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019 弱い心を奮わせて

 「よくここがわかったな。感心したぞ」


 ディルクがゆっくりと私たちに近づいて来る。その後ろから続々とダイアウルフが姿を現していた。

 最初の十匹は全体の一部に過ぎなかったのだろう。森から飛び出してきたダイアウルフはゆうに五十匹を超えている。まだ森の中に隠れているかもしれない。


 アデリナ様とエドウィン様が強いとは言え、絶望的な戦力差に想えた。


 「ディルク先生、貴方がどうしてここにいる?」


 エドウィン様はナイフを構えたまま訊ねる。しかし、答えは聞かなくとも明らかだった。ダイアウルフたちがディルクを守るように移動を始めていたのだ。


 その動きを見たアデリナ様は「エリーゼ、座ってなさい」と小さくつぶやき魔法陣を描き出す。次の瞬間、私の足元の土が突然隆起していた。


 再び出現した土人形の肩に私は座らされていた。

 二メートルをゆうに超す土人形に乗って見下ろす。目に魔力を注ぎ込んでも、ダイアウルフの後続は見つけられなかった。


 「冒険は若者の特権だが、少しばかりやりすぎたな。優秀な学生を二人も失うのは、本当に残念でならないよ」

 「二人? 三人の間違いでは?」


 間髪入れずにエドウィン様が訊ねる。ディルクは口元に笑みを浮かべるだけで答えなかった。

 私は、殺してもかまわないと言いたいの?

 アデリナ様とエドウィン様に守られるしかない現状を非難されているようで情けなくなる。


 悔しい。反論したい。……でも、私は無力だった。

 戦っても足手まといにしかなれない。それは、認めるしかない事実だった。私は下唇を噛んで、ディルクを睨みつける。


 「スティアート公爵令嬢を誘拐、そして殺害しようとした。実に残忍ですね」


 ディルクの狂気的な瞳と目が合い、背筋が凍てつく。……気持ち悪い。


 「俺とアデリナに、罪を擦りつける、と。エリーゼは証人のつもりか」

 「さあ、どうだろうね? 私は事実を言ってるだけなので」

 「……サティプラを使って、私たち三人を精神操作するつもりね? クラウディアの豹変、その犯人だと自白したようなものだわ!」


 私はアデリナ様の言葉に固唾をのむ。だから、堂々と姿を現したのか。

 アデリナ様とエドウィン様が強くても、五十匹のダイアウルフを倒せるとは限らない。それも、私を守りながらなんて……。


 二人の感情を覗き見る。警戒と焦燥、そして半分近くを占める恐怖。

 気丈に振る舞っていても、二人とも怖いのだ。私は、どうしたらいいのだろう? 何かできることがある?

 息苦しくて仕方がなかった。やるせなさのまま胸元を強く握りしめていた。


 「選ばせてあげますよ、二人とも。大人しく投降するか、それとも私に潰されるか……さあ、どうします?」


 大仰に両手を広げてディルクは問いかける。

 沈黙は数秒だった。


 「――っ」

 「……避けますか。流石ですね、ディルク先生」


 エドウィン様が挑発的に告げる。ディルクが立っていた場所を抉るように風が爪痕を刻みつけていた。


 「……残念だよ」


 ディルクが憎々しげにつぶやいた瞬間、ダイアウルフが突撃を開始した。




 私たち三人は崖を背にしていた。そして、ダイアウルフは半円を描くように展開している。包囲を突破するしか逃げ道はなかった。

 しかし、アデリナ様とエドウィン様は脱出ではなく籠城を選択していた。

 戦闘開始と同時に、アデリナ様が土魔法を使って地面を隆起させていた。空き瓶を縦から二つに割ったような入口の細長いドームができていた。


 狭い入口から一列に並んで襲いかかってくるダイアウルフを一匹ずつエドウィン様が仕留めていく。直接戦っているのはエドウィン様だけだった。アデリナ様は土の壁を補強し続けている。

 ダイアウルフたちは土の壁を破壊しようと体当たりをしているのだろう。何度も衝撃音が聞こえてくる。壁のそこかしこで砕けた土が降り注いでいた。


 私にできることは、二人の邪魔にならないことだけだった。

 両手で必死に口を押さえつける。悲鳴を漏らさないことで精一杯だった。


 血で汚れていくエドウィン様、苦悶の表情をするアデリナ様、そして、恐怖を掻き立てるダイウルフの咆哮。

 何もかもが恐ろしい。瞳からポロポロと涙が零れ落ちていくが止めようもなかった。


 アデリナ様とエドウィン様に傷ついて欲しくない。死んで欲しくない。

 でも、救援は望めない。私たち三人がこの場にいることを誰も知らないのだから。この籠城戦に救いはなかった。


 絶望的な気持ちで私は状況を見つめていると、突然、頭上から大地が割れんばかりの轟音が響き渡る。天井が大きくひび割れていた。


 「アデリナ!」

 「わかっているわ!」


 叫ぶと同時に、アデリナ様は左手で描いた魔法陣を掻き消す。右手で描いた魔法陣へ魔力を供給しながら、左手で新しい魔法陣を描き出していた。

 天井のひび割れが少しずつ消えていくが、アデリナ様の努力を嘲笑うように二度目の轟音が響く。天井のひび割れは大きくなり、一部の壁は崩落を始めていた。その隙間から覗いた夜空は一瞬で、すぐにダイアウルフの口腔で隠されていた。


 「……ダメだわ……もう耐えられない」


 アデリナ様が泣き出しそうな声で告げる。気丈な姿は見当たらなかった。

 恐らくディルクが何か魔法を使ってるのだろう。三度目の攻撃に耐えられるとは到底想えなかった。


 土の壁で生き埋めにされるか、ダイアウルフの餌になるか。

 どちらも選びたくないが、どちらかを選ばなくてはならない。生き残る可能性があるのは――。


 「アデリナ、壁を壊せ! 打って出るぞ!」

 「……わかったわ」


 突撃するダイアウルフと戦い続けながらエドウィン様が指示をする。

 ここからは野戦になる。私も……戦わないと。悲壮な覚悟で瞳に魔力を集中させていく。そして、二人の様子を窺う。


 エドウィン様は大丈夫、戦闘で高揚しているのか恐怖よりも勇ましさが勝っている。でも、アデリナ様は……限界かもしれない。恐怖と不安で心がぐちゃぐちゃになっていた。


 私は涙で濡れた目をゴシゴシと擦る。そして、パンパンと両頬を叩く。

 エドウィン様を一人で戦わせるわけにはいかない。私がアデリナ様の代わりに戦わないと……皆、死んでしまう。


 アデリナ様が新たに魔法陣を描き始めた数秒後には、土の壁は崩れ落ちていく。まるで波打つように、土の壁が外へと雪崩れ込む。

 外壁にへばりついていたダイアウルフのうち、何匹が生き埋めにされたのだろうか。


 激しい土煙で周囲の様子はよく見えない。しかし、私の目はダイアウルフの猛りも怯えも捉えていた。

 目算ではだいたい三十匹のダイアウルフが残っている。その内の十匹だけが崩落でも意識を逸らさずに、私たち三人に敵意をぶつけていたのだ。


 私は慌てて魔法陣を描き、十匹の意識を逸らすように風の刃を振るう。感情線を切られたダイアウルフはキョロキョロと視線を泳がせていた。ホッと私が安心したのは一瞬で、すぐに顔が引き攣っていく。


 土煙が晴れると、勝利を確信したような顔つきでディルクが嗤っていた。


 「投降を進めるがどうする? お仕置きが必要かな?」

 「どんな理由があって、罰を受けるのか……理解できないな」


 血で汚れたナイフを払い、エドウィン様が素っ気なく言った。


 「この場所を知った、それだけでは不十分かな?」

 「この場所を報告しなかった、それだけで貴方が裁かれる理由は十分だな」

 「……愚かなことを、一人でこの数を相手にするつもりかな? 後ろのお嬢さん方は役に立ちそうもない。それが、わかっていないのか?」

 「俺は二人を守ると決めている。ただ、それに従うだけさ」


 再びナイフを構えてエドウィン様が宣言する。土人形の肩から見下ろす私には、エドウィン様の表情は見えない。それでも、笑っているように想えた。

 ディルクからはつまらなそうな舌打ちが聞こえてくる。冷めた表情でエドウィン様を見つめるディルクからはどうにも人間味が感じられない。私はゾッと身体を硬直させていた。


 「後悔するなよ」


 ディルクの憎々しげなつぶやきが大きく聞こえる。呼応するようにダイアウルフたちが高らかに遠吠えを始めていた。


 その瞬間、恐怖で顔を青褪めたアデリナ様が、土人形の肩に慌てて乗る。私と反対側の肩で、アデリナ様は震える身体を自分で抱きしめていた。顔を伏せて涙を零しているアデリナ様は、とても戦える状態ではなかった。


 だから、私は心の中で宣言する。アデリナ様、次は私が頑張ります、と。


 私は土人形の頭に左手で抱きつきながら、空いた右手で魔法陣を描いていく。拙い風魔法しか使えないが、注意を逸らすくらいはできるはずだ。

 土人形はアデリナ様にしか扱えない。だから、この土人形も戦力外だった。頑張れるのは、私しかいない。


 ダイアウルフの威嚇は数十秒も続いている。

 心臓がバクバクと痛いぐらいに鳴り響き、呼吸は狂ったように落ち着かない。それでも、魔法陣を描き切っていた。


 怖くて怖くて仕方がない……誰かに代って欲しい。弱い心が泣いている。

 それが叶わない願いだとわかっていても、現実逃避は止められない。敗北した後、私たちはどうなるのだろうか? ダイアウルフの餌にされるかもしれない。


 セレナやクラウディア様、ハンナ様。学園で出会った大切な人たち。

 お父様やお母様、私のことを愛して欲しかった人たち。

 もっと素直になれば良かった。素直になれていたら、もっと愛してくれたのだろうか。私は、ただ一緒にいて欲しかっただけなのに……。


 ダイアウルフたちは二手にわかれるらしい。包囲を狭めるように動き始める。

 八割ほどがエドウィン様、残りの二割が私。戦意喪失したアデリナ様は後まわしにされていた。


 舌なめずりをするダイアウルフたちを睨みつける。すると、威嚇するように吠えられ、私の身体はビクリと撥ねていた。

 逃げたら……ダメだ! 下唇に歯を突き立て、私は再びギロリと睨みつけた。


 勝つとか負けるとか考えても仕方がない。私は、やるしかないのだ。

 飛びかかってきたダイアウルフに向かって風の刃を放っていた。

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