第二話
地上調整機関アースガルズ————この場所は神々が住んでいる天上に存在し、人間達が生活している地上を管理している。
その場所で、アースガルズに所属する神様達は、地上における生物や資源のバランス・国や企業、個人などが適切な状態になるように、日ごと、システムを用いて調整していた。
その中で、タソガレをリーダーとするチーム「ライジングフォーチュン」は、地上で困っている人間を、幸せに導く任務を請け負っていた。
この話は、サクラ・ハヤテ・キラボシ・ミナモ・タソガレの五人が、地上のシステムを駆使して、野中さつきのイラストレーターになるという目標を手助けするストーリーである。
果たして、さつきは夢をかなえることができるのだろうか?
設定
天上:神々が住んでいる世界。人間が住んでいる地上と、お互いの行き来はできない。
アースガルズ:天上に存在する場所で、神々が地上に対して影響を与えることができる機関。
システム:神々が地上に影響を与える場合に使用するもの。地上で言うところのコンピューターである。
神様:天上に住んでいて、人間と同じ姿をしている。
上級神:アースガルズで大きな権力を持つ神様。
最高神:アースガルズで一番大きな権力を持つ神様。
管理項目:上級神以上でないと使用できない調整。地上のコンピューターや機械を操作することができる。
その他:上級神以上は、地上で発生した過去の映像を自由に視聴することができる。また、上級神の許可を得られれば、一般の神様も視聴することができる。
1 野中さつき
私の名前は野中さつき、デザイン系の専門学校を卒業していて、プロのイラストレーターを目指している。専門学校在学中に、当然のことながら就職活動はしていたが、どこにも入社することができなかった。そのため、今はアルバイトをしながら創作活動もしている。創作活動は、自分でイラストを描いて、画像投稿サイトに載せるということである。出稿している理由は、そこで評判が良くなることで、企業にアピールしやすくなるからだ。もし、結果を出せたら、興味を持てる企業に再び応募しようと思っている。しかし、ずっと良い結果が出ないため、このまま続けて良いものか考えてしまう。今、二十五歳だ。
「私の描いた絵––––また、あんまり見てもらえてない。私、才能ないのかな?」
私は自室のパソコンで、ちょうど、その画像投稿サイトを確認して、つぶやく。
「こういうイラストはウケがいいはずなのに、見てくれた人だけで百人くらいしかいないよ。」
私の言う「こういうイラスト」というのは、有名な漫画やゲームのキャラクターを自分で描き換えた、所謂「二次創作」というものである。その作品が好きな人は見てくれる場合もあるので、閲覧数を稼ぎやすいのだ。
私はイラストレーターを目指しているわけだが、実際のところ、一口にイラストレーターと言っても色々ある。お堅い企業で図面を描くもの、ホームページで使用するロゴなどを作成するもの。私は、そんな中で出版社やゲーム会社で、キャラクターや背景を描く仕事に就きたかった。なぜなら、アニメやゲームが好きだからである。専門学校に通う前から、その気持ちは変わっていない。そういう経緯があるので、先程確認したイラストも、有名作品の二次創作なのだ。
私は、投稿したイラストの高評価数を確認する。ゼロだった。専門学校に在学しているときから出稿を続けているが、その時から一番見慣れている数字だ。
「私の絵––––誰も認めてくれないなあ。」
そう言うと、外から、カラスの鳴き声が聞こえてきた。馬鹿にされている気がして、少し悔しさを覚えた。
2 救済の理由
木製の高級そうなデスクで、一人モニターを見ている男性がいる。彼は、三十代半ば位に見えるが、落ち着いた茶色いショートヘアをして、顔立ちが整っている。スタイリッシュなデザインの制服を身につけているが、長身なのでモデルのように見える。アースガルズ最高神のシキである。
「野中さつき––––今回タソガレ君のところが対応する相手か。」
シキのデスクには資料が並んでいるが、彼が手に取っている資料には、「野中さつき」の情報が記載されている。
「希望する仕事に就きたい女性––––タソガレ君はどういう結論を出すのかな?」
彼がそう話す理由––––それは、特定の人物を希望する仕事に就かせる手助けには、弊害が伴うからである。例えば、ある企業に勤めたい人間が百人いるが、入れる人間は十人だとする。その場合、九十人の人間は諦めなければならない。今回の件では、野中さつきはイラストレーターになりたいが、彼女の願いを叶えた場合に、他の誰かが諦めなければいけないからである。
シキは手に取っていた資料をデスクに置き、椅子の背に寄り掛かった。
「今回のポイントは––––大勢の希望者がいる中で、『何故、彼女だけ助けるのか』という理由を明確にすることだね。」
3 トラウマ(野中さつきの視点)
画像投稿サイトで評価されなかったとはいえ、新しく作品を作らないといけない。私は、ペンタブレットに下書きとなる描線を描き込む。ペンタブレットとは、タッチパネル式の画面に、専用のペンで線を引く機械を指す。画面部分はノートパソコンと同じくらいの大きさで、専用のペンは鉛筆みたいに黒鉛を残すわけではなく、ペンが触れた部分だけ画面に色を残すのである。私は、下書きに続けて描線をなぞり、不要な部分を消去して、色の指定もした。しかし、一通り出来上がった作品を見て、私は思い悩んでしまった。
「この作品、さっき確認した作品と同じこと繰り返してるだけなんだよなあ––––そう考えると、出稿しても同じような結果になるんじゃないかな?」
今、描いた作品は、誰かの作品を自分流に描いた二次創作である。別に、二次創作が悪いというわけではないが、現在の描き方が認められていないのに、続けても仕方がないということだ。今の描き方は昔から続けていることである。
「描き方、変えたほうが良いのかな?」
私は、実物と同じように描きたがる。なぜなら、オリジナルと近い方が、そのものに対する敬意を払っている気がするからだ。完全に模倣しているわけではないが、なぜか、しっくりくるのである。
どうしてこうなったのか、考えてみた。よく自分の人生を振り返ってみると、小学校低学年の出来事が思い出された。今から二十年近くも前のことである。
自分が好きなように絵を描いていいと、担任の先生から言われた。私はクレヨンを用いて描き始めた。山間に虹が橋のように掛かり、その橋をたくさんの動物達が行進する。ライオン・ゾウ・キリン・サル・シマウマ、両親に連れられて入った動物園が楽しかったから、なんとなく絵の中に描きたくなったのだ。動物達が楽しそうに歩く姿を描きたかったので、動物達を笑顔にした。クレヨンだったので、その笑みも雑な描写だったが。
絵を描き終えたら、各生徒は先生に確認してもらい、修正案を出されなければ課題終了である。何人かの同級生が提出した後に、私も描き終え、先生の元へ向かった。
「先生、私も出来ました––––見てください。」
先生は私の絵を大して時間もかけずに見て、返答する。
「さつきさんが描いた絵––––気持ち悪いのよねえ。」
私は、目の前が真っ暗になるような感覚を覚えた。それは、自分が素敵だと感じていることを否定されたからだ。しかし、先生に対して理由を聞かなかった。子供だから、大人の言うことは正しいと思っているからである。私は、自分の席に戻り、最初から描き直した。他の生徒が描いているものを遠目に観察して、一番多く描かれている題材を描くことにした。その後は、よく覚えていない。私は絵を描くことが好きだったが、担任の先生に「気持ち悪い」と言われたことで、絵を描かなくなった。
それから、二年の月日が流れ、私は高学年になった。再び、授業で絵を描く課題が出された。今度は、自分の隣に座っている相手と向かい合って、肖像画を描くというものだった。私は、同級生の顔を真剣に描写した。すると、描き終えた後に、クラスメート達から称賛された。それは、私の描いた絵が、まるで写真で写したかのように精密だったからである。低学年のときとは違う人だが、担任の先生からも褒められた。私は、この経験を踏まえて、実物に近づけて描くことが正解だと考えるようになった
「ああ––––だから私はオリジナルに近づけたがるんだ。」
回想から戻った私は、そう結論づけた。低学年のときに先生から言われたことがトラウマとなり、高学年になって経験した成功体験から、今でも実物に近いものを描きたがる。
「空想的な絵なんて––––私が描く必要はないんだ。」
私はつぶやいた。しかし、アニメやゲームのイラストは、それこそ空想的な絵である。それが好きなくせに、自分から創り出そうとしていない。私は、たった今描いたイラストを見つめた後に、パソコンの画面へ視線を移した。画像投稿サイトに載せた自分の絵を見ると、ため息が出た。
4 野中美雪
晩御飯の準備をしているときに、リビングのテレビから、子供の笑い声が聞こえてきた。映っているのはホームドラマで、小さい女の子がお母さんと一緒に歩いている。その映像を見ていると、一人娘であるさつきのことを思いだした。
「あの子にも、あんな時期があったわね。」
自分の娘だから当たり前なのだが、感傷的な気持ちだったので、そう感じたのだろう。
切なくなっている理由は、さつきを心配しているからだ。娘が専門学校を卒業してからも、イラストレーターになる夢を諦めず、努力していることは知っている。現在は、多少の仕送りをしている状況で、さつきの夢を応援している。しかし、彼女がこのまま続けたところで、その仕事に就ける保証はないのだ。
「さつきがやりたいようにさせたいけど、それで幸せになれるのかしら、あの子。」
ふと、そんな言葉が漏れた。
いつまで彼女を応援するか––––このままでは、さつきの人生がめちゃくちゃになるかもしれない。諦めるように話した方がいいだろうか、しかし、彼女が真剣に打ち込んでいる姿を自分は知っている。そんな葛藤が、私の中でモヤモヤしていた。私は、さつきが幸せになって欲しいのである。だから、正解が知りたかった。たとえ、そんなものが存在しないとしても。
5 意志
ライジングフォーチュンの作業場で、各メンバーが大型モニターを見ている。大型モニターには、「野中さつき」の映像と、「野中美雪」の映像が映っている。
「今回は、助けるべきだと思う?」
キラボシが問いかける。彼は、暗い茶色のミディアムヘアをした美少年だ。白いシャツに藍色のネクタイとパンツを身につけていて、男子校生のように見える。
「助けるべきだよ––––さつきさんは頑張ってるし、お母さんはさつきさんを心配してるよ!」
そう答えるのはサクラである。彼女は、黄味がかった茶色いショートヘアをした美少女である。白いシャツに藍色のリボンとプリーツスカートを着用していて、女子高生のように見える。
「だけどさ––––他にも同じ目標を掲げてる奴らがいるのに、あいつだけ特別扱いする理由って何だよ。」
ハヤテが意見する。彼は、オレンジがかった茶色いショートヘアに、キラボシと同じ装いをした美少年である。
「特別扱い––––そうね、今回助けるかどうかの焦点はそこね。」
タソガレがハヤテの意見に賛同する。タソガレは茶色いミディアムヘアをした美人で、シキとは色違いの制服を身につけている。ライジングフォーチュンのリーダーで、管理や助言をする立場から、メンバーからは先生と呼ばれている。
現在、メンバーが議論している「野中さつき救済」の可否。そのために考えなければいけないことは、多くの人から一人を選ぶ理由である。それが明確にならないことには、彼らは作業を進めることができない。サクラは、さつきの努力が報われていないことや、彼女の母が不安に思っている状況を可哀想だから助けるべきだと意見するが、同じような境遇の人間は存在する。もし、さつきの夢を強制的に叶えてしまったら、同じ境遇の人間全てに適用する必要が出てくる。
「彼女が小学生のときに描いた絵––––本当に気持ち悪い作品だと思う?」
ミナモが全員に問いかける。ミナモは黒いロングヘアの綺麗な少女で、サクラと同じ服装をしている。
「気持ち悪くは––––ねえな。」
ハヤテが答える。
「そうよね。私も思わない––––むしろ、子供っぽくて可愛らしい絵だと思った。」
「そうだな––––気持ち悪いって言ったら、ホラーとかスプラッターなものを普通は思い浮かべるよな。」
「うん。それで私は、彼女に技術的な手助けはしないで––––トラウマを払拭してあげればいいと思うの。」
ミナモが提案をした。
「トラウマの払拭––––それをしてどうなるの?」
キラボシが疑問を投げかける。
「私、彼女のこと以外に、イラストを仕事にしている人のことも調べてみたの––––そうしたら、技術的な部分の他に必要とされる要素として、オリジナリティと柔軟な発想力も要求されるみたいなの。」
「オリジナリティと発想力。」
キラボシは難しい顔をした。
「オリジナリティは絵が上手いだけでなく、みんなの印象に残るような作風が必要という意味で––––柔軟な発想力というのは、プロになってから依頼人の要求に応えられる必要があるってことよ。」
「ミナモは、それを満たしてあげれば、彼女が幸せになれると思ってるの?」
タソガレがミナモに問う。
「わかりません––––ですが、彼女が世間で認められていない理由はオリジナリティと発想力の欠如です––––そして、原因は小学生のときに受けた、心ない教師の一言が関係しています––––ですから、そのトラウマだけを取り除けば良いと思います。」
「それだと、彼女がイラストレーターという職業に就ける保証はできないわね。」
「はい。なれなければ、彼女の責任です。それは、彼女の『なろう』と思う意志が弱いだけです––––でも、私は彼女がなれると信じています。」
ミナモが主張すると、メンバー達は納得した顔を見せた。技術的に支援した場合、そこに不平等が生まれてしまう。しかし、野中さつきが受けた心の傷は、彼女にとって理不尽でしかない。なぜなら、野中さつきは何も悪いことをしていないからだ。彼女の作品に悪影響となっているトラウマだけを取り除くことは、野中さつきだけを特別に扱っているとは言えない。
「先生、やりましょう!」
キラボシが後押しをした。タソガレは首を縦に振った。
「じゃあ、みんなで作戦考えよう!」
サクラの合図で、メンバーは動き出した。
6 招待状(野中さつきの視点)
朝方、ゴミ捨て場にゴミを捨てて、集合ポストを確認すると、心当たりのない郵便物が入っていた。聞いたこともない企業から届いたので不審に思ったが、とりあえず開封してみた。そうすると、中から美術館の無料券が出てきた。有名なイラストレーターの作品を展示しているらしい。
「ああ、何だか見たことあるイラストだ––––でも、なんで美術館のチケットが‥」
知らない企業から届いたものだったので、私は手違いだと考えた。後で電話しようと思った。
二時間ほど経過して、私は送付先企業に問い合わせてみると、
「それは、懸賞に当たった方へ送らせて頂いてます。」
と、返答された。私は、心当たりがないので、どうしたら良いか聞いたが、
「お客様の宛名になっているのであれば手違いではないはずです。どうぞご利用下さい。」
と、告げられた。郵便物の宛名は、間違いなく私の名前になっている。私は、
「そちらが問題なければいいのですが––––ありがとうございます。」
と、事の経緯がはっきりしなかったものの、気にすることはやめて、電話を切った。
「でも、どうしようかな––––お母さんから仕送りはしてもらってるけど、アルバイトのお給料だけじゃ贅沢はできないよね––––交通費と食事代もかかるし。」
そう私はつぶやいたが、中には食事券も入っていた。どうやら割と高級であるらしい。それを見て、行くことにした。
次の日、私は無料券を片手に、都市部から離れた美術館を訪れた。美術館周辺は、生命力にあふれた緑の木々で覆われていた。また、美術館周辺には大きな池があり、水面は鏡のように建物や自然を映し出している。その景色を見ていると、私は入館前から清々しい気持ちになり、心が癒された。
到着したのは午後一時前だったので、私は美術館を巡る前に、美術館内の食堂で食事を済ませることにした。自宅では節約生活をしているので、久しぶりの高級料理に舌鼓を打った。
食事を終えてから、私は目的である作品群を鑑賞し始めた。
「今日は、ただ作品を楽しむだけじゃなくて、作者さんがその作品で表現したかったことまで考えよう。」
私は心の中でそう思い、自分の興味を惹く作品は、じっくり時間をかけて観ることにした。
鑑賞を始めてしばらくすると、私はある作品の前で立ち止まり、既に観終わった作品へ戻った。どうして引き返したかというと、同じ作者の作品なのに、別人が描いたように見えたからだ。片方は描かれているキャラクターがくっきりした細い線で描写されているが、もう一方はぼんやりした幻想的な感じがする。どちらが優れているとかではなく、どうして描き方を変化させたのかが、気になった。
そして、疑問が残ったままだったが、別の作品を観ることにした。そうすると、今度は心が惹かれる作品に出くわした。キャラクターの描写は、さきほど観覧した細い線のものと同じように見えた。しかし、背景に積乱雲が描かれているのだが、現実では見たことがないような雰囲気をしている。また、キャラクターと背景に必然的な関係性は感じないが、何となく適合している。今、適合していると表現したが、正確には「このキャラクターを、この情景で見たかった」ことを気付かされた、が正しい。
私は美術館の絵画を一通り鑑賞すると、集中していたからだろうか、どっと疲れが出てきた。そのため、施設内のベンチで休憩することにした。そこで、観覧しているときに感じた疑問を、じっくり考える事にした。
「積乱雲が背景のイラストは、今日見た作品で一番良かったなあ––––でも、どうして私はあの絵が良いと思ったのかな?」
私は、一番印象に残った作品から考察することにした。このイラストでは、キャラクターと背景の組み合わせが何となく良いと思ったのだが、それらの配置がとても計算されているように見えた。しかし、雲の形が現実では見られないような様相を呈していた。
「私だったら、現実で見たことがあるような積乱雲にしてるなあ。」
私は、そう思った。しかし、そう考える自分の作品は評価されておらず、観覧してきた作品は評価されているのである。私は、小学生の頃を思い出す。
「低学年のときは自由に絵を描いたら悪く言われて、高学年になってから、見たままに描いたら褒められた––––でも、さっき観た作品は自由な描き方をしているのに良かった––––他の作品だって自由に書かれているけど心が惹かれる。」
私は、そう考えてから、再び小学生のときに受けた経験を反芻する。
「でも、実物に近づけた作品を描いた方が、みんなは私のことを褒めてくれる。」
さきほどの作者は非現実的な作品を描くことで認められているが、自分は現実的な作品を描くことで認められた経験がある。私は、人には向き不向きがあるからだと、結論づけることにした。しかし、非現実的な作品に対する憧れがあり、残念な気持ちが残った。
次に、描かれているキャラクターが繊細な線でくっきり描写された絵と、ぼんやりした幻想的な絵が、同じ作者だったことを思い出した。
「同じ作者さんなのに、どうして描き方を変えたんだろう––––細い線の絵が先に描かれたものだったから、心境の変化があって変えたのかな?」
私は、どちらも素敵な作品だと感じたので、作者の方向性が変わったのだと思った。そのとき、ある疑問が心に浮かんできた。私は座っていたベンチから立ち上がり、積乱雲を背景にしている絵まで戻った。そこに辿り着くと、ある事に気が付いた。それは、積乱雲を背景にしている絵と、キャラクターが繊細な線で描写された絵も、同じ作者だということだ。私が疑問に思った理由は、積乱雲の絵に描かれているキャラクターと、細い線で人間を描写した絵のキャラクターが、酷似していることを思い出したからだ。
「思った通り、これも同じ作者さんだ。」
そして、積乱雲が背景の絵は、ぼんやりした幻想的な絵の後に描写されている。つまり、この絵を描いた時点で、再び描き方を戻しているのだ。私が不思議に思っていると、近くに、ぼんやりした幻想的な絵と同じ描き方の絵が展示されていることに気付いた。積乱雲の絵よりも後に描かれた作品だった。
「あれ?また変えてる。」
私は、理由を考えることにした。描き方を変えたり戻したりの繰り返し––––売れているイラストレーターなので、どちらが正しいかで迷っているなんてことはありえない。しばらく考えてから、周囲にあるイラストを見回してみた。よく見ると、同じ著作物だと思われる作品で、描き方が共通していた。
「つまり、著作物ごとに描き方を変化させているってことなんだ。」
私は、そう結論づけた。作者の基本的な描き方はあるが、依頼を受けた案件によって、適した描き方に変化させているということである。これまで、有名なイラストレーターだとしても、特別な理由がなければ、一つの描き方しかしていないものだと思っていた。しかし、この作者は著作物によって、描き方自体を変えている。大変な労力だと思うが、それを成し遂げているのだ。自分は、イラストを上達させる努力はしている。しかし、その結論に辿り着いて、これらの作品を描いた作者は自分以上に奮闘しているように思えた。
しばらくして、私は美術館を出た。辺りは既に暗くなっていて、ずいぶん長い間、そこに留まっていたことを知った。長きに渡ったので疲れていたが、今後の創作活動で参考になることを知ることができたので、気分は前向きになっていた。
「まずは、自分が描きたいものに応じて、描き方を変えてみよう。」
それが私の掲げる、これからの目標であった。今は、お客さんがいないので、自分が描きたいものに合わせて描き方を変えることから始めようと考えたのだ。つまり、お客さんができる前の練習である。
美術館から駅に向かう途中、周辺には木々が生い茂っていたが、日が落ちていることもあり、それらは深い緑から黒のグラデーションへと変化していた。また、建物があまり見受けられない場所だったので、静粛で落ち着いた雰囲気が際立たっていた。
「美術館には綺麗な作品がたくさんあったけど、周辺の環境も綺麗だなあ。」
私は、そんなことを考えながら先へ進む。空を見上げると、星がたくさん輝いていた。今、自分が歩いている界隈は、建物が少なかったので、都市部では見えないような小さい星まで確認することができた。立ち止まって、星空を眺める。この場所を出たら、こんなに綺麗な夜空を見る機会は、しばらくないと思ったからだ。星空に心を奪われていると、私は星が落ちる瞬間を目撃した。
「あっ––––流れ星だ!」
突然の出来事だったので、私は驚いた。既に消えてしまってから、私は急かされるように手を組んで祈った。
「プロのイラストレーターになれますように––––。」
その願いが叶うかなんて分からないが、無意識に行動していた。
「消える前に願いを唱えることはできなかったけど––––私の祈りは叶うかな?」
私は、そう思い、しばらくして帰りの駅へ向かった。
7 激励の電話(野中さつきの視点)
美術館に行った次の日、私は自宅のパソコンを前にして、難しい顔をしていた。
「何を描こうかな?」
昨日、自分が描こうと思ったものによって、描き方を適したものへ変えようと思ったが、描きたいものが決まらない。そういうわけで、自分が登録している画像投稿サイトや有名なイラストレーターのイラストを、インターネットで調べて、インスピレーションが湧いてくるのを待った。
しかし、ずいぶん長い時間をかけて検索しても、良いアイデアが浮かんでこなかった。目的は、はっきりしているのだが、なかなか上手くいかないものだ。自室の窓に顔を向けると、すでに外は暗くなっている。時間が経つのは早いものだと思った。その時、ふいに私のスマートフォンが鳴り出したので、私は応対した。着信は母からのようだ。
「もしもし」
「もしもし、お母さんです。」
「うん。元気だった?––––ところで、どうかしたの?」
「特に理由もないんだけど––––最近、声を聞いていなかったから。」
「ああ、そうだね––––二ヶ月くらい話してなかったね。」
「そうね––––さつきは元気だった?」
「うん。相変わらず就職活動が上手くいってないから気持ちは沈んでるけど、体調は良いかな––––ところでね、昨日美術館に行ってきたんだけど、帰りに流れ星を見たんだよ!」
私は、母と会話をしている内に、美術館で流れ星を見たことが思い出されたので、話題にした。
「流れ星?お母さんは見たことないわ––––何か良いことでもあるといいんだけどね。」
「うん。『プロのイラストレーターになれますように』って願ったよ––––すぐに消えちゃったから、見えなくなった後に祈ったんだけど。」
「そうなのね。叶うといいわね。ところで、美術館に行くなんて珍しいわね。」
「うん。なぜか無料券が手に入ったから行ってきたんだけど、行って良かったよ––––勉強になることがあったから。」
「勉強になること?」
「うん。あるイラストレーターさんが、全然違う描き方で作品を描いていることに気付いたの。どうやら、依頼を受けた仕事によって、描き方を変えてるみたいだった。私は自分の描き方でしか描いてなかったから、相手の要望に合わせることも大事なことが分かったの。」
自分が成長したことを伝えているからだろうか、私は喜びを交えて話した。
「そうね。どんな仕事でも大事なことよね。お客さんの要望に合わせるってことは––––そうしないと、仕事が貰えなくなっちゃうからね。」
「うん、そうだね。まあ、今は、お客さんなんていないから要望も聞けないけど、最初は練習として自分が描きたいものによって描き方を変えるところから始めるんだ。」
「そうね。いいんじゃないの?」
「うん––––でもね、美術館に行って良かったことだけじゃなくて、残念に思ったことも一つあったんだ。」
「残念に思ったこと?」
「うん。現実では見られないような積乱雲を背景に、可愛いキャラクターの描かれている絵があったんだけど––––非現実的なイラストなのに、私はそれが良いって思ったの––––でも、私は現実に近づけた作品を描く方が向いているみたいだから。」
「そうなのね––––さつきは『現実に近づけて描くことを心がけてる』って、よく言ってるものね––––でも、非現実的な絵に惹かれたのね。」
「そうだね––––私、小学生のときに受けた嫌な思い出があるから、それが原因でそういう描き方になったみたいだけど。」
母と「現実に近づけて描くことを心がけてる」という、私の描くことにおける理念を話し合う内に、私は小学生のときに受けたトラウマを思い出した。
「『小学生のときに受けた嫌な思い出』?––––お母さん、初めて聞いたわ。」
「低学年のときに、動物達が山と山の間に架かった虹を行進する、絵を描いたんだけど、先生に提出したら『気持ち悪い』って言われたの––––それから高学年になって写真のように精密な絵を描いたら、みんなから絶賛された––––だから、現実に近づけて描くようになったんだよ。」
私は、少し前まで嬉しそうに話していたが、一変して元気のない声で話した。あまり思い出したくない記憶だからだ。少しの間、沈黙が続いた。
「それは、低学年のときに受け持った先生が悪いだけよ––––先生も人間だから、何かストレスでも抱えていたのかもしれないけど––––子供に向ける言葉じゃないわ!」
母の言葉には気持ちがこもっていた。そう言われたとき、自分の信念が揺らぐ感覚を覚えた。
「先生が––––間違ってた?」
「大人だからって、いつでも正しいことを言うなんてありえないわ––––間違ったことを伝えてしまうこともあるし、イライラしていて人に酷いことを言うことだってある。」
「‥‥。」
「それでもね、小学生が心を込めて描いた絵に悪く言える理由なんてないの!––––ストレスが溜まっているなら、人に当たるんじゃなくて別の方法を考えるべきだわ––––ましてや子供にそれをぶつけるなんて。」
私は、大人の言うことは正しいという気持ちが強かったため、母の見解を受けて、考えだした。
「でも,、結果として、写真のように精密に描いたら褒められて––––今は、褒められてないけど。」
「あなたは––––自分の作品を見てくれる人達に、自分が感動できると信じているものを提案すればいいのよ––––私は、絵のことなんてよく分からないけど、自分が信じていないもので誰を感動させられるの?」
「私が信じているもの––––昨日の絵みたいな作品––––それが良いと思えれば、非現実的でも良いのかな?」
「良いんじゃないの?––––実物と同じように描くのは、写真家さんに任せたら?」
私がどれだけ実物に近づけた絵を描いても、そのものを写し出した写真には劣ってしまう。そうであるならば、絵を描く意味とはなんだろう?––––それは、自分が本当に良いと思えるものを表現することではないだろうか––––つまり、実物に似せるのではなく、描くものを自分が最適だと考える姿に変換することだ。美術館で観覧した、積乱雲が背景のイラストも、作者が一番綺麗だと信じる絵を具現化するために、雲の形を変えたのだろう。
「––––そうだね。私がどれだけ努力しても、写真には敵わないね。」
私は、母の意見を聞いて、心の中にある靄が晴れた気持ちになった。
「お母さん、私、模倣すること辞めるよ。これからは、自分が良いと思えるものを自由に描く!」
「まあ、勉強も大事だけどね。」
「うん。これからは模倣じゃなくて、参考にする。」
私の言葉を聞いて、母は優しく笑っていた。私は、昨日解決しなかった疑問が解消されて、創作意欲が湧いてきた。
8 トラウマとの決別(野中さつきの視点)
私は母との電話を終えてから、自分が描きたいものについて考えた。これまでのように、インターネットで他人のイラストを検索することで、描きたいと思える題材を得られることもあるだろう。しかし、問題点として、そのイラストは既にその人が描いてしまっている。二次創作が悪いわけではないが、今は自分の中から新しいものを作れるようになりたいのだ。そこで私は、もっと身近なところに意欲を掻き立てるものがなかったか、記憶を辿った。しばらく思案した後、私は描くものが決まった。それは、「過去との決別」であった。
明くる日、私は朝のルーティンを終えると、針穴に糸を通すときのような集中力で、創作活動に打ち込んだ。それまでも集中していなかったわけではないが、自分の描きたいものを描いている方が、モチベーションが高くなるということだろう。私の視線は、ペンタブレットを貫くほど鋭くなっていた。また、ペンが作る軌跡は、これまでよりも正確だった。
私は、素人目には上手いと思える絵が描けても、何度も修正した。なぜなら、自分が心の中で描いている絵と違っているからだ。それを実現させるために、これまでの自分が持つ作風から脱却して、イメージに最も適した描き方で描かなければいけないのだ。そのこだわりは、私から創作に対する甘さを消失させた。
イラストを描き始めて、十日が経過した。描くものにもよるが、私は描き始めた日に描き終えることがほとんどだった。そのため、一枚のイラストにこれだけ時間をかけたのは初めてだったかも知れない。
「できた!」
そろそろ日が変わるという時間に、私は作品を作り終えた。全身全霊で臨んだからだろうか?私は清々しい気持ちだった。
「今日はもう疲れたから、寝よう––––そして、明日になったら投稿しよう。」
私は弱々しい声で言って、眠る準備を始めた。十日間に渡って集中していたため、足取りがフラついている。また、頭がとてもぼんやりしていた。しかし、描き終えたときから継続して、さっぱりした気分をしていた。なぜなら、ペンタブレットに表示されているイラストは、私にとっての最高傑作だからだ。
私が描いたイラストのタイトルは、「少女に向けた願い星」である。
数日後、私は画像投稿サイトを確認した。すると、投稿した作品は、見たこともない数の高評価を得ていた。
「これ、高評価の数?––––閲覧数じゃないよね?」
私が「少女に向けた願い星」で手に入れた高評価の数は、これまでに投稿した最大の閲覧数を超えていた。私は信じられないような光景を見て、嬉しいではなく、信じられないといった気持ちになった。しかし、次第に喜びの感情も込み上げてきた。
「嘘みたい––––お母さんの言った通り、自分が良いと思ったものを信じて良かった。」
私は、作品が完成してからは燃え尽きたようになり、まったく描かないわけではないが、モチベーションは下がっていた。しかし、世間から評価されたことにより、創作意欲が再び湧き起こってくるのを感じた。
日が暮れてから、私は母に電話をかけた。画像投稿サイトの件を話したかったからだ。
「もしもし、さつきです。」
「もしもし。」
「二週間前に電話したばっかりだけど、報告したいことがあって。」
「報告したいこと?」
「うん。実はね、この間電話した後に描いた絵が、掲載したサイトで評判がいいの!」
「掲載したサイト?お母さん、あんまりそういうの詳しくないけど、とりあえず良かったわね。」
「うん。今まで誰からも褒められなかったのに、突然たくさん褒められて––––。」
「本当?良かったわね。」
「お母さんの言った通り、自分が良いと思ったものを描いたからだよ––––こんなに集中して描いたのは、自分でも初めてだった––––イラストのタイトルは『少女に向けた願い星』って付けたの。この間見た流れ星は一つだけだったけど、私は無数に落下する星を描いたんだ––––こんな情景を小学校低学年の私に見せたかったから。」
私が「少女に向けた願い星」というタイトルを付けた理由は、小学生のときに描いた絵を「気持ち悪い」と言われて落胆する私へ、「あなたの心を写した絵は気持ち悪くなんてない––––それが現実よりも素敵なものなら、表現しないのはもったいないことだよ」と、伝えたかったからだ。もし、小学校低学年の私にその気持ちが伝えられたら、どうなっていただろうか––––考えても分からないことだが、長い年月を経て、今の私から続きは始まった。
「それを見たら、小さい時のさつきは、どう思うかしらね?––––きっと綺麗だと思うでしょうね––––何にせよ、あなたの役に立てたのなら、お母さんは嬉しいわ。」
母の言葉で、小さい頃の自分が無邪気に笑う姿が、頭の中に浮かんできた。
「うん––––ありがとう、お母さん。」
私は、心をこめて伝えた。母から、自分が変わるきっかけをもらっていたからだ。
「どういたしまして––––でも、また描かなきゃいけないんでしょ?––––体に気を付けて頑張ってね。」
「分かった。ありがとう––––またね。」
私は電話を切った。今、報告した通り、私は多くの人から評価されるようになって自信はついたが、継続して良い作品を作らなければいけなかった。それができなければ、プロでは通用しないからである。
母からは体に気を付けるように言われたが、私はすぐに良い作品を完成させたいと思った。しかし、それから何を描くか考えても、意欲が湧くような題材は思い浮かばなかった。私は、「良いひらめきがすぐに生まれてくる」、そんな才能が欲しいと思った。
9 突然の雨(野中さつきの視点)
本日は、朝からアルバイトに従事していた。就業時間を過ぎたので、私は職場を出て自宅に向かうところだった。私が働いている場所は海沿いに面しているので、通勤途中に海を確認することができる。帰り道で、何となくそれを眺めていた。まだ空は青いが、そろそろオレンジ色に変わり出す時間だった。
「帰ったら、また創作活動に入りたいけど––––ぴんと来るものが無いんだよなあ。」
私は、歩きながら思った。そのとき、肌に微かな感覚を覚えた。どうやら雨が降ってくるらしい。駅に到着するまでは持つだろうと思っていたが、突然、雨足が強くなってきた。
「そんなに雲は無いのに––––お天気雨かな?」
私は折り畳み傘を持っていなかったので、避難できる場所を探した。近くを見回すと、公共の施設と思しき建物を発見したので、急いで駆け込んだ。大きい玄関があったので、中には入らず、庇の下で雨宿りすることにした。空は晴れているので、短時間で雨は止むと思ったからである。念の為、スマートフォンで本日の天気予報を確認したが、雨の予定はない様子だった。
「すぐに止むといいけど。」
そう思いながら、私は降り注ぐ雨を眺めていた。
五分ほど経過すると、思った通り雨足は弱くなり、すぐに止んだ。それを確認して、私は避難していた施設を後にした。海沿いの道へ向かいながら、
「駅に着くまで待っててくれたら良かったのに。」
なんて思った。しかし、そう思ったことは間違いだった。なぜなら、私が道へ戻ったときに、空から海の水平線にかけて、虹が架かっていたからだ。
赤から黄色、黄色から緑、緑から青へと色を変えていく虹が、海の水平線から伸びている。そして、よく見ると、虹は水平線の境から、鏡のように海へ映っていた。完全にくっきりとではなかったが、波が穏やかだから水面に映ったのだろう。虹を目撃することは稀な出来事だが、海に映っている光景は尚更珍しいものである。
「ああ、綺麗だなあ。」
私は、そうつぶやいて、見惚れていた。しばらくしてから、スマートフォンで写真を撮った。何となくの行動だった。それから、少し佇んで、駅へ向かうことにした。
帰りの電車に揺られながら、私はさきほど撮影した虹の画像を眺めた。虹が水鏡に映っている光景なんて、一生で何度見ることができるだろう––––もしかしたら、それを見ることがない人もいるのではないだろうか。私はそんなことを考えながら、目的地へ到着するのを待った。
その時、ある考えが浮かんできた。
「この綺麗な情景を自分の中で変換して、もっと印象的で素敵なものにしたらどうだろう?」
私は、さきほど遭遇した光景を絵にしようと思った。そして、それを本物さえ羨むような作品に変えようと考えたのだ。母に言われた通り、実物を描写することに関しては、写真を上回ることはできない。しかし、本物よりも感動できるものにできる可能性はある。それを成し遂げるために必要なことは、「自分の心に、それが浮かんでいるかどうか」である。目をつぶり、さきほどの情景を超えるようなものが思い浮かぶか考えた。しばらく考えた後––––私の中に、一つの着想が浮かんだ。
「帰ってから調べなきゃいけないことはあるけど––––この間描いた作品を超えられるかもしれない。」
私は、とても落ち着いた気持ちで思った。
そのとき、ふと、私はアイデアが固まるまでの流れを振り返った。そこから、あることに気づいた。
「この間、『良いひらめきがすぐに生まれてくる』才能が欲しいと思ったけど––––普段の生活で何となく綺麗だと思ったことを、自分の中で変換すれば良かったんだ。」
これから創作活動を続けていくために欲しいと思った力だったが、今、その手順を理解することができたのだ。創作するのに大切なことは心である。良い着想を得るためには、すでにある良いものを認められる心が必要で、それを進化させるためには、変更前と後を平等に判断できる心が必要である。変更後の方が良いと考えるならば、それは創作するに値するものである。
電車が目的地に停車する。私は、スッキリした顔で、電車を降りた。
自宅に到着する頃には、空はオレンジ色に変わっていた。私は、すぐにデスクの前へ座り、インターネットで調べものを始めた。さきほど考えついた着想に、必要なものがあったからだ。突然の雨で偶然見ることができた、海上の虹と海面を鏡として映し出された虹。これだけでは、ただの風景画になってしまう。だから、組み合わせるのに適した相手を探さなければいけない。
「この素敵な情景にふさわしいキャラクターは––––。」
私は一時間ほど調べて、その後、どういう感じで描くかイメージした。そして、しばらくして、自分の中に描くものが決まった。
10 進化(野中さつきの視点)
私が作業を始めてから、二週間近く経過した。「少女に向けた願い星」を描写したときと同じように集中して描いたが、前回よりも難しい内容だったため、作業に時間がかかっていた。疲労も溜まっていたが、自分にとって自信を持てる作品だったので、頑張り続けることができた。そして、私は、とうとう描き終えることができたのだ。
「できた!」
私は、疲れながらも明るい声で言った。前回と同様に、清々しい気持ちだった。しばらくの間、完成した作品を何度も眺めては、達成感を味わった。作業へ取りかかる前に「本物よりも感動できるもの」を描こうと思い、納得できる作品ができたから、そう感じられたのである。しかし、疲労もピークだったため、ペンタブレットを置いて寝床へ向かうことにした。日中だったが、横になると間も無く、私は眠りにつくことができた。
私が今回描いたイラストのタイトルは、「テティスと虹のリング」である。海面に水鏡として映し出された虹は、実際には全ての部分を確認することはできなかった。しかし、私のイラストでは、見ることができなかった箇所も描写し、虹と海へ反射した虹を繋げてリング状にしたのだ。海に関しても、私の理想を込めた構図にしている。また、その情景に組み合わせた「テティス」とは、ギリシア神話で非常に有名な英雄である「アキレウス」の母である。彼女は英雄の実母であると共に、神話における海の女神でもある。私が実際に見た虹も、私が描いた虹も、鏡として映し出しているのは海である。そういう理由で、私は海の女神であるテティスをキャラクターとして配置したのである。
「テティスが海を用いて、この情景を創り出したのだ。」
そのように、私は表現したかったのだ。
11 よい便り
数日後、さつきはアルバイトから帰る途中で、あやめが咲いていることに気付いた。鮮やかな紫色の花弁が綺麗だったので、しばらく観察したようだ。彼女は、これから新しく創作する作品に取り入れるのも良いと考えたのだ。このように、さつきは新しい着想を生み出す手順に気づいてから、通勤や買い物のときに綺麗なものを見つけると観察する癖がついていた。今まで気にもかけなかったことを、勿体なかったと考えるようになったのだ。
さつきは自宅に到着してから、画像投稿サイトを確認した。前回は上手くいったが、成功した要因として結論づけた仮説に、絶対的な自信を持っているわけではなかったので、確認するのを怖がっていたのだ。彼女は、緊張しながら投稿サイトを確認した。そうすると、前作以上の反響があった。
「ああ、良かった。」
自分の考えが間違っていなかったのだと思い、さつきは胸をなでおろした。彼女の考えた仮説が信頼性を高めたのである。これにより、彼女は創作するときの心構えが固まった。
その後、さつきは画像投稿サイトをしばらく眺めていたが、メールの通知があることに気付いた。
「あれ?何だろう––––サイトの運営側からかな?」
彼女は、投稿サイトを運営している会社から連絡が来たものだと思った。しかし、メールを開封してみると、有名な出版社からだった。メールの内容はこうである。
突然の連絡失礼いたします。
株式会社○○の川端由紀夫と申します。
△△様が投稿されたイラストを拝見して、連絡しました。
△△様の作品を当社スタッフが確認いたしましたら、非常に秀逸な技術と独創性を感じると、スタッフの多くが申しております。
今回、連絡させていただいた理由は、当社の出版物で△△様にイラストを依頼したいという内容です。
しかし、守秘義務を伴うことであるため、メールで詳細な事を記載することができません。
そのため、もし、ご興味をお持ちいただけましたら、打ち合わせのお時間をいただけないでしょうか。
△△様のご都合やご住所に関する情報も踏まえた上で、日時と場所を考えたいので、それらの情報も含めて、ご返信頂けると助かります。
お忙しいところ恐縮ですが、ご連絡よろしくお願いします。
さつきは、このメールを見て、呆然とした。何が起こっているのか、分からなかったからである。しかし、しばらくして、少しずつ嬉しさが込み上げてきた。
「これ、仕事の依頼だよね?」
これが本当であれば、彼女にはイラストレーターとして初めての仕事である。自分がなりたいと思っていたものに、なることができるのだ。しかし、そう思って間もなく、さつきは一旦、喜びを抑えることにした。それは、相手方と正式に契約したわけではなかったからだ。彼女は、とりあえず落ち着いて、先方と会うための準備を進めることにした。
さつきは、出版社からのメールを受けてから数日後に、母に電話しようとしていた。それは、イラストの仕事が決まったことを報告したかったからだ。メールを受けた後、実際に出版社の担当者と面会し、仕事の件が本当であると判明した。そのことに関して、彼女は報告と感謝をしたかったのだ。
「もしもし、さつきです。」
「もしもし。」
「今日は、お母さんに報告したいことがあって電話したの。」
「報告したいこと?」
「うん––––実はね、この間、新しくイラストを描いてインターネット上に掲載したんだけど––––描いた作品を出版社の人が見てくれたみたいで、仕事をいただいたの。」
「『仕事をいただいた』って––––イラストの?」
「うん––––イラストの仕事。」
「すごいじゃない!」
「うん––––ありがとう。」
「出版社の人達も見逃せないような、そんな作品だったってことね。」
「言い過ぎだよ––––でも、そう思ってくれてたら良いね。」
美雪の褒め言葉に、さつきは照れたように言った。
「でも、これからも大変ね––––今度からは一人で仕事するわけじゃないから、新しく要求されることも出てくるでしょうし。」
「そうだね––––でも、それは、そのときに考えるよ。」
「そうね、今から考えても仕方ないわよね––––さつき、頑張ってね。」
「うん。ところで、お母さん‥。」
「何?」
二人の会話に、しばしの間が空いた。
「今まで応援してくれてありがとうね––––援助のことだけじゃなくて、激励してくれたことも。」
さつきは、美雪に対して感謝の気持ちを込めて伝えた。彼女が目標に到達できたのは、美雪の存在が不可欠だったからだ。美雪は、資金援助だけでなく、さつきが自由なイラストを描けるようになったきっかけも与えてくれたのだ。
「いいのよ––––娘の心配をしない親がどこにいるっていうの?」
美雪は、泣きそうな声で話した。娘の言葉が嬉しかったのだ。
「そう思ってくれる親で良かったよ––––本当にありがとう。」
「どういたしまして。」
「ところで、今取りかからないといけない仕事が一段落して、時間に余裕ができたら、そっちに帰省するよ––––お母さんに、私がインターネット上に投稿した作品を見て欲しいし。」
「うん。楽しみにしてるわね。」
「じゃあ、そろそろ電話切るね––––私、また良い作品が作れるように、頑張るね。」
「ええ。でも、体には気をつけてね。」
さつきは、美雪の言葉を聞いて、電話を切った。自分の母親に良い報告と感謝ができたので、スッキリした表情をしていた。しかし、しばらくして、彼女は真剣な顔に変わった。それは、今後の事を考えたからである。美雪に言われたように、イラストを描くにあたって、これからは新たに要求されることも出てくる。それに対応していくことは、おそらく容易なことではない。それでも、さつきは自信のある表情をしていた。それは、二枚のイラストそれぞれで、描写するために必要とされることをクリアしてきたからである。今後、困難に遭遇しても、野中さつきなら大丈夫であろう。
パソコンの画面に、彼女の作品が表示されている。画面の中で、虹のリングを創り出した女神は優しく微笑んでいた。
12 海の女神
シキは、デスクでモニターを見ていた。彼は、画面に映っている野中さつきを見て、満足そうな表情をした。
「今回の件を初めて知ったとき、『大勢の希望者がいる中で、何故彼女を助けるのか』が、ポイントだと思ったけど––––タソガレ君のところは、彼女のトラウマを払拭させて、彼女が独創的な作品を作れるようになる、きっかけを与えたのか––––確かに、それならば問題ないと言えるな––––そのトラウマを彼女が受けたことは、ただの被害だからね––––あと、発想力まで手に入れた部分に関しては、被害に対する賠償といったところかな?」
つまり、理不尽な被害に関しては、神様が救済しても問題ないということである。野中さつきは、イラストを描く技術に関しては優れていたので、その部分を神様が助ける必要はなかった。しかし、仮に、専門学校に通うための資金を騙し取られていたとしたら、技術支援をしても良かったのである。
「しかし、仕事だから、こんな風に因果関係をはっきりさせてから、対応しなければいけないわけだけど––––。」
シキは、モニターの野中さつきを再び見つめる。
「こんなに嬉しそうな顔をしてくれていると––––理屈なんて関係無しに、こちらも嬉しくなるなあ。」
シキはそう話すと、微笑を浮かべた。
ライジングフォーチュンの作業場では、一仕事を終えた各メンバーが、緊張感から開放された表情をしていた。
「今回は上手くいくかどうか怪しかったけど、成功して良かったね。」
サクラは全員に向けて言った。
「そうね。今回は『管理項目』を使用することになったけど、地上に与える影響はとても小さいものだったから、結果として良かったわ。」
タソガレは答える。彼女が発言した「管理項目」とは––––。
管理項目とは上級神以上でないと適用できない項目で、人間の作ったコンピューターや機械を操作することができる。一般の神様が使用できる調整と比べて、人間に対して隠密性の高い状態で影響を与えることができる。処理が見えづらく、他の神様からも指摘されづらいため、人間で言うところの「人格者」として認められている上級神以上でないと適用できない定めとなっている。今回は、ある企業の抽選結果をシステム上で弄り、野中さつきが美術館の無料券を必ず手に入れられるように、プログラムを一時的に書き換えた。本来、抽選に当選する人が一人減ったわけだが、それほど価値の高い商品ではないので、タソガレは「地上に与える影響はとても小さいもの」としている。
「まず、先生が扇動することで、彼女の作品に対する考え方を変えて––––その後に、着想となる流れ星を僕が作り出したわけですね––––僕の名前にも入っている通り、やはり星は素敵ですね!」
そう話すのはキラボシである。彼は、野中さつきが流れ星を題材にしてくれると信じて、それを作り出したのだ。つまり、実際のところは、失敗する可能性もあったのだ。
「でも、美術館で気づいて欲しかった二つのことで、片方はそこで理解してくれなかったからね––––彼女のお母さんがそれを気づかせてくれたことは助かったわ。」
キラボシはタソガレの扇動が野中さつきに影響を与えたと話したが、タソガレのいう通り、野中さつきは著作物によって作風を変えることには気づいたものの、現実から脱却した自由な作品を描くことには気づかなかった。それを代わりに気づかせてくれたのは、野中さつきの母親であった。つまり、今回は、神様側ですべて計算通りに進んだわけではなく、偶然も重なっていたのである。
「何にせよ、そこが上手くいったから、その後は、あの女に綺麗なものを見せるだけで良くなったのは楽でしたね。」
ハヤテはタソガレに向けて言った。「少女に向けた願い星」はキラボシの流れ星から着想が出ているが、「テティスと虹のリング」の原案となった虹は、ハヤテとミナモの仕事であった。お天気雨をハヤテが降らせて、虹を作り出す水の屈折率や反射率と、水鏡として使用する海の反射率は、ミナモが調整したのだ。
「調整することが多すぎて、私、疲れちゃったわ。」
ミナモは複雑な調整に追われてしまったことで、他のメンバーよりも疲れている様子であった。
「ミナモは忙しかったからね––––でも、彼女を助けるように提案したのもあなただったから、頑張りたかったのよね?」
タソガレに、そう言われて、ミナモは疲れながらも微笑を浮かべた。
「でも、私達が綺麗だと思っているものをイラストにされるって、嫌な気はしないよね。」
サクラは話した。今回、彼女は重要なところで目立たなかったが、野中さつきに出版社から連絡が入る日を計算して、あやめの花を用意していたのである。あやめの花言葉は、「よい便り」である。
「そうね––––もしかしたら、サクラの用意したあやめの花だって、今後、描いてくれるかもしれないわよ。」
ミナモはサクラに言った。
「そうだったら嬉しいなあ––––ところで、ミナモちゃんは『テティスと虹のリング』ってイラスト見た?」
「え?良く見てないけど。」
「このテティスって、海の女神みたいなんだけど––––このイラストの女神様、ミナモちゃんにそっくりなの。」
サクラの言葉を受けて、ミナモはイラストの女神に視線を向けた。ミナモは少し恥ずかしがりながら、優しい女神の笑顔を見せた。
(完)
この話で、野中さつきが小学生時代に受けたトラウマは、現実で作者が同じ時期に受けた出来事です。
私は、その後にイラストレーターになろうとは思いませんでしたが、もし作中の人物と同じ道を進んでいた場合に、理想とする想像を書きました。
多くの人が、もっと相手を気遣えるようになって、無闇に人を傷つけなくなると良いと思います。




