頭するのは簡単だった。
さすがは赤ん坊、我ながら単純そのもの。
コツを掴んだので自己暗示無しでも試してみる。
赤ん坊という全能の脳は簡単にモノにしてしまう。
これは確かに、世の転生者達なら飲み込みが早くて成長を急いでしまうところだろう。
しかしこれはこれで危険だ。
のめり込むということは特化しやすくもある。
私の成長波形をこれで固定してしまうのは些か勿体ない気がする。
まだまだ試していないことは山程あるのだ。
実際に精神修行で成長させるのはまだ先にするべきだろう。
いくつか手応えを感じた。
まずは自分の体内エネルギーの把握が思いの外進んだのだ。
魔力の流れを感じ取った。
ちゃんと細かく診断したわけではないが、ざっくりとした見解ではぶっちゃけ私の魔力は正常ではなさそうだ。
何か色んな流れが混じっていて不純物が多く、深く濃く歪に淀んでいる。
下手に使えば暴発したり暴走しそうだ。
もしかしたら体内魔力の扱いには苦労するかもしれない。
こんな物を使って魔法を自在に扱えるとも到底思えない以上、何かしらの対策を講じないと普通の魔法使いになるのは断念せざるを得ない…。
こうした私の診断は当たるのだ。
生命力は弱々しかった。
実際虚弱だし、すぐ眠くなるし、頑張って乳はしっかり飲むようにしてるが、あまり量は飲めていないらしい。
普段からずっと苦しくて、頭痛が治まったことはないし、倦怠感には常々悩まされる。
これでは身体の鍛錬は他の子より遅れそうだ。
あまり手を加えるのは方針に反するのだが、そのせいで負わなくていいリスクを背負い込むのも考え物だろう。
少し気を遣って生命力の流れを正す努力はしておいた方が良いかもしれない。
霊魂は前者二つと比べてやけに大きく感じた。
転生者なんだからそんなものなのかも知れないが、加護も関係したりするのだろうか。
何にしろ強く感じたのだから、身体の出来てない内は霊魂の鍛錬をするのも有りかもしれない。
とはいえ、誰かに習った経験も無いのでどうやって鍛錬するのかは後日考える。
そして呪い。
明らかに強い。めちゃくちゃ強い。死ぬほど強い。
よく生きてるな私は。死ぬぞ普通なら。
よくわからないけれど呪いと呼ばれているこれは、実際には祝福なのだ。
何故そう言い切れるのか、それは私が手ずから選択して獲得したものだからだ。
転生時に自ら選択して受け容れた代償であり、命に関わる能力値と身体能力値に関する全項目にマイナスを受ける代わりに、少しだけ割り振れるボーナスが加算される。
項目としては【神の寵愛】、【神の恩寵】、【神の恩恵】、【神の加護】、【神の試練】、【神の重苦】となっており、試練と重苦がマイナス効果で前の四つはプラス効果。
六大神それぞれに設定可能だったので、せっかくだから全ての重苦を背負ってみた。
ここまで虚弱になると解っていたら取らなかったと断言できる。
良い子は決して真似しないように。
おかげで今日も絶不調である。
[020]
領内は収穫期を迎えているようだ。
具体的な月日はわからないが秋頃なのだろう。
私の拙い感知範囲では生命反応に絞っても邸宅周辺から半径500メートル、直径1キロ程度の円周くらいまでしか把握できないので領内の様子を直接窺うことはできない。
行商がたまに来る程度で来客もそろそろ下日になるだろう。
冬になれば尚更だ。
私はそれを待っていたのだよ。
使用人達は大変になるだろうが赤ん坊にそんなことは関係ない。
祖父母の相手をしなければならない回数は少し増えるだろうが、こちとら虚弱体質。
少し肌寒くなるだけで安静にさせられるだろう事は容易に予想できる。
実際には体内制御にも少し慣れてきて軽い体温調節くらいは出来るので、生活用の魔導具で快適な室内にいる限りは安全は確保されている。
つまり準備は万端なのだ。
この世に産まれて最初の冬。多分に心配をかけさせているとは思うが大目に見てやってほしい。
私は私の未来のために虚弱体質という免罪符を乱用させていただく所存です。
そもそもの呪いによる虚弱体質すらも自身で選んだものなのだから実に罪深い赤ちゃんだ。
性善説はここに否定された。
私は紛れもなく性悪説の申し子である。
[021]
概ね思考には二つの型がある。
一つはフォーカス型で、一点集中して物事に取り組むのが得意なタイプ。
利点はとにかく短期間に膨大な情報処理リソースを特化して注げるため、習熟が早く完成度も高い。
欠点は集中できない時のパフォーマンスが激減することと、他の事や時間感覚がルーズになり疎かになりやすいこと。
計画を建てられず、中々思う通りにはなりにくい。
もう一つはマルチタスク型で、複数の物事を同時に処理するのが得意なタイプ。
利点は無駄が少なく切り替えが容易で、きりの良いところで保留にしやすいことと、他の事にも気が回るので時間管理がしやすいこと。
同時に複数の経験値を回収できるため総合的な能率が段違いに高く、小さなトラブルも対処しやすい。
欠点は物事を深く習熟することが苦手で器用貧乏になりがちなのと、情報処理の簡略化に慣れてしまい思考の幅を減らしてしまうこと。
一般的に男性はフォーカス型の割合が多く、女性はマルチタスク型の割合が多いとされている。
どちらを選んだとしても片方の長所はもう片方の短所となるため実に悩ましい問題なのだ。
これはその人の性質そのものと言っても良いものであり、フォーカス型の人がマルチタスク型の訓練をしてもなかなか伸びないし、逆も然りである。
そこでこの私、果たしてどちらのタイプなのか。
前世では男、今生では女。
向き不向きはあっても上手くやればどちらも高水準で習得できるのではなかろうか。
ちぐはぐな魂と身体の設定はこういうところで真価を発揮させられないものだろうか、と考えている。
もちろん一筋縄ではいかないだろう。
そもそもフォーカス型とマルチタスク型は表裏一体なのだ。
片方を立てれば片方は立たない。
折衷案としては数を絞ったマルチタスク型というのもある。
マルチタスク特化なら労力次第だが4つ5つも同時にこなせるようになるが、ここを敢えて2つや3つ限定にしてそれぞれの精度をフォーカス型に近付ける。
つまりハイブリッド型という方向性もある。
半分想像だが、フォーカス型が後年に身につけたマルチタスクは数こそ抱えきれないが、訓練次第でハイブリッド型なら扱い切れるのではないかと推測できる。
もちろん無理をして精度をいくら落としても良いのであれば無茶なマルチタスクも可能だろうが、そんなものを私は求めていない。
前置きはこのくらいにしておこう。
要するに私はフォーカス型の利点とマルチタスク型の利点だけを得たいのだ。
それは無茶であることは説明の内容から察するだろうが聞いてほしい。
私は今奇跡の存在、すなわち自然が生んだ全能存在である赤ちゃんなのだよ。
[022]
さっそくだが私はこれから自己暗示有りと暗示無しを時間で交互に切り替えながらフォーカス型とマルチタスク型をそれぞれ訓練してみるつもりだ。
台所から芳しい香りが漂っているが集中しなくてはならない。
先日感覚を掴んだ体内魔力や生命力の循環や霊魂に関する知覚や操作をこれで行っていこうと思う。
何だかんだで体調不良は改善したいし、体力の無さをカバーすればそれだけ思考や訓練に充てられる時間が増えるのだ。
なるべく早く手を付けたい。
ふむ、肉料理か。
乳しか口にしていない私には関係はないのだが、前世の記憶というやつは実に厄介極まりない。
香りから味が想像できてしまうのは本当に厄介だ。
これを意識の外に押し出すのは生半可なことではない。
しかし虚弱体質で成長不良ともなれば乳離れをして離乳食、固形食にまで行き着くのが遅くなる可能性が高い。
美味しいご飯のためにも今からできる準備はしておかなくては。
それにしても良い香りだ。
うん、目前に控えた収穫祭の準備中に集中力の要るデリケートな訓練は止めておいたほうが良いな。
まさか初日から躓くことになろうとは、おのれ肉。
成長したら必ず食してやるからな。覚悟しておくことだ。
いや、むしろ食の誘惑に打ち克つ方法を編み出すべきなのか。
食の時間を他のことに回せればいったいどれだけの効率になるか。
という考えでも誤魔化しきれない。
三大欲求を克服するのは長く辛い道のりになりそうだ。
[023]
慣れというものは成長ではなく適応である。
費やすリソースを簡略化して圧縮、余計な工程と熱量消費をセーブすることを指す。
私は食の誘惑に全力で慣れることでこれを打ち破ることに成功したのだ。
そもそも赤ん坊であるこの私リヴィアはまだちゃんとした食事をしたことが無く、前世の知識こそあれ肉体は条件反射を引き起こさないのだ。
気にならなくすることは思ったより容易であった。
よって兼ねてからの計画、フォーカス&マルチタスクのスイッチトレーニングを開始することをここに宣言する。
まあ、誰も聞いてないけど。
転生時に色々と無茶なビルドをしたおかげで私の体内環境は割とブラック企業だ。
正直ここで働くのは御免被りたい。
これからは心機一転、体内環境を改善してクリーンでホワイトな健康優良企業として再始動したいと思う所存です。
とはいえ、外科的処置をするでも医学的アプローチをするでもなく、あくまでも謎パワーで知覚した生命力循環の淀みを無くして流れを整える努力をするという程度のことである。
最初はフォーカスで細かいところまで丁寧に試行錯誤をしながら掃除と整理整頓をしていきます。
私が勝手に生命力循環(仮)と呼んでいるが、詳細は不明でただ何となくそういうものだと感じたのでそう認識した。
説明は難しいので割愛するが、ようするに氣のエネルギーみたいなものの廻りである。
自分のを知覚してからは周囲まで知覚範囲を拡げる努力もしてみたが、これが案外難しい。
接触できるほど近付いた人の生命力循環(仮)を知覚して比較してみたところ、明らかに私のは弱くて淀んでいたことが改めて判明したのである。
感覚的にそうではないかと感じていたがどうやら正解だったようだ。
仮にこの生命力知覚機能自体が氣(もう氣でいっか)から来るものであれば、改善することで拡張できる可能性が高い。
無理に今のままで訓練するより、まずは自分の内側からだ。
そういえば何かで氣を扱う修行もまずは内功から鍛えると聞いた気がする。
詳しくないのでよくわからないが、おそらく長い年月をかけて培ってきたノウハウから導き出された最も効果的な鍛錬手順だったのだろう、と仮定する。
前世の世界の先人の知恵がどこまでこの世界でも通用するかはわからないが、誰に教えて貰える状況でもないのだ。
どうせ手探りなら聞き齧りでも何でも使わせてもらおうではないか。
いずれは金色のオーラだって纏えるようになるかもしれない。
そうなったらスーパーイノセンティアを名乗ろうか。
[024]
認めよう。フォーカスでの作業は正直楽しい。
対してマルチタスクは正直楽しくない。
わかってはいたが前世の私はフォーカス型だったのだと改めて痛感した。
今生においては確かに楽しくはないのだがマルチタスクもすんなりこなすことが出来た。
リヴィア自身はこちらの方が向いているのかもしれない。
こういう前世の自分とリヴィアの違いを知ることは不思議な感覚だが悪い気はしない。
とはいえ、感覚的にコツを知っているフォーカスと向いているマルチタスクの両刀なら実現も不可能ではなさそうだと光明が見えた。
前世でも大変優秀な者には両刀を実現していると思われる例を見たことがある。
それなりに高水準なものは非常に珍しいが居ないわけではないのだ。
ならば赤ん坊でありながら意識して両刀を訓練する私であれば、特化水準と遜色ない両刀も狙えるかもしれない。
転生特典とは与えられた力が全てではない。
本来自意識が芽生えない段階で条件そのものを活用する手順が踏めることが何よりの恩恵なのだ。
人の脳そのものが成長する期間は本来効率的な自主学習には充てられない。
それを無視して膨大な知識と大人の知恵と理性を以て成長を操作するということは、即ち有り得ない成果を得ることを意味する。
そうして私は氣だけでなく魔力や霊魂へのアプローチもフォーカスとマルチタスクで行なっていった。
何日かかけて実験した結果、霊魂→氣→魔力の順に訓練していくのが現状では一番良いと判断した。
それと時間配分は短く区切って一日に何度も繰り返すより、一日でじっくり一周させるほうが習熟率が高いことが判明した。
判明とはいってもやはり感覚的にそう感じたというレベルの問題だが、この感覚は前世でも外したことがないので信用している。
だが、私はここで小さなミスを冒してしまった。
[025]
私の失敗談の前に説明しておく。
霊魂→氣→魔力の順番で循環の整理を行ってみたわけだが。
霊魂は正確には循環ではなく力の色や波動を知覚したり操作することに専念した。
うまく波動を乗せると氣や魔力の操作が面白いほど楽になるのだ。
氣は霊魂と連動している部分が多く、片方ばかり訓練しても効率は良く無さそうだと感じた。
霊魂の圧力を上げた状態なら流した氣を保持しやすくなり末端まで衰えることなく行き渡らせられる。
魔力は霊魂や氣ほど難しくは無いみたいで、知覚も操作も何ら苦もなく上達した。
一日じっくり時間をかけて3要素をフォーカスとマルチタスクを駆使して訓練したわけだが、ここで問題が起こった。
他二つより調子が良い魔力訓練は力の量を増やしていく実験をしてみたところ、祖母が慌てて駆け付けてしまったのだ。
間の悪いことにフォーカス中にである。
どうやら庭でお茶をしていたところ、魔力を感知して慌てて様子を観に来たようだ。
先に弁明させてもらいたいのだが、決して調子こいて膨大な魔力を使ったりしたわけではない。
大事になるような真似はしないし、勘付かれないように注意を払っているのだ。
それでも感知されたのは、ひとえに祖母の感覚がとてつもなく鋭かったからである。
[026]
祖母の話をしよう。
この件で初めて知ったのだが祖母は世界有数の大魔導師(博士号のようなもの)らしく、【賢者】と呼ばれる称号まで与えられている。
若くて綺麗なエルフのお姉さんにしか見えないが、祖母である。
実際に種族的な年齢で言えば若いので印象は間違っていない。
毎日朝と夜に顔を観に来るのだが、私のベッドに悪夢を観ないためのおまじないを掛けてくれる。
この世界に魔力があること、魔力は身近にあることを知るきっかけとなったのも祖母のお陰である。
本来ならハーフとはいえ天空人の血を引く者は浮遊大陸で暮らさなければならないが、若かりし頃の祖父があげた偉大な功績から結婚が許されて人間族の国で暮らしているのだという。
加えて森人王族の血を引いており、一流の精霊使いでもあるらしい。
負の力に敏感な精霊は強力な呪いを嫌うらしく、そのため私の側にいると働きが悪くなるため普段は外でしか行使していない。
今日はたまたま庭で精霊を使ったところ、精霊が妙な様子だったため魔力感知系の術式を使用したら私が引っ掛かったようだ。
偶然が重ならないと発覚しない程度には上手くやっていただけに、今回見つかったのは誤算である。精霊対策も講じなければならないか。
ともあれ、魔力暴走ではなかったことに安堵したらしいが、暫くは祖母が付きっきりになった。
大事には至らなかったので良かった。
何でも潜在魔力の高い子供はときおり何かのきっかけで暴走させてしまうことがあるのだとか。
それが原因で最悪の場合は命を落としたり魔力障害を負ってしまう事例もあるらしい。
祖母は自分の高い魔力が遺伝した結果で命を落とすような事があったら、と珍しく取り乱していた。
大丈夫ですお祖母様。暴走させないようにこれからも訓練は続けますので危なくなったらフォローお願いします。
いや本当に申し訳ないですが、これも将来のためなので…。
[027]
それからというもの、魔力訓練を始めるとちょくちょく祖母が部屋に来るようになった。
感度良好ですごい監視体制である。
心配なのはわかるけど、とても安定した運用ですので問題ないですよ。
何故監視されながらも続けているのか、それはお墨付きがあるからだ。
魔力に目覚めるとしばらくは慣れない体質の変化に身体がついて行けず、制御できない魔力が漏れ出てしまうようになる。
大抵は慣れるまで続いてしまうもので、これは私には当て嵌まらないのだが一般的にも常識らしい。
つまり祖母が過剰に反応しているだけなのだ。
何でも危ないからと言って物を触らせない、人を近付けさせないのと同じで母性の暴走状態。
過保護モードに突入しているのである。
もちろん漏れ続ければ魔力枯渇状態となり寝込むことになるが、前記の症状の子供は一度魔力枯渇を経験すると正常に戻るようになるのだという。
高い魔力を持つ身であれば大抵は通る道で、麻疹のようなものだと思ってもらっていい。
私は魔力漏れではないのでそんなことにはならないし、これからも続く予定なんですけどね。
既に季節は冬も真近だと言うのに、無理を言って医者が呼ばれた。
いやこれ医者の領分とは違いませんかね。
問診を始めたものの、やはり魔力関連だとすると医者より治癒術師や魔導研究者の分野であり、あれこれ質問責めにされる医師が気の毒だった。
ただ、体調に悪影響は無いどころか前回よりずっと良くなっていると聞いて祖母もようやく落ち着いたらしい。
結局日が暮れるまで拘束されて夕食を振る舞われてから帰宅の運びとなった。
早く帰してあげればいいのに。お寒い中ご苦労さまです。
[028]
冬の間は実に平穏だった。
何せここは大公家の邸宅。
防寒性能は完璧だし、食事も身の回りのこともバッチリサポート。
外も静かで来客も稀だ。
敢えて言うなら、私の部屋への祖父母の訪問回数と滞在時間が前シーズン比で20割増であることに戸惑っている。
虚弱体質のいくらかの改善が医師の診断で判ってからは、それまで自重してたお祖父ちゃんとお祖母ちゃんを思う存分発揮することにしたらしい。
これでは訓練に支障が出るのでは、と思うかもしれないがそこは既にクリア済なのだと言っておこう。
こんなときこそマルチタスク。
私は祖父母と触れ合いながら訓練をしているのだ。これがまた良い感じに負荷がかかる。
今までは気が散らないように独りで気のままに訓練していたが、今回は良い機会なので人相手をしながらのマルチタスク訓練に充てることにした。
事実を知っていれば、片手間で祖父母に付き合う赤ん坊という状況に観えることについては目を瞑ってほしい。
決して嫌がってる訳ではない。
同じ事をしていても単独と対人とでは全く違う手応えがあるものだ。
対戦ゲームを自分対自分でやるのと、自分対他人でやるのでは同じレベルであったとしても得られる情報や経験の質と種類に大きな違いがある。
もちろん相手がいるのに無視していつも通りを貫いていては何の成果もないだろう。
私は今までなかなか触れ合えなかった祖父母との接点を蔑ろにする気は無い。
それでもマルチタスクを行使するということは、どちらも手を抜かないことを覚悟して行うということだ。
どちらかに偏らないとやれない前提で捉えないで欲しい。
私が目指すのはどちらもやれる、デキるリヴィアなのだから。
[029]
あっという間に冬は過ぎた。
訓練は捗ったが、これといった事件もなかった。
ファナリア大公の所領の中でもここカルムヴィント領は比較的小さな領地らしく、わざわざ訪れる客もあまり居ないのだ。
冬が明けたら祖父は領地を巡らないとならないらしく、私が産まれてからは長らくここへ留まっていたが体調が安定したことで本格的に仕事を再開することにしたのだ。
私を産んでから具合を悪くしていた母の容態も気になるらしく、しばらくは静養している母の元へと向かうという。
父は第二夫人と共に静養中の母と私に掛り切りな祖父母に代わって仕事漬けの日々だったが、祖父の復帰で少しは多忙さが和らぐのだろう。
それはそうと、ついに私は体内環境の整理に一段落つきました。
他に何もしなくていい身に掛かれば体調改善の一つや二つ、やってのけることは…、決して容易くはなかったもののやってやれないことはなかった。
虚弱体質で体力の無い不健康そうな深窓の令嬢路線も傍目からすれば悪くはないという人も居るのかもしれないが、当事者にとっては死活問題。
健康に勝る財産無し。
都合の良いフィクションなら別だが、幼少期から闘病生活を続ける食の細い少女の身体は丸みの無いガリガリの不健康体になる。
骨は脆く血も薄く脂肪も無いため大人になっても身体は弱く肌はカサカサ、胸も尻も頬にも肉がない。
程度にもよるが重度なら子供だって産めないだろうし、それに魅力を感じる人がいるなら確実に異常嗜好者であるため基準には加えられない。
美しい少女をお求めならある程度の健康は最低条件である。
[030]
斯くして私は人並み以下ではあるものの、ようやく危険域からの脱却を成功させたのである。
とはいえ呪いはそのままなので根本的な体力不足や身体能力が低いことに変わりはない。
私が主にしたのは、低い体力と筋力により上手く寝返りがうてなかったり、自重で血流が悪くなったりといった、間接的に弱体の弊害で被った二次被害部分を改善させたことである。
ついでに氣を上手いこと廻らせながらストレッチして、多少は筋力と体力面の改善に着手することにも成功している。
今の私は純粋に呪いデバフだけを受けている状態。健康不良虚弱体質赤ちゃんから虚弱体質赤ちゃんへとランクアップを果たした。
デバフ分を相殺できるほどのトレーニングとなるとかなり難しいだろう。
私は呪いも盛り過ぎている。
だが諦めているわけではない。
今までのやり方では難しいだけだ。
これからは内側だけでなく外側へも目を向けられる。
監視の目も緩んでいるし、各種感知範囲の拡大や操作技術の着手も想定しておこう。
祖父が不在となると来客は少なくなるだろう。溜め込んだ仕事に追われて暫くの間は帰ってこないかもしれない。訓練をするにはとても都合が良いのだ。
ただまあ、祖父母揃っての触れ合いの日々がこれからしばらく無いのは少し寂しく感じる。
私はまだ赤ん坊なのだから。
[031]
身も蓋もなく言えば、神眼を使えば感知範囲の拡大など容易だろう。
見たいものを見て、感じたいものを感じられる。
しかしアイリスには成長を助ける機能は無いのだ。
例えばアイリスで遠くのものを視たとする。次にアイリスを閉じて遠くのものを視ようとしても再現はできない。
視えるもののイメージは得られるだろうが、それはかえって物事に対する先入観となり捉え方の視野を狭くする可能性すらある。
視ようとして視野を狭めるんじゃ本末転倒だろう。
よってアイリスには頼らない。
私のやっている訓練は他の転生者から見れば滑稽に映るのかもしれない。
言ってみればいつでもどこでも乗れる自動運転車を持っていながら、歩いて買い物に行くようなものだ。
人生で一度も地に足を付けずに生きていけるとしても、実際に歩いた経験が無ければ得られないものは沢山有るのだと私は思っている。
なに、アイリスの扱いを学ぶのを早めずとも成長したリヴィアならばどうということもあるまい。
先んず私がするべきは体内感知の別アプローチを探りながら外部の感知範囲拡張を狙ってくことだ。
まずはフォーカスで外部の魔力感知、氣の感知、霊魂感知を順番に試していくことにした。
[032]
実は魔力感知に関しては最初から確信があった。
リヴィアには紛れもなく魔力系の技術に関しては天性の才能がある。
実際に魔力感知をしてみたところ、ものの数時間で大公邸から少々距離のある街の外縁部までの感知に成功した。
だいぶ魔力を使ったが上々だろう。
おそらく魔力消費効率やら感知精度やらがまだ粗いのは間違いないが、そこは後で訓練メニューを考える。
今は要点を挙げておくだけにして次に取り掛かろう。
氣を感じる範囲の拡大は去年もやっていたため、すんなりと上手く行った。
体内環境整備で得たノウハウが活きている。
今や感知精度を上げることで人の区別ができるし、簡単な体調不良を見抜くこともできる。
例えば執事長のエスクラッドは少し膝の調子が悪そうだし、侍女長のフランシスカはあれは手荒れだろうか。
魔力感知と比べると距離は半分以下だが、見分けることや体調変化を感じるにはとても便利である。
最後は霊魂の感知なのだが、これは敷地内がせいぜいだった。それと別の問題点が出てきてしまった。
何か得体のしれないものが視えるのである。
それと魔力では光としか認識できなかった精霊も輪郭がちゃんと視える。
人型ではなく微生物っぽい。
霊魂感知と勝手に呼んでいたが、これは霊視と言われるものなのかもしれない。
これは憶測だが、霊視は一つ上のステージの視点を得ているのでは無かろうか。
なかなかに興味深いが霊視に関しては慣れるまで時間が掛かりそうである。
何となくだが一部のアイリスは霊視の上位互換のような気がする。
これは前提に挙げたアイリスは成長に使えないという見方は撤回する必要があるかも知れない。
アイリスと霊視を交互に使えば霊視の訓練になりそうだ。
しばらくはこれらの訓練を続けるとしよう。
時間はかかったがようやくスタートラインに立てたような気がする。
[033]
依然として体内感知はマルチタスクの時についでに行いつつ、私は外部感知に力を注いでいた。
ちなみに眼はまだ開けない。
外部感知が一段落するまでは盲目生活は続行である。
医者が訪問して定期検診を受けたが体調に関しては経過良好。
最近は夜になるとアンネが本の朗読をしてくれるようになった。
簡単な本なのはわかるのだが、本を読みたい欲求が日に日に湧いていく。
だが眼は決して開けぬ、開けぬぞ。
それと出来るようになったことが増えた。
どれも一般人でも訓練すれば可能なことばかりで転生者の凄さとは関係ないのだが、その一つが睡眠操作である。
寝ようと思えば寝れて、起きたい時間に起きれるのだ。前の世界の知識では、軍人であれば訓練して出来るようにするのだが、基本的に本能のまま生きる赤ん坊での修得は難しい。
無理に起き続けるのは身体に良くないし、まとまった睡眠時間を確保することは肉体の成長には不可欠なので、今のところ有効に活用できる範囲はかなり絞られる。
せいぜいが尽きた魔力回復のための昼寝の調整や成長ホルモン分泌に適した睡眠時間の確保、睡眠がぶつ切りにならないようにするといった細かい部分である。
氣のコントロールと組み合わせると相乗効果が期待できて、より効率的で快適な睡眠を取ることができるのだ。
寝ながら氣のコントロールという高等技術も一応は可能になりつつあるが、まだまだ改良の余地はある。
できれば氣の達人に直接指南いただきたいが、居るかも分からないし、赤ちゃんでは無理ですよね。
いずれ出逢うかもしれないその日まで地道に功夫を積んでおこう。
[034]
遊びとは学習である。
肝心なことである。にも関わらず思えば私はずっと訓練や体調管理にばかりかまけていて遊んでいないのだ。
ここ最近の楽しみと言えばアンネの読み聞かせる本と時折庭先で祖母が使う精霊を観察することなのだが、どちらも遊びではなく娯楽に近い。
赤ん坊の脳の無限の可能性に目が眩みすっかり失念していたが、幼少期に遊びを体験するのとしないのでは成長への影響が計り知れない。
遊んでばかりいないで勉強しなさい。というのが一般的なのかもしれないが、私の場合は逆なのだ。
勉強ばかりしてないで少しは遊びなさい。そう言ってやりたい。
しかしこの言葉の本当の意味は視点によって様々な解釈をされることだろう。
そもそも遊びも勉強もどちらも学習である。切り口が異なっていたり、使う分野が違っていたりするが基本的にはどちらも経験を積んで知識や知恵を養うためのものだ。
あまり同じことにばかり偏れば当然得られる経験も偏ってしまい、知識も知恵も偏ることになる。
遊ぶにしてもいつも同じ遊びばかりでは広い学習は望めず、成長の可能性を狭めることになる。
より多角的に多元的な成長の可能性を求めるのであれば勉強と遊びで区切るのではなく、どちらも混ぜ合わせた上でどの分野の何を学習させるのかをよく考えて与えなくてはならない。
算術を学習させたいのなら商売やカードゲームも教材足り得るのだ。
さて、そんな当たり前のことに気が付いた私としては遊びの取っ掛かりを得たいと思うのだが、果たして赤ん坊にできる遊びなんてものは都合よくあるのだろうか。
訓練をしながら探ってみることにした。
[035]
魔力チキンレース始めました。
ほぼ寝たきりの私にできる遊びとして力及ぶ範囲で可能そうな学習方法。
それは精霊や使い魔に魔力異常と判断されないように注意しながら魔力を強く練ることだ。
精霊や使い魔の知覚に気を配りつつ出来るだけ多くの魔力を練る。ただそれだけだ。
ルールとしては単純。
祖母が精霊を使うか使い魔が居るときに勘付かれないように魔力を練る。
上手く行ったらもっと練る時間を伸ばしたり、強く練ったりしてギリギリを攻める。
祖母が部屋に踏み込んだらゲームオーバーである。
負けたら祖母に心配をかけてしまうのだ。
できればそんなことはさせたくない。だから頑張って成功させつつ、ギリギリをどこまでも攻めまくる。
これは私の技術とセンス、感知精度と魔力制御能力を駆使した戦いなのだ。
大したことはしていないし面白そうに見えないだろうが、これが意外と楽しいのだ。
まるで悪戯をしているような感覚と、都度状況により探知範囲が変わる知覚のギリギリを調整して攻めるのは、無駄に高い自分の向上心を煽るのには十分である。
そして思っていたよりキツイ。
神経を研ぎ澄ませて刻一刻と変化する精霊や使い魔の動向を探りつつ、いつでも調整できるようにした魔力を練り続ける。
上手く行っている間はなるべく緩急を付けて警戒ラインを刺激する。
警戒してきたら振れ幅を変えて、より細やかにギリギリラインの探りを入れていく。
祖母の使役する梟の使い魔は年月を重ねているかなりの熟練者だ。
こちらより数段実力のある相手にチキンレースをするのは興奮する。
驚くほどのめり込んでいた私は、より複雑化したり難易度を上げたりしながら訓練に没頭した。
やはり遊びによる訓練の質の向上効果は凄まじい。
ましてや使い魔という意思をもった相手とする駆け引きは、独力でやる訓練より遥かに濃密だった。
より細かく動向を探るために霊視も織り交ぜてみたりもしたが、疲労のスピードが魔力のみの比ではなかった。
そして魔力制御も同時にするのは大変難しいと知った。
結局、祖母には何度か部屋に踏み込まれてしまう。
申し分ないとは思いますがもうしばらくお付き合い下さいませ。
[036]
魔力遊びについてはどうにかなったが、問題は霊視と氣なのだ。
氣の遊びとは何だろう。色々考えた末に導き出したのは真似っ子である。
知覚範囲内の誰かに焦点をあてて、氣の流れを真似っ子して全く同じ動きをするのだ。
生物であれば強弱はあれど、生命力の循環は行われている。
体内を廻りながら移動し、絶えず動き続けている。
これを見様見真似で同時に再現しようというのだ。
はっきり言って激ムズだった。
これは相当訓練しないと出来るようにはならなさそうである。
真似っ子は単純だが奥が深く、これまた相手のあるもので動きを予測しながら氣を操作するのはかなりの難易度。
我ながら恐ろしい遊びを考えついたものだ。
こちらは誰にも心配をかけず迷惑もかからないので思う存分やれそうである。
[037]
無意識とはままならないものである。
未だお漏らしはするし、夜不安になれば夜泣きもする。赤ちゃんですので、そういったことの我慢はしない方向ですくすく育っています。
意識的に行うのは訓練だけに留めて、他は本能や無意識に任せて余計な前世の経験で矯正はしない育成方針を貫いているわけですが。
氣の訓練での真似っこは無意識にベッドの上で奇妙な動きをすることにも繋がっていて。それを見た使用人が不思議な踊りについて祖母に報告してしまったらしい。
というのを医師の診断を受けながら現在の状況に至る経緯について話してるのを聞いた。
この医師も度々呼ばれるが、問題の多い赤ん坊だと思われているのだろうか。
それとも過保護な祖母だと思われているのか。
あ、いや違うねこれ。
この医師、真剣な祖母に迫られて容態を聞かれると少し赤くなってる。
いやわかりますよ、祖母とは言っても長命種の天空人と森人族のハーフですから種族的には人間換算だと20代ですものね。
しかもとびきりの美人ときた。
その気はなくても意識してしまうのは仕方がないのだろう。
だが、私のかわいいお祖母様に手を出すのは許しませんからね。
医師の方も無意識にじっと瞳から目を離せなくなってるとか、そういうのも駄目ですからね。
よし、眼の前で泣いてやろうか。
転生者としての理性を用いればどうということもないのだろうが、少なくとも私はリヴィアとしての意思を尊重するのだ。
不快なら泣く、赤ちゃん補正を舐めてもらっては困る。
おーよしよし、お祖母様の無意識に振り撒いた魅力から解放されたようだ。
正気に戻った医師はそそくさと診断を終えて帰途についた。
全くもって無意識というやつは…。