表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/48

045 私を映す鏡

 「離して! 離してよ!」


 ぞわぞわと身体を這いまわる嫌悪感に従って私は力一杯に暴れる。掴まれた両手首が痛くて堪らないが、黒衣の拘束は外れそうにない。

 黒衣が上に向かって引っ張るから、私のつま先は辛うじて地面に触れている状態だった。吊り上げられた私の身体は不安定にぶらぶらと揺れている。その勢いで何度も黒衣の足を蹴り飛ばしていた。


 私の放った風の刃は、どうしてか黒衣に触れる直前に霧散していった。一太刀も浴びせられず、私は黒衣に捕まえられていた。

 一瞬で距離を詰められてしまい、ペンダントに魔力を流し込むこともできなかった。下卑た男たちの嘲笑が聞こえてくるようだった。


 「あ~あ、くそ、少し落ち着けよ!」


 黒衣が苛立たしげに叫ぶが、私には恐怖でしかない。少しでも早く逃げ出したくて、より激しく身体を暴れさせていく。両手首を締めつける黒衣の力が強くなっても止められなかった。


 もう数十秒は経ったのだろうか。

 黒衣が何かを叫んでいるが、私の耳には聞こえてこない。泣き叫んで抵抗する、それしか頭になかった。私自身、何を叫んでいるのかはわからなくなっていた。


 だから、不意に感じた浮遊感に身体が固まってしまった。

 突然に両手首の締めつけがなくなり、空中に放り投げられる。どこかで覚えのある感覚……ああ、アデリナ様の土人形に投げられたとき、か。


 涙の膜で薄ぼんやりとしてよく見えないが、私は今から地面に叩きつけられるのだろう。でも、下卑た男たちに売り飛ばされるくらいなら、ここで終わる方がまだ幸せかもしれない。

 胸にわだかまる嫌な感情にそっとふたをして、私はまぶたを下ろす。身体は地面へ、意識は深い闇へと落ちていった。




 「……起きたか」


 気遣わしげな黒衣の声に、私は恐るおそる目を開ける。荷台に寝かされていたのか、衣服や食料を収めた荷包みが見えていた。

 隣に座る黒衣が私を覗き込んでいるようだが、顔の上半分が仮面で隠されて表情からは窺い知れない。ただ、私を殺すつもりも売り飛ばすつもりもないのか、手枷と足枷は嵌められていなかった。


 それでも、私は黒衣へ聞かずにはいられなかった。


 「……私を、縛っておかないの? 殺さないの?」


 私が言った瞬間、黒衣は呆れたと言わんばかりに大きなため息を吐き出した。


 「その気があったら、とっくにしているだろ。違うか?」

 「……ありがとう」

 「少しは、落ち着いたみたいだな」


 黒衣の声に答えて、私は小さくうなずく。そして、首元にあるペンダントにそっと触れる。ひんやりとしたモチーフを握りしめて安堵してしまう。


 「先に言っておくが、もうお前を殺すつもりはないぞ」


 突然の言葉に、私は黒衣を見上げる。仮面から露出した口もとの様子は、暗がりの中でもハッキリとわかった。とても愉しげに笑っていたのだ。


 私は……モチーフを握る手に力を込める。瞳には魔力を注いでいた。


 「どうして? 私は、貴方の敵だよ」


 私が絆されると想ったのなら大間違いだ。そんな気持ちで黒衣を睨みつける。

 力を貸してくれるならば、私はきっと感謝するだろう。それでも、黒衣が大勢の人を殺した事実は変わらない。王国への反逆を企てた一味だったのは間違いないのだ。


 王国兵に捕まった後、黒衣を擁護する証言なんてするつもりはない。私にとって、黒衣は利用するだけの相手だった。


 「そんなの当たり前だろ? お前、何を言ってんだ」


 黒衣はあっけらかんと言う。私は想わず首をかしげてしまった。

 敵だとわかっているなら、どうして私に協力してくれていたの? 見捨てても良かったはずなのに……。


 「お前と一緒にいる方が強い奴と闘えそうだったからな。プリムローズ侯爵領に行くまでは付き合ってやるよ」


 私はまじまじと黒衣を見つめてしまう。その感情に嘘は見られなかった。

 何とも言えない理由に眉をひそめるが、そんな私を黒衣は笑っていた。


 「女が着飾りたがるのと同じだろ? 男も最強を目指したがるものさ」


 それはお前だけだ、不平の言葉を私はグッと飲み込む。そして、二度三度と深呼吸を繰り返した。

 理由はどうあれ、利用できるならば利用するべきだ。そう何度も心の中でつぶやき、私自身に言い聞かせていく。黒衣のことはプリムローズ侯爵領までの護衛だと想えばいいのだろう。


 「……また襲われたら、助けてください」

 「おう、任せておけよ、主」


 そう黒衣は冗談めかして言うが、私は少しも笑えなかった。

 胸の奥で不安の芽がムクムクと大きくなっていく。その感情から逃げるように、私は目を閉じていた。




 黒衣との旅を続けているうちに理解できたことがある。それは、この男が戦闘バカだと言うことだった。

 魔法が通用しない事実を私に知られたからか、黒衣は勝手な自己主張を始めていた。闘うか逃げるか、どちらを選ぶか私に訊ねるのは変わらない。ただ、闘うことを催促する言葉が付け足されるようになっていた。


 『あの男は強そうだな、ここで潰すべきじゃないか?』

 『リーダーのようだな、叩いておかないか?』

 『俺の手にかかれば、あの大男なんてわけねぇな。構わないか?』


 口元を見るだけで黒衣が何を期待しているかは明らかだった。

 本当に闘いたいならば、私の意見なんて聞かなければいいのに……。言葉にはしないが、黒衣の行動は不可解だった。


 私が逃走を選択するたびに残念そうな声で黒衣は不満を伝える。一方、仕方なしに戦闘を選択すると歓喜の雄叫びを上げていた。


 ある意味で黒衣は凄く素直な性格をしているのだろう。

 私も気持ちを素直に伝える努力をしているが、黒衣のようになりたくはないと切に想う。悪いお手本のような男だった。

 誰かを殺したい、強い奴と闘いたい、そんな気持ちを伝えられても迷惑でしかない。戦闘狂ではない私に、黒衣の思考を理解することはできなかった。


 ただ、黒衣を見ていて気づいたこともある。

 素直に気持ちを伝えることは大切、それは間違いない。しかし、それだけではないと想ったのだ。結局は、言葉を受け取る相手がどう想うのかが大事だと感じてしまった。

 私にとって黒衣は、私自身を映し出す鏡だった。


 愛して欲しいから、まずは私を嫌いになって欲しい。クラウディア様に出会う前、私はこの考えに支配されていた。

 無関心を何よりも嫌っていた。だから、関心を惹くために、嫌われる行動をしていた。嫌われた先に、愛される未来があると妄信していたのだ。でも、こんな思考を理解してもらえるわけがない。


 『エリーゼは、病気だよ』


 いつかセレナが告げた言葉が想い出される。唯一人の友人にさえ、理解はされていなかった。クラウディア様やハンナ様も、この考えは否定していた。

 嫌いなものは嫌いなままで、嫌いから好きには変わらない。それが自然な形だった。


 だから、私はお父様にもお母様にも愛されていない。

 私が黒衣を嫌がっているのと同じことだ。私の独善的な思考を受け入れてもらえなかった。それだけのことだった。


 黒衣は私自身を映す鏡。それに気づいても、どうしても私は好きになれなかった。愉しげに闘う黒衣を見るたびに、軽蔑するような想いが強くなっていく。

 それと同時に、胸の奥深くを締めつけるような重苦しい感覚が襲ってきていた。気持ち悪さのあまり泣き出したくなるが……これは罰なのだろう。泣く資格があるとは想えなかった。


 勝手に、■■■■■の記憶に踊らされた。

 勝手に、お父様やお母様に嫌われようとした。

 誰かに命じられたわけでもない。悪いのは私でしかなかった。


 ふと想い返すと目が潤み始める。そのたびに、何度も何度も下唇に歯を突き立て、両こぶしを力一杯に握り込んでいた。

 黒衣が話しかけてきても、どうにも話を続ける気分にならなかった。

 会話は二言三言で簡単に途切れていく。申し訳なさを覚えていたが、話題は広げられなかった。


 ちっぽけな私は御者台に俯きがちに座るだけだ。重苦しい沈黙が、胸の奥深くを抉るようだった。




 「――お前は、自分に自信がないのか?」


 唐突な黒衣の言葉は断定的だった。それに、私は何も答えられなかったが、黒衣も答えは期待していなかったのだろう。だろうな、と小さくつぶやいていた。

 うなずくつもりはなかったが、靄がかかったような視界の中、鉛みたいに重い頭が下へと落ちていった。


 「まあ、今のお前はつまらんが……将来はなかなか面白そうだがな」


 そう言ったきり、黒衣は黙り込んでしまう。独り言だったのだろうか。

 数秒、数分、と時間が経っていくが会話は始まらない。だから、私の方から聞いてしまっていた。


 「……私の将来が、面白いの?」


 辛うじて出た声は小さく弱い。私の知る未来は……ハンナ様から暴いた処刑される未来だけ。少しも面白くなんて――。


 「面白いだろ? 俺は期待しているんだがな」


 他人事だからと勝手なことを。私はのろのろと顔を上げる。黒衣の視線は馬車の進行方向のさらに先へと向いていた。


 「将来のお前は、殺しがいがありそうだからな」

 「……バカじゃないの」

 「そうか? 他人を好きに支配できるなんて、反則技みたいなもんだろ。使いこなせれば、かなりの強敵になりそうだ」


 歯を見せてニカッと黒衣は笑う。仮面で上半分はわからないが、満面の笑みを浮かべているのは容易に予想がついた。

 私の口からは大きなため息が漏れ出していた。諦めまじりに瞳へ魔力を込めて、私は小さく言った。


 「私に、従いなさい」


 一秒……二秒……三秒……。

 何も言わずに私と黒衣は見つめ合い、唐突に黒衣は笑いを噴き出していた。私はそっと背中を後ろに倒して空を仰ぐ。曇りがちな私の心に反し、空はとても蒼かった。

 お前の力は黒衣に通用しない、そんな声が聞こえるような気がした。


 口を固く閉ざした私に反し、黒衣の口からは愉しげな声が漏れている。十数秒ほど笑った後、黒衣は一つ大きく息を吐き出す。

 そして、荒々しく仮面を外し、真剣な眼差しで私を見下ろした。


 「俺がお前の敵だってことを忘れているのか?」


 漆黒の髪に、血染めの真紅の左目。……火で炙られたのか、肌が溶けて右目は塞がれている。左目がギョロリと私の姿を映し出していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ