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028 勇気の代償

 彫像のように動かないベルント様の横で、その恋人のカルラ様を尋問する。冷静に振り返ると、どちらが悪かわからない行動をとっていた。


 依然としてカルラ様は地に伏したままだ。背中に乗ったセレナが細い首を掴んで、無理やり顔を上げさせている。そんなカルラ様の真正面にしゃがみ込んで質問を繰り返しているのが私だった。

 当然のように瞳へ魔力を注ぎ込み、カルラ様が本当のことを話すまで責め立てていた。……そこに、暴力を振るわれたことへの私怨がなかったとは言えない。


 始めは後ろめたさからか、罪悪感でチクチクと胸が痛んでいた。しかし、それも尋問が進むにつれて霧散していった。

 カルラ様の口から暴かれた情報は、私とセレナで判断できる領域を大きく逸脱していたのだ。


 一つ目は、王国の有力貴族を操り内部崩壊を目論んでいたこと。

 論文で発表された無属性魔法は魔法陣を用いたものだった。しかし、今回の件で使用されたのは、サティプラを用いた毒物であるらしい。

 アデリナ様が根拠としていた論文からスタートラインの時点で外れてしまっている。それが、既知の方法で原因が特定できなかった理由なのだろう。きっと治療法も論文とは違うはずだ。

 毒物ならば解毒薬を作る必要がある。カルラ様も毒物のレシピまでは知らされていないのだから、早急に対応しなければならないだろう。


 二つ目は、魔物たちの氾濫を企てていたこと。

 ベルント様はザレイン伯爵家の長子、次期伯爵家当主だ。その正妻の地位につければ、魔の森に赴く調査団へも関与できる。息のかかった部下を潜り込ませることも可能になるはずだ。

 もし魔の森と王国を隔てる岩壁が破壊されるようなことがあったら……想像もしたくない。

 予想通りベルント様にもクラウディア様と同じ毒薬を投与している。カルラ様との急接近も精神操作の影響が大きいかったからに違いない。


 どちらの情報も私とセレナには荷が勝ちすぎる。尋問が進むにつれ、カルラ様だけでなく、私とセレナの顔色も青褪めていた。

 この後、どうしたらいいのだろう……?

 言葉に出さなくとも、セレナの顔に書いてあった。きっと私の顔にも同じ言葉が書かれているのだろう。


 重苦しい雰囲気の中、カルラ様のすすり泣く音だけが響いていた。


 「……あの、セレナ」


 どうやらだいぶ自分の世界に入っていたらしい。からからに乾いた喉で絞り出すように声をかけた。


 「アラン殿下に引き渡しましょう。これは、私たちがどうにかできる問題ではないわ。任せてしまった方がいいと想う」

 「……そうだね、うん、そうしよう」


 不安に満ちた顔で私を見つめていたセレナが何度もうなずいた。

 絶望した表情のカルラ様も見上げているが見逃すつもりはない。私はキッと威圧するように睨みつける。


 突然、カルラ様の目が大きく開いた。不審に想って後ろへと振り返った私は小さく悲鳴を上げてしまった。


 「それは困るな。そこで転がっている女を、俺に引き渡してくれないか?」


 そこには、顔を仮面で隠した黒衣の男が立っている。その背中には大剣――ディルクを殺した剣を担いでいた。私たちとの距離は五メートルほどだろうか。ゆっくりと近づいていた。


 いつの間にいたの? どうしてここにいるの?

 意味のない問いがグルグルと頭の中を駆け巡る。ディルクの死に様を想い出し、カチカチと勝手に歯が鳴り出していた。


 「あれ、誰? 答えて」


 短いセレナの声が聞こえたと同時に、カルラ様の頭が地面に叩きつけられた。


 「知らない、知らないの!」

 「……そう、わかった」


 言うや否やセレナが思い切りカルラ様の顔を持ち上げ、勢いよく地面に叩きつける。鈍い衝撃音が響き、カルラ様の身体がピクピクと動いた後、パタリと動かなくなっていた。


 「セ、セレナ……?」

 「エリーゼ、逃げて。私が時間を稼ぐから」


 カルラ様の背中から立ち上がったセレナが、私の腕を強引に引き上げる。胸に抱き留められるように私は立たされていた。


 セレナの視線は真っすぐに黒衣へ向けられていた。


 「乱暴な小娘だな。心配しなくとも、その女を引き渡せば見逃してやるよ」

 「それは、嘘。……私たちを殺すんだよね?」

 「お前たち次第だな。どこまで知ったか、教えてくれるか」


 後数歩の距離で黒衣は立ち止まる。背中の大剣はまだ抜かれていない。しかし、低い威圧する声からは友好的な雰囲気は感じられなかった。

 私を庇うようにセレナが一歩前に踏み出す。その横顔には悲壮な覚悟が滲んでいた。


 「どこまで……それは、何のことを言っているの?」

 「ほう、惚けるのか?」

 「わからないから、聞いているの。いきなり言われても、何を言っているかわからないし……そもそも、貴方は誰?」


 咎めるような口調でセレナが訊ねる。私は内心ひやひやしながら、セレナと黒衣をキョロキョロと見つめていた。変に挑発しない方がいいのでは……?

 不安に駆られて私は瞳に魔力を集中させる。覗き見た黒衣の感情には、面白がるばかりで敵意はまだ見られなかった。


 数秒間の沈黙後、唐突に黒衣が笑い始めた。低い威圧するような獣の唸り声、目の前の黒衣が腹を押さえていなければ笑っていると信じられなかっただろう。

 セレナの顔は不快げにしかめられていく。私も何が楽しいのか理解できなかった。


 「俺は、しがない傭兵さ。犯罪の目を事前に摘み取る……ただの善人だな」

 「……善人? 貴方は人を、ディルク先生を殺した!」


 笑い混じりの黒衣の言葉に、私は衝動的に反論していた。あの日見た、血塗れで転がったディルクの首。罪は裁かれないといけないが、簡単に殺していいわけがない。あれが許される行いだとは想えなかった。


 「……ああ、あの屑か。死んで当然の男だろ。それともお前は、自分を傷つけた屑を恨んでいないなどど、くだらん冗談を言うつもりか?」

 「それは……」

 「俺が殺すか、法で裁いて処刑されるか。早いか遅いかの違いに過ぎないだろ。最終的な結果は同じだ」


 黒衣はさも当然と言った口調で語る。覗き見た感情からも嘘はついていない。これが、黒衣の本心なのだろう。


 「お前たちには、慈悲をやろう」


 歓喜の色を滲ませて黒衣が私とセレナを見つめた後、ゴソゴソと懐から何かを取り出した。差し伸べられた手のひらには二つの球が載っている。

 真っ白な小指の先ほどの飴玉、それを見ても私とセレナは動かない。純白のはずが、どこか禍々しく感じられたのだ。


 沈黙は数秒間だった。口を開いた黒衣の感情には殺意が混じり始めていた。


 「これを飲むか、俺に殺されるかを選べ」


 黒衣の威圧的な声が頭の上から降ってくる。

 どちらの選択肢も選びたくはなかった。黒衣と闘えば、間違いなく死ぬ。でも、この飴玉には明らかに何かがある。飲みたくない。

 嫌で嫌で仕方がないけれど――。


 「…………飲みます。セレナも、それでいいよね?」


 なけなしの勇気を搔き集めて私は言う。死にたくない。だから、少しでも生きる可能性がある方を選んだ。


 震える手で黒衣の手のひらから二つの飴玉を掴む。ねっちょりと指先に粘りつき気持ちが悪い。こんな不気味な飴玉を口に入れるなんて……私はぐっと唇を噛みしめた。


 飴玉を飲み込んだ後の末路が脳裏にチラつく。

 一瞬で死ねるのなら、まだ幸せなのだろう。全身から血を噴き出して肌が朽ち堕ちる猛毒もあると言う。もしこの飴玉がそれだったら……。もしかしたら、斬り殺された方が楽に死ねる……?

 目の前が暗くなっていく気がする。気分は悪くなっていた。


 飴玉を一つ摘み、セレナに差し出す。表情の抜け落ちたセレナがしぶしぶと受け取るが、不快な感触に眉根を寄せていた。

 不意に、セレナの手が伸びて私の頬に触れる。そして、そっと顔を近づけられた。


 「エリーゼ、頑張って走れる?」


 そう言ったセレナの口調は優しいが、その瞳には諦めの色が視えた。

 私の脱出が不可能……セレナも気づいている。死を予感してから、足が震えて上手く動けていない。たった数歩を踏み出して黒衣から飴玉を受け取るのにも、よろよろとして頼りなかった。走って逃げ切る自信は、私には全くなかった。


 セレナが時間を稼いでも、私はその頑張りを活かせない。

 もしセレナが残ったら、二人とも殺される――。


 「……わ、私が……残るから、逃げて」


 手立ては一つだけ。それが、わかっていても声は震えた。

 痛ましげにセレナの顔が歪んでいくが、否定の言葉を口にしてはくれない。小さくうなずくだけだった。


 震える足でセレナを隠すように前へ進む。恐怖で泣き出しそうな弱い私に背を向けて、黒衣を睨みつける。

 私だけの魔法の言葉を心の中で口ずさんでいた。


 ――エリーゼ・スティアートは強い、弱い■■■■■とは違うんだ。


 私は強い、強いんだ。下唇を噛み切るほど強く歯を食いしばり、黒衣の威圧に堪える。涙がポロポロと零れ落ちていくが拭うつもりはなかった。

 情けない姿を晒している自覚はある。それでも、叶うならばカッコよく死にたいと想った。後ろ手にまわした右手で魔法陣を描いていく。


 黒衣から見れば、私はそこらを飛びまわる羽虫と変わらないのだろう。セレナには殺意を、私には侮蔑を……相手になんてされていなかった。

 数秒間、いや、一秒でも稼げればいい。それだけあれば、きっとセレナは逃げられる――。


 「私は強いんだ!」


 叫ぶと同時に風の刃を放つ。瞬間、轟音が二つ重なった。

 一つは、セレナ。地面を抉るほど両脚に力を込め、一気に校舎まで飛び上がる。

 一つは、黒衣。私の腹部を貫通せんとこぶしが真っすぐに突き進んでいた。


 黒衣の仮面は目と鼻の先まで近づいていた。しかし、腹部を射抜く衝撃は感じられない。ふわりと吹き上がった風が私の髪を攫っていく。

 死の恐怖を前に、私は力なく座り込んでしまっていた。


 「貴様、どういうつもりだ!」


 黒衣が振り返って叫ぶ。その視線の先には、ハンナ様が立っていた。

 助けに来てくれたの? 安堵から自然と顔が綻んでいく。ハンナ様が救いの女神様に見えてしまった。


 「やはり、裏切るか! だが、貴様とならば楽しめそうだ!」


 黒衣は背中の大剣を抜き、ハンナ様に向ける。そこにあるのは、溢れんばかりの歓喜だった。対するハンナ様も殺意を向けている。そして、私に……悲しげな眼差しを送っていた。


 「勝手に裏切り者扱いは止めて欲しいわね。……公爵令嬢を殺せば大問題になる。それぐらい、戦闘狂の貴方でも理解できるでしょうに」

 「公爵家の雑兵ごとき、俺がまとめて殺してやる。お前も俺が殺してやるから、いつ裏切っても構わんぞ」


 挑発するように黒衣の舌打ちをするが、その挑発にハンナ様は何も返さない。そして、早足に近づいてきたハンナ様が私を見下ろしていた。

 冷たい瞳に私の顔は強張っていく。ただ、ハンナ様の向ける感情は悲しみ一色だった。


 「……とっとと、毒薬を飲みやがれ。それで、殺しは勘弁してやる」


 黒衣が背中に大剣を担ぎ直しながら告げる。

 握りしめていた右手を開いて飴玉――毒薬を私は見つめてしまう。


 数十秒が経過しても、私は毒薬を飲むことはできなかった。毒薬とわかっていて口に入れる勇気を持ち合わせてはいなかった。


 そんな私の側にハンナ様が両膝をつける。ニッコリと優しく微笑んだ。


 「……ハンナ様」

 「ごめんね、エリーゼ」


 小さなささやき声。私が聞き返そうとした瞬間、口の中に毒薬が放り込まれていた。私の右手の上にハンナ様の手が重ねられ、私の口を塞いでいる。空いた左手の手首も強く掴まれていた。


 吐き出したいのに、吐き出せない。状況を頭で理解すると同時に、堰を切ったように涙が零れ落ちていく。必死に抵抗するがハンナ様の拘束を抜け出すことはできなかった。

 数秒後、私は――ゴクリと飲み込んでしまっていた。


 止めて、ヤメテ、やめて……。私は首を大きく振り、くぐもった声を漏らす。

 次第に薄れていく意識の中、涙を流すハンナ様が見えた気がした。

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