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024 お父様の助言

 サティプラが原因でクラウディア様は豹変した、そう疑っていただけあってアデリナ様の知識は豊富だった。

 十枚の花びらが保管された袋は特別製だ。朝になれば枯れ落ちる花びらは、誰もを魅了する透き通るような白を維持している。素人目で見ても、保管状態は良好だった。ダイアウルフの出現で混乱する中、アデリナ様は立派に仕事を果たしていたのだ。


 精神操作の魔法を解除する方法自体は、すでに研究者たちが明らかにしている。

 光魔法は怪我を治せても病気は治せない。今回の精神操作も光魔法では解除できない。薬による長期治療、それが研究者たちが出した答えだった。

 しかし、問題は治療薬を作ることが困難なことだ。その一番のハードルは、サティプラの入手だった。


 本来ならば魔の森を探索して持ち帰らないといけない。ただ、魔物が跋扈する森を踏破するのは、私とアデリナ様では不可能だ。黒衣がサティプラを燃やし尽くしたのもサティプラを入手不可能とするために違いないだろう。


 アデリナ様の機転で、今、私たちの手元にサティプラがある。クラウディア様を救う術は残されているのだ。

 それならば、私たちの方針は一つだ。必要な材料を揃えて薬を完成させる、それだけだった。


 朝も夜もなくアデリナ様と顔を突き合わせているのだ。相談する時間はいくらでもあった。……いや、そろそろ暇を持て余しているかもしれない。


 入院してから既に五日は経っているが、退院の目途は立っていなかった。

 アラン殿下も関わっているためか、情報統制を行っているらしい。私とアデリナ様の体調は回復しているが、未だに面会謝絶のままだ。


 セレナはもちろんクラウディア様やハンナ様とも会っていない。私の話し相手はアデリナ様だけだ。そのアデリナ様も事情聴取で連れ出される機会が多くなっていた。


 ほんの数回で終わった私と違って、アデリナ様はかなり絞られているらしい。病室から出掛けるときのアデリナ様の顔には、日に日に疲れが滲んでいた。

 アデリナ様から預かったサティプラの花びらを病衣に隠し、いつものように教科書を開いて自習を進めるしかなかった。




 コンコン、唐突にノックの音が聞こえてきた。

 ベッドに背を預けたまま開いていた教科書を下ろし、私は顔を上げる。時刻は午前十時半をまわったところだ。アデリナ様が病室を出てから一時間しか経っていない。戻ってきたとは想えなかった。

 誰が来たのだろうか? 私は首をかしげる。お昼の時間にはあまりにも早すぎた。


 コンコン、再びノックの音がこだまする。

 私はそっと病衣の上からサティプラの花びらを納めた小袋に触れる。これだけは奪われるわけにはいかない。

 警戒心を溢れさせてドアを凝視する。そして、静かに入室を促した。


 病室に姿を現した人物を私はよく知っている。

 私と同じ蜂蜜色の髪で、私と違う水色の瞳。私が受け継いだのは母親譲りの緑色だった。でも、顔立ちは似ているかもしれない。特に、吊り上がって少しきつい印象を与える目はそっくりだった。


 久しぶりに顔を見る、私のお父様。……どうして貴方がここにいるのですか?

 お父様の冷たい眼差しからは娘への愛情なんて感じられない。見舞いに来たとは到底想えなかった。


 とてつもなく面倒なことが起こりそうな嫌な予感がするが、礼を失するわけにはいかないだろう。私はベッドから飛び降り、お父様に向かって深く頭を下げる。お父様は何も言わなかった。


 一秒……二秒……三秒……。重苦しい沈黙が流れていく。

 私は声をかけられるのを待ち続ける。冷え切った親子関係だ。許可なく話しかけることは許されていない。


 しかし、待てど待てどもお父様から声がかからなかった。どうしてだろうか? 顔を伏せたままの私には状況が掴めなかった。


 さらに数十秒は経過しただろうか。ようやくお父様が重い口を開いた。


 「……無様な姿だな」


 上半身を九十度以上に折り曲げるくらいの気持ちで、さらに頭を低くする。

 もう包帯塗れではないが、頭と首、右腕の包帯は残ったままだった。ダイアウルフの牙が深く食い込んだからか、傷痕の治りが予定よりも遅かった。


 「顔を上げろ」

 「……はい、お父様」


 命じられるがままに顔を上げる。その瞬間、背筋がゾクリと凍りついていた。

 お父様が漂わせる雰囲気にあたたかみは感じられない。私は病衣をギュッと握りしめる。


 「話は内々に聞いている。お前は、グレスペン侯爵の娘を助けたいのだな?」


 お父様が歩くたびに踵が甲高い音を鳴らす。その音が私を責め立てて聞こえるのはどうしてだろうか。お父様との距離が縮まるにつれ、なんだか息苦しくなっていた。


 「お前には誰も期待していない。余計な真似はするな。……わかっているな?」

 「……わかって、います」


 過去に嫌われることをしたのは私だ。今更、娘として扱われないことを悲しむなんて自分勝手すぎる。……わかっているのだ。


 感情が視える私には、嫌われるなんて簡単だった。

 無関心が嫌だったから、興味を持って欲しかったから、お父様が嫌がることをたくさんした。お父様の正しさに何度も反発した。意味もなく反抗して、何度も困らせた。そんな方法しか、私を見てもらう術を知らなかった。


 その結果が他人のような距離感。私とお父様を別つ深く大きな溝、それを簡単に修復できるとは想えなかった。


 『貴方を嫌うことが、貴方を見ることにはならないわ』


 いつかのクラウディア様が告げた言葉を想い出す。目の前のお父様は、『私』を見てはいない。もし素直に甘えられていたなら、何かが変わっていたのだろうか。最初のアプローチから間違っていた――。

 後悔のままに唇を強く噛む。ポロポロと流れていく涙は止まらなかった。


 「……わかればいい」


 お父様はつぶやき踵を返す。その背中がとても遠かった。


 「エリーゼ、お前の退院は明日だ。……それと、ザレイン伯爵家を調べておけ」


 背中越しに聞こえた声。それが、お父様が発したものだと気づいたのは、病室のドアが閉まる音が耳に届いてからだった。




 「……最近、ご子息が復学していたかしら? あまり知らないわね」


 綺麗な顔を軽く歪めて考え込んでいたアデリナ様が、降参と言わんばかりに訊ねる。事情聴取で疲れているのか、ベッドに腰掛けて座っていたアデリナ様は背中を倒して仰向けに寝そべってしまった。


 二人で過ごし始めて知ったが、素のアデリナ様はあまりマナーに拘らない質らしい。立派な淑女は、私の目の前にはいなかった。


 「まだ基礎学部にいるのよね? 私よりもエリーゼの方が詳しいと想うわ」


 長い脚をパタパタと動かしながらアデリナ様が言う。今日のアデリナ様はなんだか無防備だった。


 「私もあまり詳しくないですけど、浮気をしていたことは知っています」

 「……不誠実な男ね。最低だわ」


 嫌悪感に満ちた声だった。アデリナ様はそれきり黙り込んでしまう。

 その婚約者をけしかけて浮気現場に突撃させた――そう言ったら、アデリナ様はどんな反応をするのだろうか? 不機嫌になったアデリナ様を見て、私は事実を告げることを躊躇った。


 私を褒めるのだろうか、それとも叱りつけるのだろうか。

 必死に涙を堪える彼女を焚きつけたのは善意でもなんでもなかった。無関心でいられるよりも嫌われた方がいい、そんな独りよがりな考えからだった。


 そんな私の考えが正しいなんて、決めつけることはできないのに……。

 結局、二人は婚約を解消したと聞く。その切っ掛けを作ったのは、私で間違いないのだろう。彼女には、本当に悪いことをしてしまった。


 浮気男との婚約で幸せになれるとは、私は想わない。だから、私は自分の考えが間違っていると否定するつもりはない。だって、そんな男は『私』を見てくれたとは言えないのだから。

 

 でも、彼女の考えは違うかもしれない。例え浮気をされても許せるくらいに、その男が好きならば……私は仲を引き裂いた悪女でしかない。


 恨んでいるかもしれないし、感謝しているかもしれない。それは、私にはわからない。ただ、彼女のこれからが幸せだったらいいのに、そう願うことしか私には許されていなかった。


 沈黙は数十秒だろうか。唐突に、アデリナ様が体を起こした。


 「エリーゼよりも一つ上ならば、今年で十三歳よね? 今どき、その歳で婚約者がいるのは珍しいわね」


 物珍しそうにアデリナ様は言う。昔は貴族同士の結婚は政略的なものが多かったが、最近は能力を重視する傾向が強い。

 それゆえに、将来性のわからない幼子のうちに婚約することは少なくなっていた。能力が露わになる十五歳ごろから婚約者を決めるのが一般的だ。


 私に婚約者はいない。それは、アデリナ様も同じだが、婚約者候補は何人かいるらしい。その中で誰にするかは選定中のようだ。


 だから、ザレイン伯爵家の、ベルント様の婚約はかなり早い部類だった。


 「私の同級生でも、婚約していたのはクリスタ様だけでした」


 クリスタ・テラコット子爵令嬢。私が浮気したベルント様を責めるように促した少女だった。

 おっとりとした大人しい性格で、講義ではいつも最前列に座って励んでいる姿が印象に残っている。誰もが惹きつけられるような派手な美しさは持っていない。しかし、野に咲く花のような素朴な可愛らしさを持っていた。


 ベルント様に爆発させた怒りは激しかった。魔法で攻撃するほどに鬱憤を溜め込んでいたのだろうか。クリスタ様は、まだ復学されていない。


 「ご子息の浮気相手はどなたかしら?」


 低い声でアデリナ様が訊ねる。ベルント様への不快感が滲み出ていた。


 「えっと、カルラ・セブラ子爵令嬢です。……あの、アデリナ様?」


 私が名前を告げた瞬間、アデリナ様が眉間にしわを寄せた。

 カルラ様のことが気になるのだろうか?

 三つ年上のカルラ様は十五歳、私との面識はない。しかし、アデリナ様は何か知っているのかもしれない。そう考えた私は、思考を巡らしているアデリナ様が口を開くのを待っていた。


 「エリーゼ、貴方は明日退院するのよね? 私が退院するまでの間に、調べて欲しいことがあるのだけど――」


 ようやく話し始めたアデリナ様は、悪巧みを想いついた子供のような笑みを浮かべていた。

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