026 恋する乙女たち
「……本当に、やるの?」
私の一歩前を歩くセレナに向かって訊ねる。すると、自信に満ちた笑顔のセレナが振り返った。
「そう言ってるでしょ? エリーゼは人付き合いが苦手なんだから、ここは私に任せておけばいいんだよ」
「でも、これはダメだと想うのよ」
視線を奥に向ければ、ベンチに隣り合わせで座ったベルント様とカルラ様の姿があった。恋人同士の憩いを邪魔するのは気が引ける。だから、昨日も遠巻きに観察するだけにしたのだ。
割り込んでまで話をするのは、どうしても良くないと想ってしまう。セレナの考えに賛同しかねていた。
「あの二人は悪いことをしているんでしょ? 邪魔ぐらい、許されるよ」
「いや、まだ可能性があるだけで、決まったわけじゃないのよ?」
「確かめてみて、間違っていたら二人で謝ればいいんだよ。そのときは、一緒に『ごめんなさい』って謝ろうね」
楽しげに笑うセレナは私の苦言を全く気にしてくれない。
話は終わったね、そう言わんばかりにセレナは歩き始める。その背中を私は慌てて追いかけていた。
ベルント様とカルラ様まで、後十数歩の距離だった。
「あの、ベルント様ですよね?」
薄っすらと頬を染めてセレナが話しかける。……えっ、誰? 想わず横目で二度見してしまった。
「ああ、そうだけど……君たちは?」
「……あの、私たちもベルント様に憧れてて……お話したいなって……」
もじもじと恥ずかしそうなセレナから目を逸らして、私はコクコクと黙ってうなずく。セレナの気持ちの悪い演技を、顔を引き攣らせずに見る自信は全くなかった。
カルラ様はセレナを憎々しげに睨みつけている。その両腕はベルント様の右腕に絡みついていた。
ベルント様は私とセレナを順々に眺めていく。
私はニコリと余所行きの笑顔を浮かべて見つめ返す。下手に演技をするくらいなら公爵令嬢として振る舞うべき、そんなセレナのアドバイスに従っていた。
肝心のセレナは……恋する乙女だった。いや、小悪魔だった。
顔を俯かせてチラチラと期待に満ちた眼差しをベルント様に送っている。セレナが演技をすると知っていなければ、私も本気の恋だと勘違いしていたかもしれない。
一秒……二秒……三秒……。
セレナを見つめていたベルント様が顔を綻ばせる。そして、自分の左隣に座るように勧めた。私を一秒も見なかった人物とは別人のように紳士的だった。
ベルント様を挟むように私たち女性陣が座る。右側にカルラ様、左側にセレナ、一番左端には私が座った。
セレナの右手がベルント様の左腕の二の腕辺りにそっと触れる。腕を絡ませて胸を押しつけているカルラ様に対抗するつもりなのだろうか。
初々しいセレナと、魅惑的なカルラ様。二人のアピールは対照的だった。
友人と恋人の中間くらいを目指す、そうセレナは宣言していたが上手くいくかは半信半疑だ。でも、ベルント様の眼中にない私にできることは何もない。セレナに任せるしかなかった。
不意にベンチの上に置いた私の右手にセレナの左手が重なった。
どこか震える指先が私の右手へと絡みついていく。そして、指と指の間に差し込まれ、力強く握りしめられる。
頑張って、そう応援するように私は強くセレナの手を握り返していた。
アデリナ様からお願いされたのは、カルラ様の観察だった。不審な行動がないか、私の瞳で確認して欲しいとのことだ。
領地が近いこともあって、アデリナ様は幼少のころからカルラ様と付き合いがある。その長年の付き合い中で、疑問に想っていたことがあるらしい。
――どうしてカルラ様を愛する男性が多いのか?
侯爵家に忠誠を誓った男性が何人もカルラ様のもとに走ったそうだ。執事に、衛兵、料理人……その職種は一通りでなかった。
仕事内容にも給金にも休暇にも問題は見られない。本人たちが侯爵家での生活に満足している、そう話していたことも調査でわかっている。あまりにも突然の行動だったのだ。だから、何が悪かったのか、その原因を侯爵家は何年も調査していたらしい。
事態が動き始めたのは、出奔した一人の料理人が侯爵家に戻ってきたときだ。
地べたに頭を擦りつけて侯爵家に謝罪したそうだ。侯爵家で働いていた頃には考えられない、同一人物と想えないほどに落ちぶれた姿だったという。
侯爵家と子爵家で待遇が違うのは当たり前だ。その結果はわかり切っていたことだった。それでも、アデリナ様たちは聞かずにはいられなかった。
――どうして出奔したのか?
侯爵家に不満があった。子爵領に恋人ができて移住した。
考えられる理由はいくつもあった。しかし、料理人の答えは想定外のものだった。
――わかりません。気づいたら子爵領にいました。
最初は何の冗談だ、そう咎めたらしい。
料理人が突然に辞職を告げ、侯爵家を出て行く姿は多くの人に見られている。それを覚えていないと言えば、怒りを買うのは当然のことだ。特に、供に働いていた料理人たちの怒りは凄まじかったそうだ。
罪人を責め立てるように料理人を厳しく問い質したらしい。その時間はゆうに一時間を超していた。それでも、涙ながらに答える料理人は同じ言葉を繰り返すだけだった。
結局、料理人から満足のいく答えが得られずに終わった。その後、料理人は実家に戻され、農民として第二の人生を歩んでいる。
もしかしたら侯爵家での再雇用を願っていたのかもしれないが、元同僚の大反発で叶わなかった。子爵領に行ったことは失敗だった、そう後悔の日々を送っているらしい。
料理人が帰還した日から、子爵家との交流は最低限に抑えられた。
それは、侯爵家の当主、アデリナ様のお父様が判断したことだった。アデリナ様がその理由を訊ねると、悲しげに教えてくれたそうだ。
――恐らく精神操作の実験に使われたのだろう、と。
侯爵家からの出奔者が出始めた時期と、サティプラを用いた無属性魔法の存在が明らかにされた時期が一致している。そして、サティプラを用いた魔法に必要な材料が子爵領で入手でき、研究者の一人が子爵家と縁のある人物だった。
関連付けられる要素がいくつもあるのだ。疑わずにはいられないだろう。
しかし、サティプラを使ったと断言する証拠がない。料理人の身体も調べたが見つからなかったそうだ。
子爵家が精神操作の実験をしている可能性がある、その疑惑だけで公表までには至っていない。
これまでは侯爵家だけの問題だった。しかし、クラウディア様に使用された以上、問題は王国全体まで波及する。
次期王太子妃の精神を操った――この事実だけで反逆者と断罪されてもおかしくない。それくらいの重大事項だ。
そして、アデリナ様の予想では王国はすでに動き始めている。
私のお父様が『ザレイン伯爵家』を調べろと言ったのが、その証拠だと言う。
ザレイン伯爵家は王国北部に位置し、魔の森から魔物が侵入することを防ぐ守護の一族だ。王国の建国以来、深い森を遮る長大な岩壁を維持している。
定期的に王家とザレイン伯爵家の調査団が魔の森へと足を踏み入れている。初めてサティプラを採集したのも、この調査団だった。つまり、魔物から王国を守る盾であると同時に、魔の森から未知の材料や鉱物を持ち帰る剣としての役割も担っている。
ベルント様とカルラ様の急接近から、クリスタ様との婚約破棄まで三ヶ月も経っていない。あまりにも動きが早すぎるのだ。何らかの思惑があって接近した、そう考えることに違和感はない。
もしベルント様を足掛かりにザレイン伯爵家が内部から操られることがあれば、王国は魔物たちに蹂躙されるかもしれない。それは、絶対に阻止しなければならない。
私は三人の会話を聞きながら、アデリナ様の話を想い返していた。セレナと繋いだ手をギュッと握りしめる。すると、セレナも強く握り返してきた。
「……ベルント様は、その、恋人はいらっしゃいますか?」
セレナが顔を赤らめて訊ねる。愛おしげな表情に反して、セレナが向ける感情は冷め切っていた。何の色も視えない真っ白な無関心。私の一番嫌いな色だ。
一方で、カルラ様は本当にわかりやすい。セレナへの憎悪が色濃く現れていた。でも、嘘つきだった。
ベルント様に向ける色はセレナと一緒だったのだ。
無関心ならば、興味がないならば、どうしてクリスタ様から奪ったの? ふつふつと怒りが込み上げてくる。クリスタ様は確かにベルント様を愛していたのに……。
それに、ベルント様の態度も気にいらない。不愉快だった。
「今は恋人はいないかな。最近は、カルラが仲良くしてくれるけどね」
嬉しそうな顔でベルント様はカルラ様を見つめる。言葉とは裏腹に、その眼差しは嫌悪感に満ちていた。反対に、困り顔で見つめるセレナに対しては信頼に満ちた眼差しを送っている。
演技とは言え、しゅんと落ち込んだ顔のセレナに満足しているのだろうか。ハッキリと言って気持ち悪い男だ。
三者三様に嘘をついている。会話も表情も嘘ばっかりで、どれもこれも一致していない。
アデリナ様のお願いがなかったならば、こんな嘘しかない場所には一秒も居たくはない。三人を見ていると、なんだか胸がムカムカして仕方がないのだ。演技だと知っていても、今のセレナは大嫌いだった。
「ベルント様、私ではダメですか? 私を選んでいただけませんか?」
セレナが涙声で訊ねて、ベルント様に身体を寄せる。私と繋いだ手には痛いぐらいに強く力が入っていた。
「貴方、何を言っているの!」
「……君は、そんなに僕のことを愛してくれるのか?」
「ベルント様!?」
カルラ様が驚愕に満ちた顔でベルント様を見つめる。その眼差しには不快感が滲んでいた。二人はカルラ様を置き去りにして愛の言葉をささやき合い始める。
カルラ様、ようこそ三文芝居の観客席へ。私だけが歓迎するようにカルラ様に注目していた。
驚愕から憎悪へとカルラ様の表情が変わるまで、数秒もいらなかった。
ベルント様の腕を力一杯に引き、無理やりカルラ様自身の顔へ近づける。そして、口元が奇妙に動き始めた。
気づいた瞬間、私はセレナと繋いだ手をベンチに叩きつけていた。
パクモニュ、モニュモニュ、パクパク……。
声もなくカルラ様の口が動いている。その動きを私とセレナは注視した。口を開いて閉じて、唇を左右に動かして……必死に動きを覚える。クラウディア様を豹変させた動きとは違っていた。
突然の静寂は数秒間だろうか、ハンナ様は侮蔑の眼差しをセレナに送った。
「ベルント様は、私だけを愛していますよね? そこの貧相な女を選んだりはしませんよね?」
「ああ、当然だろう。僕はカルラだけのものだ」
そう言うや否やベルント様はセレナの手を振り払った。
私に向かって倒れるセレナを抱き留める。顔を上げた先のベルント様の目は冷たかった。
「早々に消え失せろ。僕とカルラの邪魔をするな」
突然のことに固まるセレナを引き摺るようにして私は逃げ出していた。
十歩進んだころに振り返ると、ベルント様とカルラ様が抱きしめ合う姿が見える。ベルント様の背中越しのカルラ様の顔は悪魔のように恐ろしいものだった。
『誰かのものを奪うのは大好きなくせに、自分のものが奪われると短絡になるのよ、あの女は』
悪戯っぽく笑うアデリナ様の姿が脳裏に浮かんでいた。




