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006 苦い後悔、微かな兆し

 何を勘違いしていたのだろうか。クラウディア様を貶めるための人質はセレナだけ、と。もう一人の存在を、最初から選択肢に入れていなかった。

 私を誘拐するのが一番簡単だと、少し考えればわかったはずなのに……。

 殴られた頬と腹部がジンジンと痛くて気持ちが悪い。後ろ手に嵌められた手枷と首枷が鎖で繋げられ、少し身じろぎするだけでも息苦しい。両手は握りこぶしの状態で小さな袋に押し込まれ、手を開くこともままならない。指先で魔法陣を描くことは不可能だった。


 不審者は二人だが、顔は覆面で隠されていた。体格を見るにどちらも男性で間違いないだろうが、犯人が誰であるかは見当もつかなかった。

 ……場所は、演習場近くの倉庫なのだろう。魔法実技で使用した道具の片づけで何度か訪れている。見慣れた光景だった。


 切り裂かれて所々に肌が露出した運動着が、どうにも心もとない。壁を背中につけて座り込む私の顔の横に、一本のナイフが突き刺さっている。その刃には薄っすらと赤い血が付着していた。

 苦痛や羞恥よりも恐怖の方が大きい。肌が露出するたびに向けられた性的な視線。無関心のままでいて欲しいと願ったのは初めてかもしれない。


 大人しくクラウディア様とセレナの模擬戦闘を眺めていれば、誘拐されなかったのだろうか。今になって後悔しても遅すぎる。

 二人の勧めを無視し、演習場の隅で自主練習を行ったのは私の意思だ。まさか私を狙うとは考えもしていなかった。セレナの心配をするくせに、私自身の危機意識はなかったのだ。

 誘拐犯たちが一番悪いが、私自身に責任がなかったとは言えない。


 ――私に危機意識があれば、回避できる誘拐だったのだから。


 何となく誰かに見られていると感じてはいた。だから、瞳に魔力を注いで周囲をぐるりと見渡していた。

 ……何もない空間から私に向かって伸びる敵意に気づいていたのだ。

 その時点で警戒するなり逃げるなりすれば良かった。何だろう、そう想って無防備に近づいた私が愚かだった。


 冷静に考えてみればわかる。

 恐らく風魔法で空気を歪めて視界に映らせなかったのだろう。そうでなければ、腹部を殴られて朦朧とする私を肩に担いで移動している間、誰も反応しないなんてありえない。


 やるせなさから何度目とも知れないため息が漏れ出ていた。

 セレナは私を見つけてくれるだろうか?

 今の私には信じることしかできない。探してくれるのは、きっとセレナだけだ。

 生意気な態度の私をクラウディア様が探してくるとは想えなかった。誘拐されたと知り、ざまあみろと嗤うかもしれない。


 「……自業自得、ね」


 乾いた笑いがこぼれる。何もできない私は目を閉じて救いを待つことしかできなかった。




 「――見つけた」


 息を切らした声が聞こえる。次いで騒々しい足音が響き、体があたたかい何かに包まれていく。

 慌てて見上げた先には、涙でクシャクシャに歪んだ表情のクラウディア様がいた。小さく息を呑む音ともに、パキンと甲高い音が鳴る。


 背中で固定されていた両手がだらりと落ちていく。新鮮な空気を求めてパクパクと口が勝手に動いていた。

 荒れていく呼吸に合わせ、ひとりでに涙が流れていった。

 涙を拭うことも、すすり泣きを止めることも、私にはできない。身体が全く言うことを聞いてくれなかった。


 そんな私をクラウディア様が強く抱き寄せる。

 優しく背中を擦られるたびに、心がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられていく。涙で覆われた瞳は何も見えなくなっていた。


 誰かの前で泣くのはいつ以来だろうか。

 エリーゼ・スティアートは強い女性、■■■■■の弱さは必要ないのに……。

 浮かんだ逡巡は一瞬で洗い流される。声を出して泣き喚く、私は赤ん坊と変わらなかった。それ以外にできることは何も想い浮かべなかった。




 「……ごめんなさい」


 数分後か、数十分後かもわからない。グスグスと鼻を鳴らしながら私は小さくつぶやいた。

 私を胸元に抱き寄せてから、クラウディア様は何も言わなかった。赤ん坊をあやすように背中を何度も擦るだけだ。


 握りこぶしで固定された両手で床を押し、私はゆっくりと体を起こしていく。涙の後が残るクラウディア様の顔がはっきりと見えた。

 クラウディア様の指先が私の手に触れる。そして、左手から右手へと順に、握りこぶしで閉じ込めていた袋を取り外していった。


 自由になった右手がクラウディア様の両手に包まれる。痛ましげな眼差しが嘘でないことは、私でも理解できた。

 この人と触れ合うのは、これが初めてかもしれない。

 手の甲をそっと撫でられてくすぐったい。クラウディア様の指先はどこかぎこちなかった。私の顔を見ずに、手の甲をジッと見つめている。


 「ごめんなさい、クラウディア様」


 場の空気に堪えられず、私は謝罪を口にする。クラウディア様の指が止まった。


 「エリーゼさんに、何か謝ることがあるの?」

 「それは……クラウディア様に迷惑をかけたから」

 「本気で言っている?」

 「だって、私が自主練習なんてしなかったら、こんな、誘拐なんて……」


 クラウディア様の怒り顔を見て、私の声は尻すぼみになる。ああ、嫌われた。初めて見る表情だった。

 私自身が望んでいたくせに、いざ嫌悪を向けられて後悔するなんてどうかしている。クラウディア様が私を、エリーゼ・スティアートを見てくれたのだ。喜ばないと……笑わないと……。


 クラウディア様は目を伏せて大きく深呼吸をした。


 「エリーゼさん、気づいている?」


 静かな声とともに、クラウディア様の右手が私の目元に触れる。


 「貴方、笑えてないわ。泣いているのよ」


 優しく涙が拭われていく。私はどれだけ涙を流しているのだろう。クラウディア様の指先が左右に動くのは、一度や二度ではなかった。


 どうして? どうしてなの? どうしてしまったの? 頭の中でグルグルと疑問が浮かんでは消える。どうして、私はまだ泣いているの? 私が泣く必要なんてもうないのに……。

 クラウディア様は私を嫌いになってくれた。嫌いに……なったんだ。だから、これからは私を見てくれる。これからは、私を、エリーゼ・スティアートを好きになってくれるんだ。


 「笑えてないわ」


 短い否定の言葉。クラウディア様のささやきが大きく聞こえた。


 「貴方を嫌うことが、貴方を見ることにはならないわ」


 目の前が真っ暗になっていく気がした。……気持ち悪い。首を締めつけるような息苦しさに襲われる。

 クラウディア様の言葉が頭の中で何度も再生される。

 等倍速、二倍速、三倍速――。同じ言葉が狂ったように繰り返される。比例して心音が痛いぐらいに速まっていく。


 否定しないといけない。クラウディア様の言葉を否定しないと――。


 「嘘を言わないで!」


 衝動のままに両手を思いっきり前へと突き出す。クラウディア様の悲鳴が聞こえたが、気にしている余裕はない。

 真横の壁に刺さったナイフを抜き、両手で構える。私自身の血で汚れた刃先をクラウディア様へ向けていた。


 「私は嫌われないと、嫌われないと……ダメなんだ」


 この世界では、■■■■■は存在すらしていない。だから、嫌悪を向ける相手はエリーゼ・スティアート、本当の『私』だ。

 私はエリーゼ・スティアート、■■■■■なんかじゃない。『私』を見てよ!


 「はじめまして……の方がいいかな?」


 唐突にクラウディア様が訊ねる。その顔には笑みが浮かんでいた。


 「やっと、エリーゼさんに会えた気がする」

 「な、何を言ってるの?」

 「すごく自然に話してくれてる、そう想っただけ」


 クラウディア様がジリジリと膝を寄せてくる。

 私は想わずナイフを握る両手に力を込めていた。震える刃先はクラウディア様に向けたままだ。これ以上、私に近づかないで欲しかった。


 ちらりと一瞬、クラウディア様はナイフに視線を送る。そして、私の両手に左手を重ねていた。

 私は目を大きく開く。躊躇なく伸びたクラウディア様の左手はナイフの根元に触れている。真っ赤な血が私の両手を濡らしていた。


 慌てて両手を離す私に反し、クラウディア様は握る左手に力を入れたのだろう。簡単にナイフを奪われていた。


 「……痛いわ」


 クラウディア様はナイフを投げ捨て、左手首を上下に振るう。血が床に飛び散り、私の顔を引きつらせていた。とんでもない過ちを、私は犯していた。

 ……私は、何をしているの? 歯がカチカチと音を立てる。

 次期王太子妃に、将来の王族へ刃物を向けて負傷させた。学生だからと許される範疇にはない。これは、大罪だった。


 「大した怪我じゃないから大丈夫よ、気にしないで」

 「で、ですが――」

 「大丈夫だから、ね」


 私の言葉に被せてクラウディア様が言う。悪戯っぽい笑みに、続く謝罪の言葉が霧散していった。

 一抹の不安を感じながら、私は恐るおそるにうなずく。クラウディア様は満足そうに微笑んでいた。


 「エリーゼさんは、私のことが嫌い?」

 「えっ?」突然の問いに、私は目をしばたかせる。

 「私のことが嫌いなの?」


 再度の問いに、私は表情を凍らせる。答えても大丈夫なのだろうか? いや、誤魔化した方がいいのかもしれない。

 そう想って私は口を開くが、声を出すことはできなかった。

 穏やかな笑みのクラウディア様だが、その眼差しは射抜くように私を見つめていた。澄んだ宝石のような瞳に、情けない私の姿が映っていた。


 「……わからない。嫌いではないけど、好きかどうかも……わからない。ごめんなさい」


 結局、私は正直に告げる。見られることが怖くて、私は顔を背けてしまう。

 クラウディア様はすぐに答えてはくれなかった。数秒間が永遠に想えるほど長く感じる。まぶたをギュッと強く下ろしていた。


 「嫌いでない私のことを、エリーゼさんは見てくれてるんだ。私と同じだね」


 ……今、クラウディア様は何を言った? 信じられない気持ちで顔を上げる。


 「私とクラウディア様が、同じ?」

 「そう、同じなんだ。……私だって、エリーゼさんが好きとは断言できない。でも、嫌いじゃない。むしろ、仲良くなりたいと想ってるんだ」


 ゆっくりとした口調でクラウディア様が話す。私は瞳に魔力を集中させようとして……途中で止めた。

 疑う気持ちはあるが、不思議と信じてもいいと想えたのだ。

 それは、クラウディア様が向ける眼差しのせいだろう。どこか懐かしげで愛おしげな――まるで大切な何かに触れているような。

 クラウディア様は、私がどうすべきか知っているのだろうか。


 「嫌われなくても、『私』を見てくれるの?」

 「ええ、私は貴方のことを見ているわ。約束する」


 もしかしたら、私の考えは間違っているのかもしれない。

 相手を意識するから、嫌いになると想っていた。だから、嫌われれば私を見てくれる想っていたのだ。でも、誘拐犯たちは違っていた。

 確かに私へ敵意を向けていたが、エリーゼ・スティアートに対してのものだったのだろうか。私を通して、クラウディア様を見ていたのではないか……?


 ――『私』を見てもらうためには、いったいどうしたらいいのだろう。


 クラウディア様の笑顔に合わせて微笑みながら、私は思考を巡らせていく。しかし、考えても答えは出て来なかった。

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