誰よりもかわいい
「あいつさー。また男に媚び売ってたらしいぜ。放課後、一緒に歩いてたってよ」
「誰とでも寝るらしいからね。さいてーだわー、きもー」
「部活でも選抜はいるために、部活の顧問とやった女だからな」
「ほんっと汚ない女。誰かれ構わず身体許してさ。親に悪いと思わないのかな」
はっきりと聞こえなくとも、ちらちらと目線を向けられればきっと私に向けて悪口を言っているということぐらい分かる。クスクスと見下すような笑い声が耳に届くのが深いで仕方ない。
ずるいもので、彼女たちは私に聞こえるか聞こえないかの声量で、周りに吹聴するように噂を話すのだ。
男子たちのへばりつくような嫌な視線が私に突き刺さるのが分かる。女子たちの刺々しい痛みを感じるのではないかというほど冷たい視線が突き刺さるのが分かる。
よそよそしい態度。腫物を扱うような距離感。私の周りにはいつしか人がいなくなって、ポツンと知らない場所で一人で取り残されているような孤独感。
なんだか水中にいるようだった。
ただ教室で自分の席に座っているだけなのに、息が上手くできなくて変な汗が滲んだ。視線が怖くて顔を上がらなくて、取りつかれたように身体が重い。悪寒が走って、貧血のように血の気が引いていく。このまま見えない潮に暗い海の底まで攫われて、溺れてしまうんじゃないか。光の差さない孤独の世界で、捕食者に怯えながら生きていくことになるのではないか。
お母さんが作ってくれた弁当は、陸上を頑張れるようにと、体力の着くような手の込んだものばかりなのに、今の私の喉は通ってくれない。
「最近、部活も来なくなったし、いよいよ遊び呆けてるんじゃない?」
「対して実力もないくせに、顧問のちんこ咥えて選抜になれるやつは楽でいいよな。私たちは毎日練習頑張ってるのにさぁ」
「――――ッ!!」
ぐっと堪えていた感情が限界を迎えて、がたっと音を立てて私は立ち上がる。
私はそんなことしない。私は必死で努力して、実力で勝ち取った。あなた達こそ先生がいないとき手を抜いてるくせに。男子の評価ばかり気にして、自分が上に居られないからって私を貶めて。
「なーにか用ですかー?」
「御子柴さん、私たちになにかー?」
陸上部の一年生の最初は一緒に遊んだりもした友達、一緒に辛い練習を耐えてきた仲間だったはずなのに。
彼女たちに面と向かうと私は言葉が出なかった。言葉になる前のそれは、開いた口から何でもない物へと変わって霧散していく。
「――――てよ」
精いっぱいの怒りを込めた声は掠れていて、声にも成らなかった。
教室をしんとした静寂が包む中、目の奥の熱を必死に我慢して、私は弁当を畳んで逃げるように教室から出ていく。
「こっわー」
「え? なに? もしかして振られた八つ当たりされたんじゃない?」
「うわー、それある。きっとやり捨て去れたんだぜ」
悔しくてぎゅっと握った拳の行き場もなく、私はすすり泣きながら逃げ出していた。
ねえ、旭。
私の身体が本当に綺麗だっていうなら、なんでこんなことを言われるの。
もし私があなたみたいなかっこよくて、本当に綺麗な身体をしていたら――――
友達が悩んでいると知ってるのに、羨ましいと思ってしまう。そんな私は、本当に綺麗なのかな。
「ねえ、君さ、今ひとり?」
「え……?」
私はその男性の声が私に向いていることに気づいて、慌てて俯いていた顔を上げる。
休日の定番の待ち合わせ場所。ショッピングモールと隣接した駅前のモニュメントは、電車通学の私と徒歩圏内の旭にとっても都合のいい待ち合わせ場所だった。
「一人ならさ。俺たちと遊ぼうぜ。お兄さん、年上だからおごっちゃうよ~」
大学生だろうか。校則で禁止されているから学校では見たことのない茶色が混ざった髪。整った顔に、知り合いの男子たちと比べて一回り高い身長の集団。
印象は気さくで明るくて人がよさそう。髪型とかもセットしているみたいで、ずぼらなクラスの男子とは大違い。なんだか、大人という感じがした。
「私、友達を待ってるんです。今日は二人で遊ぶ約束なので、ごめんなさい」
「へー、二人で遊ぶの!? じゃあじゃあ、2人とも来なよ!」
「いや、ほんと大丈夫ですから……わあっ」
気が付けば、手を取られていて、私はその人に着いていくしかなかった。
少し離れたところには2人の大学生が待っていて、ちょっぴり怖かったけど、私に向ける笑顔は優しくて、彼らが悪い人たちには見えなかった。
痴漢だとか、変な人に無理やり連れていかれるだとかなら、必死に抵抗するのだけど。
良い人そうな彼らには、なんだか拒絶するのは気が引けてしまった。
「あの……まだ旭ちゃん来てないから……」
「おー、かわいいじゃん!」
「お前、やるなぁ!」
私の言葉を無視して、大学生たちは楽しそうに盛り上がる。
「だから言ったろ、俺に任せろってな! ねー、自己紹介してよ」
「は、はい。御子柴理久です、よろしくお願いします」
「理久ちゃんねー。なんかここらへんで行きたいとこある? 友達くるまでそこいってよーよ」
「いやでも、ここで待ってないと困っちゃうので……」
「そっかそっか。そうだよね。じゃあ、俺ら車あるからさ。先乗って待ってようぜ」
とん、と背中を押されて進まされる方向には、車があった。
少し長めの黒髪でだぼっとした黒いひらひらした服を着た大学生が扉を開けてくれる。
「えっと……その、えっと、私」
私は足を止めて、背中を押す大学生の顔を見る。その顔はにっこりと人のよさそうな笑みを浮かべていて、私が乗り込まないのを不思議だというように見ていた。
「えっと……その……それは、ちょっと」
「どうしたの? 遠慮しなくていいよ。運転慣れてるから安心してよ!」
肩に手が回って、私の足は前に進む。
おかしいよ。断らなきゃ。でも、今更。良い人だけど。逃げなきゃ。怖い。怖い。怖い。
『あいつ、また男と遊んでたらしいじゃん』
『御子柴、誰とでも寝る淫乱らしいよ』
私は自分の身体が震えているのが分かった。
「あっ……うっ、うぅ」
嗚咽のような小さな声が漏れ出るだけで、言葉が出せなかった。
「御子柴!!」
その声が聞こえたとき、まるで暗闇の中に陸へと導く光が差し込んだような気がした。
「旭……っ!!」
旭はいつもの学校の制服じゃなくて、プールサイドでの水着パーカーでもなくて、別人みたいな男の子みたいな姿をしていたけど、私にはすぐに旭だって分かった。
「あえ、彼氏? ああ、女の子か。旭ちゃんの友達だよね。理久ちゃん、今から俺らと遊びに行こうってことになってさ。君も――――」
「すみません。間に合ってるんで」
旭はすぐに私の手を力強く握って、大学生の傍から離すように自分の方へ引き寄せる。
「わっ///」
ぼすんっ、とよろけながら旭の腕の中に受け止めてもらうようにして納まって、ちょうど額の横に旭の真剣な顔があって、思わず赤面してしまう。
「ちょちょ、誤解だって。理久ちゃんが良いって言ったんだって」
大学生がそう言うと、旭は抱き止めるように腰に手を回して、ぐーっと痛いくらいに私を引き寄せる。
「御子柴。ほんと?」
怒気を孕んだような低い声にどきりとして、旭に少しでも自分からついていくようなやつなんじゃないかって疑われたくなくて、私は慌ててぶんぶんと首を横に振る。
「旭がいるから、行けないです! ごめんなさい!」
私が頭を下げてそう言うと、大学生は一瞬、冷やりとするような表情を覗かせると、おどけた笑みを浮かべた。
「えぇ!? そりゃないよ。ほら、行こう行こう!」
大学生の手は私の腕を掴んで、力任せに私を旭から引きはがそうとする。
「ちょっと、やめてくださいっ!! いやっ!!」
「お兄さん。旭は嫌がってるんですけど?」
旭はそう言って静かに大学生の肩を掴むと、軽く小突くようにして突き飛ばし、私を庇って前に出る。
「ねえ、そういうのしらけるんだけど。空気読めないってよく言われない? 学校とかでハブられそうな性格してるね」
大学生を睨みつける旭の横顔は今まであったどの男の子のものよりかっこよかった。
旭の目力に顔を引きつらせる大学生のことを、顔が整っていて大人っぽくて、イケメンだと思った。でも、旭と比べたら全然かっこよくなかった。
「そんなつまんないこと言ってて、恥ずかしくないの?」
「…………」
大学生はぽりぽりと額を掻くと、小さく舌打ちして背を向ける。
「つまんな」
短く呟きのような一言を残して、大学生たちはそそくさと車に乗り込んで、走り去っていった。
「旭、かっこいい……」
その感嘆の声は私の口から勝手にあふれ出していた。
「み~こ~し~ば~!!」
「ひゃいっ!?」
「あんた馬鹿なの!? 私が来なかったら乗り込んじゃってたでしょ! バカ! バカ柴!!」
「ご、ごめんなさい……あと、ありがとう」
旭は私をじーっと睨むと、ぷくーっと頬を膨らませる。
「男子みたいって思ったでしょ」
「えっ……」
彼女のむすーっとした、不機嫌そうな顔。その顔は私を守ろうとするかっこいい表情とはまた違って、可愛らしい女の子のもので。
「旭、もしかして拗ねてる?」
「別に」
「あっ、もしかしてかっこいいって言われるの嫌だった!?」
「別にっ!!」
完全に拗ねている旭がなんだか愛おしく思えて、ぎゅうっと抱き止めて、不意打ちでむくれた頬をつついたやる。
「ぷっ――――って、ちょっと御子柴!! なにすんのさ!」
「ふふっ、かわいいよ。旭♪」
「かわっ!? ~~~~っ///」
私は彼女の理想の笑顔で、彼女の手を引くのだ。
「さあ、遊び行こ。あーさひ♪」
「もうっ……調子良いやつ。お礼になんか奢って」
「えへへ。しょーがないなぁー」
ずるいな。男の子にも勝っちゃうくらいかっこいいくせに、女の子みたいなとびっきりかわいい顔もできるじゃないか。
私にとっては、旭こそが理想だよ。
旭は誰よりもかっこよくて、醜い私なんかでも守ってくれる。そして、私の友達でいてくれるときの旭は誰よりもかわいくて“女の子”なのだ。