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044 二人旅、初めての夜

 黒衣と隣り合って御者台に座り、二人きりの旅路を続けていた。私の精霊憑きの力による支配が前提だが順調に進んでいる。人売りの男たちが残した馬車に乗り換え、荷物は存分に活用していた。


 衣服に食料、金銭は十分に備えられていたのだ。表向きは行商人を名乗っているからか生活に必要なものは揃っていた。上着の袖やズボンの裾を何度も折り返し、私も少年服に着替えている。……使う予定がないから、拘束具だらけの檻だけは崖から投げ捨ててしまっていた。


 ガタンゴトン、私と黒衣を乗せた馬車は進んでいくが、一日二日では目的地にはたどり着きそうにない。ゼブラ子爵領を横切らなければならないことが、胸に襲い来る不安を強めていた。

 目的地であるプリムローズ侯爵領――アデリナ様の領地に到着できるかは、黒衣の働き次第だった。


 黒衣にかけた支配の魔法が解ければ、私は確実に破滅する。

 馬車を操ることも、襲撃者を撃退することも、私一人ではできない。逃げる術と戦う術、その両方を黒衣に握られていた。だから、黒衣への支配が弱まらないように、私は隣で監視を続ける。現時点では不審な点はないが、まだ安心はできなかった。


 可能ならばアデリナ様に連絡をして、プリムローズ侯爵領からの救援をお願いしたい。でも、きっと難しいのだろう。私の無事をハンナ様たちに伝えることも、未だにできていないのだから。


 ザレイン伯爵領で黒衣に誘拐されてから五日が経とうしていた。

 黒衣から話を聞くに、五日前の戦闘で私はアラン殿下を攻撃しているようだ。もしそれが本当のことならば、私も反逆者の一味だと判断されていてもおかしくはなかった。


 冷静に振り返ってみれば原因に予想はつく。たったの一度だが、私も洗脳薬を飲んでいる。それは、黒衣から渡されたものだった。

 黒衣は覚えていたのだろう。だから、私に命令を下したに違いない。

 私はアラン殿下を攻撃するつもりは全くなかった。……でも、信じてもらえるとも想えなかった。


 黒衣と一緒にアラン殿下を攻撃し、黒衣と一緒に姿を隠した。その事実だけでも、黒衣との内通を疑われてもおかしくはない。

 私の潔白を証言できるのはハンナ様だけ。しかし、私に支配された姿をアラン殿下たちにハッキリと見られている。私が無理やりに証言させている、そう責められたときの上手い言い訳が想いつかなかった。


 プリムローズ侯爵領に向かうのも一つの賭けだ。

 アデリナ様ならば私を信じてくれる、その期待があるからこそ、アデリナ様に頼ると決めた。それでも、もしかしたら……と、不安が心に沸き上がるのを抑えることはできなかった。


 胸の奥がキュッと締めつけられるたびに、私はブンブンと大きく首を左右に動かして不安を振り払っていた。同じことを何回繰り返したのかを数える気は起きなかった。


 黒衣が犯人の一味であることだけは、間違いない事実だ。プリムローズ侯爵に黒衣を引き渡せば、少しは私の疑いも晴れるのだろうか。疑いが晴れると希望を持ちたかった……。


 薄々ともしかしたらとは想っていた。嫌な予感はしていたのだ。

 それでも、黒衣から聞き出した反乱へ加担する理由はあまりにも残念すぎた。『強者と戦うため』、そんな馬鹿な答えがあるとは想えないし、その答えを信じたくもない。黒衣が嘘をついている、そう疑いたくなってしまう。


 どうしてか黒衣への支配は、ハンナ様やダイアウルフよりも弱く見える。

 ハンナ様たちは意思を持ってはいなかった。私が命じて初めて動き出す様子は、まさに操り人形だったのだ。

 でも、黒衣は違う。命令には従うが、どこか……人間らしく想える。

 人形みたいなハンナ様と過ごした時間は寂しいものだった。しかし、黒衣との旅路では寂しいと感じない。なんだか不思議だった。


 なんとなく黒衣の横顔を覗いてしまう。素顔は仮面で隠されたままだった。

 そう言えば仮面を取れとは命じなかった。何の気なしに私は手を伸ばす――。


 「――ひゃっ!」


 ガタン、と突然に馬車が揺れ、慌てて黒衣の腕にしがみつく。頬を撫でる風の勢いが急に強くなり、頭の上から怒声が聞こえてきた。


 「振り切れるが、どうする? 戦うか?」

 「――逃げて!」


 早口に訊ねる黒衣へ私は叫ぶ。戦わない選択肢があるならば、それを私は選びたい。戦え、と相手を傷つける命令はしたくなかった。

 戦う以外の選択肢があるとき、黒衣は必ず教えてくれていた。だから、今回は大丈夫。……もし戦うしか選択肢がないのならば、黒衣が勝手に戦闘を始めていたはずだ。


 実際に手を汚すのは、黒衣。でも、支配しているのは、私で間違いない。

 私はまだ一人も殺したことはない。それでも、何十人も殺した罪人のような気持ちになってしまう。黒衣の罪が、私自身の罪に想えて仕方がなかった。


 黒衣は馬車を操りながら、器用に私の身体を支える。そして、手綱を私に握らせ、その上から黒衣の大きな手が包み込んでいた。


 何回も襲撃を受けた結果、暗黙的に繰り返された手順だった。

 二人で手綱を握っても制御は黒衣の担当だ。私が役割を果たすのは、黒衣が戦闘に移ったときだけだ。馬車から黒衣が飛び降りたときに、代わりに手綱を引いて馬車を止める。私の担当はそれだけだった。


 黒衣の手に押し込まれ、私は手綱を強く握りしめる。

 馬車はもうすでにセブラ子爵領に入っていた。ここは敵地なんだ、そう心の中でつぶやく。私は気を引き締め直していた。




 襲撃者たちを振り切って馬車はプリムローズ侯爵領へ進んでいた。いつの間にか太陽はすっかりと沈み、夜空を星々が彩っている。

 御者台に一人で座る私は、静かに夜空を仰ぎ見ていた。


 「早く、帰りたいな」


 ふと寂しさが言葉に表れる。目を凝らして見れば、クラウディア様やハンナ様たちの姿が、星空のスクリーンに見える気がした。

 特に、セレナともう一度会いたい。そして、謝りたかった。


 最後の別れのとき、セレナには嫌な決断をさせた。私を見殺しに逃げて……本当に、酷いお願いをしてしまった。傷ついた顔のセレナを想い出し、胸が苦しくなる。私は強く両手を握りしめていた。


 私がもっと強ければ、セレナと一緒に戦えたのに――。


 大きくため息を吐き出しながら、私は後ろへと振り返る。相変わらずゴソゴソと荷台から音がし、黒衣の小さな鼻歌が聞こえてくる。それは、王国では聞かないメロディだった。

 今ごろ黒衣は服を脱ぎ、身体の汗を拭っているのだろう。私と入れ替わりで身体を清めているはずだ。


 黒衣に『休憩』を命じたのは気まぐれだった。

 何となく私だけが休息をとることに罪悪感を覚えてしまったのだ。その申し訳なさから、つい命じてしまっていた。


 黒衣は憎い敵だ。だから、本当は後ろめたさを感じる必要はないはず。

 一緒に食事をし、一緒に衝撃者たちと戦い、これから一晩を供にする。一緒に長く行動しているからか、黒衣に情がわいたのだろうか? いや、そんなわけない!


 パンパン、と私は両頬を叩く。そして、心の中で何度もつぶやいた。

 黒衣は敵、黒衣は敵、黒衣は敵――。

 絆されて警戒を緩めてはいけない。黒衣にかけた支配の魔法が解けたとき、黒衣が私をどう扱うかはわからないのだ。もしかしたら、また檻に閉じ込められるかもしれない。


 夜は特に油断できない時間だ。もし眠っている間に魔法が解ければ、私は抵抗すらできずに終わってしまう。その最悪の展開だけは避けないといけない。


 私は再び両頬を叩き、ふわふわとした眠気を心の奥底へ沈めていく。今夜は絶対に寝ない、そう決心する。黒衣への警戒心を強めていった。




 「そろそろ、寝てもいいんじゃないか?」


 呆れた声で訊ねる黒衣を、私はキッと睨みつける。そして、こっそりと足を力一杯につねった。痛みが少しだけ眠気を紛わせてくれる。


 再び御者台に並んで座ってから、ゆうに一時間は超えているだろうか。

 私から黒衣に話しかけることはない。想い出したような黒衣の眠りの催促だけが唯一の会話だった。

 黒衣のふざけた目的はすでに聞いているのだ。今更、聞き出したいことも特になかった。


 「よく寝ないと、いつまでもチビのままだぞ。男にモテたいなら、身長も胸も大きくないと――」

 「――黙りなさい!」


 衝動的に声を荒げ、御者台で立ち上がる。瞳に魔力を注ぎ込み、黒衣を見つめる。眠気は一気に吹き飛んでいた。


 黒衣は平然とした様子で私を見つめ返す。それが無性に腹立たしい。支配者側は私のはずなのに、子供扱いされることに納得がいかない。本当に魔法が効いているのか疑いたくなるが、私に危害を加えないのだから大丈夫なのだろう。


 「おお、怖い怖い。気にしているなら、さっさと寝ればいいだろうに」


 そう言って黒衣はわざとらしく肩をすくめて見せる。怒りで吊り上がりそうな眉を堪え、私は限界まで魔力を瞳に集中させていく。

 黒衣に聞きたいことはないが、見せて欲しいものはある。苛立ちのあまり、それを想い出したのだ。


 「仮面を脱いで、私に素顔を見せなさい」


 怒りを押し殺して私は命じる。本当に魔法が解けていないならば従うはずだ。

 一秒……二秒……三秒……。ただ沈黙が流れていく。

 彫像のように黒衣は動きを止め、仮面を外すような素振りを見せなかった。私の命令が聞こえていなかった、そう楽観的に考えるほど愚かにはなれない。つまり、黒衣は――。


 嫌な予感が的中したと判断し、慌てて御者台から飛び降りる。足をもつれさせて、地面を二回三回と転がってしまう。しかし、気にしてはいられない。

 身体を起こして振り返り、私は右手で魔法陣を描き始める。勝てないと悟っていても、まだ人生を諦めたくはなかった。下卑た男たちに売られる未来なんて、あんな屈辱は二度と経験したくない。


 自然と、左手は首から垂らしたペンダントを握りしめていた。最悪な未来を辿るくらいなら死ぬ、今度はその判断に迷わない気がした。


 「おい、ちょっと待て!」


 遅れて御者台を飛び降りた黒衣が叫ぶ。ご自慢の大剣は御者台に残されていた。

 恐怖で震えそうな指先で描いた魔法陣へ魔力を流し込んでいく。大股で近づく黒衣に向かい、一斉に風の刃を放っていた。

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