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032 変わるための一歩と、知りたくない事実

 「――何があったの?」


 手を振るハンナ様の顔を見た瞬間、突風が吹き荒れる。降り注ぐ声は間近に聞こえ、ギュッと背中に両腕がまわされていた。驚きのあまり私の腕の中から木の実や果実が落ちていった。


 笑顔から真剣な顔つきへとハンナ様の雰囲気は変わっている。突然のことに私は目をパチパチとさせていた。何も答えないでいる私を見て、ハンナ様の顔が険しく歪んでいく。

 私が戸惑っている間にも、怪我がないか探すようにハンナ様は手を動かし始めていた。細められた瞳がせわしなく動いている。


 「あの、ハンナ様? ……私は、別に怪我してないですよ?」

 「……そう、みたいだね」


 小さくつぶやきハンナ様が安堵の息を漏らす。しかし、すぐに不安に満ちた表情で私を見つめていた。

 何かを言いたげに口がパクパクと動き、すぐに口を閉ざす。堪えるように引き結ばれた唇。目はそっと伏せられていた。


 どうしてかハンナ様は何も言わない。でも、顔を見れば気持ちはわかった。

 私を――『エリーゼ・スティアート』を心配している。とてもわかりやすい。

 何を今まで疑っていたのだろうか、瞳に魔力を注ぎ込む必要なんて少しもなかったのだ。


 「心配してくれてありがとうございます」


 言うと同時に私はハンナ様に抱きつく。ハンナ様の両腕が緩んでいても関係ない。無償の信頼をくれるハンナ様になんだか甘えたい気分だった。信頼の理由が何であっても、今は構わないと想った。


 「……えっと、どうしたのエリーゼ?」


 頭をぐりぐりと押しつけたのはやり過ぎだったのだろうか。見上げた先のハンナ様はオロオロと落ち着かない様子だった。


 「何もないよ。ただ、ハンナ様に抱きつきたくなっただけ」


 私はニッコリと微笑む。数秒間、ハンナ様は呆けた顔で固まっていたが、まるで氷が溶け落ちるように表情を和らげていく。そして、応えるように抱きしめ返してくれた。


 「ようやく普通に話してくれたね」

 「……ダメ、でしたか?」

 「そんなわけないよ。私とは普通に話してくれていいから。年齢なんて気にしなくていいんだよ。……私だって、公爵令嬢のエリーゼに気安く話しているしね」


 私は男爵令嬢なんだよ、そう冗談めかしてハンナ様が小さく舌を出す。

 今さらハンナ様に話し方を変えて欲しいとは想わない。少しだけ想像してみると、どこか距離を感じて寂しくなった。


 大きく私がうなずくと、ハンナ様も満足そうにうなずき返した。


 「やっぱりエリーゼは笑った顔の方が可愛いよ」

 「……あの、ありがとう」


 照れくさくて私は目を伏せる。ハンナ様の背中にまわした両腕に力を込め、隠すように顔を押し当てていた。




 「……美味しい」


 想わず感嘆の声が漏れる。何の味付けもされてない魚の丸焼きを頬張っていた。

 隣で食べ方のお手本を見せてくれたハンナ様は大きく口を開き、さらにパクリと串に刺さったままの背中に齧りつく。香ばしい匂いが食欲を誘い、自然と私も齧りついていた。


 火に焙られている魚は、残り二匹だ。土魔法で作られた小さな生け簀の中には、まだ四匹の魚が泳いでおり、風魔法で加工された串代わりの鋭い枝も四本用意されていた。


 「たまには、こんな食事も悪くないでしょ?」


 モグモグと咀嚼しながらハンナ様が訊ねる。食べながら話すなんてマナー違反だが咎める人はどこにもいない。私も口を動かしながら何度もうなずいていた。


 「本当なら、塩を使った方が良かったんだけど……」


 少し顔を曇らせて残念そうにハンナ様はつぶやく。反して、私の心は急に沸き立った。


 「――もっと美味しくなるの?」


 慌てて口の中のものを飲み込み、私は食い気味に訊ねる。すると、ハンナ様は顔を綻ばせ、小さく笑った。


 「もちろんだよ。塩味の効いた焼き魚は本当に美味しいんだ……食べたい?」


 答えはわかっていると言いたげな顔でハンナ様は微笑んでいる。私はコクコクと首を縦に振っていた。

 数秒後、真剣な表情に切り替えてハンナ様が口を開いた。


 「エリーゼにも捕まえ方を教えてあげようか? 自分で捕まえた方が何倍も美味しいんだから」

 「私、やってみたい。……でも、できるかな?」

 「――できるよ。エリーゼは絶対にできるから」


 間髪を入れずにハンナ様が断言する。想わず私は口を噤んだ。

 正直、できると信頼されることは嬉しいけれど……堂々と言い切られると不思議に想ってしまう。そんなに簡単にできるのだろうか、と? 素人には難しい気がして仕方がなかった。


 生け簀の中にいる四匹を練習台にするらしいが、元気に泳ぎまわる姿を見る限り、簡単だとは信じられなかった。

 一抹の不安を感じながら、私は串に刺さった焼き魚へ再び齧りついていた。




 「……なるほどね、エリーゼには感情が色で視えるんだ」


 噛み締めるようにつぶやくハンナ様に向かい、私は一つうなずいた。

 心に浮かぶ疑問から目を逸らし、私は精霊憑きの力について説明していた。魚を捕まえることに、どうして精霊憑きの説明がいるのだろう。

 二つの事柄に繋がりが見えてこないからか、内心では何度も首をかしげていた。関係があるとは、到底想えなかったのだ。


 それに、ハンナ様の表情が全く変わらないことも不思議だった。

 感情が視える、そう言われて疑惑を抱かないのだろうか? もし私だったら、実際に自分自身の感情で確かめるまではきっと信じない。

 疑問も不信も抱かないハンナ様はなんだか変な気がする。まるで、知っている事実を確かめるような顔つきだった。


 私が精霊憑きだと知っているのは、アラン殿下とアデリナ様の二人。でも、私はアデリナ様にしか精霊憑きの力自体については話していないから、ハンナ様がその内容を知るはずがない。

 アデリナ様は堅実な性格をしている。誰にも話さない、そう約束したことを簡単に破るとは想えなかった。


 ――ハンナ様、どうして私の力のことを知っているの?


 口をギュッと結び、飛び出しそうになった疑問を必死に飲み込んだ。

 もし聞いてしまえば、私とハンナ様の関係が壊れていくような、そんな嫌な予感がして躊躇われてしまう。


 少し伏し目がちにハンナ様を覗き見ると、目を閉じて何かを考え込んでいる。話しかける言葉を見つけられず、私は黙り込むしかなかった。


 「私が、エリーゼに力の使い方を教えてあげる」


 たっぷりと三分間は経っただろうか。ハンナ様は硬い声でつぶやく。真剣な眼差しが、私を射抜いていた。


 「……でも、ハンナ様と私は違うよ? 教えられないと、想うんだ」


 私は探りを入れるように恐るおそる訊ねる。


 「全く同じではないけれど、感情に関わる力なのは一緒。だから、私ならエリーゼに教えてあげられる」

 「……私の力は、感情を視ることで……今も、できてるよ?」


 一瞬だけ躊躇した後、ハンナ様は首を左右に振る。そっと伸ばした両手で、私の両手をまとめて包み込んでいた。


 「感情を視ることがエリーゼの力ではない、そう言ったら信じてくれる?」


 続いたハンナ様の言葉に、私は想わず顔を上げていた。

 ハンナ様は何を言っているのだろう? 感情が視える、それが私の力で……間違っているはずは……。

 困惑から表情を曇らせる私に向かって、ハンナ様がぐいと顔を近づけた。


 真っすぐなハンナ様の瞳から逃げるように、右から左へ、左から右へ、私の瞳は揺れ動く。すると、ハンナ様の両手に力が入り、私の両手が上から強く締めつけられた。


 「お願いだから、私を信じて」

 「……痛い……痛いよ、ハンナ様」

 「――ごめんなさい」


 そう言ってハンナ様は慌てて両手を放し、私から遠ざかるように少しだけ身体を仰け反らせる。痛みで薄っすらと滲んだ涙を私は拭う。深い後悔を覗かせたハンナ様の顔はくしゃりと歪んでいた。


 「……あの、私の力って何? 間違っているとは……想えないの」


 手の甲を軽く擦りながら私は訊ねる。そして、瞳に魔力を注ぎ込んでハンナ様を見つめた。


 「私、怒ってないから。だから、そんなに自分を責めないで」

 「……私を視たの?」


 ハンナ様のささやき声に、私はうなずく。すると、ハンナ様はふわりと表情を緩めて私を見つめ返した。


 「教えてください、ハンナ様。私の力って、何なのですか?」


 小さく息を吐き出した後、私は一息に訊ねる。今度は私がハンナ様に向かって顔を近づける番だった。キュッとハンナ様の両手首を掴んで引っ張った。

 大きく開かれたハンナ様の綺麗な瞳に、強張った表情の私が映っている。しかし、すぐに見えなくなってしまう。数回まばたきを繰り返したハンナ様が、気持ちを切り替えるようにまぶたを下ろしていた。


 数秒ほど目を閉じた後、ハンナ様はゆっくりとした口調で語り出した。


 「感情が視えること自体が、エリーゼの力ではないの。エリーゼの本当の力は、心を支配することだよ」

 「……心を、支配する?」


 何を言われたのか、私はすぐに理解できなかった。だから、おうむ返しに訊ね返してしまう。ハンナ様が私へ向ける感情に騙すような色は視えなかった。


 仕方ないよね、そうハンナ様は微笑んだ。


 「簡単には信じられないと想うよ。だからね、あの魚たちで試してみよっか」


 ハンナ様の視線の先を追えば、生け簀の中で魚たちが泳いでいる。

 立ち上がったハンナ様に遅れて、私も慌てて立ち上がった。

 いつの間に手を繋いでいたのか、一歩先を歩くハンナ様に私は手を引かれていた。




 「――早速、試してみよう!」


 まるで簡単なことのようにハンナ様が言い放つ。

 無理を言わないで! 想わず沸き上がる内心の不満をグッと私は飲み込んだ。失敗するとは欠片も想っていない自信満々なハンナ様の姿に、私は何も言えなかった。


 横並びでしゃがみ込むハンナ様は、微笑むだけでもう何も言わない。頑張れ、そう言いたげにギュッと握った両こぶしを構えている。

 困惑を顔に貼りつけて私は生け簀の中を見下ろす。そこでは、元気よく四匹の魚が泳ぎまわっていた。


 十秒ほど、何もせずに見つめていたが事態が変わるはずもない。

 もうどうにでもなれ! 諦めまじりに息を吐き出した後、私は瞳に魔力を集中させていく。気持ちを切り替えるだけで、誰かの心を支配できるなんて信じられるわけがなかった。


 ハンナ様から受けた説明は、本当に単純だった。

 一つ目は、感情を視ようとする意識を捨てること。

 二つ目は、私に従えと強く念じること。

 疑惑の芽がムクムクと育っていくが、まずはハンナ様の言葉を全面的に信用すると決めていた。下唇を強く噛み、私は大きな声で叫んだ。


 「……私に従って!」


 泳ぎまわる魚の中で一番元気のない一匹に視線を合わせる。

 当然、ゆっくりと泳いでいるとは言え、魚は私を見ていたりはしない。視界に映ってはいるだろうが、一方的に私だけが見ているはず――。


 「できたね、エリーゼ。簡単でしょ?」


 満足そうなハンナ様の声が遠くに聞こえる。私の瞳には、真っすぐに見つめ返す一匹の魚しか映っていなかった。

 瞳を右へ左へと動かしていく。すると、その動きに合わせて魚も右へ左へと泳ぎ出す。それは、私の想像通りの動きだった。


 一回……二回……三回……。何度も何度も繰り返す。さらに、瞳を動かすパターンを変えて、何度も繰り返す。しかし、結果は何も変わらない。私の想いのままに魚は泳いでいた。

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