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035 伸ばした指先を掴む人

 戦闘時間は、ほんの数分間だった。二匹のダイアウルフが血を流して倒れ伏している。その内の一匹は、私が真っ先に従属させたダイアウルフだった。

 一対二の戦闘で死に絶えた瞬間、別の一匹を無理やりに従わせていた。その一匹も負けてしまったので、最後に残った一匹を私は従えている。今、私の真正面で座り込んで命令を待っていた。


 怖くて仕方がなかった牙も爪も、味方となれば心強いのだから不思議なものだ。私は堂々と近づき、ダイアウルフの背中に手を触れる。そして、上から下へ向かって押した。


 「私を乗せなさい!」


 命令に従って身体を低くしたダイアウルフの背中へ私は飛び乗る。その瞬間、立ち上がったダイアウルフが勇ましく吠えた。

 この後の行動は決まっている。迷う必要はどこにもない。

 私はダイアウルフの肩を強く叩き、背中に跨る両脚に力を入れる。両手で長い毛を力一杯に握りしめた。


 「走れ!」


 短く命じる。ダイアウルフは一気に森を駆け出して行った。




 手掛かりとなる情報を私は持っていない。だから、私はダイアウルフの嗅覚に頼ることにした。寝床だった洞窟に戻った後、私は柔土の匂いを覚えさせる。

 ハンナ様の残り香が漂っているかもわからない。私の匂いと区別できないかもしれない。確実な方法でないことは明らかだった。それでも、何もしないのは嫌だった。……ハンナ様に置いていかれることが嫌だった。


 数分後、地面へ鼻をくっつけるようにダイアウルフは歩き出す。その背中に乗ったまま、私は目を皿のようにしてハンナ様を探していた。

 洞窟のまわりをぐるりと一周した後、確かな足どりでダイアウルフは進んでいく。十秒が経つころには走り出していた。


 木々の間を抜け、岩を飛び越える。全力で走るダイアウルフの背中から振り落とされないように、私は必死にしがみついていた。視線を周囲に巡らせる余裕はなかった。だから、戦闘音に気づくのにも遅れてしまった。


 誰が戦っているのかを視認した瞬間、ダイアウルフに隠れろと命じる気は霧散していった。逃げる選択肢はなかったのだ。

 私は力一杯に握りしめた右こぶしを、ダイアウルフの背中に叩きつけて叫んでいた。


 ――もっと早く走れ!


 願いを叶えるようにダイアウルフは速度を増していく。私は瞳に魔力を注ぎ込んで正面を見据えていた。ハンナ様も黒衣の男も、近づく私の存在に気づいていた。


 ハンナ様からは焦燥、黒衣から敵意、それぞれの色が濃く表れている。

 吹き飛ばされたのか、木の根元にハンナ様は背中を預けていた。一方、黒衣の男は大剣を構えている。

 どちらが優勢であるかは明らかだった。二人の間には五メートルほどの距離があった。


 私は右手で魔法陣を描きながら、心の中で強く祈る――私を狙え、と。


 二人との距離は詰まっていき、十五メートルに差し掛かった。その瞬間、正面から突風が吹き荒れ、木々が倒れ落ちていく。

 風魔法だと私が認識するより先に、ダイアウルフが本能的に回避行動へ走っていた。直線的な移動からジグザグとした走りへ。風魔法の追撃と倒れた木々を回避していった。


 ダイアウルフの背中にピタリと身体をくっつけて黒衣を睨みつける。その意識の大半は私に向き、ハンナ様への注意は薄れていた。

 すでに残りの距離は五メートルを切っていた。黒衣の剣先は私に向いている。仮面越しに殺意が漏れ出していた。


 私には黒衣の感情がよく視える。増幅していく殺意が攻撃の瞬間を告げているようだった。

 描いた魔法陣へ魔力を注ぎ込んでいく。私への感情が殺意に染まり切る直前、風魔法を解き放った。狙いは黒衣が向ける私への感情そのもの。欲しいのは注意が逸れる一瞬の時間だけだ。


 「――手を掴んで!」


 感情線を断ち切ると同時に、私は身体を傾けて右手を限界まで伸ばす。左耳に風切り音が大音量で聞こえてくる。髪が吹き上げられていた。

 手を伸ばし返すハンナ様を確認し、視線を黒衣に戻す。横凪ぎに払われた大剣を振り上げていた。感情線は確かに切られている。私の存在を朧げにしか認識できないはずなのに……直感で攻撃するつもりなの?

 

 「――任せて!」


 声が聞こえると同時に、私の右手首が掴まれる。慌てて相手の手首を掴み返した。そうしている間にも、私の脳天を目掛けて大剣が振り下ろされていく。その様子がどこかスローモーションに見えた。

 視界一杯に広がる大剣が突然に姿を消す。真っ暗になったと想った瞬間、耳を劈く衝撃音が轟いた。


 数秒後、暗闇が晴れる。振り返った先では、土の壁でドームが築かれていた。その壁に大剣が食い込んでいる。

 大剣を手放した黒衣の敵意が再び私を射抜く。早い復活に私が驚いていると、大量の火球が出現していた。しかし、放たれた火球は私まで届かない。火球を遮るように地面から土壁がせり上がって防いでいた。


 ふわり、優しげな風が吹く。背中から私は抱きしめられていた。


 「エリーゼ、ありがとう」


 そう言ってハンナ様は額を私の背中に押し当てる。緊張を解いたのか、荒い呼吸を何度も繰り返していた。




 黒衣の男から逃げ出して一時間は経過しただろうか。ようやく私とハンナ様はダイアウルフの背中から降りていた。

 やはり疲れていたのか、ダイアウルフはその場で身体を横にする。怪我の治療は光魔法を扱うハンナ様に任せ、私も人心地についていた。


 ハンナ様が言うには、黒衣も風魔法は使えるが高速移動はできないらしい。十分な距離を稼いだ今、簡単に追っては来れないはずだ。

 黒衣の男はダイアウルフを引き連れてハンナ様を追跡していた。それを察した時点で、ハンナ様から先制攻撃を仕掛けたようだ。そのときに戦ったダイアウルフは二十匹を越している。もしかしたら、私と鉢合わせた三匹はハンナ様の討ち漏らしかもしれない。


 置いて行かれた、そう焦った私自身が恥ずかしい。少し考えればハンナ様が簡単に人を見捨てる性格でないことはわかったはずなのに……。

 大木に背中を預け、私はため息を吐き出す。正直、疲れてしまっていた。


 振り返ってみれば、私は朝食も食べていない。起きがけに走り、二回も戦った。

 三匹のダイアウルフに囲まれたときや、黒衣の男が大剣を振り下ろしたとき、私は死を覚悟していた。でも、死んでいない。私は、生き延びた。その事実を認識し、張り詰めていた緊張の糸がようやくほぐれていった。


 「……エリーゼ、まだ頑張れる?」


 心配そうな顔のハンナ様が下から覗き込む。ペタンと私の前に座り込んでいた。


 「ハンナ様の方が疲れてるよね?」

 「……まだ頑張れるよ。こんなところで、終わるわけにはいかないから」


 緩んでいた目元が吊り上がっていく。澄んだ瞳が真っすぐに私を見ていた。

 終わる……やっぱり、殺されるのだろうか。

 想わず両手で自分の身体を抱きしめる。死ぬのは怖い。死にたくなんてない。それに、私は――。


 「ハンナ様に死んで欲しくなんてない。私にも、できることはないの?」


 目の前で戦士の顔つきをしたハンナ様に向かい、私はずいと顔を近づける。

 五年後の悲惨な未来を知っているハンナ様。

 私よりも私自身の力を知っているハンナ様。

 心配されることは嬉しい。でも、私だって心配している。だから、私にも頑張らせて欲しい。私にも頼って欲しい。


 エリーゼ・スティアートとハンナ・アプリコットは友人。それは、ハンナ様の知る『未来』でも、『今』でも、変わらない事実なのだから。


 「私の精霊憑きの力を使えば、きっとハンナ様の役に立てると想うんだ。だから、私を使って――」

 「――ダメ! 簡単に使うなんて言わないで!」


 私の声に被せてハンナ様が言う。両肩をハンナ様に強く押され、背中の大木に縫いつけられる。

 掴む指先に力が入っているのか、ジクジクとした痛みが両肩に走る。歪んだ視界の先に、泣き出しそうなハンナ様の顔が見えた。


 「エリーゼを死なせたくないの……お願い、わかってよ……」


 心を支配する力、誰かに知られれば私へ危険が及ぶ。ハンナ様の不安はわかるし、きっと未来の私は力を知られて殺されたのだろう。でも、そのお願いを受け入れることはできなかった。

 私はハンナ様の両手首を掴む。そして、力一杯に握りしめた。


 「わかんない。……わかってなんて、あげないから!」

 「――エリーゼ!」


 両肩に走る痛みが強くなる。私はキッとハンナ様を睨みつけた。


 「ハンナ様の許可があれば、力を使ってもいい……そう何度も約束したのは嘘だったの? 初めから、私に使わせるつもりなんて、なかったの?」

 「それは……だって……」


 図星だったのだろう。ハンナ様は口の中でもごもごと言い、視線を逸らす。力の弱まったハンナ様の両手を、私は両肩から引き離した。


 「私を、勝手に殺さないで! 私が死ぬなんて、そんな未来は決まってない!」


 ハンナ様の知る未来と今は違っている。同じだと考えないで……今、目の前にいる私の未来は決まってないはずだから。

 未来の話を聞き出した罪悪感に蓋をして責め立てる。傷ついた顔をするハンナ様に、私の方が泣きたい気持ちになった。でも、ここで言わないと後悔する予感がしていた。


 「私はハンナ様と一緒に、クラウディア様を助けたいんだ。……私のことを信じてくれないの? 私は、ハンナ様の味方じゃないの?」


 クラウディア様の破滅を回避すること、それがハンナ様の目的ではないの? それなら、味方は一人でも多い方がいいはず。破滅を供にした私なんて、真っ先に巻き込めばいい。最期までクラウディア様の側に残った者たちが、一番信用できるのだから。


 未来でクラウディア様と私が死んだ後、ハンナ様はどうなったのだろう。聞き出さなかったことが悔やまれる。……もしかして、一度死んでるから、もう一度死んでも構わないと考えている?

 ハンナ様の命を代償に救われて、ハッピーエンドになんてなるわけがない。そんな未来、納得できるわけがないんだ。


 「一人だけで頑張らないで……私にも、頑張らせてよ……」


 想わず飛び出た懇願するような声が情けない。下唇を噛んで顔を伏せる。

 カッコよくハンナ様を奮い立たせる言葉が言いたかったのに……結局、言いたいことを言っただけだった。


 ポン、唐突に頭へ手が置かれる。そして、ゆっくりと撫でまわされた。


 「……私、幸せ者だな……ありがとう、エリーゼ」


 そう言ってハンナ様は嬉しそうに笑う。どこか愛おしげに、どこか懐かしげに、優しい眼差しが向けられていた。

 いつもと変わらない笑顔のはずなのに、普段の何倍も魅力的だった。


 「いいよ、エリーゼ。もう一度、私と一緒に頑張ろっか。でも、無理は絶対にしないこと。それだけは、約束してね?」


 もう一度……その言葉に、私の胸はギュッと強く締めつけられていた。

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