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025 一番の友達

 「……なんだかストーカーみたいで、嫌なんだけど」


 私の隣で砂糖たっぷりの紅茶を飲んでいたセレナが不服そうにつぶやいた。唇を尖らして半目で私を睨みつけている。

 素知らぬ顔でミルクティーを飲みながら、私は視線を奥へと向けた。

 そこに見えるのはベルント様とカルラ様、カフェで寛ぐ仲睦まじい二人の姿だった。


 私の退院から既に三日が経過している。好奇な視線もようやく落ち着き、私は自由の身となっていた。身体に巻いていた包帯も全て外れていた。


 退院後、初めて学園に登校した際のざわめきは凄まじかった。

 死者が蘇ったかのごとく、学年も性別もなく一様に信じられないと疑うように見つめられ、至るところで噂されていた。


 どうやら私は寝込みを襲われて、半死半生の大怪我を負っていたことになっているらしい。二目と見られないほどに顔を傷つけられ二度と歩けない身体にされた、そんな話が真実として語られていたのだ。

 ダイアウルフに弄ばれたのは事実だから、キッパリと事実無根だと否定できないあたりが嫌らしい。


 醜聞を覚悟していたとは言え、あんまりな噂に気分はすこぶる悪くなった。アデリナ様のお願いがなければ、女子寮に引き返していたかもしれない。

 まあ、強引なセレナが私の腕に身体を絡めてくるから、どちらにせよ逃げられなかったのだが……。


 コクコク、と喉を潤して小さく息を吐く。カップをテーブルに戻しながら、退院後に再会したセレナの姿を想い出していた。

 女子寮へ戻ってきた私を出迎えたのは、涙でぐちゃぐちゃの顔をしたセレナの抱擁だった。


 事前に私の退院を聞いていたのか、寮門前でセレナが待っていた。

 私の姿を見つけた瞬間、セレナは駆け出し――真っすぐに私へ飛び掛かってきた。そして、力一杯に抱きしめられたのだった。


 数日ぶりに見るセレナの姿に、私もホッとしたのだろう。

 力任せに締めつけられる痛みよりも、ポカポカと心に湧き上がるあたたかさの方が印象的だった。

 私は目を閉じ、セレナが満足するまで身を任せていた。


 そうして再会してから今日まで、セレナは私専属の護衛になっている。

 朝起きてから就寝の時間まで、一日中べったりと私の側を離れようとしない。心配されていると想えば嬉しくもなるが、トイレにまでついてくるのは間違っていると想うのだ。


 さすがに我慢できずセレナを叱りつけたが、本当に反省しているとは想えない。

 現にベルント様を尾行していた私の後を追ってきている。何をするのかと想えば、ただ愚痴を零すだけだった。

 尾行中なのだから、目立たないようにもう少しだけ静かにしてくれたらいいのに……。事情を隠している私は、ハッキリとセレナを拒絶できずにいた。


 「ちゃんと、私の話を聞いてる? エリーゼのそういうところ、私はダメだと想うよ……」


 少し頬を膨らませたセレナがいじけて言い、私の膝をポンポンと叩き出す。別に痛くはないが、少しだけ鬱陶しい。


 「セレナ、私に構って欲しいの?」


 私に攻撃するセレナのこぶしを掴み、ジッと瞳を覗き込む。


 「あっ! ……えっと、ちっ、違うよ!」


 セレナのこぶしを掴む手のひらに力を込め、私は悪戯っぽく微笑む。セレナは恥ずかしそうに顔を背けた。


 「なるほどね、しばらく会えなかったから、寂しかったわけね。前よりも、甘えたかがりになるなんて、セレナは子供ね」

 「違っ、別に甘える気なんて……子供扱いしないで!」

 「はいはい、大声出さないで。他に人もいるんだから」

 「……はあ、もういいよ。やっとエリーゼぽくなっから、許してあげる」


 不満げに言ってセレナは顔をしかめる。そんなセレナを見てクスクスと笑っていたのは一瞬だった。セレナに何を言われたのかを理解するにつれ、私の表情は固まっていた。


 「……私らしくない?」

 「ん? 気づいてなかったの?」


 呆れた声で訊ね返したセレナがまじまじと私を見つめる。今度は、私が顔を横へと逃がす番だった。


 「エリーゼ、こっち見てよ!」


 セレナの手が伸び、私の両頬を好き勝手に揉みほぐし始める。そして、ぐいぐいと上下左右に引っ張り始めた。


 「痛いから! そっちを見るから、もう引っ張らないで!」

 「今みたいにプンスカ怒っている方がエリーゼらしいよ。何考えているのか知らないけど、ずっと怖い顔をしているし……悪巧みしてます、そう宣言しているようにしか見えないよ?」


 心底おかしそうに笑うセレナが手を離した後、私の口はポカンと開いたままになっていた。


 私はそんなに不自然な顔をしていたのだろうか。

 失敗の予感に心から熱が奪われていく。慌てて目を左右に動かすが、カフェの中は楽しげな声で一杯だった。ベルント様とカルラ様が警戒しているようには見えない。


 ひとしきり笑い終えたのか、急にセレナが私の頭を撫でまわし始めた。


 「私に対して怒っている、そう想われているから大丈夫。エリーゼは私が貴族たちに嫌われていること、知っているよね?」


 セレナの視線を追えば、何人かの男女が睨みつけている。友人同士、婚約者同士が想い想いに過ごしている中、その視線は確かに目立っていた。

 こんなあからさまな視線にも気づけないなんて……。私は心の中で大きなため息をつく。セレナへの怒りだと誤解されていなければ、尾行に気づかれていたのだろうか。


 「エリーゼ、笑顔だよ、笑顔」


 セレナは自分自身の両頬を人差し指で突き上げて、私に向かって笑顔のお手本を示していた。

 ……ごめんなさい。セレナ、ありがとう。

 私は小さくつぶやき、セレナの真似をして両頬を押し上げてみる。上手く笑えている自信はなかった。


 「最近の素直なエリーゼは、かわいいと想うんだ」


 茶目っ気たっぷりにセレナは微笑んでいる。

 子供扱いしないで! 今度は私が不満を言いたくなったが、グッと飲み込んだ。嬉しくもあり恥ずかしくもあり悔しくもあり……複雑な気持ちだった。




 「それで、結局エリーゼは何がしたかったの?」


 寮へ戻った後、私はセレナの部屋へと連れ込まれていた。ベッドの上に腰掛けた私と向き合うようにセレナが椅子に座る。

 呆れ顔のセレナを見ていられず、私は顔を俯かせていた。


 突然、何の接点もないベルント様とカルラ様の後を追い、仲睦まじい二人の様子を観察する。……冷静に考えれば、不審者としか想えなかった。

 カルラ様に嫉妬していないとセレナも理解しているからか、ストーカー認定はされていない。それでも居心地は悪かった。


 問い質すようなセレナの眼差しをひしひしと感じる。

 一分……二分……三分……。掛け時計の長針が動く音がやけに大きく聞こえる。重苦しい沈黙が続いていた。


 セレナは私の自白を待っているのか、一向に口を開かない。私の背中に冷や汗が出ていた。


 「私は、何かするつもりなんて――」

 「――それは、嘘。バレバレだよ」


 乾いた喉から出た言葉は、あっさりとセレナに否定される。

 セレナはあからさまに大きなため息を吐き出す。私の肩は想わず跳ね上がった。


 「もう一度聞くよ、何をしたかったの?」

 「……別に、仲が良さそうな二人を見ていただけ――」

 「――本当に?」


 セレナがニコニコと笑いながら言う。しかし、口元以外は少しも笑っていない。

 こんな怒った表情は初めて見たな、そう現実逃避をしていたのは数秒間だろうか。セレナが「エリーゼ」と私の名前を呼ぶ。冷たい声に私の意識は無理やり引き戻されていった。


 「エリーゼは、何をしたかったの?」


 セレナからは口元だけの笑みがもう消え去っている。

 正直、セレナが怖くて仕方がなかった。

 ごまかすように微笑んでみるが、セレナの無表情に変化はない。重苦しい雰囲気に飲まれて私は顔を俯かせる。そして、絞り出すような声でポツポツと企みを告解していた。


 ――セレナを巻き込みたくなかった。それだけなのに……。


 もう消え去ったはずなのに、ダイアウルフに傷つけられた傷痕がジクジクと痛み出していた。




 「エリーゼは、バカなの?」


 全てを話し終えた私は力なく顔を俯かせていた。そんな私に放たれたセレナの第一声は、呆れ声の罵倒だった。


 「バカなのかな、バカかもしれない……そう想っていたけど、本当にバカだったんだ。こんなバカだとは想わなかったよ」


 バカ、バカ、バカ。何度も言わなくていいだろうに。シンプルな言葉だからこそ、やけに腹立たしい。

 私は顔を上げてキッと睨みつけ……想わず狼狽えてしまった。


 「どうして頼ってくれないの?」


 傷ついた顔のセレナが私を見つめていた。


 「また、私を置いていくつもりなの?」


 薄っすらと浮かんだ涙を拭い、セレナが問いを重ねる。


 「また、傷だらけになって帰っ――」

 「――待って!」


 想わず私は叫び、セレナの両肩を掴んでいた。


 「私はセレナを、巻き込みたくないのよ!」

 「私は……巻き込んで欲しい。一人で頑張らないでよ、エリーゼ」


 私の両手首を掴み、セレナは勢いよく下へと引き下ろす。前のめりに倒れて私とセレナの顔が近づいた。

 潤んだセレナの瞳から零れた涙が、私の頬を伝った。


 「弱いくせに、強がらないでよ! できないなら、できないって言えばいいんだ! エリーゼには、私がいるんだから!」


 くしゃくしゃに歪んだセレナから降る、涙の雨が激しくなっていく。頬を伝う涙には、私の涙も混じっているのだろう。鼻の奥がツンと痛かった。


 「私を心配してくれるのは嬉しいよ! でもさ、私だってエリーゼが心配なんだ! どうして、そんな簡単なことがわからないの!」

 「……私だって、セレナが心配なのよ。……わかってよ」

 「知っているよ……。でも、私を心配する前に、自分を心配してよ。私でなくても、誰でもいいから、一言『助けて』って言えばいいんだよ」


 コツン、セレナの額が私の頭に押しつけられる。私の両手首を掴んでいたセレナの両手がゆっくりと離れていった。


 「人は一人じゃ生きていけないんだ。誰かに助けてもらわないと、きっと生きていけないんだよ。でも、言ってくれないと……助けていいのかなんて、わからないんだよ……」


 耐えきれないといったようにセレナは泣き声をあげる。泣くことしか知らない赤ん坊みたいな姿だった。


 セレナが泣いている……私が、泣かせてしまった……。

 互いに互いの身体を支え合うように私とセレナは寄り添っていた。それも今は、セレナから力が抜けてバランスを崩している。


 受け入れるのも、突き放すのも、私次第だった。だから、私は――。


 「――っ、エリーゼ!」


 セレナの身体を想いっ切り引っ張った。椅子からずり落ちるように床へ跪いたセレナ、その後頭部に手を掛ける。

 そして、縋りつくようにセレナを抱きしめていた。


 「……セレナ、助けて」


 身体を折り曲げてセレナを胸元に抱きしめる。たったの一言を告げ、声を枯らさんばかりに泣き叫んでいた。

 セレナも私を真似るように泣き喚く。その両手は強く私の腰にまわされ、一向に離れようとはしなかった。

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