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017 悪い先輩たちと夜遊びを

 ディルクは大きな欠伸をし、口元をもにゅもにゅと動かしている。眠そうなまぶたを少しだけ開いてアデリナ様を見つめていた。対するアデリナ様の眼差しには軽蔑の色が混じっている。

 ヨレヨレの服を着込んで髭を生え散らかしてるディルクの姿に、私は想わず顔をしかめる。教師の身なりだとは想えない。正直、みっともない格好だった。


 「それで、何か用事かい?」


 言い終わるや否やディルクはもう一度大きな欠伸をする。見ているだけで苛立つ態度だった。アデリナ様の横顔もどこか険しい。

 不快、嫌悪、軽蔑。アデリナ様の表情と感情は一致している。ただ、ディルクは顔色と気持ちが一致していなかった。


 ディルクがアデリナ様に向ける視線は警戒色で染まっている。そして、私に向ける感情は……気持ちの悪い色をしていた。

 私が誘拐されたときに運動着を切り裂いていた男性が向けていたような――。


 ハッとして私は目を大きく開く。顔は覆面で隠されていてわからなかったが、誘拐犯は男性だったはず。嫌な予想が脳裏をよぎった。

 想わず一歩後ずさる。アデリナ様の背中にそっと身体を隠していた。


 「ディルク先生の知恵をお借りしたいと想いまして」

 「君が私に頼るだなんて珍しいこともあるもんだ。何が知りたいんだ?」

 「サティプラと精神への影響について」


 アデリナ様が端的に告げた瞬間、ディルクの感情が敵意で染まる。しかし、ディルクの顔色は変わらない。再び退屈そうに大欠伸をしていた。


 そんなディルクを見つめたまま、背中にまわされたアデリナ様の腕にこっそりと触れる。トントン、二回連続して指先で叩いた。それは、私とアデリナ様との間で決めた合図だった。


 今度はアデリナ様のディルクに向ける感情が警戒色で染まっていく。

 予定通り私は仕事を果たせたようだ。心の中でホッと小さく息を吐き出していた。


 「珍しい花を知っているんだね」

 「最近は医学にも興味があるんです。その中で、毒にも薬にもなる花として、サティプラを知りました。先生ならばご存知かと想ったのですが……違うなら、本当に残念です」


 アデリナ様の挑発的な雰囲気に、ディルクの表情は硬いものに変わっていく。閉じ気味だったまぶたが開いていた。


 「……君は、相変わらず生意気だね。ハンナさんを見習ったらどうだ?」

 「あら、貴族たる私と、平民上がりが同列だと本気で言っています? 詰まらない冗談ですね」


 室内の空気は凍てつくような寒々しい雰囲気になっていた。

 本心ではないとわかっていても、アデリナ様の迫力に気圧される。私の喉はカラカラに乾いていた。

 ディルクは憎々しげにアデリナ様を睨みつけると、怒りを押し殺すような声で言った。


 「ハンナさんは君の友人ではないのか?」

 「それを、先生に話す必要がありますか?」


 二人とも怖いのだけど……。いがみ合う二人を私は引き気味に見守る。


 口論にもならない暴言を二人はぶつけ始めた。どうして修羅場の中にいるのか、その理由がわからなくなりそうだった。


 だから、唐突にアデリナ様に話を振られて、私の肩は大きく跳ねた。


 「――エリーゼがサティプラを学園内で見つけたのよ」


 アデリナ様に肩を押され、私はたたらを踏む。顔を上げると、ディルクの顔が驚愕に歪んでいた。色濃く表れたのは――焦燥だった。


 ああ、アデリナ様の予想通りだった。私はすぐに右足を後ろへ引き、アデリナ様の足を蹴る。そして、振り返って睨みつけた。

 見つめ合ったのは数秒間だが、それで十分だった。アデリナ様の視線に歓喜の色が混じっていく。


 「場所はどこだったかしら? 基礎学部の――」


 素知らぬ顔でアデリナ様はいくつもの場所を挙げていった。私は一瞬の変化も見逃すまいと、ディルクの瞳をジッと見つめる。

 何度目かの質問かはわからないが、ディルクの感情が大きく揺れ動く。私は心の中でグッとこぶしを握っていた。




 クラウディア様の豹変はサティプラの影響ではないか、アデリナ様はずっと疑っていた。ただ、サティプラを入手する方法が想い当たらなかったのだ。


 サティプラは五枚の花びらを持つ乳白色の花だ。その花びらは魔力を帯びているが、属性を持っていない。正確には『火、水、土、風』の四属性を持っているが、互いに打ち消し合って無属性となっている。この性質を持っているのは、サティプラだけだった。

 無属性の魔法に関する研究は発展途上で、全てが解明されているわけではない。しかし、精神操作は無属性魔法だと明らかにされていた。


 多くの研究者たちの努力の成果だが、実用は現実的ではなかった。

 サティプラが生息するのは、王国北部に広がる魔の森だ。人間では太刀打ちできないような大型の魔物がひしめく森に立ち入ることは難しい。


 魔の森に向かった調査団も偶然サティプラを手に入れたに過ぎないのだ。払った犠牲も少なくなく、気軽に入手できるものではなかった。

 だからこそ、クラウディア様に使われた可能性を理解しつつも、本格的な調査対象には挙がらなかったのだろう。


 土魔法に秀でたアデリナ様だからこそ、サティプラが生育された可能性に気づくことができた。そして、それを成し遂げた人物に想い至った。さらに、確かめる術を持った私とも出会った。

 偶然と偶然がいくつも重なっている。本当にクラウディア様を助けることができるかもしれない、そう期待してしまう。


 女子寮にある自室のベッドで目を瞑りながら、私は何度も深呼吸を繰り返す。しかし、高鳴る心は、簡単には落ち着いてはくれず、なかなか寝つけずにいた。


 時間はまだ午後七時半を過ぎたところだ。寝るには早すぎる時間だが、急いで眠らなければならない。今日、私はアデリナ様と約束しているのだ。

 サティプラは夜にしか咲かない花だ。日中には全ての花を散らし、青々とした葉しか残らない。花びらを手に入れるためには、夜遅くに女子寮を抜け出すしかなかった。




 ――コンコン。


 窓を叩く音が私の意識を浮上させていく。緩慢に身体を起こし、寝ぼけ眼をゴシゴシと擦る。部屋は真っ暗なままだった。口から小さな欠伸が漏れる。


 ――コンコン、コンコン、コンコン。


 再び窓を叩く音が聞こえてくる。寝起きで働かない頭のまま、私はゆっくりと立ちあがって窓へと近づく。そして、カーテンを開いた姿勢で固まった。

 視界の先の人物を認識すると同時に、一瞬で眠気は吹き飛んでいった。怒りを瞳に宿したアデリナ様が腕を組んで立っていた。


 「エリーゼ、開けてくれる?」


 開いたカーテンを閉じようと両腕に力を込めた瞬間、窓に遮られて小さくなったエドウィン様の声が聞こえる。申し訳なさそうに微笑んでいた。


 私はハッとして慌てて窓を開ける。夜風がふわりと髪を靡かせた。

 ベランダから室内へ、アデリナ様が堂々と踏み込んで行く。荷物を抱えたエドウィン様は「夜遅くにごめんね」と謝りながらも、その後に続いて入ってきた。

 私は開いた窓を閉め、カーテンを閉じる。月と星の輝きが夜のキャンパスに色彩を与えていた。


 「……あの、どうしてエドウィン様が?」


 不機嫌を露わにするアデリナ様から目を逸らし、苦笑気味のエドウィン様に訊ねる。私とアデリナ様、二人でサティプラを探しに行く予定だったのだ。


 エドウィン様は「護衛かな?」と冗談めかして言って私に荷物を手渡してくる。何だろうと不思議に想っているのが顔に出ていたのか、エドウィン様は優しく微笑んで説明してくれた。


 荷物の中身は私の着替えらしい。これから、学園の裏手にある丘を越えて森に向かうのだ。動きやすい服装が必要だろう、そうエドウィン様が気を遣ってくれたのだった。


 「こんな夜遅くに出掛けると言えば、心配にもなるだろ? アデリナも少しは頼ることを覚えたらいいんだがな……」


 そう言って、エドウィン様は心配そうにアデリナ様を見つめる。


 「別に、頼んでないわ。エドヴィンが勝手についてきただけよ」


 怒った口調でアデリナ様は言い、エドウィン様に窓の外へ出るよう命じる。物言いたげな表情のエドウィン様は小さくため息を吐き出し、ベランダへと出て行ってしまった。

 アデリナ様は遠ざかっていくエドウィン様の背中を黙って見つめる。その姿が、どこか悲しそうに見えた。


 「……私はもう、子供じゃないわ」


 アデリナ様がポツリとつぶやく。何を言えばいいのかがわからず、私は聞こえていない振りをして、クローゼットへ移動していた。




 「あら、似合っているじゃない?」


 アデリナ様は笑顔で言う。私が着替えている間に気持ちを切り替えたのか、表情は柔らかなものに変わっていた。


 私が身につけているのは、女性用の騎士服だ。魔法が発展した現代では、女性の騎士も珍しくはなかった。同じ騎士服を纏って髪をまとめたアデリナ様は、男装の麗人と呼ぶにふさわしいほどの凛々しさがあった。

 その場でくるりと一回転する私を見て、アデリナ様は楽しそうに笑っていた。


 「……さあ、そろそろ行くわよ」


 ひとしきり笑い終えたのか、アデリナ様は表情を引き締める。私は慌ててうなずき、ベランダに向かって歩き出したアデリナ様の後ろをついていく。


 ベランダの手すりに寄りかかり、エドウィン様は目を閉じていた。


 「俺が風で下ろそうか?」


 エドウィン様が短く訊ねると、アデリナ様は「結構よ!」と短く吐き捨てる。そして、振り返って私に向かって手を差し伸べた。

 なんだろう? 不思議に想いながら私はアデリナ様の手を掴む。


 その瞬間、足元がグラグラと揺れ出し、突然盛り上がる。慌てて逃げようとするが、アデリナ様に手を強く引かれて叶わない。アデリナ様の胸に抱き寄せられていた。私はギュッとまぶたを閉じて、アデリナ様に縋りつく。


 不安定に揺れていたのは数秒間だろうか。私は恐るおそる目を開いた。


 「これが、私の魔法よ!」


 アデリナ様の顔は得意げだった。私はわけもわからずに、キョロキョロと視線を巡らせる。そして、気づいたのだ。アデリナ様の右手が魔法陣を描いていたこと、私の今の状態に――。

 二メートル近い大きさの土人形が、私とアデリナ様をまとめて抱き上げていた。


 もう少し静かにしなよ、そう言って苦笑いをしたエドウィン様も魔法陣を描いていた。音を遮断しているのか、夜中に騒ぐ私たちを咎める声は聞こえてこない。誰も起きてはいないのだろう。


 エドウィン様の配慮を知らないのか、土人形はベランダの端に向かい歩き出す。

 ドスン、ドスン……。豪快に歩く姿に心が沸き立つ。夜遅い時間であることも忘れて、想わず歓声をあげていた。


 「あ~、エリーゼ? 悪いことは言わないから、口は閉じておくんだよ」


 エドウィン様が心配そうに告げる。

 どうしたのだろう? 私が首をかしげた瞬間、アデリナ様は強く宣言した。


 「行くわよ!」


 どこに? とは訊ね返せなかった。その前に、私の身体は高く宙に舞っていた。

 何が起きたかもわからず固まる私をよそに、一緒に宙へ浮いたアデリナ様は楽しそうに笑っていた。私とアデリナ様の二人だけが、夜空に浮かんでいた。

 本能的にアデリナ様と繋いだままの手を強く握りしめる。それ以外は何もできなかった。


 空中浮遊は唐突な衝撃と供に終わりを告げる。土人形に抱きしめられた事実と、今から地面に向かって落下して撃突する恐怖を認識したのは同時だった。

 土人形が衝撃に耐えられなければ、私たちはどうなるのだろうか?

 現実味を帯び始めた死の感覚に背筋が凍りつく。現実逃避するように私の意識は途絶えていった。

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