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002 友人の諍い事

 私が背中を押した令嬢とその婚約者の噂はその日のうちに広まっていた。学園も随分と仕事が早い。騒動の翌日には、浮気相手も含めて三人まとめて停学処分を下していた。

 薫り高いミルクティーをゆっくりと口にしながら、私は達成感に打ち震えていた。正しいことをするのは本当に気持ちがいい。これで、無関心な婚約者も少しは令嬢への態度を改めるはずだ。あの令嬢もこの騒動を切っ掛けに、特別な存在になれるに違いない。自然と私の口元は綻んでいた。


 「――私の話、ちゃんと聞いてるの!」


 唐突に響いた声に私は目線を上げる。テーブルに向かい合って座る友人、セレナが私を睨みつけていた。

 新緑を想わせる髪色に、少しだけ垂れ下がった目尻。不満そうに両腕を組んでいるが、威圧しているつもりなののだろうか? 精一杯に怒りをアピールされても全く怖くはない。むしろ、可愛らしさが滲んでいる。

 私のたった一人の友人は、大人になりたいと背伸びに夢中だった。


 大人ぶりたいならば公爵令嬢である私に、少しは敬意を払ったらどうなの?

 セレナを諫める言葉を飲み込み、私は「ごめんなさい」と頭を下げる。

 その瞬間、私とセレナのテーブルを中心に歓談の声が静まっていく。貴族の学生たちから不穏な空気が漂い始めていた。


 ――学園に選ばれた特待生のセレナ、その身分は平民だった。


 身分違いの友人というのは、実に面倒事が多い。私もセレナも年齢は同じ十二歳だが、背丈はセレナの方が十センチは高い。並んで歩けば、貴族の私を平民のセレナが見下ろす形になる。

 身長なんて人によって違うのだから、貴族よりも平民の方が背が高い。そんなことも当然あるだろうに……。

 実につまらないことだが、セレナを批判できればその理由は何でも構わないらしい。十二歳にしては背が高い、たったそれだけのことでもセレナは貴族たちから反感を買っていた。


 もっとも、その事実を知っていてセレナと並んで歩いているのは私の意思だ。セレナに向けられる視線に敵意が満ちているからと言って、私の後ろを歩くことを許すつもりはなかった。


 セレナ自身は視線に無頓着なのか、気にする様子は全く見られない。それどころか、私に気安く話しかけて誰よりも近い立場にいると知らしめている。

 腐っても公爵令嬢の私に取り入ろうとする輩は多い。それでも、貴族同士の会話に押し入って連れ去るような無礼者はいなかった……目の前のセレナを除いて。


 連れ出された先で、セレナは私に言った。うるさくて勉強に集中できない、と。

 その後もセレナは文句を並べ立てていたが、正直に言って私は聞いていなかった。私はセレナの瞳に釘づけになっていたから。

 セレナの瞳には、確かに憎しみが宿っていたのだ。それが、私の瞳にはハッキリと視えていた。


 セレナだけが感情をぶつけてきた。セレナだけが私を見つめていた。

 だから、セレナとは友人になれると想った。幸せになって欲しい、心からそう想えたから、嫌われるお手伝いをしようと決心したのだ。


 私がセレナを贔屓にすれば、公爵家に取り入ろうとした者たちはセレナをより嫌悪する。鬱陶しがるセレナに私から関わるたび、憎々しくセレナを見つめる学生の数が増えたのだから間違いはないのだろう。


 特待生に選ばれるだけあり、セレナの才能は随一だ。注目を浴びてさえいれば、その才能はいずれ評価されるはず。

 嫌悪は愛情へと裏返る。無関心でさえなければ、セレナは必ずいつか愛される。私の判断は間違っていないだろう。


 私の想いを知ってか知らずか、他の学生に対するセレナの態度は変わらない。依然として辛辣なままだった。今日も敵意を一心に集めている。

 そんなセレナの姿は実に友人として頼もしい。私は間違っていない、まるで肯定しているように想えてしまう。


 私は心からの笑みを浮かべて顔を上げる。怒っているんだぞ、そうアピールするようにセレナは頬を膨らませていた。


 「人の話を聞かないなんて最低!」

 「悪かったわ」私は笑顔を崩すことなく返事をする。

 「バカ、バカ、バカ。エリーゼのバ~カ!」


 バンバンバン、とテーブルを両手で叩きながらセレナが身を乗り出してくる。不満から唇を尖らせていた。


 「学年主席の貴方と比べたら、愚か者ばかりになってしまうわ」


 私は肩を竦めてセレナの額に向けて指を弾く。

 ピシッ、軽快な音が小さく響いた。すると、セレナはパチパチと数回まばたきを繰り返す。


 「……わかっているよ」


 セレナは額を擦りながら乗り出していた体を戻す。その様子を眺めながら、私はミルクティーに口をつける。

 カップをテーブルに戻して、私はセレナに話を振った。


 「それで、何の話がしたかったの?」

 「……そうだよ! 同じ学年の貴族がね、停学になったんだって!」

 「魔法を使って怪我人まで出したのなら当然ね」


 興奮した口調でセレナは告げる。私は小さく息を吐き出した。


 「先に言っておくけれど、私は勝敗の結果に興味なんてないわよ」


 魔法が絡むと饒舌になるセレナに釘を刺す。

 その瞬間、再び身を乗り出してきていたセレナの口がパクパクと空を切る。ポテン、と力なく椅子に座り込んだ。


 雨に濡れた子犬のようにシュンと落ち込む姿には悲しみが満ちている。俯きがちなセレナは涙を堪えるようにクシャリと表情を歪めていた。

 感情と行動の乖離が少ないのは、セレナの特徴だった。それは、私にとっては好ましいものだ。感情が顔に出るセレナの思考は実にわかりやすい。魔法で感情を覗き見なくても、セレナの気持ちに嘘がないと信じられる。ただ、セレナと違って私の興味は魔法にはなかった。


 「喧嘩の様子が知りたいわ。その貴族たちは、本音で語り合えたかしら?」


 声を弾ませてセレナに訊ねる。すると、少しだけ顔を上げたセレナが窺うように見つめてくる。

 困惑を顔に張りつけるセレナに向かって私は微笑んでいた。


 「セレナは聞いていないの?」


 私が問いを重ねると、セレナはねじ切れそうなほど大きく首を左右に振る。そして、唐突に目を怒らせた。


 「――えっ」


 視界がセレナのこぶしで埋めつくされていた。呆けた声が口から漏れる。


 「バカじゃないの」


 冷たくセレナが吐き捨てた瞬間、額に鋭い痛みが走る。


 「エリーゼのそれは、病気だよ」


 指を弾いた姿勢のまま、呆れを隠しもせずにセレナはつぶやく。追い打ちをかけるように握りしめたこぶしが私の脳天へ振り下ろされていた。

 ギュッとまぶたを閉じて痛みに堪える。悲鳴を上げないのは私の意地か、それとも叩かれ慣れただけなのか。

 セレナが本気で叩いていないことは知っている。それでも、痛いものは痛いのだ。ちっとも幸せなんかじゃない。


 「――貴様、何をしている!」


 椅子の倒れる騒々しい音に被せ、男の怒声と女の悲鳴が響き渡る。

 時間は数秒間か、それとも十数秒間か。叩かれた痛みよりも、騒音で受けた鼓膜の方がよほど痛かった。


 「何するんですか!」


 すっかりと聞き慣れた威圧的なセレナの声。それに数瞬だけ遅れて野太い男の絶叫が続く。賑やかだった食堂に、水を打ったような静寂が訪れていた。

 ああ、やっぱり。勝てないのだから、最初から止めておけばいいのに……。

 一度ならず二度三度と見せられれば、結果に驚くこともなくなる。むしろ、まだセレナに挑みかかる無知が残っていることにこそ驚いた。

 特別な力を持つセレナが、純粋な力勝負で負けるわけがないのだから。


 座ったままのセレナは退屈そうに大男の腕を捻り上げている。ネクタイの色は赤。この学園の基礎学部では赤、青、緑と学年ごとに色が異なる。

 基礎学部に入学したばかりの私とセレナは緑のリボンを結んでいる。つまり、セレナの相手は二つ年上の最上級生だった。


 セレナの拘束を外そうと大男は必死にもがいている。しかし、脱出は不可能だと悟ったのか、男の口からは『悪魔』だの『バケモノ』だのと、聞くに堪えない言葉が漏れ出していた。

 血走った瞳で憎々しげに顔を歪める男。その姿に嘘は感じられない。本心からセレナを嫌悪しているのだろう。それは、周囲も同じらしい。ヒートアップする男の声へ同調するようにセレナへの罵りが大きくなっていった。


 怒りが抜け落ちて冷め切った表情のセレナは見られたものではない。今にも暴発しそうな危うさを曝け出していた。……そろそろ潮時だろうか。

 私はそっと目を閉じた後、視線に力を込めて周囲を見渡していく。セレナに向かう嫌悪と義憤。ねっとりと絡みつくようなドロドロとした黒い線がいくつも重なってセレナに纏わりついていた。

 一方、セレナの視線はどこにも向いてはいない。目を開いたまま全てを拒絶している。ただ誰かが仕掛けてくるのを待っていた。


 さあ、仕事をしましょう。私は問いかけるように心の中で口ずさむ。テーブルの下に隠していた右手に魔力を集中させていった。

 何十、何百と繰り返してきた手順に従い、右手の人差し指で小さな魔法陣を描いていく。発動するのは風魔法。その目的は、私にだけ視える感情線を切り裂くことだ。


 私は小さく微笑むと、魔法陣を通して精霊に魔力を渡す。

 一本……二本……三本……。同時に全ての感情線を切り裂くことはできない。しかし、一人、また一人と、セレナに向けられた敵意は少なくなっていった。

 最後に、セレナに掴まれたままの大男の感情線を断ち切る。その瞬間、怒りで歪んが顔がポカンとした呆けた顔へと変わっていた。


 いくつもの視線が左から右へと、セレナを通り越して揺れ動いている。困惑色の視線にクスリと一笑いし、ゆっくりとまぶたを閉じる。

 開いた視界の先には、もう感情線は浮かんでいない。パン、私はセレナの目の前で両手を強く打ち鳴らした。


 「ほらセレナ、講義室に戻るわよ」


 セレナは小さくうなずき、大男を掴んでいた手をパッと離して床に落とす。そして、私よりも一足早く人だかりを抜け出していった。

 私は大きく肩を竦め、遠ざかっていくセレナの背中を見つめていた。

 爆発しかけた感情をどうすればいいのかがわからないのだろう。いつものことだ。セレナは、今回も午後の講義には遅れてくるかもしれない。


 セレナは、本当に仕方のない友人だ。後片付けを私任せにしている。

 私は椅子から下りると、真っすぐに背筋を伸ばす。呆けた表情でセレナの背中を見つめる学生たちに深く頭を下げた。


 「皆様、申し訳ありません。あの子には私が言い聞かせておきますので、どうかご容赦ください」


 戸惑いがちな野次馬たちに満面の笑みを浮かべて見せた。

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