018 発見と遭遇
目が覚めると私は森の中にいた。
まぶたを開いた先には、ゴツゴツと固そうな岩と土でできた端正な顔だちの男性がいる。私が起きたことに気づいたのか、爽やかな笑顔を見せてくれた。
アデリナ様の魔法で作られた土人形――意識が途切れた瞬間を想い出し、男性の正体には察しがついた。それでも、心がドキリと反応してしまう。何となく気まずくて顔を横に背けてしまう。
すると、今にも笑いを噴き出しそうな顔のアデリナ様と視線が合った。
「カッコいいわよね? 私の自信作よ!」
「……その前に、エリーゼに言うことがあるだろ」
得意げに胸を張るアデリナ様に反し、エドウィン様の声は酷く冷たい。
ハッとして申し訳なそうな表情を浮かべるアデリナ様。気まずげに視線を左右にさまよわせてボソリと「悪かったわ」とつぶやいていた。
「アデリナも反省はしてるんだ。悪いけど、許してやってくれ」
そう言ってエドウィン様が頭を下げる。同時にアデリナ様の頭を下へと押さえつけていた。アデリナ様の抵抗は一瞬で、すぐにエドウィン様と並んで頭を下げる。
二人の姿に私の方が戸惑ってしまう。別に怒ってはいないのだ。アデリナ様の土人形に興奮していたのは本当なのだから。ただ――。
「突然は止めて欲しいです。死んでしまうと想いました」
いきなり宙に放り投げるのは……覚悟ができていても止めて欲しい。
風魔法に秀でた者は宙を自在に飛ぶ、そう聞いてはいるが私には無理だ。地面と激突する未来しか見えなかった。
「でも、アデリナ様の魔法は凄いと想いました。クラウディア様も土魔法は使えないから、初めて見ま――」
「当然よ! バカなクラウディアとは違うのよ!」
「調子に乗るな! バカはお前だろ、アデリナ……」
顔をパッと上げたアデリナ様は笑顔だ。エドウィン様が叱りつけるが、気にする素振りはない。
パン、甲高い音が響く。アデリナ様が胸の前で両手を叩いた。
その瞬間、私を横抱きにしていた土人形が動き出す。ゆっくりとした動作で私を右肩に乗せた。そして、空いた左手をアデリナ様へ伸ばす。二人の手が繋がると、土人形は左手だけでアデリナ様を宙へ投げる。
三メートルは飛んでいるだろうか。頭上から手を叩く音が聞こえてきた。すると土人形は姿を変えていく。
誰もが見惚れる美丈夫から、平面的なのっぺりとした人形へ。
天に向かって伸ばされた土人形の左手を滑るようにして、アデリナ様が土人形の左肩に乗る。変形に伴って広くなった両肩は、私とアデリナ様が乗っても十分すぎるほどに余裕があった。
「さあ、行くわよ!」
アデリナ様の声と同時に土人形が歩き出す。
ドスン、ドスン――。静かな夜を破る轟音が続く。しかし、五歩進んだころ、急に足音が消えてしまった。
どうしてだろう? 不思議に想って視線を巡らせると、すぐにエドウィン様の手元で輝く魔法陣を見つけられる。
エドウィン様はアデリナ様を見つめて楽しそうに笑っていた。
先導するアデリナ様の土人形は迷うことなく進んでいく。進行方向を切り替えるたびに、アデリナ様は手を叩いていた。
アデリナ様が生み出した土人形はセミオートで動いていた。生み出した時点で、どんな動きができるかは決まっているらしい。手拍子のリズムや音階で、アデリナ様は指示を出しているそうだ。
試しに私も手拍子をしてみるが、土人形は何の反応も返してはくれなかった。誰の指示にでも従うわけではないらしい。
土人形は見かけによらず軽快な動きを見せている。木の枝を押し退けて、森の奥へと踏み込んでいた。
私が目を覚ましてから一時間は経過しただろうか。もう森のどこにいるのか、私にはわからなくなっていた。私一人の力で学園に戻ることは不可能に想えた。
エドウィン様が風魔法で周辺の地形を探り、アデリナ様が土魔法でサティプラが生育可能かどうかを判断する。
右へ左へある程度の当たりをつけて、私たち三人は進んでいく。
アデリナ様とエドウィン様、二人を信じている。それでも、『遭難』の二文字が頭の中をぐるぐるとまわっていた。
風魔法を展開しながら、エドウィン様が静かに言う。
「アデリナ、もう少し右だ」
「んっ、わかった」
アデリナ様が手を叩くと、土人形は右へと進路を変える。私は土人形の大きな頭に抱きついていた。
「見つけたわ……さすが、私ね」
「いや、俺のおかげだろ。何を言ってるんだ?」
軽口を叩き合う二人をよそに、私の視線は目の前に広がった光景に――咲き誇るサティプラの白い花びらに釘づけになっていた。
場所は森の中にそびえ立った崖の下。黒い岩肌を覆い隠すようにサティプラの白が広がっている。月明りを受けて淡く発光する様子は、現実のものとは想えないほど幻想的にだった。
アデリナ様が大きく手を叩いた瞬間、土人形がポロポロと崩れていく。砂の山から私とアデリナ様は飛び降りて地面に足をつけた。
サティプラに向かって歩き始めたアデリナ様の背中を私は追う。その後ろにエドウィン様が続く。
真剣な表情のアデリナ様が岩肌に触れる。
サティプラの群生地を中心に、右から左へ移動しては観察を繰り返す。そして、戻ってきたアデリナ様は慎重な手つきでサティプラの花びらを眺めていた。
私とエドウィン様は黙ってアデリナ様を見つめていた。熱心なアデリナ様の姿に、声をかけることが躊躇われていた。
エドウィン様も同じ気持ちなのだろう。目が合ったとき、悪戯っぽい笑みで口元に人差し指を押し当てていた。静かに、ね。そんな言葉が聞こえてくるようだった。
「何かわかったか?」
機を見てエドウィン様が訊ねた。サティプラをジッと見つめていたアデリナ様がのろのろと振り返る。その顔に笑みはなかった。
「ここに咲いているサティプラが使われたのは間違いないわ。それよりも……二人とも、これを見てくれる?」
アデリナ様が指差した先にあるのは、花びらを毟られたサティプラたち。その茎は淀んだ黒緑色で今にも崩れ落ちそうなほど弱々しかった。
この花びらを使ったのだろうか? 全体の十パーセントにも満たない量だった。
クラウディア様の豹変が始まったのは六月ごろからだ。おおよそ二ヶ月分の使用量としては……多いのだろうか、それとも少ないのだろうか。私には見当もつかなかった。
「違うわ、エリーゼ」
アデリナ様が強ばった声で言う。私はもう一度だけ目を凝らして見る。枯れそうなサティプラたちに何かの糞が混じっていた。
私は首をかしげる。森の中なのだから、動物の糞があってもおかしいとは想えなかったのだ。
そんな私を押し退けてエドウィン様が前に出る。そして、屈んで観察し始めた。横を見るとアデリナ様は祈るように目を強く閉じている。私だけが首をかしげていた。
数十秒が経っただろうか。エドウィン様が重々しく口を開いた。
「魔物だな。近くにいるかもしれない」
引き締まった表情でエドウィン様は振り返る。上着の下から大ぶりなナイフを取り出していた。白銀の刀身を見て、私は想わず顔を引き攣らせる。
命を懸けた戦いに赴く、そんな覚悟あるわけがなかった。
何かの間違いだと否定して欲しい。そう願って、アデリナ様を見る。しかし、その顔つきからは悲壮な覚悟が滲み出ていた。
私は瞳に魔力を込めてアデリナ様とエドウィン様を見つめるが、結果は変わらない。二人は否定してくれなかった。
連携を確認する二人の会話が遠くに聞こえる。私が……頭数に入っていないことだけは理解できた。
「心配するなよ、エリーゼ。お前は、俺とアデリナで守ってやる」
エドウィン様が何度も声をかけてくれるが、身体の震えは治まってくれない。
魔物を実際に見たことはもちろんない。それでも、魔物の被害にあった――その悲惨な結末は何度も耳にしている。
魔物狩りに報奨金がでるのも、生活を脅かす脅威であるからに他ならない。
――私はエリーゼ・スティアート、■■■■■ではない。私は、強いんだ。
気持ちを奮い立たせるように心の中でつぶやく。しかし、弱い■■■■■に引っ張られるのか、不安も恐怖も少しも治まらなかった。
こんなときにばかり、少しも役に立たない■■■■■の記憶が蘇ってくる。
魔物に敗北した末路。話でしか知らない内容に、鮮明なイメージが浮かび上がってくる。ゴブリン、オークに、トロール……。生きたまま食べられる、そんな想像したくもなかった。
慌ててサティプラを採集し始めたアデリナ様の背中に、早く終わってと祈り続けていた。
「アデリナ、来たぞ!」
唐突にエドウィン様が声を張り上げ、私を背中に庇うように前へ出る。アデリナ様はまだ崖の根元でサティプラを収集していた。
私は瞳に魔力を集中させ、右へ左へと視線を巡らせる。
三つの視線が私たちを射抜いていた。その色がはっきりと伝えてくれている。私たちが、格好の獲物と認識されていることを。
「三つ、三つ、三つ――」
「三匹か……いけるか?」
壊れた玩具のようにつぶやく私の声を拾い、エドウィン様が自問する。そして、左手で大ぶりなナイフを正面に構え、右手で魔法陣を描き始めた。
「――終わったわ!」
アデリナ様が叫ぶのと、三匹の魔物が襲いかかって来たのは同時だった。
獰猛な牙を露わにエドウィン様へ噛みつこうとしたが、風の壁によって遮られ、頭だけが壁を突き抜けている。その姿を見て、私は腰を抜かしていた。
一噛みで肉を食い千切りそうな牙と鋭い爪、灰色の毛皮で覆われたダイアウルフだった。
ダイアウルフは何度も吠えて威嚇する。
エドウィン様を脅威と判断しているのだろう。二匹のダイアウルフがエドウィン様に、残りの一匹は私とアデリナ様を窺っていた。
「任せたぞ、アデリナ」
「わかっている」
アデリナ様が答えるや否や、私を狙っていたダイアウルフが宙に浮く――隆起した土の槍で腹部を貫かれていた。
致命傷なのか、ダイアウルフは死を恐れる懇願するような視線を向けている。命が失われていくたびに、私に見える感情線は細く弱々しいものに変わっていった。
死に逝く姿を見たのは初めてだった。
「これで終わりよ」
アデリナ様がつぶやいた瞬間、土の槍は先端をから真っ二つに別れる。ダイアウルフは身体の真ん中で二つに別れて地面に叩きつけられていた。
「そっちも、終わったか」
エドウィン様は明るい声で言う。ナイフを地面に振るい、刀身に付着した青い血を落としている。
二匹のダイアウルフは既に事切れていた。
「次が来る前に、早く帰るぞ。あのサティプラは……燃やすか」
「バカなこと言わないで! あれは貴重な資料よ!」
何の気なしにつぶやいたエドウィン様を、アデリナ様が叱りつける。
サティプラの生育に成功した話は聞いたことがない。魔の森に行かずとも採集できるならば、それは喜ばしいことだ。
だけど、サティプラの効能を考えると――。
「燃やすなど、何をバカなことを言ってるんだ。適切に管理し、適切に利用する。どこに心配する必要がある」
半日ほど前に聞いた眠たげな声で告げられる。
大きな欠伸をしながらディルクが森から姿を現す。その後ろには、十匹をゆうに超える数のダイアウルフが付き従っていた。




