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037 ティータイムは王太子と供に

 「王太子殿下が手ずから注いだ紅茶は美味しいわね」


 満足そうに一つ息を吐き出し、ハンナ様が私に同意を求める。私は困った顔を隣のハンナ様から正面のアラン殿下へ向けた。両手に持ったティーカップをテーブルに置くべきか迷ってしまう。


 正直、私に同意を求められても困る。気の置けない友人みたいな振る舞いが、私に許されるとは想えなかった。

 ハンナ様に表情が硬いと揶揄われるが、微笑んで見せるほど豪胆にはなれない。救いを求めるような気持ちでアラン殿下を見つめていた。


 「……エリーゼ嬢は、気楽にして貰って構わないぞ」


 呆れた眼差しをハンナ様に送りながら、アラン殿下がため息まじりにつぶやく。小さく目線で紅茶を飲むように促し、アラン殿下はティーカップに口づけた。それに倣って私も紅茶で喉を潤していく。

 ゆっくりとティーカップをテーブルに置き、アラン殿下は真剣な顔つきでハンナ様を見る。


 「それでは、報告を聞こうか」


 その瞬間、ハンナ様の顔から笑顔は消えていた。




 未来の話ではクラウディア様が主だった。でも、今のハンナ様の主はアラン殿下らしい。私が誘拐された経緯から二人での野宿まで、三日間の出来事を報告していく。時折チラリチラリとアラン殿下の強い眼差しが私に向けられることが怖かった。


 私の様子からハンナ様が嘘をついていないか確かめているのだろう。

 悪いことは何もしていなはずなのに、心臓がバクバクとうるさい。話の途中から顔を伏せて目を閉じていた。


 結局、ハンナ様は嘘をつかなかった。少なくとも一緒に行動した際の出来事に相違はない。……一部の事実を報告しなかっただけだ。

 十五分ほどの報告の中で、心を支配する私の力については一言も触れなかった。

 こっそりと覗いたハンナ様の横顔は真剣そのものだった。淀みない口調で説明も丁寧だ。隠し事があると事前に知っていなければ、供に過ごした私でさえハンナ様の言葉を鵜呑みにしていたかもしれない。


 ハンナ様は、私が利用されないように守ってくれたのだろう。重苦しい空気の中、不謹慎にも口元をニマニマと歪めていた。


 「……事情は大体わかった」


 一通りの話を聞き終えた後、黙って考え込んでいたアラン殿下が口を開く。


 「よく頑張ったな」


 労いの言葉はそれだけだったが、私を見つめる眼差しはどこまでも優しかった。

 だから、瞳に吸い込まれるように見つめ返してしまう。返礼の一つもできやしなかった。それは令嬢として相応しくない振る舞いだった。


 頭ではお辞儀をするべきだとわかっている。それでも、身体は少しも動かない。優しさの中に、どうしてか拒絶するような空気を感じてしまったのだ。


 「スティアート公爵には、俺の方から連絡を入れておく。しばらく家に戻って休むといい」

 「アラン様、私は反対です。何度も巻き込まれているエリーゼは、もう当事者の一人です。下手に遠ざけるよりも、協力者として引き入れるべきです」

 「……次は、誘拐や監禁では済まないぞ。それは、潜入していたお前が一番わかっているはずだ」


 淡々とした口調でアラン殿下は答え、ハンナ様は口を噤んでしまう。私もつい手枷を嵌められていた手首を撫でてしまった。その行動が周囲にどう想われるか、気づいたときには遅かった。


 ハッとして顔を上げると、アラン殿下が悲しげな顔で私を見つめていた。


 「えっと、これは……その……」


 何か言い訳をしなければと必死に頭を巡らせるが、すぐには話すべき言葉が浮かばない。数秒後、私の口からは本音が零れ落ちていた。


 「私も、クラウディア様を助けたいんです。だから、一緒に頑張らせてください。私も、仲間に入れていただけませんか?」

 「……そうか、クラウディアのためか」


 たどたどしい口調で、私は精一杯に主張する。

 すると、一瞬だけアラン殿下は目を見開き、柔らかく微笑む。それは絵画のように美しい表情で、想わず見惚れてしまった。アラン殿下が誰の姿を想い浮かべていたかは簡単に想像がついた。


 「エリーゼ嬢は十分に助けているのだが、まだ満足できないか?」


 そう言ったアラン殿下の口調は、まるで妹に言い聞かせるようなものだった。今度は私が目を大きく開く番だった。


 唐突に、隣からハンナ様の笑い声が響き、私はギョッと驚いて顔を向ける。揶揄うような顔のハンナ様は片手で口元を隠し、もう一方の手でアラン殿下を指差していた。


 私は慌ててハンナ様に飛びつき、指差すハンナ様の手を下ろさせる。愉し気なハンナ様に反し、私の頭は真っ白になっていた。恐るおそるアラン殿下を覗き見ると、不快げに眉根を寄せている。


 なんて不敬なことを! 早く謝って! そう叫びたいのに、からからに乾いた喉からは声が出てこなかった。

 縋りついてハンナ様を見上げるが、少しも気持ちが伝わらない。いつもの優しい笑みで私の頭を撫で始める。違う違う、と首を大きく左右に振っても撫でるのを止めてはくれなかった。


 「エリーゼ嬢を困らせるなよ……お前は相変わらずだな」

 「それが、私の良いところだと想わない?」

 「……まあ、否定はしないさ」


 呆れた口調でアラン殿下は肯定し、大きく息を吐き出した。


 「エリーゼも心配しなくていいよ。この人は、不敬だなんだとつまらないことを言う男ではないから。それくらいの信頼はできるよ」

 「……お前は、本当に失礼だな」


 少し苛立ちげなアラン殿下の声に、ハンナ様は嫌らしい笑みを浮かべた。


 「本当にクラウディア様を想うなら婚約を解消するべき……私の助言を無視した、愚かな男に敬意を払えと?」


 そこで言葉を切ってハンナ様はアラン殿下を睨みつける。向かい合うアラン殿下は怒りを治め、苦しそうに表情を歪めていた。


 「手放さないのはアラン様のエゴでしかない。私はクラウディア様が無事ならば、王太子妃なんて止めてもいいと――」

 「――わかっているさ、そんなことは!」


 アラン殿下の大きな声に、ハンナ様の声が掻き消される。罪の意識に苛まれるような苦悩に満ちた顔だった。それでも、アラン殿下の瞳は真っすぐにハンナ様を射抜いていた。


 「俺はクラウディアを愛している。あいつを幸せにするのは俺だ!」


 まるで、ロマンス小説に出てきそうな台詞だった。


 私は知っている、クラウディア様がアラン殿下を愛していることを。そんなお似合いの二人だからこそ、婚約を止めるなんて大鉈を振るいたくはないのだろう。どんな理由があったとしても、破棄された婚約は決して元には戻らないのだから。

 まさに愛の試練に立ち向かうヒーローとヒロインみたいだ。どこかの恋物語で書かれていそうな展開だと、不謹慎にも想ってしまった。


 妄想に走った私を置いて、ハンナ様とアラン殿下は睨み合う。部屋の中には重苦しい沈黙が流れていった。


 十秒以上は経っただろうか。表情を緩めてハンナ様が軽く肩を竦めて見せた。


 「わかっているならいいよ。クラウディア様の未来は、アラン様の頑張り次第なんだから、しっかりしてよね」

 「……おい、エリーゼ嬢は知っているのか?」


 アラン殿下は声のトーンを落として訊ねる。ハンナ様は「エリーゼは知らないよ」とあっけらかんと言い放った。すると、小さく「そうか」とうなずき、アラン殿下は微笑んでいた。


 ごめんなさい、アラン殿下。私も未来のことを知っています。

 どうやらハンナ様は未来の話をアラン殿下に話しているらしい。そして、それをアラン殿下は信じている。様子を見るに私の末路までは知らないのだろう。私は知らない振りをした方がいいのかもしれない。


 不思議そうな顔で、私はハンナ様とアラン殿下の間で視線をさまよわせた。


 「アラン殿下はクラウディア様が大好きなんだって、私たちと一緒だね!」


 空気を変えるように弾んだ声で言いながら、ハンナ様が私を抱き寄せる。ギュギュっと胸に頭を押しつけられて息苦しい。イヤイヤと首を振るが、ハンナ様は離してくれなかった。


 ハンナ様の身体を両手で押し、抜け出した私はボサボサ頭になっていた。つい不満げに唇を尖らせて、ハンナ様を睨みつける。そんな私の頭を力任せにハンナ様が撫でまわし、髪型がより悲惨なことになっていく。私は力一杯にハンナ様の手を跳ね除けていた。


 唐突な噴き出し笑いに、私は顰め面を向ける。視線の先では、アラン殿下が肩を震わせて笑いを噛み殺していた。

 想わず可笑しなアラン殿下の顔を見て、私からも小さく笑いが噴き出す。その瞬間、失敗したと顔が青褪めていくのが自分でもハッキリとわかった。王太子殿下の顔を見て笑うなど、不敬の誹りは免れない。


 恐るおそる私は顔を上げる。そこには慈愛に満ちた顔のアラン殿下がいた。ニコニコと年の離れた妹を見るような、いや……まるで小動物を見るような、優しい眼差しだった。

 私の不敬を気にした様子はアラン殿下にない。心の底から安堵する一方で、どこか不本意に想ってしまう。


 「クラウディアが、二人も妹ができたと喜んでいたぞ」


 妹が二人……私とセレナのことだろうか。

 お姉様と呼んでいたセレナはともあれ、私も妹の括りに入っていたことに驚く。けれど、クラウディア様が家族みたいに親しい相手だと想っているのならば……正直、嬉しかった。


 「あの、クラウディア様とは会えますか?」


 衝動のままに私は訊ねる。しかし、アラン殿下は首を左右に振った。


 「クラウディアなら、実家に帰らせている。会わせてやれなくて、すまないな」


 そう言うアラン殿下の表情は明るい。どうしてかと疑問が私の顔に出ていたのか、アラン殿下が丁寧に教えてくれた。


 どうやら私はクラウディア様の恩人と見なされているらしい。

 一つ、危険を承知でサティプラの存在を突き止めた。

 二つ、子爵家の反乱を看破した。

 三つ、クラウディア様に使われた毒物を確保した。

 一つ目はアデリナ様とエドウィン様の功績で、二つ目と三つ目はセレナの活躍のおかげだ。私も関わってはいるが、どれだけの役割を果たせたのだろう。クラウディア様の恩人、その言葉が私を指しているとは信じられなかった。


 アラン殿下の説明の途中から、私の頭は理解を拒絶していた。右から左へと言葉が通り過ぎていく。

 結局、私の頭に残ったのはクラウディア様とセレナの現状だけだった。

 三日前に黒衣と遭遇した後、セレナは無事に逃げ出せたらしい。その足でクラウディア様に助けを求めたそうだ。そして、クラウディア様からアラン殿下へと私が誘拐されたことが伝わったのだと言う。


 ここ数日のアラン殿下は忙しかったそうだ。

 秘密裏にクラウディア様と証人のセレナを逃がし、王宮で子爵家への対応を協議した。さらに、私の誘拐事件への対応まで検討していたのだ。


 時間はいくらあっても足らない。私とハンナ様が懇意にしていることはアラン殿下も知っていたらしく、私と同時にハンナ様が行方不明となった時点で状況は察したようだ。


 だから、ハンナ様が密偵だと知られることも覚悟の上で、私を救出すると信じて研究室で帰還を待っていた。その予想は見事に的中したわけだ。替えの女性用の制服があることが不思議だったが、ハンナ様の帰還を信じて待っていたのならば納得ができた。


 アラン殿下の話を上手く消化しきれず、まだ私の頭はくらくらしていた。そんな私を見つめるアラン殿下の表情は真剣な顔つきに変わり、頭を下げて言った。


 「改めてお礼を言おう。クラウディアを助けてくれたこと、本当に感謝している。エリーゼ嬢、ありがとう」


 目をパチパチと動かしながら、私はコクリとうなずく。それ以外の動作は想いつかなかった。

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