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001 不要な記憶

 私は特別な存在にはなれなかった。……いや、初めからわかり切っていたことだったのだろう。臆病な私が目を背けていたにすぎなかった。

 転生――前世の漫画やライトノベルによくあった定番の展開。その登場人物に自分を重ねる想像は、前世では何度もしてきた。


 時には、誰よりも強い勇者様。別の時には、誰からも愛されるお姫様。

 想像することは自由だ。平凡な女子高生の私にだって、何にでもなれたし、どんなことだってできた。

 だから、転生を果たしたと気づいたとき、私の心は喜びで一杯だった。想像が現実に変わる、そう期待してしまった。想像の中で楽しんでいた、理想の私になれると想ったのだ。


 死んでしまった理由はわからない。でも、高校一年生の夏休みまでの記憶しか残っていないのだから、きっとその時に事故にでもあったのだろう。

 大好きなお父さんにも、お茶目なお母さんにも、大切な親友にも会えない。それは、辛くて悲しいことだった。寂しくて泣いたことも一回や二回では治まらなかった。

 それでも、どうにもならないことだと割り切れたのは、私が単純な性格をしていたからだろうか。割り切った後には、転生したことへの期待感の方が前世への寂しさよりも大きくなっていた。


 転生の恩恵を受けた。その事実が私に大きな勘違いをさせていた。

 私は特別な、選ばれた存在である――そう信じてしまった。

 想像は現実でないからこそ楽しい。三ヶ月も経たない内に、私はその現実に気がついてしまった。




 公爵家の一人娘、エリーゼ・スティアート。それが、転生した私だった。

 甘く溶けるような蜂蜜色の髪に、少し強気につり上がったエメラルドの瞳。鏡に映った六歳の少女を初めて見た瞬間、頬がニマニマと緩むのを抑えることはできなかった。

 将来は誰もが羨むような美人になる。そう約束された美少女になったのだ。嬉しくないわけがない。初めて見たときは、鏡の前で何度もくるりくるりと踊っていた。


 恋愛小説は好きだったが、前世で恋愛はできなかった。教室でも目立たない地味グループにいた私に、男子の知り合いがいるわけもなく、ひっそりとカッコイイ男子に恋心を募らせるだけだった。

 ……高校生で死んでしまうのならば、勇気を出して告白すればよかった。今更ながらに想うのは、転生を果たして以前の私を客観視できるからだろうか。


 鏡に映ったエリーゼの愛らしい姿を見つめ、私はグッと両こぶしを握りしめる。

 今世こそは恋愛をして幸せになる――私は強く心に誓った。そう、確かに誓ったはず……だった。



 『お前はどうしてこの程度のことも理解できないのだ!』


 お父様の叱責が飛ぶ。……気持ち悪い。


 『貴方はお母様の言うことを信じてくれればいいの。わかるわね?』


 お母様が愉しげに笑う。……気持ち悪い。


 『お嬢様、不勉強ですね』


 家庭教師が鞭を振るう。……気持ち悪い。


 『クスクス、クスクス』


 メイドたちの忍び笑いが聞こえる。……気持ち悪い。



 私は主人公ではなかった。だから、前世の知識は何の役にも立たなかった。

 魔法の発展した今世、数学のレベルは前世とは比べ物にならないほどに高かった。前世でも赤点スレスレの点数しか取れない、そんな私に内容を理解できるわけがなかった。

 歴史はまるっきり違う。当然、ゼロからの覚えなおし。

 得意だった料理の腕も全く通用しない。食材も道具も異なるのに、同じように料理できるはずがない。


 魔法に関しては、前世の記憶が足を引っ張っていた。

 大気中に存在する精霊へ自身の魔力を捧げることで、魔法が発動する。生真面目な家庭教師の説明を聞いたとき、想わず首を大きくかしげてしまった。疑問がグルグルと頭の中を巡っていく。

 先生は何を言っているのだろう? 精霊なんて本当にいるわけがない。魔力なんて体に流れているはずがない。前世での常識が、精霊への祈りを妨げていた。


 私の知っている前世の常識は今世の非常識。その事実を頭では理解できている。けれども、実践できるかは別問題だった。

 十六年間も生きた前世の経験が、六年間しか生きられなかった今世の経験を塗りつぶしていた。ふとした時に感じる違和感が心を苛み続ける。


 ――できない。わからない。戸惑いの連続だった。


 こんなはずじゃなかった。夢見た姿はもっとカッコよかったはずだった。

 就寝前に一日を振り返っては涙を流す。そんな日々がいつの間にか当たり前となっていた。


 公爵令嬢なんて止めて、平民として暮らすのはどうだろう。

 ベッドで横になっていると、そんな悪魔の囁きが聞こえてくる。何もできない私が一人で暮らせるわけがないのに……。

 教育の一環として平民の生活を見たからこそわかる。平民社会は落ちこぼれには厳しいのだ。日々の生活が懸かっているのだから当たり前ではある。使えない者は切り捨て、使える者を採用していく。

 だから、多くの平民は幼少のころから家業に精を出している。私と同い年でも優れた職人や商売人たちなのだ。そんな環境の中、見ず知らずの実力もない私を雇うはずがない。


 転生者が平民となって幸せを掴む。そんな夢物語を知っているからこそ、何もできない自分が情けなくなる。

 平民として生きていけない以上、私は貴族であり続けなければならない。貴族でなければ、私に未来はないのだから……。


 前世の記憶なんていらなかった。こんな記憶がなければ、成功者のことを知らなかったならば、簡単に諦められた。ただ生きるだけの、惨めな私自身を受け入れることができたのに。

 私は無能だから仕方がない。そう言って自分を慰めることができたはずだ。どうして私だけが苦しまないといけないの!


 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い――。

 胸にわだかまる不快感は一向に消えてはくれない。恨み、嫉み、憎しみ。負の感情にすっかりと塗り潰されていた。

 全てを投げ捨てて感情のままに暴れられたら良かったのに、ここでも前世の記憶が邪魔をする。

 他人に迷惑をかけてはいけない。そんな倫理観が何の役にも立たないことを、今世の私は知っている。それなのに従ってしまう。そんな自分が、善人を気取る自分自身が……気持ち悪くて仕方がなかった。

 だから、否定しなければならない。私は前世を認めるわけにはいかない。


 ――私はエリーゼ・スティアート、前世の■■■■■ではない。


 転生を呪った六歳の夏から、毎晩欠かさずに口にしてきた言葉。エリーゼ・スティアートを取り戻すために何度も祈りを捧げてきた。

 ■■■■■の偽りの記憶はいらない。エリーゼ・スティアートの記憶こそが、本当の私の記憶。……そう、『私』はエリーゼ・スティアートなんだ。


 エリーゼ・スティアートに入り込んだ異物を、■■■■■を排除しなければならない。私は『私』に戻らないと幸せになれない。

 毎日、神に縋って祈りを捧げ続けた。一年、二年、三年と季節は流れていくが、祈りの習慣は変わらなかった。


 祈りが通じたのは、九歳の冬。

 ようやく憎い■■■■■の記憶が消え去り始めた。偽りの家族や友人、その顔が黒塗りでしか想い出せなくなっていた。

 私を戒めるように、■■■■■の記憶を辿るたびに重苦しい感覚が胸に襲いかかる。急にズキズキと頭を叩き割るような痛みが走ったのも一度や二度ではなかった。でも、その苦しさが嬉しくて堪らない。


 もう■■■■■の記憶のせいで苦しむ必要はない、そんな神様のお告げに想えてしまう。

 私から■■■■■の記憶を呼び起こそうとしたりはしない。でも、■■■■■の習慣や知識は簡単には消えてはくれなかった。私は忘れる努力をしなければならない。■■■■■の全てを捨てて、ようやく私はエリーゼ・スティアートとして生きられるのだから。

 私は今日も■■■■■を否定する言葉を口ずさむ。そのたびに、本当の『私』に戻れるようで笑顔になっていた。




 笑顔は人に活力を与えてくれる。それは、私も変わらなかった。


 『……見事だ』


 苦々しくお父様がつぶやく。……ああ、愉しい。


 『……エリーゼは物わかりのいい娘に育ったわね』


 涙を浮かべてお母様が褒める。……ああ、嬉しい。


 『……正解です、お嬢様』


 悔しげに家庭教師が首を垂れる。……ああ、気持ちいい。


 『……』


 騒々しいメイドたちが硬く口を閉ざす。……ああ、快適ね。




 十歳の春、ようやく長い苦痛の日々が終わりを告げた。

 役立たずな■■■■■とは違う、それを私は証明し続けたのだ。

 私は決して天才ではなかった。それでも、■■■■■よりは優れている。勉強も魔法も、苦手な運動も頑張った。一つとして負けるつもりはなかった。


 ■■■■■みたいに真面目を気どるつもりもない。

 お父様やお母様へ無意味に反抗もした。家庭教師やメイドたちに悪戯もした。■■■■■とは違う行動をとれば『私』を見てくれる、■■■■■とは別の反応を見せてくれることに安心感を覚えていた。


 嫌われる行動をすればするほど、『私』を見てくれることに気づいたのだ。

 気づけば単純なこと。それでも、私の目覚めを祝福するように、正解の全てが輝いて見えていた。

 エリーゼ・スティアートの世界には色彩が溢れていた。

 黒く淀んでつまらない■■■■■の世界とは正反対。毎日が楽しくて仕方がなかった。


 ■■■■■から『私』に近づくにつれ、心の色が視えるようになったのは精霊の導きに違いない。

 お父様やお母様たちが送る眼差しの色がわかり、『私』を視ていると確証が持てたのだ。その事実こそが、エリーゼ・スティアートが『私』であることの証明だった。




 私、エリーゼ・スティアートは幸せだ。だから、この幸せを他の人達にもわけてあげたいと想った。

 十二歳になった私は知ったのだ。学園に通う多くの生徒は不幸だ、と。

 私はとても優しいのだ。私一人だけで幸せを独占するつもりはない。

 だから、貴方も心配なんていらないのよ?


 「――政略結婚とは言え、彼は貴方の婚約者。それを奪ったあの女が悪い、そう想わない? それなのに、どうして貴方だけが我慢しなくてはいけないの?」


 悔しげに顔を歪める令嬢にそっと囁きかける。令嬢の視線はベンチに座る一組のカップルへと向けられていた。

 私と同じ十二歳の同級生。辛いなら我慢しなくてもいいんだよ?


 誰から誰へどんな感情を向けているのか――私にはそれが視える。

 令嬢の気持ちも視線の色でわかっていた。ほんの少し魔力を集中させて見つめれば、悲しげに淀んだ青色が伸びている。……その青の奥深くで、グツグツと昏い炎が煮え滾っていた。


 ――やっぱり我慢していたのね。その怒りが貴方の本当の気持ちだよ。


 嫉妬する気持ちを抑えたのは立派。でも、我慢すればいいわけではない。

 男性は紳士たれ、女性は淑女たれ。その志には賛同するし、大事なことだと想う。エリーゼ・スティアートも淑女でありたいと願っている。

 しかし、怒りや妬み……負の感情を抑え込むのには大反対だ。発散した方が幸せになれる。抑え込む方がおかしいのだ。

 負の感情ほど嘘のつけないものはないのだから。

 嘘と欺瞞に塗りつぶされた世界なんて息苦しいだけだ。言葉や行動で示してくれても、それが本心からかどうかなんてわからない。


 事実、お父様やお母様たちは嘘ばっかりだった。

 私のことを愛してくれている、そう信じたこと自体が間違いだった。厳しさは愛情の裏返しだと、ずっと勘違いをしていた。

 お父様は無関心で何も見ていない。お母様は哀れみを向けている。どちらも実の娘に向ける感情だとは想えなかった。

 愛している、見せかけだけの言葉の裏側に家族の情なんて少しもありはしなかった。


 でも、十歳の春を越え、私はお父様とお母様の特別になる方法を知った。

 嫌われてしまえばいいのだ。嘘の上手なお父様もお母様も嫌悪だけは隠し切れてはいなかった。

 初めて本当の感情を私に向けてくれた。それが、とても嬉しかった。


 好きの反対は無関心。だから、負の感情を向けられることは、幸せの第一歩。

 私の友人も、初めは私のことを嫌っていた。それでも今は、友人として私を大切にしてくれる。

 きっと嫌われてからでないと、誰かに好かれたりはしないのだ。

 だから、私を嫌っているお父様やお母様も、いつかは私を愛してくれるはず……。


 私は小さく息を吐き、こっそりと右手で魔法陣を描いていく。そして、令嬢の瞳を見据える。


 ――貴方を幸せにできる男かどうか確かめるために、嫌われてみましょう。


 令嬢の怒りを堰き止める青の牢獄。それに向かい、風の刃を放つ。その瞬間、悲しみの青の中からドロドロとした怒りの赤が漏れ出していく。


 ピクリと体を大きく揺らした後、令嬢は動きを止める。

 一秒……二秒……三秒……。私は期待に満ちた眼差しを送りながら待ち続ける。十数秒後、令嬢は強く涙を拭い、憎々しげに表情を歪めていた。

 泣き腫らした目に強い意志を宿す令嬢の姿に、私まで嬉しくなる。その視線は仲睦まじい男女を捉えて離さない。


 令嬢は力強く歩き始めた。対して、私はベンチとは反対側の校舎へと向かう。

 背後からは言い争う三人の声が大きく聞こえていた。

 これからの令嬢の幸福を想い、私はニンマリと微笑んでいた。

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