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第五話

 地上調整機関アースガルズ————この場所は神々が住んでいる天上に存在し、人間達が生活している地上を管理している。

 その場所で、アースガルズに所属する神様達は、地上における生物や資源のバランス・国や企業、個人などが適切な状態になるように、日ごと、システムを用いて調整していた。

 その中で、タソガレをリーダーとするチーム「ライジングフォーチュン」は、地上で困っている人間を、幸せに導く任務を請け負っていた。

 この話は、サクラ・ハヤテ・キラボシ・ミナモ・タソガレの五人が、地上のシステムを駆使して、悪徳業者から騙され続ける小野慎平に最良の仕事相手を巡り合わせるストーリーである。

 小野慎平には、世の中に「体に優しい料理」を広めたいという目的がある。果たして、彼は新しいパートナーと目的を実現できるのだろうか?


設定

天上:神々が住んでいる世界。人間が住んでいる地上と、お互いの行き来はできない。


アースガルズ:天上に存在する場所で、神々が地上に対して影響を与えることができる機関。


システム:神々が地上に影響を与える場合に使用するもの。地上で言うところのコンピューターである。


神様:天上に住んでいて、人間と同じ姿をしている。


上級神:アースガルズで大きな権力を持つ神様。


最高神:アースガルズで一番大きな権力を持つ神様。


管理項目:上級神以上でないと使用できない調整。地上のコンピューターや機械を操作することができる。


その他:上級神以上は、地上で発生した過去の映像を自由に視聴することができる。また、上級神の許可を得られれば、一般の神様も視聴することができる。


 1 小野慎平


 俺の名前は小野慎平。歳は三十五歳だ。俺は、以前は営業マンをしていたが、現在はキッチンカーでスイーツを販売している。この仕事を始めた理由は二つある。一つ目は、俺が極度の健康オタクで、体に優しい料理で他人を喜ばせたかったからだ。二つ目は、固定店舗を持つよりも、キッチンカーの方が開業資金も少なくて済むからである。キッチンカーの場合、固定店舗で開業する場合の、半分以下の資金で始めることができる。俺は、大学を卒業してから働き続けた会社の退職金で、この仕事を始めたのだ。

 しかし、現在、俺は、非常に後悔している。それは、仕事を始めてから半年が経過したが、一度も黒字になった月が無いからである。つまり、働いているにもかかわらず、貯金が減っていくのだ。

「ありがとうございました。」

俺は、自作のアイスクリームを販売した客に、挨拶をした。その後、本日の販売数量を確認する。

「今ので、十六個目か‥。」

俺は、落胆して、つぶやいた。空を見上げると、日が暮れかかっている。今日は、朝の十時頃から営業を開始した。アイスクリームは一個当たり500円で販売しているので、現在の売上は8000円である。材料代や燃料代を考えると、利益なんて無いようなものだ。さらに、キッチンカーは営業場所の所有者に出店料も出さなければいけない。今日はスーパーマーケットの前に出店していたので、店舗側に出店料を払っている。つまり、今日は大幅な赤字なのだ。


 俺は、今日の営業を終了して、自宅に帰ることにした。帰り道では、とても落ち込んでいた。なぜなら、赤字で終わってしまったからだ。つまり、今日は、働かない方が良かったのだ。しかし、働いた方が損をするなんて、おかしな話しである。

 俺は、自宅に到着してから、フランチャイズの本部へ相談することにした。赤字を回避するためのアドバイスが欲しかったからだ。早く改善案が欲しかったので、電話で相談することにした。

「もしもし、こちら、ロケーションキッチンの佐藤と申します。」

女性のテレフォンアポインターが対応してきたが、俺は担当者につなぐように依頼する。

「もしもし、私、小野と申します。今、加藤さんはいらっしゃいますか?私は、御社とフランチャイズ契約している者なんですが‥。」

「はい。まだ、社内に残っていたと思います。確認いたしますので、少々お待ちください。」

しばらくしてから、男性の声が聞こえてきた。俺の担当をしている加藤さんだ。

「もしもし、加藤です。お世話になっております––––小野さん、どうかされましたか?」

「はい。何度も相談していることですが、ずっと赤字から脱却できていない状態です。どうしたら良いでしょうか?」

「はい。いつも、同じようなことを言ってしまって申し訳ないのですが、キッチンカーの仕事って、結果が出せるようになるまで時間がかかるんですよ––––だから、小野さんが赤字続きなのも、別におかしいことではないんですよ。」

「はあ、そういうものですか––––ですが、早く改善したいんですよ。何かアドバイスいただけないでしょうか?」

「そうですねえ––––とりあえず、出店場所を変えたらどうですか?イベントなんかで出店すると売れますよ。特に、音楽関係のフェスなんかが最高です。」

「はい。では、都内のイベントで調べてみます。」

「それと、良かったら、ウチの会社から、プロのスタッフを派遣しましょうか?」

「え?プロのスタッフ?どういうことですか?」

「当社に所属しているスタッフを売り子として働かせることができるんですよ。」

「えーと、現状、お客さんを増やすことが目的なので、それは必要ありません。それが必要になるのは、お客さんが多い場所を確保できた場合ですよね?」

「まあ、そういう考え方もありますけど、販売はスタッフの人柄も大事ですよ?だから、どうですか?」

「でも、お金がかかるんですよね?」

「それは、当然ですよ!でも、売上を伸ばせる可能性があるので、どうですか?」

「そうですね––––提案はありがたいんですが、それは結構です。」

「そうですか––––では、他には聞きたいことはありますか?」

「––––いえ、他にはありません。お忙しいところ、すいませんでした。」

「はい。では、これで失礼します。」

電話は、それで終了した。

 ちなみに、今、電話をしたロケーションキッチンという企業は、キッチンカーのフランチャイザーである。詳しい人に説明は不要かもしれないが、フランチャイズとは、フランチャイザーと呼ばれる企業に金銭を支払うことで、フランチャイジーと呼ばれる店舗が経営支援を受けられる契約である。つまり、現在、俺は毎月の金銭をロケーションキッチンに支払うことで、キッチンカー経営のアドバイスをもらっている。

「でもなあ、なんでプロのスタッフを派遣するなんて提案してきたんだろう?––––加藤さんは知ってるはずだよな。俺がキッチンカー始める前は営業マンだったこと‥。」

俺は、加藤さんに疑念を抱いていた。なぜなら、加藤さんは「販売はスタッフの人柄も大事ですよ?」と言ってきたが、元営業マンである自分に対して勧めることではないからだ。営業マンだって、人柄は大事である。

 その後、俺は、晩御飯を食べ始めたが、今後のことで不安な気持ちになった。

「このままキッチンカーの仕事を続けても大丈夫なのかな?」


 2 フランチャイズ(小野慎平の視点)


 キッチンカーを始める三ヶ月前、俺は、フランチャイズの事務所で座学を受けていた。自分以外に、学習している者は三人いた。ホワイトボードの前で、ロケーションキッチンのスタッフが指導している。

「キッチンカーとは、日本では屋台が相応し、江戸時代が起源となります––––車両の使用は、オリンピック後に、モータリゼーションが進んだことに起因していて‥。」

俺は、キッチンカーの歴史や出店するときのポイントなどを延々と学んだ。

 そういった座学は数日に渡って行われたが、学習が終了したときに、担当者が紹介された。

「初めまして、加藤と申します。これから小野さんの相談役を務めさせていただきますので、よろしくお願いします。」

「はい、よろしくお願いします。」

フランチャイザー側の担当者とは、このときに初めて出会った。挨拶の後に少し雑談をして、その後、キッチンカーでの開業に必要となるものを紹介された。

「使用されるキッチンカーですが、これには三つの選択肢があります––––それは、新車として購入するか、中古として購入するか、またはレンタルするかです。その中で、私は新車での購入を進めます。理由は、長い目で見たときに、それが最もコストがかからないからです。」

「なんとなく、新車が、最も高くつくイメージがありますが、どうしてですか?」

「例えば、レンタルの場合、半年契約で150万円以上は最低かかります。それに対して、新車は一番大きい車両で600万円程度です。つまり、二年間以上の営業でレンタルの方が高くかかるんですよ。そして、同じサイズの中古で500万円なので、大してコストが変わりませんよね?」

「ああ、なるほど。確かに、そうですね。」

「小野さんは聡明ですね。先ほど、営業マンされてたって話されてましたもんね。計算が速いです––––まあ、とにかく、二年以内に辞めようとは考えていないでしょうから、新車購入がベストですよ。」

「はい。わかりました。」

その後、俺は、他に必要となる機材や備品、保険なども説明された。すべてを含めると、かなりの金額になっていた。それが終わると、次に、フランチャイズ契約の内容に関して、加藤さんは話してきた。

「それで、当社とはフランチャイズ契約していただくことになりますので、ロイヤルティとして毎月40000円を納金していただくことになります。」

「毎月40000円ですか。結構な額ですね。」

「そんなことありませんよ。はっきり言って、安いです。先ほどの座学で聞かれたと思いますが、この仕事の平均年収は700~800万円です。毎月のロイヤルティなんて、微々たるものですよ。」

「でも、本当に700万円以上の年収になるんですか?」

「ええ、あくまで平均年収なので個人差はありますけどね。ですが、実際にデータとして出ています。」

「なるほど、それなら前職よりも、ずっと良くなります。」

「そうですか。なんにせよ、今、この仕事を始めることは良いチャンスですよ!」

「はい。」

結局、俺は、新車で一番大きい車両を買った。また、加藤さんが勧めてきた機材や備品も購入し、保険にも加入した。


 これが、俺とロケーションキッチンが契約したときの出来事である。目の前にある晩御飯は、すっかり冷めていた。

 俺は、冷めきった食事を済ませて、イベントの予定について調べることにした。イベントでの営業が成功すれば良いのだが‥。


 3 パートナー


 ライジングフォーチュンの作業場で、各メンバーは大型モニターを眺めていた。画面には、小野慎平が映っている。

「なんだか、とても不憫に見えるね。」

そう話すのはキラボシである。キラボシは、暗い茶色のミディアムヘアをした美少年だ。白いシャツに藍色のネクタイとパンツを身につけていて、男子校生のように見える。

「そうだよ!働けば働くほど貯金が減っていくなんて、かわいそうだよ。」

サクラが答えた。サクラは、黄味がかった茶色いショートヘアをした美少女である。白いシャツに藍色のリボンとプリーツスカートを着用していて、女子高生のように見える。

「でもさ、本人にも責任はあるだろ?」

そう話すのはハヤテである。ハヤテは、オレンジがかった茶色いショートヘアの美少年だ。キラボシと同じ服装をしている。

「まあ、サラリーマンを辞めて、独立したのは、彼が自分で決めたわけだからね。」

ミナモが答えた。ミナモは、黒いロングヘアの綺麗な少女である。サクラと同じ服装をしている。

「だけどねえ、これは、ロケーションキッチンっていう企業が悪いわよ––––調べたんだけど、この企業は自社の利益が優先で、契約相手のことなんて考えていないわよ。」

タソガレが意見した。タソガレは、茶色いミディアムヘアをした美人で、スタイリッシュなデザインの制服を着用している。ライジングフォーチュンのリーダーで、管理や助言をする立場から、メンバーからは先生と呼ばれている。ミナモが答える。

「え?そうなんですか?」

「ええ、ロケーションキッチンの内部情報をハッキングしたんだけど、営業マニュアルに書いてあったわ––––相手側の懐事情を探って、できる限り高いものを買わせるようにしろって。つまり、相手が必要としているものを勧めるんじゃなくて、自社にとって一番利益になるものを勧めるようにするってこと。」

「でも、それって愚かですよね?ロイヤルティによる毎月の利益があるんだから、契約相手が廃業しないようにした方が、長期的に見ればプラスになるのに。」

「それは正論だけど、どうやら回転率を重視してるみたいよ。さっさと相手の貯金をすべて奪い取って、その契約相手が廃業したら、新しい希望者に乗り換えるってやり方。」

「なるほど、でも、それは最悪ですね。ロケーションキッチンの利益は大幅増益するかもしれませんが、関わった契約相手は揃って不幸にされるじゃないですか。」

「そういうことよ。」

タソガレがミナモに返答した。すると、キラボシがタソガレに話しかけてくる。

「それだと、今回は何をしたら良いんでしょうか?」

「えーと。今回は、小野慎平にパートナーを紹介するのが目的よ。」

「パートナー?」

「ええ、彼の仕事相手として適切な人材と巡り合わせるの。それで、彼の仕事を上手くいかせる。」

「なるほど、ロケーションキッチンって企業には、何もしないんですか?」

「ええ、それは最高神が対応してくれるらしいから––––『タソガレ君のところは、小野慎平のことだけ考えてくれればいいよ』って、おっしゃっていたわよ。」

「そうなんですね。」

「とりあえず、私が小野慎平に適切な相手を見つけておいたから、どうやって巡り合わせるか考えましょう?」

タソガレが、そう話すと、各メンバーはプランを考え始めた。


 4 前川恵一


 私の名前は前川恵一。歳は六十歳。。私は、複数の喫茶店を経営しているオーナーだ。若いときは飲食店でシェフをしていたこともあるが、途中で方向転換した。

 二十八歳になる娘がいて、名前を瞳と言う。瞳は、大学を卒業してからは食品関係の会社に勤めていたが、気に入らないことがあったらしく、退職した。その後、娘は、私が経営している喫茶店の一つで社員として働いている状況だ。

 今日は朝から経営している店舗の一つを訪れていたが、昼を過ぎて、別の店舗に移動するところだった。街中の店舗なので、店から離れた駐車場に車を停め、私は目的地へ歩いて向かう。すると、突然、強い風が吹いてきた。

 私は、スーツに帽子を身につけていたが、帽子が突風で飛ばされてしまった。私は、慌てて帽子を取りに行くが、それを手に取ろうとした瞬間、再び突風が吹いてきた。帽子は、また飛ばされてしまう。

「なんだ、今日は、ずいぶん風が強い日だな。」

私は、独り言を言いながら、帽子を追いかけた。帽子は、公園の中まで飛ばされて、地面に落ちた。私は、軽く息を切らせながら、ようやく帽子を拾いあげる。

 私は、拾った帽子を払ってから被ると、目の前にキッチンカーがあることに気づいた。三十代と思しき男が店頭に立って、客引きをしている。

「いらっしゃいませ!アイスクリームはいかがですか?」

私は、その店舗に表示されているメニューを見ると、

「アイスクリームが一つで500円か。正直、これは高いなあ。」

と、思った。しかし、高いには高いなりの理由があると思い、店員に話しかけてみた。

「このアイスクリームは少々高いと思うんだが、何か理由はあるのかな?」

「はい、いらっしゃいませ。実は、これには原料に高いものを使ってるんですよ。」

「高いもの?」

「はい。アイスクリームは、原料の砂糖にグラニュー糖を使うのが一般的です。ですが、これにはラカンカという甘味料だけを使っているんです。」

「ラカンカ?初めて聞いた名前だ。しかし、それを使用する理由はあるのかな?」

「はい。ラカンカは人体にほとんど吸収されない糖質なんです。だから、糖質制限ができるんですよ。基本的に塩分・脂肪・糖質は取り過ぎないことが推奨されますよね?––––まあ、アイスクリームだと脂肪分だけは多くなってしまうんですけどね。」

「ああ、なるほどな。では、せっかくだから、バニラを一つ貰おうかな?」

私は、店員の言うラカンカという甘味料が甘いのか確認しようと思った。糖分がほとんど吸収されないとしても、甘くなければ意味がない。

「はい。少々お待ちください––––はい、どうぞ。500円になります。」

私は、店員に500円を支払い、アイスクリームを食べてみた。

「うん、普通の砂糖と変わらない甘さだ。なかなか美味しいよ。」

私は、砂糖を使っていないのに、同等の甘さが引き出されていることに驚いた。

「気に入っていただけたなら、良かったです。」

「だが、おそらくだけど、君の経営は上手くいってないんじゃないのか?」

「え?どうして分かるんですか?」

「君の商品が悪いわけではないんだが、普通の人には高すぎるんだよ。今や、コンビニやスーパーマーケットでは、300円も出せば高級アイスが買える時代だからね––––ちなみに、私は飲食関係のオーナーをしていて、こういう事には強いんだ。」

「ああ、そうなんですね。勉強になります。ですが、今更、方向転換するのも––––体に優しいスイーツを作るために始めたので。」

「うん。気持ちは分かる。だが、現実を見ることも大事だからな––––ああ、では、そろそろ行くよ。ごちそうさま。」

「はい、ありがとうございました。」

私は、その場を離れて、自分が経営する喫茶店へ向かった。その途中、

「今度、出店しようと思っている店は健康志向にする予定だから、先ほどのラカンカという甘味料を調査してみるか。」

と、思った。


 5 改善策(小野慎平の視点)


 日が変わりそうな時間に、俺は、自宅で悩んでいた。それは、ロケーションキッチンの加藤さんからアドバイスされた通り、イベント会場の近くに出店したにも関わらず、大した利益にならなかったからだ。

 今回は、ストリートライブのイベントが行われるということで、その近くに出店していた。実際、比較的、集客が見込めそうな場所に出店できた。それでも、あまり上手くいかなかったのだ。もっと大規模な有名アーティストのライブなどであれば、大きな収益を手に入れることはできるだろう。しかし、実際に問い合わせてみたら、大きなイベントになるほど良い出店場所を確保することは出来ないようだった。そこが最も利益を手に入れることができる場所なのだから、競争率が高くなるのも当たり前である。そして、無理に出店したところで、大きなイベントになるほど出店料も高くなるので、売れなかったときのリスクも大きくなる。

 そんなことを考えていると、ある来客のことが思い出された。昼過ぎに来店した、スーツに帽子を身につけた男性客のことである。

 男性客は、俺の商品が高すぎると言っていた。実際、300円あれば高級アイスが買える時代に、500円のアイスは高い。しかし、原材料を安価なものに変えて、商品の価格を下げるべきだろうか?しかし、それでも300円よりも安くすることは出来ないだろう。そして、そうした場合、体に優しいスイーツを提供したいというコンセプトが破綻する。


 次の日、午前の内に、ロケーションキッチンの加藤さんに電話した。アドバイスが欲しかったからだ。

「もしもし、こちら、ロケーションキッチンの佐藤と申します。」

いつもの女性が対応してきたが、俺は加藤さんにつないでもらった。

「もしもし、加藤です。小野さん、どうかされましたか?」

「はい。また相談したいのですが、お時間よろしいですか?」

「はい。大丈夫ですよ。」

「実は、加藤さんからのアドバイス通り、イベントで出店してみたのですが、赤字にはなりませんでした––––ですが、それでも利益が無いに等しい状態です。」

「なるほど、でも、赤字は免れたんですよね?良かったじゃないですか。」

「はい。しかし、このまま続けたところで、貯金を切り崩すのは変わりません。」

「では、もっと大きなイベントで出店すれば良いんですよ。」

「それも試してみたんですが、断念しました。競争率が高すぎて、良い場所が確保できないんです。」

「なるほど––––じゃあ、POP広告に力を入れるなんて、どうですか?」

「え?すでに出していますけど。」

POP広告とは、実店舗で販売促進のために行われる広告全般を指す。つまり、キッチンカー外部の価格表や展示物のことだ。

「そういうのは、やり過ぎってくらいに出した方がいいんですよ。当社では、POP広告で使用する展示物も扱っているので、良かったらどうですか?」

「え?無料で貸してくれるんですか?」

「はい?無料で貸すわけありませんよ!ですが、そんなに高いものではないので、使ってみませんか?」

「え?でも、お金に余裕が無いんです。とりあえず、自作で作ってみますよ。」

「そうですか––––では、これで失礼しますね。」

「あっ、ちょっと待ってください。」

そのまま、電話は切られてしまった。

 俺は、もう一度かけ直す気にならなかったので、言われた通りPOP広告を見直すことにした。インターネットでキッチンカーの画像を検索する。それで実施されている広告と、自分の車両に施している広告を比べてみるが、あまり違うように思えなかった。しかし、とりあえず、細かい部分を参考に作成してみた。


 夕方になり、俺は、新作のアイスクリームを考案することにした。俺は体に優しいスイーツ作りが目的なので、材料に健康食品を混ぜてみる。今回は、お茶を原料に含めてみた。お茶と言っても緑茶ではなく、紅茶と烏龍茶を試した。

 数時間後、試作品として作ったアイスクリームを食べてみた。お茶の風味が弱い気もしたが、美味しく出来ていたので、店に出すことにした。これで売上も伸びるといいが‥。


 6 結束(前川恵一の視点)


 私は、今日、仕事を休むことにした。なぜなら、娘である瞳が休日で、音楽関係のイベントに同伴するように誘われたからだ。若者向けのイベントに参加するのは気が進まなかったが、実の娘が気にかけてくれるのは嬉しかった。しかし、彼女には余計なお世話かもしれないが、娘も年頃なので、他に適当な相手でもいないのか考える部分もあった。

 イベント会場は公園内の野外ステージで行われるようだった。私と瞳が公園内に到着すると、活気にあふれた緑色の木々と、黄緑色の芝生が広がっていた。そして、道に沿って多くの屋台も並んでいる。また、公園は街中にあるため、敷地外には高層ビル群が見える。

「野外ステージは、あっち側にあるみたいだよ。」

隣で歩く瞳が指を差しながら、話しかけてきた。その方向を見ると、そちら側に向かって人が多くなっていた。

「まだ昼過ぎだが、もう始まっているのか?」

「うん。いろんなアーティストが参加しているから、開始時間も早いみたい。」

「そうか。」

私は、娘と話しながら、野外ステージへ向かった。

 私は、今日はプライベートだったので、シャツにパンツという服装をしていた。そして、仕事中と同様に帽子を被っていた。すると、急に強い風が吹いてきて、この間と同じように、帽子が飛ばされた。

「ああ、またか。」

私は、そう言いながら、帽子を追いかける。瞳も後ろをついてくる。私が帽子に追いついて、手に取ろうとした瞬間、再び突風が吹いてきた。帽子は、さらに飛ばされた。

「本当に、何だってんだ!」

私は、つい怒鳴ってしまった。そして、再度、帽子に追いついた。今度は、ちゃんと帽子を手にすることができた。すると、目の前にキッチンカーがあった。私が車内の店員を見ると、見覚えのある三十代くらいの男がいた。男が話しかけてくる。

「いらっしゃいませ––––あれ?この間、ウチのアイス買っていってくれましたよね?」

「え?ああ、君か。偶然だな。前回と全然違う場所なのに。」

「そうですね。でも、イベント会場を狙って営業しているので、偶然じゃないかもしれませんよ。お客さんがイベント好きなら。」

「いや、偶然だよ。今日は娘に連れられてイベントに来たが、前回は仕事中だったんだ。」

「ああ、そうなんですね。」

店員が、そう話したときに、後ろから娘が追いついてきた。瞳が話しかけてくる。

「帽子、見つかったの?なんだろうね?さっきまで風なんて吹いてなかったのに。」

「ああ、そうだな。」

「ところで、この店のアイスクリーム食べてみない?ちょうど、走って疲れたし‥。」

「ん?ああ、構わないが。」

私が、そう話すと、娘はキッチンカーのメニューを眺めた。私も同様にメニューを見る。すると、前回は無かった商品があった。私は、店員に話しかける。

「新商品を始めたのか?」

「ええ、お茶を使ってみました。お茶って一般的に体に良いとされてますからね。」

「ああ、そういえば、君は体に優しいものを作りたくて始めたんだったな。」

「はい。今回は、紅茶アイスと烏龍茶アイスを作りました––––作った理由ですが、どちらも脂肪分の吸収を抑制する効果があるからです。また、烏龍茶に関しては脂肪分の排出も促してくれます。アイスクリームって脂肪分が多いので、相性が良いと思いました。」

「なるほどな。ちなみに、お茶と言うと、抹茶が一般的だと思うが、それは作らないのかな?」

「作っていけないことはありませんが、脂肪燃焼効果では、紅茶や烏龍茶に敵わないですから。」

「そうなのか。ずいぶん勉強しているようだな。」

私が答えると、瞳が店員に話しかけた。

「そういうのに詳しいんですね。でも、アイスクリームって糖分も多いですよね?甘さは控えめにしてるんですか?」

「ああ、それはラカンカを使ってるので––––ラカンカは甘味料なんですが、砂糖の代わりに使用してるんですよ。砂糖と同じくらい甘いのに、人体にほとんど吸収されないんです。」

「え?そんなものが存在するんですか?」

「はい。すべてのアイスクリームでラカンカを使用しているので、試してみてください。」

「じゃあ、私は、烏龍茶アイスにします。お父さんは?」

「ん?私は紅茶のアイスを貰おうかな?」

そう言って、私は店員に1000円支払った。アイスクリームを渡されてから、食べてみる。

「うん。前回も驚かされたが、砂糖を使っているみたいに甘いな。」

私が、そう答えると、娘が、

「これ、本当に砂糖を使っていないんですか?すごいですね。」

と、驚いていた。それに対して、店員が答える。

「はい。ですが、ラカンカは普通の砂糖よりも遥かに高いので、商品が高額になるんですよ。」

「まあ、そうですね。やや高いと思います。でも、これを商品化したのは素晴らしいです。私、喫茶店で調理をしているんですが、今後の参考にさせてもらいます。」

「ああ、そうですか。」

 その後、私は、娘とアイスクリームを食べ終えてから、店員に挨拶をした。それから、野外ステージに向かい、演奏を楽しんだ。若者向けのイベントだと思っていたが、娘が気を利かせてくれたのか、私でも楽しめるような内容だった。しかし、演奏を聞いている途中、キッチンカーで働く男が気になった。


 すっかり暗くなり、イベントも終了してから、私は瞳に話しかけた。

「瞳、私は用事があるから、先に帰ってもらえるか?」

「え?そうなの?––––じゃあ、先に帰ってるね。」

娘は、そう言って、帰って行った。

 私は、瞳が見えなくなってから、昼過ぎにアイスクリームを買ったキッチンカーへ向かった。しかし、そのキッチンカーの正確な場所が分からなくなっていた。私は、探し続けたが、一箇所だけ街灯が明るくなっている場所を見つけた。その場所を遠目に見ると、その下に例のキッチンカーが停まっていた。まだ、閉店していないようだ。私は、店員に話しかける。

「こんばんは。」

「あれ?どうされたんですか?」

「ああ、演奏が終わったから、立ち寄ったんだよ。」

「娘さんは?」

「先に帰らせたんだ––––そうだな、何か注文するか。バニラを一つ貰えるか?」

「え?ああ、はい。ありがとうございます。」

私は、店員に500円支払い、アイスクリームを受け取った。店員に話しかける。

「ところで、商売は上手くいっているのか?」

「うーん。こういったイベント会場で営業すると赤字は免れるんですが、それでも利益は微々たるものです。正直、そろそろ店を畳もうか考えています。」

「そうか––––君も理解していると思うが、キッチンカーは商品の単価が小さいから、数を売らないといけないんだ。だから、この間、普通の人がアイスを買うには500円は高すぎると言ったんだ。腹が膨れるものだったら500円は高くないが、アイスクリームは腹が膨れるものではないからな。」

「––––なるほど。確かに、そうですね。」

「それと、そろそろ夏になるから、しばらくは黒字かもしれない。しかし、夏が過ぎたら、赤字が続くことになるぞ。寒くなったら、野外でアイスクリームは食べたくないだろ?」

「––––ああ、なるほど。ごもっともです。」

「––––あと、このキッチンカーはレンタルで借りているのか?」

「いいえ。フランチャイズ元から購入しました。」

「ん?フランチャイズでやっているのか?」

「はい。」

「じゃあ、アイスクリームを売るようにフランチャイズ元が勧めてきたのか?」

「いいえ。フランチャイズ元は好きなものを売ればいいと言ってます。」

「じゃあ、そのフランチャイズ元から、提供する料理に関する提案はされなかったということか。普通は、フランチャイザー側が特定の料理に関してノウハウを持っていて、その料理を作るのが無難なはずなんだが。」

「え?そうなんですか?たびたびフランチャイズ元にアドバイスをしてもらっているんですが、作る料理の提案なんて一度もされたことはありませんよ。」

「それは、おかしいぞ。ちなみに、どんなアドバイスをされた?」

「最近では、イベント会場で営業した方が売上を上げやすいこと。お金はかかるけど、フランチャイズ元に所属している売り子を、店頭に立たせること。フランチャイズ元が所有しているPOP広告を使用することです。」

「うーん––––POP広告だが、有料か?」

「はい。確認しましたが、有料と言われました。だから、お金に余裕がないので、断りました。」

「それは、騙されているだけかもしれないぞ。」

「え?そうなんですか?」

「ああ。まず、飲食のフランチャイズ元っていうのは、何らかの料理で成功を収めている必要があるんだ。なぜなら、その料理で実績を作ったことを根拠に、フランチャイジーの経営支援をしなければいけないからだ。しかし、君のフランチャイズ元は、人に教えられる料理が無いんだろ?それが、ありえないんだよ。」

「言われてみると、そうですね。」

「また、その上で、君に対してノーリスクなアドバイスしかしていない。イベント会場で営業することに関しては適切な助言だが、フランチャイズ元にリスクは無い。売り子やPOP広告に関しては、私が見る限り必要には思えない。おそらく、君から金銭を搾取する手段だと考えられるな。」

「なるほど。」

「それと、君の使用している車両だが、大き過ぎないか?」

「え?」

「キッチンカーは、軽トラック・1トントラック・1.5トントラックのいずれかを使用するはずだが、作り置きするアイスクリームに1.5トントラックは必要ないだろ?」

「––––はい。調理場が不要ですからね。」

「それに、車両の燃費だって、小さい車両の方が抑えられるんだ。結局、大きい車両を買わせた方が、君から金銭を搾取できるから勧めたんだろうな。フランチャイズのパートナーとして続けていきたいなら、そんな提案はしないよ。」

「––––そうですね。今、お客さんの話しを聞いて、やっぱり店を畳もうと思いました。目が覚めました––––でも、これだけ頑張ってきたのになあ‥。」

私の話しを聞いた店員は、今にも泣きそうなほど落胆していた。間を置いて、私は彼に話しかける。

「君は、料理が好きなのか?」

「え?まあ、好きですよ。ただ、それ以上に健康オタクなんですよ。だから、提供する料理も体に良いものを勧めたいんです。」

「そうか。実は、私は、近いうちに新しい喫茶店をオープンする予定なんだ––––それで、ちょうどスタッフを探していたんだが––––そこで働いてみないか?」

「え?興味はありますが、俺でいいんですか?」

「ああ、むしろ君は適切なんだ。出店予定の場所なんだが、年配の人が多い場所なんだ。年寄りは、体を悪くしている人が多いだろ?だから、体に優しい料理ってのは、彼らの心に刺さるはずだ。君のスイーツは価格が高いという弱点を持つが、年寄りは金を持っているから問題ないだろう。」

「なるほど。」

「それで、最初から正社員として登用するつもりなんだが、どうだ?」

「え?アルバイトから始めなくてもいいんですか?」

「ああ。代わりに、店舗の経営を担ってもらうことになるけどな––––実は、その店には、私の娘も配属する予定なんだ。だが、彼女は経営に興味が無いみたいで‥。」

「調理をされているんでしたよね?」

「ああ。調理師と栄養士の免許を持っているよ。」

「優秀ですね。」

「ああ、ありがとう。だが、そういう勉強ばかりしているから、経営は別の人間に任せる必要があるんだ。」

「でも、キッチンカーの経営を失敗している俺なんかで大丈夫でしょうか?」

「君の場合、騙された部分もあるからな。それに、相手の意見を取り入れる姿勢は良いと思っている。それと、経営している別の店舗でも、経営を任せられるほどの人材は、ほとんどいないんだ。君は、キッチンカーの経営とはいえ、飲食の経営を経験しているわけだからな。だから、大丈夫だ。」

「はい。」

「とりあえず、私自身がオーナーとして経営のサポートはするから、考えてみてくれないか?––––ああ、それと、君に金銭的な負担を要求することは無いから安心してほしい。」

「はい。ありがとうございます。」

店員が返事をした後に、私は彼に連絡先が記載された名刺を渡した。すると、店員が話しかけてきた。

「前川恵一さんっておっしゃるんですね。私は、小野慎平と申します。」

「小野君か、君からの連絡を待っているよ。」

私は、そう言って、その場を立ち去った。


 次の日、私は、経営している喫茶店を巡回するため、自宅にある車両へ向かっていた。すると、自宅の庭に、白い朝顔が咲いていることに気づいた。

「おや?白い朝顔なんて、咲いたことがあったかな?それと、まだ六月なのに、ずいぶん気が早い朝顔だな。」

と、思った。

 その日の夕方、私のスマートフォンに見知らぬ番号から電話がかかってきた。それは、小野君からの電話だった。


 7 オープン前(小野慎平の視点)


 俺は、この間、前川さんに電話をかけてから、忙しい日々を過ごしていた。忙しいというのは、仕事時間が長いという意味ではなく、やることが多いという意味だ。

 俺は、まず、ロケーションキッチンとのフランチャイズ契約を解消して、キッチンカーを廃業した。その後、前川さんが経営する喫茶店の一つで実際に働き、その店でオペレーションや経営を学んだ。それから、新店としてオープンする予定の場所へ案内され、店舗内や店舗周辺の環境について教えられた。そして、今、前川さんの家にいる。

 前川さんの居宅は一戸建てで、非常に大きかった。彼自身は豪邸に住みたいとは考えていなかったみたいだが、自宅に仕事スペースと広いキッチンが必要だったらしく、結果として、大きくなったようだ。

 現在、前川さんは彼の自室で資料を作成しているみたいで、俺は彼の娘である瞳さんとキッチンにいる。前川家のキッチンは、広いスペースの中央で孤島みたいに存在する、いわゆるアイランドキッチンだ。とても立派なキッチンなので、俺は場違いな場所にいる気分だった。

 俺が横に顔を向けると、隣りで瞳さんが調理をしている。今は、新店で出す予定の商品を開発しているのだ。俺が呼ばれた理由は、彼女が俺の情報に興味を持ったからだ。瞳さんは、ラカンカや烏龍茶などの情報を、俺が教えた後に調べたらしく、新店での調理に活かしたいらしい。彼女が話しかけてくる。

「とりあえず、プリンが完成したから、冷めたら試食しましょう。」

「はい。」

今、彼女が作ったプリンは、俺が考案したレシピを元に彼女が改良したものだ。俺が作ったものよりも美味しそうである。俺は、料理が得意ではあるのだが、調理師の免許を持つ瞳さんの作業を見て、自分の力不足を痛感していた。そう思って、俺は彼女に話しかける。

「でも、正直、瞳さんの腕前を見て、自分がここに居てもいいのか考えてしまいます。」

「え?小野さんには居てもらわないと困ります。だって、私、栄養士の免許持っているのに、小野さんは私以上に詳しいので。」

「俺は、ただの健康オタクですよ。」

「うーん。本当に栄養士の免許は持っていないんですか?」

「ええ、大学に在学していたときは興味が無かったので。栄養士の免許って、専門学校以上で修学しないと取れないじゃないですか。」

「ああ、そうでしたっけ。なんか、栄養士の資格って、取得するシステムに問題があるのかもしれませんね。資格を持っていない小野さんの方が詳しいのに。」

「まあ、十年以上勉強してきましたからね。『好きこそものの上手なれ』ってやつでしょうか?」

俺は、瞳さんに答えると、自嘲するように笑った。

「何にせよ、小野さんの情報は新店で役に立つので、いっしょにメニューを考えましょう。」

「はい。」

俺は、そう言って、彼女と料理を続けた。


 一時間ほど経過すると、オーナーの前川さんがキッチンに入ってきた。

「料理の研究は順調かな?」

前川さんが俺と瞳さんに話しかける。

「ええ。そろそろ昼食の時間だから、みんなで試食しましょう。お父さん、少し待ってて。」

瞳さんが答えた。

 しばらくして、俺と瞳さんは、テーブルに料理を並べ終えた。麺類は、ナポリタン、ペペロンチーノ、和風パスタ。前菜は、ポテトサラダ、カプレーゼ風の野菜サラダ、和風サラダ。デザートは、かぼちゃプリン、さつまいもプリン、豆乳ゼリーだ。試食なので、それぞれを一人前だけ用意して、三等分することにした。

「いただきます。」

全員で試食を始めると、どの料理も非常に美味しかった。瞳さんの味付けは、俺が作るよりも繊細だったので、俺はキッチンカーで営業していたことを恥ずかしく感じた。

 試食を終えてから、前川さんが俺に話しかけてきた。

「ところで、これらの料理も体に優しい材料を使っているのかな?」

「ええ。プリンにはラカンカを使用していますが、パスタにはイヌリンを使っています。イヌリンって言うのは食物繊維の一種で、糖分の吸収を緩やかにしてくれるんです。まあ、野菜にも食物繊維は多く入っているので、サラダを食べればいいんですけどね。ですが、お客さんがサラダを頼んでくれる保証は無いので。」

「うん、なるほどな。」

「ところで、メニュー表の他に、健康関連のガイドも各テーブルに置いてみようと思うんですが、どうでしょうか?」

「健康関連のガイド?」

「はい。例えば、先ほど話したイヌリンという物質は、糖分の吸収を遅くできます。しかし、結局、吸収する糖分が減るわけではないんですよね。だから、食後一時間以上経ったら運動するように推奨したいんです。他にも、食材ごとに得られる健康効果を記して、お客さんが注文するときの参考にさせたいんです。」

「うん。いいじゃないか。それは、とても親切だと思う。」

俺は、前川さんに褒められて嬉しかった。それは、彼から経営を教えてもらうことで前川さんが非常に優れた経営者だと理解したので、尊敬する気持ちが生まれていたからだ。

 オープンまで期間が差し迫っていたが、俺は、キッチンカーで働いていたときよりも理想的な仕事ができそうだったので、気持ちが高ぶっていた。


 8 オープン(小野慎平)


 俺は、自分が働く店舗を外から見ていた。外観は、壁面が白い漆喰で、扉や窓枠はブラウンの木材が使用されていた。看板には扉や窓枠と同じ素材で、「喫茶前川」と書かれている。前川さんが経営する他の喫茶店は、別の名称が使われているので、オーナーの苗字が付いていることはプレッシャーだった。

 俺は、それから店内に入った。店内も壁面は白い漆喰で、テーブルや椅子などは木製のもので揃えていた。しかし、椅子に関しては年配の方を配慮して、座面と背もたれにクッション性が高いものを選択している。これは、オーナーである前川さんが重要視していた点で、お年寄りが長居できるようにしたかったらしい。昨今の、回転率重視の店が多い飲食業界では、珍しい考え方だった。

 こんな風に自分の店を見回ってから、俺はキッチン内の瞳さんに声をかけた。

「そろそろ、オープンですね。」

「はい。お客さん、たくさん来てくれるといいですね。」

「ええ。でも、何だか緊張してきました。」

「大丈夫ですよ。後で、父も見回りに来ますから。」

「はい。そうですね。」

 俺は緊張が収まらない中、店頭の「close」の表示を「open」にひっくり返した。


 店を開けてから、まもなく、お客さんが入店してきた。お婆さんの二人組みだった。それを見て、

「いらっしゃいませ。」

と、俺は明るく声をかけた。二人が着席したタイミングで、俺は、近寄って、再び声をかける。

「いらっしゃいませ。本日は、ご来店ありがとうございます。当店では、体に優しい料理を心がけておりまして、よろしければメニュー表と一緒に、こちらのガイドも御参照ください。」

俺は、二人にメニュー表と健康について書かれたガイドを、開いて見せた。すると、その内の一人が、

「このガイドには体に良い食べ物が説明されているのね。私、骨が弱くなっているみたいなんだけど、そういうのに効くものはあるのかしら?」

「えっと、骨粗しょう症とかですか?」

「ああ、それ!それよ。」

「それだと、大豆がオススメです。」

骨粗しょう症は女性ホルモンの低下が原因にあるのだが、大豆に含まれているエストロゲンは、それの改善に効果があると言われている。

「飲み物と甘い物を頼みたいんだけど、どれが良いかしら?」

「えーと、豆乳ゼリーがおすすめです。飲み物はどれでもいいと思いますよ。」

俺が、そう言うと、その女性は豆乳ゼリーとコーヒーを頼んだ。すると、次に別の女性が、

「私は、見ての通り、少し太っているんだけど、どれがいいかしら?私も飲み物と甘い物を頼みたいんだけど。」

「それだと、糖分と脂肪分を抑えた方がいいですね。炭水化物の少ないプリンやゼリーがおすすめです。尚、当店の甘い物にはラカンカという良い砂糖を使っているんですが、これの糖分は人体にほとんど吸収されないので、糖質制限に効果的なんですよ。それと、紅茶や烏龍茶は脂肪の燃焼に効果的ですよ。」

「へえ、そんな物があるのね。」

もう一人の女性は、俺の提案を参考にして、かぼちゃプリンと紅茶を頼んだ。

 俺は、キッチンに向かい、瞳さんにオーダーを通した。二人で飲食物の準備をして、俺がお客さんに運んだ。俺が挨拶をして、離れてから、お客さんがプリンを口にする。すると、

「このゼリー、とても美味しいわ。」

と、豆乳ゼリーを頼んだお客さんが言った。もう一人も、

「うん。こっちの、かぼちゃのも美味しいわよ。」

と、言っている。俺と瞳さんは、その様子を見て、安心した。

 それからも、年配の方を中心に、お客さんが来店してきた。俺が接客中にガイドの話しをすると、自分の持病について話してくる人が稀にいた。ある時、お爺さんが話しかけてきた。

「お兄さん、俺、冷え性なんだけど、どれが良いんだ?」

「えーと、昼食を取られるんでしたら、こちらの野菜スープがおすすめです。生姜が入っているので、体が温まりますよ。」

生姜は加熱調理することで、体温を上昇させる効果があるのだが、そのお客さんが帰るときに、

「お兄さんの言う通り、体があったまってきたよ。すごいね。また、来るよ。」

と、言ってきた。それを聞くと、俺は少し嬉しくなった。

 店は、十七時まで営業した。アルコールを提供しない、いわゆる純喫茶なので、夜は営業しないのだ。閉店後に瞳さんが話しかけてきた。

「小野さん、お父さんが来たことに気づいてました?」

「え?ああ、そういえば、いらっしゃるって話しでしたよね。」

「小野さん、お客さんの接客に夢中だったから、気づかなかったんですね。でも、お父さん言ってましたよ。『固定店舗で営業する場合、リピーターが大事なんだ。だから、小野君みたいに、顧客のニーズに沿った接客をするのは正しいんだよ。』って。」

「そういえば、この間、オーナーに教えてもらいました。固定店舗はリピーターが八割って。それを考えると、以前、営業マンをしていて良かったです。」

俺が、そう言うと、彼女は優しく笑っていた。


 9 顧客のニーズ(小野慎平の視点)


 俺と瞳さんが「喫茶前川」の営業を始めて、一ヶ月が経過した。その間、顧客は増えていく一方だった。要因は、瞳さんの料理が美味しかったことと、お年寄りの体に優しい料理を追求したことだった。

 俺が適切な料理を勧めることも評判になっているらしく、持病に沿ったおすすめ料理を聞いてくる顧客が増えた。しかし、中には、お客さんの持病に適切な料理が無いことや、その病気を知らないこともあった。その場合、俺は営業時間外に勉強して、適切な食材を使用した料理を瞳さんと作り出した。その努力も報われて、前回は対応ができなかった顧客を、喜ばすことができた。

「小野君、経営が順調みたいだ。二人で、よく頑張っているな。」

営業時間中にオーナーである前川さんが来店して、俺に話しかけてきた。

「はい。ありがとうございます。お客さんも喜んでくれているみたいで良かったです。」

「お客さんを喜ばそうとする気持ちが、成功させるために一番大事なんだ。君に、そういう気持ちがあるから上手くいってるんだよ。君はキッチンカーで働いている時から、その気持ちを持ち合わせていた。私の目に狂いは無かったよ。」

「––––ありがとうございます。」

俺は、前川さんに感謝した。すると、前川さんが俺に尋ねてきた。

「ところで、最近、若い女性客が増えていると思うんだが、心当たりはあるか?」

「え?ああ、確かに、そうですね。」

俺は、店内にいる若い女性客を見回した。そして、最近、店に来店された若い女性客が頼んでいた料理を思い浮かべた。すると、あることに気がついた。俺は、オーナーに話しかける。

「そういえば、年配の女性客で体重を気にされている方が多かったので、食材とガイドの内容を変更しました。」

「変更?」

「ええ。ダイエット関係の部分に力を入れました。例えば、ビタミンB1は糖質の燃焼を増進させ、ビタミンB2は糖質・たんぱく質・脂肪の燃焼を増進させる効果があります。でも、そんなこと言われても、何を食べればいいのか分かりませんよね?」

「ああ、そうだな。」

「だから、簡単に摂取できる食材を調べて、料理の一部に使用するようにしました。例えば、ビタミンB1を安価で簡単に摂取する場合、米糠がベストです。また、ビタミンB2は牛乳・卵・納豆がベストです。まあ、加熱する時間が長くなると、効果が減少してしまうんですが。ガイドでは、それらを使用している料理を追加で案内しています。」

「そういえば、メニューが増えたな。」

「ええ。パスタでは、卵を使うカルボナーラ。それと、飲み物はミルクティーとミルクコーヒ―ですね。あと、一部のサラダには、ゆで卵を添えるようにしました。」

「そうか。」

「年配の女性からの提案だったんですが、考えてみると、ダイエットって若い女性も興味がある話題ですよね?」

「確かにな。それは、『棚から牡丹餅』ってやつだな。」

前川さんは、優しく笑った。

「『棚から牡丹餅』、ああ、そうですね––––あ、お客さんに呼ばれたので、行ってきます。」

俺は、オーナーの言葉に納得しながら、接客に向かった。

 前川さんは「お客さんを喜ばそうとする気持ちが、成功させるために一番大事なんだ」と、おっしゃっていたが、年配女性の意見を取り入れた結果が、若い女性客を呼び込むことにつながったのだ。


 10 ゴッドハンド(小野慎平の視点)


 「喫茶前川」をオープンして三ヶ月が経過したが、俺と瞳さんの店は、どんどん売上を伸ばしていた。しかし、忙しくなってきて、二人で店を切り盛りすることが困難になってきた。そのため、オーナーの前川さんがアルバイトを用意してくれた。アルバイトは二人だが、片方の男性は栄養士を目指す専門学校に通っているらしい。また、アルバイトを入れるのに店長がいないのも問題だということで、俺は「喫茶前川」の店長に任命された。

 そして、最近では、若い女性客が、さらに増えていた。要因は、女性客からの要望を聞き入れて、美容に良い料理にも力を入れ始めたからだ。ちなみに、人気料理は美肌プリンで、これを食べると肌に潤いや弾力が出る。

 美肌プリンには、体内でコラーゲンを合成するのに必要な栄養素を混ぜている。詳細は複雑なので割愛するが、原料に牛乳・卵・ゼラチン・きな粉を入れて作り、オレンジスライスを添えれば良い。

「ごちそうさまでした。」

若い女性客が二人、店から出て行った。今の二人も、美肌プリンをオーダーしていったが、何度も来店されて、それを頼んでいる。この料理を最初に試食したときは、俺と瞳さんも自分の肌が綺麗になったことに驚いた。当店の美肌プリンは、そのくらい強力なのだ。

 お婆さんが二人、店に入ってきた。常連の、鈴木さんと田中さんだ。俺は明るく声をかける。

「いらっしゃいませ。」

すると、田中さんが近寄ってきて、話しかけてきた。

「お兄さん、あなたのアドバイスで、三ヶ月で四キロも痩せたのよ。」

田中さんは、オープンして一番に来店されたお客さんの一人だ。最初は少し太っていたが、確かに痩せたように見える。

「そうですね。田中さん、少し、スリムになりましたよね。」

「そうでしょ?あなたに言われた通り、家でも牛乳や卵を食べるようにして、軽い運動も始めたの。睡眠も、しっかり取るようにしているわ。」

「規則正しい生活が基本ですからね。でも、喜んでいただけたなら、良かったです。」

田中さんと鈴木さんは、俺から離れて、席に着いた。今日も、かぼちゃプリンと豆乳ゼリーをオーダーしてくれた。

 昼過ぎに、お爺さんが一人、店に入ってきた。常連の中山さんだ。俺は挨拶する。

「いらっしゃいませ。」

中山さんが席に着いてから、俺は彼の接客に向かう。すると、中山さんが感慨深く話しかけてきた。

「ああ、お兄さん、こんにちは。今日は、なんて言っていいものか––––とりあえず、ありがとう!」

「え?どうしたんですか?」

「いやー。お兄さんは凄いね。お兄さんにアドバイスされた通り、毎日一杯、低脂肪乳を飲むようにしてから、痛風が発症しないんだよ。」

「ああ、そのことですか。低脂肪乳を飲むと、尿酸値が下がるってやつですね。」

「うん。医者に診てもらってもダメだったのに、お兄さんにアドバイスしてもらったら治っちゃったよ。」

「ああ、それは、正確には治ってはいないんですよ。ただ、低脂肪乳を毎日一杯飲んでいれば、発症しづらくはなるんです。あと、低脂肪ヨーグルトでも大丈夫ですよ。」

「そうなんだ。いやー。お兄さんの方が、よっぽど医者みたいだな––––ゴッドハンドだ!」

「ゴッドハンド?でも料理を作ってるのは、あそこにいる前川さんなので、私は知識だけですよ。」

「んじゃあ、二人でゴッドハンドだ––––まあ、とりあえず、ナポリタンとミルクティーをくれるか?」

「はい。ミルクティーのミルクは低脂肪乳にしますか?」

「ああ、頼むよ。」

俺は、キッチンに向かい、瞳さんにオーダーを通した。

 俺が、そんな風に接客をしていると、アルバイトの三浦君が話しかけてきた。

「店長は、どうして栄養学に詳しくなったんですか?俺は、学校で勉強していますけど、そこでは学ばないことまで知ってますよね?それに、実際に、お客さんが健康になってるのが凄い。」

「え?独学だけど、十年以上勉強してきたからね。それと、大事なのは、実際の現場で必要とされていることを学ぶことと、実際に試してみることだよ。知識だけ深めても、それが間違いである可能性もあるからね。」

俺が、そう言うと、三浦君は感心したように俺を見つめていた。

 何はともあれ、顧客の意見を大事にすることで、「喫茶前川」は地域に好かれる店となった。俺は、キッチンカーで働いていたときの辛い日々が嘘だったように、明るい気持ちになっていた。


 11 娘の幸せ


 小野慎平と前川瞳の店は、週休二日である。しかし、定休日に新メニューを研究することがあった。そして、その日も二人は前川家のキッチンで料理をしていた。

「小野さん、二十分したら出来上がるので、それまで休憩しましょう。」

「はい。」

「でも、どうしてケーキ以外の焼き菓子を作りたいと思ったんですか?」

「はい、それは小麦粉を使いたくなかったんですよ。絶対に食べないようにする必要はありませんが、健康を考えると小麦粉は控えた方がいいみたいです。だから、それを使わない焼き菓子を新メニューにしたいんです。俺の考え方を押し付けるようで、申し訳ないんですけど。」

「まあ、体に優しい料理が店のコンセプトだから、良いんじゃないですか?」

「はい。そう思っていただけると助かります––––ところで、瞳さん。この間なんですが、常連さんから『ゴッドハンド』って言われたんですよ。」

「ゴッドハンド?それって、凄腕の医者とかに使う言葉ですよね?」

「ええ。ですが、俺たちの料理を食べるようになったら、お客さんの持病が良くなったみたいなんですよね。」

「本当ですか?」

「ええ。それで、お客さんに、材料の提案をしたのは自分だけど、実際に美味しい料理にしてるのは瞳さんだと教えたんです。」

「はい。」

「そうしたら、『じゃあ、二人でゴッドハンドだ』って言われました––––それを思い出して、今、思うんです。俺だけだったら、キッチンカーのときみたいに、また失敗していたのかなって––––だから、ありがとうございます。」

「え?感謝されることではありませんよ。仲間なんだから、協力して当たり前です。それに、私、前に働いていた店よりも楽しいし––––だって、自分が美味しいと思う料理を作らせてもらえるので。」

「それなら良かったです。」

慎平が瞳に答えると、オーナーの前川恵一がキッチンに入ってきた。

「『二人でゴッドハンド』か。しかし、寂しいな。私は仲間に入れてくれないのか?––––ああ、途中から話しを聞いてしまったのは悪かったな。」

「前川さん、お疲れ様です––––勿論、前川オーナーも仲間ですよ。前川さんの支援が無かったら、絶対に上手くいきませんでしたから。」

慎平が、そう言うと、恵一は微笑を浮かべた。すると、瞳が恵一に話しかける。

「ところで、そろそろ新メニューができるから、お父さんも食べてよね。二種類、作ったんだけど。」

「ん?二種類も食べたら、太っちまうよ。」

「大丈夫。小野さんが太らないように計算しているから。」

「おお、そうだったな。」

 それから、十五分ほど経ってから、三人は新メニューの試食を始めた。瞳が恵一に話しかける。

「こっちがスイートポテトで、そっちがスイートパンプキン。」

「スイートポテトはよく聞くが、スイートパンプキンは聞かないな。」

「小野さんが言うには、小麦粉を使うケーキとかよりも糖質の吸収が緩やかで、糖質の量も減らせるんだって。」

「ほう。」

恵一は、そう言って、スイートポテトを口にする。

「お父さん、どう?」

「うん。美味しいな。」

恵一が感想を言うと、慎平が恵一に話しかける。

「ちなみに、そのスイートポテトは、眼精疲労に効くんですよ。実は、人参を少し混ぜているんですが、人参・さつまいも・卵黄は、それぞれ目に良い栄養が含まれているんです。」

「ほお、普通のスイートポテトは人参なんて入れないからな。しかし、私もパソコン作業が多くて目が疲れているから助かるよ。」

「それと、そっちのスイートパンプキンは、単純に栄養価が高いです。ビタミンCの多い果物や野菜と一緒に食べると、肌が綺麗になります。」

慎平が、そう言うと、恵一はスイートパンプキンを試食した。

「うん。これも美味しいな。だが、私みたいな爺さんの肌が綺麗になっても仕方ないけどな。」

恵一は、笑いながら、答えた。

 その後、慎平と瞳も試食してみたが、二人にとっても納得できる味に仕上がっていた。こうして、二人が開発した新メニューは、後日、「喫茶前川」に並ぶこととなった。


 それから一ヶ月後、恵一は、ある公園を歩いていた。その公園は、瞳と音楽関係のイベントを楽しんだ場所である。訪れた理由は、この近くに評判の喫茶店があると知ったため、その店と周辺環境の調査が目的だった。

「うん。あの喫茶店は学生に人気ってことだな。確かに、この近くは学校が多いからなあ。」

恵一は、公園を歩きながら、思った。

 すると、恵一は、見覚えのある二人が遠くを歩いていることに気づいた。慎平と瞳だ。本日は、二人が働く店は定休日だったので、慎平と瞳はプライベートだった。よく見ると、二人は手を繋いでいる。

「––––ああ、そうか。」

恵一は、慎平と瞳が付き合い始めたことを悟った。

「まあ、女房に先立たれてから、瞳が私に気を遣ってくれていたことには気づいていたさ。でも、いつまでも、そうさせておくわけにもいかないからなあ––––とりあえず、安心したかな。」

恵一は、思った。それから、慎平と瞳に気づかれないように、その場を去った。しばらく公園を歩くと、

「でも、少し寂しい気持ちもあるけどなあ––––まあ、あの男なら任せられるか。」

と、恵一はつぶやいた。そのとき、突然、強い風が吹いてきた。

 恵一は、素早く帽子を手で押さえて、帽子が飛ばされるのを防いだ。

「そう何度も同じ手を食うか!変な気を遣うんじゃないよ!」

恵一は、そう言いながら、先へ進んだ。もし、帽子が飛ばされていたら、どこに落ちていたのだろうか?


 12 白い朝顔


 ライジングフォーチュンの作業場で、サクラを除くメンバーは大型モニターを見ていた。そんな中、ハヤテが一人つぶやく。

「畜生、上手くいかなかったか。」

ハヤテの独り言に対して、キラボシが答える。

「三回目は阻止されたね。でも、前川恵一の帽子を風で飛ばして、小野慎平と出会わせる作戦は、シンプルに使えるよね。」

「そうだろ?」

「まあ、三回目は不要だったと思うけど。二人でデートしているところに割って入るのは、無粋だよ。」

「––––うん。言われてみると、そうかもな。」

ハヤテの返答を聞いて、キラボシは苦笑いをした。すると、タソガレが二人に呆れて話しかける。

「なんだか、二人とも上手くやったみたいに言ってるけど、前川恵一は三回目で不思議な力に気づいていたじゃないの––––これからは自重しなさいよ。」

それを聞いて、ハヤテは決まりが悪そうな表情をした。

 すると、扉の開く音がした。作業場に入ってきたのは、サクラだった。彼女は、全員に話しかける。

「小野慎平さんと前川瞳さんのレシピを参考に、お菓子を作ってみたんだけど、みんなで食べよう?」

サクラが持つトレーには、美肌プリンとスイートパンプキンが載っている。それを見て、タソガレが答える。

「あら、美味しそうね!でも、今回の作業をしていたら、サクラも作りたくなったの?」

「はい。ミナモちゃんと体に良い食材を調べていたら、私も食べてみたくなりました。」

サクラは、そう言うと、各メンバーにお菓子を配って回った。

「でも、小野慎平もビックリするでしょうね。神々の手によって、彼に健康食材の最新情報が集まっていることを知ったら。」

「そうですね。私とミナモちゃんが情報収集する。そして、それを先生が小野慎平さんの視界に入るように、インターネット上で公開する––––それは、プロの栄養士さんだって驚きますよ。『素人がなんでこんなに詳しいの?』って。」

サクラがタソガレに返答すると、ミナモがサクラに話しかける。

「でも、彼だって努力していたでしょ?私達が手伝ったのは、彼がキッチンカーの営業を始めて半年以上経過してからだし。」

「そういえば、そうだったね。『継続は力なり』だね。」

「そうね。」

ミナモが答えると、サクラはタソガレに話しかける。

「ところで、どうして、先生はインターネット情報の一部を小野慎平さんしかアクセスできないようにしたんですか?」

「ああ、それは、悪意のある人に情報が届かないようにしたのよ。健康食材によっては代用できないものがあるから、それを買い占めて金儲けされたら地上は困るでしょ?例えば、小野慎平が独自に調べたラカンカって甘味料は代替品が無い。これを買い占める人間が出てきたら、小野慎平の糖質制限スイーツは作れなくなるでしょ?」

「ああ、なるほど。」

「まあ、買い占めて転売しようとする人間が出てきたら、それに応じた対応をするだけなんだけど。」

「それに応じた対応?」

「ええ。例えば、インターネット上に掲載した転売ページに他の人達がアクセスできないようにする。そうすれば、転売しようとした人間は在庫だけ溜まって損するでしょ?」

「なるほど。」

「または、悪質な転売実績のある人間に対しては、最初から粗悪品を掴ませるとか。例えば、一口にオレンジジュースって言っても、果汁百パーセントと果汁十パーセントじゃ価値が違うわよね?果汁十パーセントの方は、ほとんど砂糖水みたいなものでしょ?」

「ああ、そうですね––––でも、そんな対応をしなくても良い世界になって欲しいです。」

「まあね。自分だけが富を独占しようとか、恵まれた環境にいるくせに他者を助ける気が無いとか、そう考える人間が少なくなるといいわね。」

「はい。」

サクラが返事をすると、ミナモがキラボシに話しかける。

「ところで、キラボシって––––今回、何か仕事したの?」

全員が、しばらく沈黙した。すると、キラボシが答える。

「したよ!夜になってから前川恵一が小野慎平のキッチンカーを探すときに、目印として、そこの街灯だけ明るくしたよ!」

「ふーん。地味な仕事ね。」

「仕方ないだろ?今回は、そういう役回りだったんだよ!」

二人の会話を聞くと、他のメンバーは笑った。


 アースガルズの最高神シキは、自室で豪奢な椅子に座り、モニターを見ていた。シキは、三十代半ば位に見えるが、落ち着いた茶色いショートヘアをして、整った顔立ちをしている。また、スタイリッシュなデザインの制服を着用しているが、長身なのでモデルのように見える。

 シキが見ているモニターには、株式相場に関する画面が映っていた。すると、扉をノックする音がして、まもなくタソガレが入ってきた。

「失礼します。」

「ああ、お疲れ様。今回は比較的シンプルに進んだみたいだね。」

「はい。ですが、前川恵一の帽子を飛ばす件が多すぎました。」

「ああ、そうだね。まあ、見ている私としては、面白かったんだけどね––––『笑い』という意味で。」

「はい。別に、『誰かを笑わせろ』なんて指示は出していませんけどね––––ところで、小野慎平を騙したフランチャイズ企業は、どうされましたか?」

「ああ、既に倒産しているよ。株式を多く保有しているみたいだったから、ロケーションキッチンの社員にだけ嘘情報を流して、保有している株式を売却させたんだ。実際は、彼らが売却したタイミングは底値だったから、彼らは大損したのさ。そして、それを何度か繰り返した。」

「そうですか。まあ、この企業は存在しているだけで害悪ですからね。世の中を良くしようという気持ちが無くて、会社の利益しか考えていませんからね。小野慎平のように関わってしまった人間を不幸にするだけですよ。」

「うん。タソガレ君の言う通りだ。だけど、この企業の営業マニュアルは特に酷かったね。契約者に高い商品を勧めるっていうのは、商売だから理解はできる。だけど、契約者にとって不要なものを勧めるのは良くないな。」

「そうですね。あと、ロケーションキッチンの社員は、どうしました?」

「うん。例えば、小野慎平を騙した加藤修という人物だけど、会社のやり方に問題があることは理解しているようだった。そして、売上に応じた歩合給が高額で、彼は随分と儲けていたみたいだ。確信して大金を稼いでいたわけだから、ペナルティを与えようと思っていたんだけど‥。」

「どうしたんですか?」

「どうやら、ロケーションキッチンの悪事がリークされたみたいで、元従業員は再就職が難航しているらしい。悪行を働いていた企業に所属していたんだから、確かに他の企業は敬遠するよね。」

「なるほど。まあ、被害者が多ければ、いくら企業側だって隠し通せませんよね。」

「そうだね。だから、彼らに何かペナルティを与える必要は無いかもしれない。」

「分かりました。ところで、加藤修や他の営業スタッフは、再就職できたら同じようなことをしないでしょうか?他の人間が真似をして、人を騙す人間が増えたら困りますよね?」

「だから、彼らには再教育用の情報を流す予定だ。正しい営業のやり方についてね。」

「ああ。今回、私のチームが小野慎平に健康情報を流したのと同じやり方ですか?」

「うん。そうだね。あと、再就職後に、しばらく監視するから大丈夫さ。」

「分かりました––––ああ、そういえば、メンバーの一人がお菓子を作ったのですが、最高神もどうぞ。ちなみに、小野慎平の開発したレシピですよ。」

タソガレは、そう言うと、シキのデスクに美肌プリンとスイートパンプキンを置いた。

「ああ、ありがとう。後で、いただくとするよ。」

「はい。では、私は、先に失礼しますね。」

タソガレは、シキの居室から出て行った。

 しばらくして、シキはタソガレの置いていったスイートパンプキンを口にした。

「うーん。これは美味しいね。アースガルズでも販売されるといいのに。」

シキは、そう言うと、モニターの画面を切り替えた。画面には前川家の庭が映っている。

「今回は、小野慎平と前川家が力を合わせて、素敵な喫茶店を作ったわけだけど。タソガレ君のところにいる––––サクラさんだったかな?彼女が前川邸に咲かせた白い朝顔の花言葉は『固い絆』––––三人が結束することで素敵な喫茶店が生まれたから、サクラさんの選択は正しかったわけだ。」

シキは、そう思うと、モニターの画面を消去した。



(完)

 本作は、主人公が「体に良い料理」をコンセプトに店舗経営する話しでした。作者が本作を書こうと思った理由ですが、それは私自身が健康オタクで、それを作品に取り入れようと考えたからです。

 読者の皆さんに理解して欲しいことですが、本作で執筆した健康効果については、作者が実際に検証した上で書いています。しかし、同じ人間でも体質に差があるので、絶対に健康効果が得られるとは思わないでください。

 また、本作で紹介した食材に関しては、調査した結果、安全な部類の食品を掲載しています。つまり、副作用のリスクが大きいものは紹介していません。しかし、「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、特定の食材を取りすぎるのも良くありません。そのため、念の為、一部の食材の摂取上限を書いておきます。


 ラカンカは摂取し過ぎると、お腹が緩くなるそうです。作者は一日で大さじ三杯くらい摂取しましたが、まったく影響はありませんでした。

 米糠は一日で小さじ三杯までが良いと思っています。リンという栄養素が多く含まれ、摂り過ぎると骨が弱くなるからです。ちなみに、リンは少なくても骨が弱くなります。

 卵は一日で一個か二個が良いと思っています。厚生労働省が発表している食事摂取基準では、一日のコレステロール摂取基準は200mgとなっています。卵は一個で252mgです。そうすると、卵を食べない方が良い気がしますが、大豆・野菜・きのこ・海藻・エゴマ油・アマニ油などを摂取すると、コレステロール値を減少させることができます。尚、コレステロール値が高いと生活習慣病になりやすくなります。

 オレンジは多く食べても大丈夫です。しかし、注意点として、皮を食べないでください。理由は、ほとんどのオレンジの皮には農薬が付着しています。そのため、皮を剥いてから食べてください。


 私の健康情報が複雑すぎると思う方にアドバイスです。私は、最近のコンビニやスーパーマーケットで売られている弁当を見て、明らかに野菜が少ないと思っています。具体的には、緑黄色野菜・きのこ・生野菜を積極的に食べてください。それだけで、ずいぶん食生活は改善されます。

 長くなりましたが、健康の基本は、バランスの良い食事・適度な運動・十分な睡眠です。無理の無い範囲で、健康的な生活を送れるといいですね。


 また、今回は、主人公が、フランチャイズ企業に騙される内容が含まれています。しかし、本文を読んでいただいた方はおわかりだと思いますが、フランチャイズというシステムが必ずしも悪いのではなく、顧客のことを考えない企業や個人が悪いという意味です。

 実は、作者も作中の小野慎平と同じように騙された経験があります。有名なパソコン教室と、有名なプログラミングスクールです。

 名前は伏せますが、ある有名パソコン教室は、私と「エンジニアの就職斡旋までする」と約束したにも関わらず、一度だけ企業を紹介した後に「就職斡旋サービスは最近終了したんですよ」と言ってきました。確かに一度だけ就職斡旋はしていますが、私から高額な金銭を搾取してからルールを変更してきました。

 また、あるプログラミングスクールは、私と「必ずエンジニアの職に就かせる」と約束したにも関わらず、途中で強制的に契約を断ち切ってきました。私に落ち度は無く、プログラミングスクール側の勝手なルール変更です。尚、その企業からRubyとJavaScriptというプログラミング言語を教えてもらいましたが、私に勧めてきた企業の必須条件は、すべてが別のプログラミング言語による制作物の提示でした。私は、「じゃあ、何でRubyとJavaScriptを教えてるんだよ」と思いましたが、そこも私から金銭を搾取するのが目的だったんでしょうね。

 私が作中で書いたように、こういったモラルに欠けた企業が無くなってくれると良いと思います。だって、普通の人は騙されたら、嬉しくないでしょ?


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