038 表裏一体のプレゼント
「――面をあげよ」
荘厳な声が聞こえ、私の弱い心がキュッと強く締めつけられる。固い表情のままでゆっくりと顔を上げていった。
救いを求めるように、隣に並んで頭を下げていたハンナ様を見つめる。すると、チラリと目線でうなずき、ハンナ様は小さく私に向かって微笑んだ。しかし、次の瞬間には真っすぐに正面を見据える。緩んだ顔は霧散していた。
私は下唇を強く噛む。胃の中のものを吐き出したくなるほどに、緊張のあまり気分は悪かった。
顔を向けた先には、アラン殿下によく似た顔の男性――国王陛下が鎮座していた。その隣に控えるアラン殿下にも笑顔はない。真剣な眼差しで私とハンナ様を見下ろしている。
私の礼儀作法に間違いはないだろうか。アラン殿下直属の騎士服を身につけているが、騎士服に着られてはいないだろうか。現実逃避をするように、どうでも良いことばかりが気にかかった。
今いるのは王宮の小さな会議室だ。アラン殿下に保護された後、私とハンナ様はアラン殿下に従って王宮を訪れていたのだ。
会議室にいるのは、私を含めて七人だ。ただ、出席者は普通でなかった。
国王陛下、王太子殿下、宰相殿に、お父様とグレスペン侯爵――クラウディア様のお父様。そこに、私とハンナ様が加えられている。ハンナ様がアラン殿下の密偵だったことを考えると、この場に相応しくないのは、私なのだろう。巻き込まれた一般人、単純な立ち位置ではそうとしか言えない。会議室内に漂う重苦しい空気が辛くて仕方がなかった。
「ハンナ・アプリコット男爵令嬢、報告せよ」
何を、とは誰も言わない。報告内容は、クラウディア様の豹変に端を発する一連の事件だ。グレスペン侯爵がハンナ様を見つめる瞳は酷く冷たい。
アラン殿下の声に応じてハンナ様は再び深く頭を下げる。そして、朗々と報告し始めた。
「やはり、一手たらんな」
報告を終えたハンナ様が一礼した後、陛下が重々しくつぶやいた。声に出さずとも会議室には同意する空気が漂っている。私も同じ感想だった。
子爵家に反乱の兆しがある、その証拠がどこにもないのだ。
カルラ様を尋問して私とセレナが聞き出したが、公的な資料としては使えない。子爵家を糾弾するためには、どうしても国が尋問しなければならなかった。だが、カルラ様も行方不明となっている今、すぐには対処できないだろう。
ハンナ様曰く、私が監禁された洋館にカルラ様はいなかった。
黒衣の男と供に私を誘拐したので、ベルント様とカルラ様は捨て置かれたのだ。もしカルラ様が逃走したのならば、その時に違いなかった。
ベルント様に意識はなく、カルラ様の手足は拘束されてはいなかったのだから。
本当にカルラ様はどこへ逃げたのだろうか?
学園の中に留まるとは想えないから、やはり外へ逃げたのだろう。黒衣の男たちの仲間が保護――監禁しているかもしれない。いや、殺されているのかも……。
嫌な想像を振り払うように頭をブンブンと振った後、ハッと正気に返る。会議室内の視線が私に集中していた。
私は想わず顔を伏せる。頭の中は真っ白になっていた。
「……考えても仕方がない、か」
小さなつぶやきは陛下のものだった。
隣のハンナ様にこっそりと小突かれ、私は恐るおそるに顔を上げる。陛下は優しげな眼差しで見つめていた。
「アラン、そなたにザレイン伯爵家への視察を命じる。行ってくれるな?」
「はい、お任せください」
アラン殿下は凛々しく答え、視線をハンナ様に向ける。すると、ハンナ様は深く頭を下げた。倣うように私も頭を下げる。
ザレイン伯爵家への視察は、アラン殿下に聞いていた。だから、私はお願いしたのだ。私も一緒に頑張りたい、と。
「ハンナ・アプリコット男爵令嬢には随行を願う。スティアート公爵、エリーゼ嬢の力も借りたいのだが、構わないだろうか?」
クラウディア様を助けたい、アラン殿下は私の願いを聞き届けてくれた。お父様は了承してくれるだろうか?
両手で服を強く握りしめ、ギュッとまぶたを下ろす。私の心臓はバクバクとうるさかった。
「……殿下の命であらば、否はありません。私の娘をお連れください」
「すまない、公爵。エリーゼ嬢は無事に帰すと約束しよう」
私は矛盾している。自分でクラウディア様を助けたいと願ったのに……お父様に引き止めて欲しかった、そう残念に想ってしまう。
誘拐されたと聞いてお父様は何も想わなかったのだろうか?
事件に首を突っ込む私のことを心配してはくれないのだろうか?
お父様の冷たい眼差しが怖くて、私は俯いた顔を上げられなかった。
細かい打ち合わせを始めたアラン殿下たちの声が徐々に遠く、いつの間にか聞こえなくなっていた。
「わかっていたけど、侯爵様には嫌われていたね」
ハンナ様があっけらかんと言い放ち、ソファーに座ったまま大きく背伸びをする。悪びれた様子はどこにも見られなかった。
自分の愛娘を貶めた相手に、どうして好意を抱けるだろうか。
グレスペン侯爵に嫌われるのは当然だ、そう言わんばかりの態度でハンナ様は寛いでいた。緊張の余韻を引きずる私とは大違いだった。
重苦しい空気に慣れていないからか、私の心は簡単に切り替わらない。目の前の紅茶やクッキーを口にする気分ではなかった。
アラン殿下に応接室へ案内されてから、すでに三十分は経過しただろうか。給仕を終えたメイドたちが部屋の外へ出てからは、私とハンナ様の二人きりとなっていた。
会議室に戻ったアラン殿下と、陛下たちはどんな話をしているのだろうか?
もしかしたら、私たちの証言自体を疑っているのかもしれない。
事情はどうあれ、ハンナ様がクラウディア様を貶めたのは事実だ。少なくともグレスペン侯爵は、ハンナ様のことを簡単には信じられないだろう。
私の言葉は……子供の戯言と想われても仕方がなかった。
カルラ様を尋問したのは本当のことだ。でも、精霊憑きの力までは話さなかったから、どうしても疑惑は残ってしまう。こんな子供がどうやって秘密を暴いたのだろう、と。
嫌な考えばかりが頭の中をグルグルとまわり、気分は落ち込んでいた。
「クラウディア様のお父様なんだよ? 嫌って当然だよ……」
私はチラリと向けた視線を下ろして顔を俯かせる。ため息まじりの声には疲れが滲んでいた。
「エリーゼ、疲れているの?」
そう心配そうに言ったハンナ様は立ち上がり、私の隣へと座り直す。下から覗き込んでくるハンナ様から逃げるように、私はそっと顔を逸らした。
「あのね、エリーゼに聞いて――」
コンコン、唐突にドアを叩く音が聞こえる。想わず顔を向けた瞬間、ガチャリと音を立ててドアが開いた。
アラン殿下だろうか? ふと浮かんだ想像は一瞬で霧散してしまう。
私は慌ててソファーから立ち上がり、深く頭を下げる。考えるより先に身体が動いていた。ドアから姿を見せたのは、私のお父様だった。
足音がやけに甲高く聞こえる。そして、私の前で足音が止まった。
「頭を上げろ」
低い咎めるような声に、心臓がギュッと締めつけられる。私は下唇を噛んだまま顔を向けた。
「お前に贈り物がある。手を出せ」
オクリモノ。贈り物? ……贈り物!
想いがけないお父様の言葉に、私は目を大きく開いて見つめてしまう。お父様から直接何かを貰うなんて、私が知る限り初めてのことだった。
期待と不安がないまぜの気持ちで、両手を上にして差し出す。すると、顰め顔のお父様が小さな箱を置く。それは、何の飾り気もない真っ黒な箱だった。
「あの、お父様……この箱は?」
私の視線は箱に釘づけになっていた。正方形のそれを私は見たことがある。ペンダントや指輪を収めるジュエリーボックスに似ていたのだ。
不安が掻き消え、期待が満ちていく。正直、嬉しくてたまらない。早く箱を開けたくなっていた。
「箱を開けてみるといい。構わんぞ」
そうお父様に促されるまま箱を開けると、中にはシルバーネックレスが入っていた。三日月のモチーフの上に大きな星が置かれている。組み込まれた小さな紅い宝石が輝いていた。
「お父様、ありがとうございます! 凄く、嬉しいです!」
箱ごと胸に抱きしめる。どうしてかお父様は渋い顔をしているが、今の私はきっと満面の笑顔だろう。心がポカポカとあたたかい。これは、きっと一生の宝物だ。
「私、大切にしますね!」
「……ああ、そうするといい。肌身離さずに持っていろ」
私は嬉しさのあまりにコクコクと何度もうなずく。すると、お父様の眉間のしわが深くなっていった。
数秒間、お父様はジッと私を見つめて何も話さなかった。だから、まるで酔いが冷めるかのように、私の中の嬉しい気持ちが萎んでいく。探るように箱の中のネックレスを見つめてしまう。
お父様から私へのプレゼントではなかったのだろうか?
「それは、お前を殺すための魔道具だ。使い方は――」
お父様は何を言っているのだろう。最初の一言以外が、頭で認識できなかった。
私を殺すため……自殺しろと言っているの? 冗談、で言ってるんだよね? 嘘だよね? お父様――。
「聞いているのか、エリーゼ!」
「……お父様、嘘ですよね? 私に、死ねと……言ってるのですか?」
「公爵家の恥となる前に潔く死ぬ。それは、お前の務めだ」
低く冷たい声に顔が俯いていく。お父様の顔を見る勇気はなかった。
「――公爵様、どうか私めに説明をお任せいただけませんか? 公爵様のご説明を聞いていたとは想えませんし、何よりも今は冷静でないご様子ですので……どうか、お願い致します」
唐突なハンナ様の声に、私は目線を上げる。お父様の前に跪いてハンナ様が深く頭を下げていた。
「……いいだろう、一任しよう。貴方から、エリーゼに説明しておいてくれ」
「ありがとうございます。必ず、役目を果たします」
ハンナ様が言い終わる前に、お父様は踵を返してしまう。
遠ざかっていく背中に私は何も言えなかった。ドアの閉まる音がやけに大きく聞こえた。
一体どれだけの時間を呆然と過ごしていたのだろうか。私が気づいたときには、ハンナ様に抱きしめられていた。
「泣かないで、エリーゼ。大丈夫だから……」
ああ、私は泣いているのか。ハンナ様に言われてようやくわかった。
カチャン、手の中からお父様の贈り物が零れ落ちていった。




