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040 突撃、伯爵領

 突然始まった王太子殿下からの視察に、ザレイン伯爵家は混乱しているようだった。無理もないことだと想う。


 転移魔法で降り立ったのは、ザレイン伯爵家の庭だった。

 唐突に眩い光を放って六人の男女が現れたのだ。不審者が現れたと、ザレイン伯爵家の騎士たちが警戒を強め、剣で私たちを取り囲むのも当然だろう。その人数は、軽く十人を超していた。


 だから、その光景を笑って見つめるアラン殿下には驚きだった。身なりを見れば、高貴な立場だとは一目でわかる。それでも、警戒を緩めるような惰弱な騎士は、ザレイン伯爵家にはいなかったのに……。


 もしかしたら剣で斬られるかもしれない、そう怖くはならないのだろうか? 先触れもない突然の視察がザレイン伯爵にどう受け取られるのか……友好的な対応は期待できなかった。

 アラン殿下の背中に庇われたまま、落ち着きなく顔を左右に動かしてしまう。いつ斬りかかってくるのか、気が気でなかった。


 応接室で陛下を交えて話し合いが行われたのは早朝のことだ。そこから、お昼を挟んで午後三時には転移魔法でザレイン伯爵家へと赴いている。

 カルラ様の証言を信じるならば、ザレイン伯爵家の内部に裏切り者がいる。

 急な視察は、その裏切り者をあぶり出すためだと理解はしているのだ。もし魔物の氾濫が起これば、どれだけの人死にが出るかはわからない。可能性に過ぎないとしても、警戒するのは当然のことだと想う。


 陛下の判断が間違っているとは想わない。ただ、あまりにも急だと想ってしまうのだ。


 転移してから十数分は経過しただろうか。ドタバタと騒がしくなっていた。


 「――エリーゼ嬢、お願いできるか?」


 何を、とは聞き返さない。アラン殿下に、私は一つうなずいて見せた。

 私は瞳に魔力を注ぎ込み、騒々しい方角を見つめる。警戒心に満ちた感情線がいくつも視えていた。

 恐らく増援の騎士たちなのだろう。これから、私たちは一体どうなるのか? 逃げ出したい気持ちになっていた。


 「心配はいらないさ。だから、堂々としていろ。……ハンナ、側にいてやれ」


 そう言ってアラン殿下は微笑み、ハンナ様に声をかける。すると、私の手をハンナ様が掴み、ギュッと強く握りしめられる。

 俯きがちだった顔を上げ、私もハンナ様の手を握り返していた。


 アラン殿下の背中で遮られた先で、すぐには数えられないほど大勢の騎士たちが近づいて来ていた。


 騎士たちの輪の中から、誰かが抜け出してくる。それを見た私は身体を横に動かし、ひょっこりと顔を覗かせた。四十歳くらいの筋肉質な男性がゆっくりと近づいて来ていたのだ。


 距離が縮まり露わになった表情は険しいが、それも当然のことだろう。

 陛下の命令とは言え、急な視察を快く受け入れるのは難しいはずだ。叛意がある、そう疑われたと邪推しても仕方がない。

 怒っても不思議ではないのだが、どうしてか男性はアラン殿下に敵意を向けていなかった。それどころか、友好的な色が視える。厳つい顔と心が一致していなかった。


 五メートル……三メートル……一メートル。

 アラン殿下との距離が近づくほど、重苦しい空気が漂っていく。増援の騎士たちも輪に加わり、私たちへの包囲はより厚くなっていた。日差しを浴び、抜き身の刃が煌めいている。


 そんな一触即発の空気を破ったのは、呆れを含んだ男性の声だった。


 「……殿下、視察をされるのならば事前に連絡していただかないと」

 「ザレイン伯爵、つれないことは言わないでくれ。俺と貴方の仲だろう」

 「生意気なところは、子供のころから変わりませんね」


 呆れ顔のザレイン伯爵が非難めいた口調で言う。すると、アラン殿下は小さく肩を竦めて「師匠に遠慮する必要はないだろ」と笑って答える。同意するようにザレイン伯爵も微笑んでいた。

 武の一族の長たるザレイン伯爵の身体は逞しいが、武人と名高いアラン殿下も負けてはいない。頑健な二人の男は、バチンと甲高い音を出すほどに力強く握手を交わしていた。


 唐突に響いた大きな音に驚いて、私は想わず身体を仰け反らせる。慌てて姿勢を戻すが、近くの男二人にはバッチリと見られていた。

 アラン殿下とザレイン伯爵はどこか微笑ましげに見つめてくる。急に気恥ずかしくなって、私は逃げるように二人から視線を逸らし、ハンナ様の背中に隠れていた。


 「この可愛らしいお嬢さんは……殿下の新しい浮気相手ですか? 二人も連れてくるとは、全く刺されても知りませんよ」

 「俺の女はクラウディアだけだ、そう何度も言っているだろ。エリーゼ嬢は……クラウディアの妹分みたいなもんだ」


 そう言って、今度はアラン殿下が呆れた顔でザレイン伯爵を見つめる。

 どちらの口調も砕けて緊張した様子はない。二人の仲が気安いものだと、簡単に察しがついた。しかし、こんなに親しげな態度でいいのだろうか。


 対外的には陛下の代理として、アラン殿下は視察をしているのだ。仲が良いことは悪いことではないが、どうしても好ましい振る舞いとは想えなかった。


 どうやらそう感じているのは私だけではないらしい。キョロキョロと見渡せば、困惑を顔に貼りつけた人ばかりだった。

 アラン殿下とザレイン伯爵が親しいなんて噂は聞いたことがない。困惑は当然だと想うが、一部の人にとっては違うようだ。


 ざっと見る限り、この場の反応は二極化しているのだ。

 関係を知る者にはよくある光景なのか、多分に呆れている。一方で、知らない者の反応は困惑に満ちていた。まるで寄る辺を失った迷い子のように、ポカンと固まっている。


 知らない、知らない、知らない、知っている――。

 この場にいるのはザレイン伯爵家の騎士たちばかりで、僅かにアラン殿下の護衛たちが侍っている。パッと見て三十人は超すのではないだろうか。

 アラン殿下とザレイン伯爵を除けば、その中で平然としているのはたったの三人だけだ。一人はハンナ様で、残りの二人はザレイン伯爵の側近と思しき騎士だった。


 新人も古株もなく、騎士たちが揃って戸惑っている姿はなんだか面白い。

 私の視る他人の感情はいつもバラバラだった。しかし、この場に限って言えば、アラン殿下たちの仲を初めて知ったものは一様に困惑色をしていた。


 私の瞳に映る世界の中は、不思議な一体感に包まれていたのだ。

 身体を左に大きく捻った後、私は時計回りに右へ右へと視線を動かしていく。

 悪戯心から想い想いの感情を晒す、色んな表情を眺めてしまう。ハンナ様と繋いでいた手も、いつの間にか外れてしまっていた。


 真面目そうな男性のアホ面、経験豊富そうな老騎士のあんぐり顔……。

 私の口元はニヤニヤと弧を描いていた。公爵令嬢としてはあるまじき態度だが、困惑の中で、誰も私になんて注目していないだろう。


 アラン殿下とザレイン伯爵が平気な顔で会話をしているからか、騒々しい声は一向に治まっていない。だから、優雅な人間観察の時間は、身体を右に捻り始めても終わらなかった。

 そのあまりにも滑稽な人たちの姿に、私の口からは小さく笑いが漏れていた。しかし、急に引っ掛かりを覚えて身体を右に捻るのを止める。そして、慌てて左へと身体を戻していた。


 視線を巡らせていると、引っ掛かりの正体に気がつく。私はジッと一点を見つめていた。

 そこは、騎士たちの輪の中腹あたり。恐怖に満ちた視線をアラン殿下に向ける、一人の騎士がそこにいた。


 どうかしたのだろうか、そう想って私は眺めていた。すると、私の視線に気がついたのか、騎士の顔が動く。アラン殿下へ向いていた恐怖心の矛先が、私に切り替わっていた。

 遠目でもわかるほどに、騎士の身体は震え出していたのだ。


 その口はパクパクと開いては閉じるが、何を言っているのかはわからない。喧騒の中、騎士の声は掻き消されていた。


 「あの騎士が気になるの?」


 唐突にハンナ様の声が聞こえてくる。少しだけ膝を折って、私の顔を覗き込んでいた。


 「何だか怖がっているみたいで、不思議だなって」

 「怖がる? エリーゼを?」

 「うん、最初は殿下だったのだけど、今は私を怖がっている……やっぱり、怖がってるよ」


 チラリと横目で騎士を覗き見てから、私は大きくうなずく。すると、ハンナ様は真剣な目で騎士を見つめた。


 「殿下、エリーゼが見つけたみたいです」


 一秒も経たない内に、ハンナ様は騎士から視線を切った。


 「特定できるか?」

 「問題ありません。顔は覚えました」

 「……あの男に何かある、それが視察の理由ですか」


 笑顔を崩さずにザレイン伯爵が小さくつぶやく。その声は、どこか平坦だった。


 「最近、雇い入れた騎士……情けない話です。あれほど表情に出る、三流以下の男を雇ってしまうとは」

 「いや、それだけ巧妙なのだろうさ。……あの男に話を聞いても構わないな?」

 「当然です。私も、ぜひご一緒させてください」


 小声で話し合うアラン殿下とザレイン伯爵は愉しそうに笑っている。しかし、不思議と背筋が凍るような心地だった。


 アラン殿下は怒っている、ザレイン伯爵は失望している。

 笑顔で隠しているが、私には二人の感情がハッキリと視えている。あの騎士に向ける感情は異なっているが、どちらも友好的な色は視られない。明確に騎士を敵だと判じていた。


 「これは、エリーゼ嬢の功績だな。よく気づいてくれた」


 唐突に振り返ってアラン殿下が私を褒める。優しい微笑みに心がポカポカとあたたかくなる。見上げた先では、表情を緩めたザレイン伯爵も小さく頭を下げて同意していた。


 嬉しさのあまりコクコクと何度もうなずいてしまう。それは、ハンナ様が手を強く握りしめるまで続けてしまっていた。


 「エリーゼ、少し落ちついて」

 「あっ……ごめんなさい」


 嬉しい気持ちが急に萎んでいく。あまりにも感情的だった、そう失敗を恥ずかしく想い、私の顔は俯いていった。

 そんな私の手をハンナ様がグッと引っ張る。

 突然のことに、私の身体はピタリとハンナ様にもたれかかっていた。非難めいた眼差しを向けるが、ハンナ様は素知らぬ風に微笑んでいた。


 「今のエリーゼは騎士の一人。だから、アタフタしない。堂々と、ね?」


 そう言ってハンナ様は背筋を伸ばし、正面を真っすぐに見つめる。私もハンナ様に倣って姿勢を正した。


 そうだ、私はアラン殿下の騎士なのだ。恥ずかしい姿は止めないと……。

 慌ててハンナ様と繋がった手を離すが、どうしてか寂しく想えてしまう。繋いでいた手を背中の後ろにまわし、意味もなく、グーパーと手を動かしていた。

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