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033 最低の裏切り

 心を支配する力――冗談だと想いたくて何度も確かめるたびに、真実だと証明されていく。もう数十回は繰り返しているが、一度も私の想いと反した行動をとってはくれない。

 視界がグニャグニャと歪んでいく。胃の中から口元へ酸味が迫り上がる。気持ち悪くて仕方がなかった。


 「私を恨んでくれてもいいよ」


 唐突に響いたハンナ様の気遣わしげな声。私はそっと抱きしめられていた。


 「でも、エリーゼには必要な力だから知っていて欲しかった」

 「……こんな、恐ろしい力……いらないよ。……知りたくなかった」


 ハンナ様の身体に頭を押し当て涙まじりにつぶやく。縋りつくようにハンナ様の服を握りしめていた。

 優しげな手つきでハンナ様が私の頭を撫でる。でも、心に渦巻く気持ち悪さは、一向に晴れてはくれなかった。私はギュッと震える両手に力を込める。ハンナ様の服で目元に浮かぶ涙を拭った。


 十回ほど私を撫でた後、そっとハンナ様の両手が私の頬に触れる。押し上げられて私はハンナ様と顔を合わせた。

 真剣な表情のハンナ様。でも、目元には薄く涙が滲んでいた。


 「エリーゼ、次は私で試して欲しいの……お願い、できるかな?」


 そう言ってハンナ様は涙を堪えるように微笑む。幾筋かの涙は、頬を伝って零れ落ちていた。それは、きっと私も同じなのだろう。薄ぼんやりとハンナ様の顔が滲んで見えた。


 「……本気で、言ってるの?」

 「本気で言ってるよ。相手がエリーゼなら、私は怖くない。……エリーゼは嫌かもしれないけれど、必要なことだから、試して欲しいんだ」


 ゆっくりと言い聞かせる口調は私に向けたものか、それともハンナ様自身に向けたものか。私にはわからない。けれど――。


 「どうして? ……怖く、ないの? 本当に?」


 私の口から勝手に声が漏れる。その瞬間、ハンナ様の確かに強張った。しかし、硬い表情はすぐに霧散していく。


 「怖くないから、大丈夫よ」


 柔らかな笑みをハンナ様は浮かべるが、その笑顔をそのまま受け入れられるほど私は単純にはなれなかった。ハンナ様はきっと怖いんだ。


 でも、私に試してみろと言う。ハンナ様は何を考えているのだろうか。……いや、何かを知っている?

 ハンナ様の考えを理解できない。ただ、私が試すまで解放する気がないことだけは、何となく理解できていた。


 私はハンナ様から身体を離し、目元に浮かぶ涙を拭う。そして、小さく息を吐き出し、瞳に魔力を集中させていく。見つめる相手は、当然ハンナ様だ。

 信頼が表面を覆い隠しているが、奥にある恐怖と不安が透けて視える。

 ハンナ様が心の底から望んでいるとは想えなかった。それでも、私に試させなければならない理由があるのだろうか。


 「準備はできた?」


 エリーゼのタイミングで始めていいよ、そう言いたげにハンナ様は微笑む。しかし、恐怖と不安の色がどんどん濃くなっていた。

 だから、迷いを振り払うように大きく息を吸い込んで私は叫んだ。


 「ハンナ様……私に従って!」


 その瞬間に視た光景は、いつかの医務室で視たものと同じだった。

 あの時は、クラウディア様の感情がハンナ様に――食虫植物のような感情に飲み込まれていた。それが今、私自身の手で再現されている。

 ハンナ様の不安も恐怖も、信頼も……全てが黒く染まっていく。気持ち悪い、正直に言って不快感しかない。でも、ハンナ様の感情を飲み込む食虫植物は私から伸びていた。


 少しずつ黒に浸食される。ハンナ様の感情が黒一色に染まり切るまでに、数秒もかからなかった。


 「あの、ハンナ様? 大丈夫?」


 感情のない瞳を私に向けたままハンナ様は微動だにしない。愛らしい容姿と相まって、まるで精巧な人形のような美しさと冷たさを放っていた。

 試しに顔の前で人差し指を振ってみるが、その瞳が指を追う様子はなかった。


 これは、成功しているのだろうか?

 生け簀の魚に使ったときは、私の瞳に合わせて動いていた。しかし、今のハンナ様に試してみても全く反応しない。

 ハンナ様の両頬を指でつまんで、上下左右に動かす。少し強めに引っ張っても痛がる様子はない。頭を撫でてみたり、二の腕をつねってみたり……他にもいろいろと試してみるが、結果は同じだった。


 私は大きく息を吐き出す。現実逃避はもう止めるべきだ。

 本当に成功しているのならば、ハンナ様はきっと――。


 「立って……違う、えっと……『立ちなさい』」


 ……ああ、やっぱり。予想通りハンナ様は立ち上がっていた。どうやら『お願い』ではなく『命令』をしないといけないらしい。

 生け簀の魚とは違って、ハンナ様には遠慮していたのだろう。『命令』を始めたら、ハンナ様は面白いように動き始めた。


 立てと言えば立ち、座れと言えば座る。魔法を見せてと言えば魔法を見せてくれた。私の命令一つで何でもしてくれる。でも、言わないと何もしてくれない。何も考えてくれない。……正直、寂しいと想った。


 心を支配する力は、私の想像以上に恐ろしいものだった。

 豹変したクラウディア様と同じ状態を想像していた。だから、魔法にかかってもハンナ様の意思は残ると想っていたのだ。しかし、目の前のハンナ様からは意思が感じられない。

 どこか虚ろなハンナ様の瞳に私が映っているが、少しも楽しそうではなかった。


 「……ハンナ様、早く元に戻ってよ」


 ため息まじりにつぶやくが、ハンナ様は少しも反応しない。私とハンナ様の二人きりのはずなのに、一人ぼっちになった気分だった。

 そもそも、どうしたらハンナ様は元の状態に戻るのだろうか? とうの昔に瞳に集めた魔力は霧散させているが、ハンナ様は人形のままだ。戻す方法を魔法の使用前にハンナ様へ確認しておくべきだったと後悔するがもう遅い。


 時間が解決することを信じて待つことしか、私にはできなかった。




 数分間は経過しただろうか。ふと心に疑問が浮かび、私は顔を上げる。隣を見ると真顔のハンナ様が姿勢正しく座っていた。


 ――今のハンナ様ならば、私のどんな質問にも答えてくれるのでは?


 ハンナ様には隠し事が多い。

 全てが終わったら話すと約束してくれたが、それがいつになるはわからない。でも、あまり食い下がってハンナ様との関係を壊したくはなかった。


 もし私の力がクラウディア様に使われた精神魔法よりも上位ならば、魔法が解けるまでの記憶をハンナ様は失っているはず。私に何を聞かれて何を答えたのか、私が自白しない限りは知られることがない。


 無理やりに秘密を聞き出すなんて……最低だと自覚はある。それでも、悪い心がムクムクと大きくなっていた。

 こんなチャンスは二度とこないのでは、そんな予感がするのだ。

 ハンナ様ほどの魔法の実力者が、私の力を知っていて無防備なままでいるとは想えない。次に会う時までには対策をするに違いない。


 だから、聞き出せるのは今しかない――。


 「ハンナ様、答えなさい。どうして、私の力を知っているの?」


 私はギュッとまぶたを閉じる。どんな答えが返ってくるか、心臓がバクバクとがなり立て始めた。

 そんな激しい鼓動は、ハンナ様の言葉で一瞬にして静かになった。


 「それは、五年後のエリーゼを知っているから」


 五年後の私が使っていたから、今の私にも使えると判断した。

 冗談にしてはつまらないと想った。五年先の未来がどうなるかなんて誰にもわからない。何をバカなことを……。

 そんな妄想にハンナ様が取り憑かれているとは信じたくなかった。


 「教えなさい、五年後の私はどうなっている?」

 「処刑されて、もう生きていない」


 何の冗談かと想った。いい加減にふざけるのは止めて欲しい。


 「……説明、しなさい。私は、どうして処刑されるの?」

 「クラウディア様の豹変、その真犯人がエリーゼとされたから――」


 続けてハンナ様は淡々と五年後の未来を説明していく。それを聞いた私には、もう冗談だと聞き流すことができなくなっていた。


 本来ならばクラウディア様の豹変は三年後に始まる。その頃にはアラン殿下との婚姻も成立し、王太子妃としての務めを十分に果たしていた。……ただ一点、子供に恵まれなかったことを除けば。

 豹変の内容自体は今とさして変わらない。身分の低い者たちを冷遇して見下した。王太子妃に就いているか否かが大きな違いで、公務の中でも行ったが故に、揉み消せる範疇を超えてしまった。


 その時の政治事情もあるのだろう。クラウディア様の豹変に関して調査はほとんど行われなかったらしい。

 悪逆を働く王太子妃を失墜させたい、平民と下級貴族。

 親族を王太子妃に据えて権力を強めたい、上級貴族。

 クラウディア様を降ろすことに、それぞれの思惑が一致したのだ。


 アラン殿下はクラウディア様を見捨てるつもりはなかったのだろう。側室を娶ることで不満を逸らしたかったに違いない。事実、ハンナ様の説明を聞く限りでは、側室のもとには通わなかったようだ。

 しかし、クラウディア様は納得できなかったらしく、王太子妃として不適切な行動を何度も繰り返した。終いには、隣国の外交使節に癇癪を起し、戦争直前にまで関係を悪化させてしまう。そして、アラン殿下も庇い切れずに、クラウディア様は毒杯を賜った……。


 今ならば予想はつく。クラウディア様はサティプラの毒に侵されていた。そして、意思とは無関係に行動させられていた。

 もし、サティプラが原因だとたどり着けなかったならば……怪しいのは私だ。

 心を支配できるならば、クラウディア様の豹変を再現できる。誰かにその事実を知られ、槍玉に挙げられたとき、私にどんな言い訳ができるのだろう。私の弁明を誰が信じてくれるのだろうか?


 どうやら未来の私はクラウディア様の保護下にいたらしい。敵対派閥から見れば、本当に都合の良い生贄だったに違いない。

 未来で友人だったハンナ様は私の無罪を主張してくれたが、当然聞き入れられることはない。スティアート公爵家から勘当された廃妃クラウディア様の専属メイド、後ろ盾なんてありはしない。

 私は、両眼を抉り抜かれ、断頭台の露と消えた――。


 「……それで、終わり?」


 荒れた呼吸のまま、精一杯の声を私は絞り出した。説明が終わったのか、答えることなくハンナ様は黙り込み、再び動かなくなっていた。


 私はそっと首元に手を伸ばし、震える指先で触れていく。切断跡はどこにもなかった。その事実を認めた瞬間、大きく息が吐き出される。しかし、心臓は激しく脈打ち息苦しいままだった。


 いつか見た絶望しきったディルクの顔が脳裏をチラつく。未来の私も失意の中で首を切られ、コロコロと頭が転がったのだろうか……気分が重く、吐き気がこみ上げてきた。


 考えたこともない未来の物語。それを想い返すたびに頭がズキズキと痛くて仕方がない。零れ落ちる涙を何度も拭うが、少しも止まってはくれなかった。

 勘当されて、処刑される。クラウディア様を、私を拾ってくれた恩人を救うこともできなかった。そんな未来の私はどれだけ無念だったのだろう。


 ハンナ様の語る未来では、私は三年後にクラウディア様と初めて出会う。しかし、今の私はもうクラウディア様と出会っている。

 クラウディア様の豹変もそうだ。ハンナ様の知る未来と比べて、三年ほど時期が早まっている。


 未来の私も今の私もクラウディア様に助けられている。そんな恩人に報いるために、精霊憑きの力を使おうと心に決めた。

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