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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

Sacrifice

作者: ゆるゆる堂

 求められているんだ、役に立っているんだ、と嬉しそうに笑いながら血を流す主人を、あと何度見れば、この地獄は終わるんだろうか。




「でね、領主様がね、褒めてくれたんだぁ」

「それはようございました」

「でしょ!あ、いてて」

 十九になる私の主、フィズ様は、その年齢にしては幼すぎる微笑みを私に向ける。

 今日は腕か。

 痛々しく滲んだ血が、彼の傷ついた場所を教えてくれる。

 包帯くらい、巻いてくれればいいものを。

 そう思うが、フィズ様に自分以外が触れるなど、それはそれで嫌だ、と思うから難しい。

「では、失礼いたしますね」

「うん、今日もよろしくね」

 主人の腕をとり、傷を舐め上げる。

 痛みからかフィズ様は小さく息を飲んだ。

 私が舐めたところから、傷が消えていく。目視できる傷を全て舐めてから、「痛みましたね、申し訳ありません」と頭を下げると「ううん、大丈夫だよ。ありがとう」と主人は笑って、私の頭を撫でた。

 大丈夫なわけないだろう。

 それでも、痛みを感じることに慣れてしまった主人は、呻く事はあっても、痛みをおうことに対しての文句を言う事はない。

「今日の傷はまだ浅かったでしょ。結界にぶつかった子、小さな魔物だったみたい。でもそういう小さな魔物もちゃんと弾けないと意味がないからさ。よかったよかった」

「浅くても、深くても、フィズ様に傷がつくのは、私には“よかった”とは言えません」

「あはは、ヒールは真面目だなぁ。でもそれがサクリファイスの役目だもの。僕はこうしてみんなの役に立てることが幸せだよ?」

 サクリファイスは、この街を守る結界を維持する英雄だ。フィズ様で二十一代目。結界を維持するために常に魔力を放出し、結界に何かがあれば己に傷をおわせることで結界を修復する存在。

 魔物が暮らす森との境にあるこの街は、国の守りの要とも言われ、ここが落ちれば、魔物の街道への出現率は上がるだろうとも言われている。

 だからこそ強固で巨大な結界をもって森と街を分断しなければならず、フィズ様もそのように教育され、その役目に誇りを持って望んでいるけれど。

 けれど、私はやっぱりただの生贄だと思う。フィズ様も、この街そのものも。

 笑顔で、自ら傷を負うフィズ様の置かれた環境は、ただの地獄じゃないかと思うのだ。

 私には幼い頃の記憶はない。ふらふらと結界の外を彷徨っていたところをフィズ様が見つけて拾ってくださった。

 たまたま傷を癒す能力があって、こうしてフィズ様の身の回りを整えながら、結界への干渉により負った傷を癒している。

 癒すことができても、……傷を負う痛みを代われるわけではない。

 どうしたって、私は無力だ。



 ***



「ヒール、ごめん、ヒールきて……」

 僕は、どうしても我慢できない痛みに、真夜中で申し訳ないなぁと思いながらもヒールを読んだ。こんな僕の同室にいてくれる彼は、心配そうに「どうしました」と言いながらすぐに側に来てくれた。

「ごめんね、寝てたよね。でも、痛くて…、たぶん、大きなのが、ぶつかってきたんだと思う…。あっ結界は壊れてないよ。でも朝になったら町長様に報告にいかないと……、うぐ」

 傷の場所は左足の内腿。この感じだと多分ぱっかり裂けているんだろう。

 小さな痛みなら我慢できるけど、ここまでのは、辛くて。

 僕らサクリファイスは基本的に命が短い。

 それは、負う傷の量に回復が間に合わないからだという。僕の場合は、ヒールがいてくれて、癒してくれるから歴代のサクリファイスの中でも長命な方だ。

 甘えすぎている、とは思うけれど。

 近くに来てくれたヒールはすぐに僕のズボンをおろして、傷を確認してくれた。

 小さく息を飲むのが聞こえた。

「これは……、すみません、かなり痛むかと思いますが、すぐに治します」

「ありがと、ごめんね」

「いえ。声は、我慢しなくていいですからね。痛いなら痛いと声をあげてくださいね。声で痛みを逃した方が楽なはずです」

「うん。わかった、……うあぁ!」

 ヒールの言葉に頷いた次の瞬間、目の前がチカチカするような激痛が体をかけた。

 痛い、痛い痛い痛い。

 痛いというのは言葉にはならず、喉からは「あ」とか「う」とか「お」とかにてんてんつけたみたいな声だけが溢れていく。

 だけど、それもだんだん引いて、ほんの少しの時間で痛みが完全に消えていった。

 ヒールのこの能力は本当にすごいと思う。もっとたくさんの人にこの力は使われるべきだと思ってそう進言したこともあるのだけど、ヒールは首を横に振って「私は、フィズ様だけのモノなのです」って言ってたなぁ、そういえば。

 そんな真面目さが僕はやっぱり好きで、そっか、と言っただけで他のだれにもヒールの能力のことは話していない。

「楽になりましたか、フィズ様」

「うん、さすがヒール。ありがとう」

「いいえ、起こしてくださって有り難うございました。傷を負ってすぐに気づけず申し訳ありません」

 僕に新しい着替えを着せながら、ヒールがそんな風に頭をさげたものだから、僕は慌ててしまった。

「えっ⁉︎ううん!なんでそんなこというの?ヒールだって休みは必要でしょう?」

「それは、休むことを許されず結界維持し続けるフィズ様に言われても、説得力にかけるというものですよ」

「そういうもの?」

「ええ、そういうものです」

 ヒールの言葉に少し首を傾げながら、まあ、ヒールがいうならそうなのかもな、と思う。

「もうすぐ夜明けかな」

「いえ。まだもう少しありますね。眠れそうなら眠ってください」

「そうだね」

 素直に僕は布団にもどる。が、布団が血まみれなことに気がついた。

「あー、どうしよこれ」

 起きたら布団に血のしみが、ということはよくあるけれど、流石にじっとり感じるくらいの血の量はそうそう無い。僕の様子に気がついたヒールが、ああ、と眉を寄せる。

「私の寝台を使ってください。恐れ多くはありますが、血まみれで寝るよりはマシなはずです」

「ええ?でもそんなことしたらヒール眠る場所ないじゃない」

「私はもともと睡眠時間短いので、問題ありません。さあ、もう一度着替えて」

 血まみれ布団に戻ったせいでまた血で汚れてしまった服を着替えて、僕はヒールのベッドに潜り込む。

 今まで本当に寝ていたの?と思うくらいにはひんやりと冷えていた布団は、ヒールの臭いがする。

「つめたいけど、なんかホッとする」

「左様でございますか」

「うん。ありがと、ヒール」

「いいえ。おやすみなさいませ、フィズ様」

 ヒールがとんとんと僕の布団をリズムよく叩いてくれる。

 さすがに子どもじゃないんだからと思ったけれど、思いの外それが心地良くて、僕はまたすぐに夢の世界へ落ちていった。

 


 ***


 

 血塗れになったシーツや布団の処理をしながら、はぁ、とため息が出る。

 どこに怒りや悲しみを向けていいのかわからない。結界にぶつかってくる魔物へか、サクリファイスというものを生み出した人へか。

 今のままであれば、フィズ様が解放されるのは死ぬときだけだ。あの優しい人が、冷たくなる瞬間なんて考えたくもない。傷だけでも身代わりになれないかと色々調べてはいるものの、これという成果もない。

「ヒール、どうした。いつもより早いな」

「町長様」

 後ろから声をかけてきたのは、この街の長。いうなればフィズ様をサクリファイスにした人だ。

 サクリファイスは、当代が持ってあと数年、という代替わりのタイミングでこの街に生まれた1番魔力の強いこどもが選ばれる。嫌だ嫌だと泣き叫ぶ両親のもとから、無理やり引き剥がされ、そしてサクリファイスとしての教育をうけ、自己犠牲が当たり前だと洗脳を受けるのだ、と私に説明してくれたのもこの人だ。

 そんなことを私に言って良いのですかと聞いたら、君には言っておくべきだろう、とこの人は言っていた。

 恨む対象といえばそうなのだが、そういう気持ちになれないのは、この人がフィズ様の実父だからだろうか。(フィズ様は知らないけれど)

「フィズ様が、大きな怪我をされたので」

「そうか……。君からみて、フィズはまだ保ちそうか?」

 保つ、というのは、死なないか?という問いだ。私は曖昧に笑ってみせる。傷は治しても、血を補強できるわけではない。頻繁な失血分の体への負担がどれくらいなのか、私にはわからないのだ。

 町長様には多分、フィズ様の傷の治りが異常に早いこと、それに私が関与していることはもうバレているだろう。だから「君から見て」なのだろうと思う。

 私の反応に、困ったような、悲しんでいるような、そんな顔をして微笑んでから、町長様は「明日、報告を待っている」とだけ言って、執務室のほうへと歩いていった。

 私に早い、と声をかけてくださったが、町長様も妙に早い。

 少しだけ、嫌な予感がした。

 


 ***


 

「おはよう、ヒール!」

「おはようございます、フィズ様。……お顔の色が優れませんね。痛みは」

「ないよ!でもちょっと血が足りない感じはあるかなあ?ご飯いっぱい食べないと」

 僕がそう笑うと、ヒールは承知いたしました、と頭を下げて朝食の準備に向かってくれる。

 僕はサクリファイスだから、お腹いっぱい食べられるし、暖かい寝具も用意してもらえる。昨日みたいに血で汚しても、すぐに綺麗なシーツを準備してもらえるのも、全部サクリファイスだからだ。

 だから、僕はできるだけ自分の体は大事にしないといけないと思ってる。たくさんの傷を負っても、すぐには死なないように。

 僕が死んだら、結界が崩れて魔物がこの街を襲ってしまうし、それに、結界の中に、新しいサクリファイスとなれるような強い魔力の子どもはいないから、代替わりもできない。

「それにしても、ヒールの寝床は、僕の寝床より少し硬いんだなぁ」

 ぎゅ、ぎゅと布団を押してみる。

 一晩寝て体に不調はないけれど、今度ヒールに僕と一緒にベッドで寝ようって声をかけてみようかな。昔は一緒に寝てたよね。ほんの、子どもの頃に少しだけだけど。

「フィズ様、朝食の準備ができました」

 ヒールが僕の元へ、いかにも血になります!という感じの朝食を運んできてくれて、ちょっと笑ってしまう。

「ありがとう。ご飯食べたら町長様のところに行かないとね」

「はい。あの後お会いしたのですが、報告を待っているとおっしゃられていました」

 あの後って、僕が寝た後?それって夜中じゃないのかな。町長様、ちゃんと休んでるのかなぁ。

 


 ***


 

「というわけなんだ。あとでちょっと結界の様子見にいってもいい?町長様」

「ああ、構わないけれど、体は大丈夫なのか?」

 町長様は、フィズ様の砕けた口調を注意しない。それは親子の関係を築けない何かしらの思いからだと知っているから、そのことを指摘する人もいない。

「大丈夫だよー。ヒールも一緒に来てくれる?」

「ええ、もちろんお供いたします」

 フィズ様一人で行かせるわけはない。

 執務室を出る前に、私だけが呼び止められた。

「なんでしょうか」

「最近になって、結界にぶつかってくる魔物が増えていることは気づいているね」

「ええ、傷を負う回数が多いので……」

 痛みに耐える主人を見る回数が、ここ数ヶ月増えている。

「それと同時にね、妙な傷を負っている魔物の死骸が発見されることが増えているんだ」

 困ったように眉を寄せる町長様。

「妙な傷、ですか」

「ああ。まるで、結界を修復したときのフィズが負うような裂傷」

「それは……」

 確かに妙だ。魔物が魔物同士で狩りをしたり傷つけあうことは珍しくない。だが、爪や牙で傷をつける魔物たちに、まるで刃で切ったような傷ができることは稀だ。ましてやそれが増えているなど。

 なにか、よくないことが起きている。起きようとしている?

 黙り込んだ私の方を、町長様がぽん、と叩いた。

「フィズを頼むよ」

「……はい」

 浅く礼をして、執務室を出ると、フィズ様が扉の前で立っていた。

「聞いちゃった」

「左様でございますか」

「盗み聞きってちょっとドキドキするね」

「褒められたことではありませんから、今後は控えてくださいね」

 私の苦笑に、フィズ様はウフフ、笑った。

「みんな、ヒールに僕を守らせようとするじゃない?」

「ええ、それはそうでしょう。私は貴方の従者です。命を賭してでも貴方を守るのは私の願いでもありますし」

「それね、僕はいやなんだあ」

 フィズ様の言葉に、小さく息が詰まった。

「あのね。僕はサクリファイス。守る存在でしょう?」

「え、ええ」

「僕が守りたい存在は、この街、この国。そして、ヒールもだよ。君も含まれてる。だから、僕のために命をかけて、とか……いやだよ」

 フィズ様の口調はいつものようにのんびりしているのに、決して反論を許さないような、そんな強さを帯びていた。

 なんと返事をするのが正解か分からない。けれど、喉から出てきたのは「わかりました」という肯定の言葉だった。

 


 *** 



 僕たちは、昨日結界が壊れかけた場所にやってくる。街からそれほど離れていない場所だったから、のんびり散歩をしてるような気持ち。途中僕のことを知っている街の人が「いつもありがとう、サクリファイス様!」と声をかけてくれたりして、なんだか嬉しくなっちゃう。

 ヒールはなんだか難しい顔をしたまま僕の隣を、さりげなく僕の歩調に合わせて歩いてくれている。

 ほどなく、目的の場所に着いた。

 そこには、昨日ぶつかってきただろう魔物の死体が転がっていた。

 大きいな。僕の二倍くらいありそう。どうりで痛かったはずだ。

 結界は透明だから、結界の内側からその魔物を観察できる。じぃっと見てみると左足の内腿にぱっくりと割れた傷が見えた。

「あれかな?妙な傷って町長様が言っていたの」

「おそらく」

 ヒールも、その傷をじっと見つめて眉を寄せていた。

 うーん、なんだか引っかかる。何だろう。

「あ!」

「どうされました?」

「あの子の傷の場所、昨日の僕の怪我と同じ場所にあるよ」

 僕の言葉にハッとしたようにヒールが目を開いた。そして、数度瞬きをしてから突然、するり、と結界の外へ出た。

「ヒール⁉︎なにをしているの、早く戻って!」

 結界は人には影響しない。だから出入りは自由ではあるけど、人の匂いが魔物にとっては甘いお菓子みたいな存在だって、本で読んだ。ましてや、魔物の死体のそばに人が行くなんて、他の魔物を引き寄せる、自殺行為と言われてもおかしくない。

「そう、ですね」

 ヒールは少し魔物の傷の様子をみたあと、素直に戻ってくるけれど、その顔色がひどく悪い。ヒールのこんな顔を見るのは初めてで、ざわざわと不安が僕の心を揺らした。

「ヒール、ヒール、大丈夫?ねえ、一旦戻ろう。顔色悪いよ」

「ええ、そうですね。戻り、ま、しょ……」

 突然ヒールの体がぐらりと前のめりに倒れてきた。僕より大きなヒールの体を支えることはできなくて、ヒールを抱きしめるような形で僕は尻餅をついた。

「え、え?ヒール、ヒール⁉︎どうしたの?ねぇ、ねえ!」

 ヒールから返事は返ってこない。

 息はしているけれど、倒れたヒールの体はピクリとも動かなくて、いつも僕よりすこし冷たい体は、いつも以上にひんやりしている気もして、ぞくっとした。

「だ、だれか。だれか来て!」

 僕の悲鳴に、街の人が数人来てくれて、ヒールを木の板にのせて僕らの屋敷まで運んでくれた。その間も、ヒールはやっぱり、瞼ひとつ動かしてはくれなかった。

 


 ***


 

 自分の存在が、何者なのか、と不安になったことはない。

 それは、フィズ様がいてくれて、私に【ヒール】という存在価値を下さったからだ。

 フィズ様は私の全てで、ただあの優しい人が幸せになって欲しかった。

 誰かが受ける犠牲を肩代わりし続けるような地獄にいてほしくなかった。

 彼が望むのであれば、何を犠牲にしてでもここからさらってしまいたい。そう思えるほど、私は彼がいればよかった。

 彼の側にいられれば、それだけでよかったのだ。

 けれど、ああ、ああ。

 この方法なら、彼をここから救い出せる。

 優しい彼が、きっと優しい世界で生きられる。

 ああ、神様。私を彼の元へ導いてくださってありがとうございます。


 

 目を覚ますと、私はなぜかフィズ様のベッドに寝かされていて、私の隣にはフィズ様が寝転がっている。

 フィズ様は目は閉じていたけれど、眠っていなかったようで私が起きた気配でばちっと目を開いて「ヒール!」と抱きついてきた。

「痛いところは?しんどいとかない?」

「ふぃ、フィズ様、どうか落ち着いてください。私は問題ありません」

 非力だと思っていた彼に、痛いくらいの力で抱きつかれて、思わず動揺してしまう。

「落ち着けるわけないでしょ⁉︎ヒールが倒れたんだよ⁉︎」

 ぼたりぼたりとフィズ様の双眸から涙がこぼれ落ちた。

「な、泣かないでください」

「ヒールが泣かしたんだよ!」

 全くもってその通りなので、反論ができない。いつものんびりとニコニコ笑っているフィズ様のこんな表情は初めてで、どのように対応したら良いのか、その、ええと、と言葉が詰まる。そんな私をみて、フィズ様はようやく「本当にだいじょうぶ?」と小首を傾げて尋ねてくれた。

「ええ。体に問題はありません」

「体に?」

「少し、お伝えしなければならないことは、できてしまったので」

 そう伝えると、フィズ様は不安そうに「それは、僕にとっていいお話?」と聞いてくる。

「ええ、いいお話ですよ」

 私は心から微笑んで、そう返した。


 

 *** 



「僕が、結界を張らなくてよくなる?」

「はい。その通りです」

 目を覚まして、話があると僕に言ったヒールは、信じられないようなことを言う。

 だって、結界を張らないなんて、修復しないなんて、サクリファイスが生きている今、有り得ない。魔物がこの街を襲う姿がリアルに想像できてしまって、僕はぶるっと震えた。

 そんな僕の背中を優しく撫でながら、ヒールは続ける。

「大丈夫、魔物はちゃんとこの街を……いえ、人を襲わなくなります。少なくとも、私が生きている間は」

 彼が、何を言っているのかが分からない。

「思い出したのです。私が何者で、何をすべき生き物だったかを」

「ヒール……?」

 ヒールに僕に出会う前の記憶がないことは知っていた。でもそれを不自由には感じていなかったし、思い出そうとしている様子もなかったから、僕は驚いて、そして、なんだかとても嫌な予感がする。

 生き物ってなに。

 ヒールは、人でしょう?

「この世界には、【ミチビキ】という生き物がいるのです。フィズ様」

「そんなの聞いたことないよ」

「そうでしょう。ですが、確かに存在するのです。ミチビキは、魔物の世界では魔物を従える【王】とも呼ばれます」

「魔物の、……王様?」

「ええ。そうです」

 ヒールの声も、表情もいつもと変わらず、ううん、いつも以上に穏やかで、愛し気に揺れていて、ぞくぞくと嫌な感じがする。

「もしかして、ヒール……」

「さすがフィズ様、その通りでございます。私は、ミチビキだったのです」

 ヒールの声が、嬉しそうに跳ねた。

「私は、魔物を従えられます。本能がそう告げている。貴方の傷も、私は癒していたのではなく、魔物に移していたのです」

 ヒール。ヒール。

「だからフィズ様、もう貴方が傷つくことはないんです。私が森に住み、魔物に命じます。人を襲わぬようにと」

 でもそれは、ヒールは魔物側につくと言うことでしょう?

 森に住むというのは、もう街には戻ってこないということでしょう?

 痛いのも、結界を張り続けるのも、僕はそういうものと思って生きていた。だから、辛いとかそんなものはない。

 でも、ヒールがいなくなる?

 僕のそばから、ヒールがいなくなるの?

 涙がぼたぼたと落ちていく。

「ふぃ、フィズ様……っ⁈」

 慌てたようなヒールの声に「ばか」という言葉で返事をする。

「やだよ。やだ。魔物が人を襲わないのは素敵なことだよ。でも、ヒールが僕のそばにいないなんて、そんなのやだよ、ばか、ばかばかばかっ」

「も、申し訳ありません……、ですが、魔物を従えるためにはどうしても、森にある魔物を産む核のそばに行かねばならないのです」

 僕が、きっと人のほとんどが全然知らないことを、当然のように言われたって、納得できるもんか。

「僕もいく」

「え?」

「僕もヒールと一緒に行く!」

 僕の叫び声に、ヒールは泣きそうに顔を歪めた。

 


 ***


 

「いけません、フィズ様」

「どうして?」

 泣きながら私の手を握って離さないフィズ様に、どう伝えればいいのか。

「森に住むということは、…もう二度と人の世界では生きられないということです」

 十九年、痛みに耐え続けた、地獄を生きてきた貴方は、幸せになって欲しいのです。

「僕は」

 止まらぬ涙をそのままに、フィズ様が続ける。

「僕は人の世界で生きたことなど、一度だってないよ」

「え……」

「だって僕は人じゃない。サクリファイスだもの」

 告げられた言葉が、重い。

「だから、僕は人の世界で生きるよりもヒールがいい。ヒールのそばにいる方がずっといい。君がいないなんて、……耐えられないよ」

 命よりも大切な主にそう言われて、私は、「受け入れてはいけない」と頭の奥で叫んでいる声は聞き届けることができなかった。

 突き上げる感情のまま、フィズ様を抱きしめる。

「ヒール、いっしょがいいよ」

「私も、貴方のそばに居たいです。許されるなら……」

「許すよ。僕が許す。僕はヒールの主でしょ。僕が許すよ」







 ***

 


「知ってる?東の魔物の森の話」

「知ってる知ってる!急に街の結界がなくなったんだよね?」

「そうそう。でも結局襲われることはなかったみたい。なんか、魔物が人の前に現れなくなったとか」

「そんなことってある?」

「まあ、実際に起きてるんだから、あるんだろうね。奇跡ってやつかな」

「そういえば、サクリファイス様も居なくなったって聞いたけど」

「あ、もしかして、サクリファイス様が何かしてくれたのかな?」

「ああ、そうだね、きっとそうだよ。たくさん感謝しないとね」

「そうだね」

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