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016 意外な協力者

 「信じられないかしら? あれでもハンナなりに助けてるつもりのなのよ。不器用だから誤解されているけど、ね」


 アデリナ様はクスクスと楽しそうに笑う。ハンナ様のことを想い出しているのか、その表情は穏やかだった。

 信じられない気持ちで見つめる私に、アデリナ様は「ハンナはバカなのよ」と呆れた声でつぶやく。そして、ベンチに座ったまま、大きく背伸びをして夕空を仰ぎ見ていた。

 不信で曇った心のまま、私はスッキリした様子のアデリナ様に訊ねる。


 「ハンナ様は、クラウディア様に成り代ろうと――」

 「――してないわ。そもそも、ハンナはアラン殿下に興味がないもの」


 予想していたのか、私の言葉に被せてアデリナ様は答える。悪戯っぽく口元を綻ばせ、私を横目で見つめる。

 まだ聞きたいことがあるかしら? アデリナ様の瞳は挑発的だった。

 想わずムッとし、私は思考を巡らせる。仕返しとばかりに二つ嫌味な質問が想い浮かんだ。


 「ハンナはどこかの養子になるつもりはないわ。断ってるもの」


 口を開いた瞬間、アデリナ様が回答する。私は下唇を噛んでいた。


 ――クラウディア様を失墜させれば、グレスペン侯爵家に敵対する者たちは喜ぶ。その見返りに、男爵家以上の貴族家に養子として迎えられるのでは?


 次は先に質問させてあげるわ。そう言いたげにニコリと微笑み、アデリナ様は再び夕空を見上げている。

 思考を読まれていることが悔しく、私はアデリナ様の横顔を睨みつけていた。


 「私は見たんです。ハンナ様の魔法で、クラウディア様がおかしくなるところを! ……悪意がなかったら、そんな魔法を使ったりしません! そうですよね、アデリナ様?」

 「なるほど、エリーゼには視えたのね」

 「えっ? ……あっ、違います。何も視てません」


 したり顔でアデリナ様は私を見下ろす。強気に吊り上がった瞳がギラリと輝いている。必死に言い繕う私の言葉を信じる様子はどこにもなかった。


 半ば無駄だと悟りながらも、私は何度も弁明の言葉を重ねていく。今まで誰にも気づかれたことがなかった。だから、私が精霊憑きである事実を、他の人がどう受け止めるのか予想もつかなかった。


 喜ばれる? 悲しまれる? 嫌われる?

 セレナが精霊憑きの事実を知られたときは、嫌われて遠ざけられたそうだ。精霊からの贈り物か、それとも悪意のある悪戯か。どちらで捉えられるかなんて、わかるわけがない。発覚した事実をありのまま受け入れられる豪胆さは……私にはなかった。


 お願いだから、私の言葉を忘れて! 見なかったことにして!

 黙り込んで私を見下ろすアデリナ様に縋りつく。視界が涙で滲んでいるが、拭う気持ちはちっとも起きなかった。


 どうにもならない焦燥感が私の心を蹴り立てる。

 口はパクパクと動いているが、耳には何の音も聞こえてこない。何をしているのか、私自身が理解できなくなっていた。


 数秒か、数分か、数十分か。時間感覚は、私の中に残ってはいなかった。

 衝動のままに動いていた口を押えて、零れ落ちる涙を呆然と見つめる。頭の中がぐちゃぐちゃで何も考えられなくなっていた。


 「後で、ハンナに怒られるわね」


 アデリナ様がようやく言葉を口にする。そして、私は――アデリナ様に抱きしめられていた。背中にアデリナ様の両腕がまわされ、私をギュッと胸元に押さえつけていた。

 目線をかろうじて上に向ける。アデリナ様の雰囲気は気遣わしげなものに変わっていた。


 「エリーゼ、貴方は感情が視えるのね」

 「――っ」

 「逃げないで! ……私は、嫌いにならないわ。視てくれても構わない」


 アデリナ様が私の瞳をジッと見つめ続ける。それ以上、何も言わない。

 パチパチとまぶたを閉じるたびに、涙が頬を伝う。クシャクシャに歪んだ顔のまま、瞳に魔力を集中させていく。

 少しずつアデリナ様が向ける感情の色が視え始めた――。


 「私は、嫌いじゃないわ」

 「……アデリナ……様、私は……」

 「あ~、もう……しっかり聞きなさい! 私は、エリーゼが好きよ!」


 顔を真っ赤に染めたアデリナ様が吠えた。


 「ウジウジするな、エリーゼ・スティアート! クラウディアのバカは知らないけど……ハンナも! エドヴィンも! 私も! 貴方が好きよ!」


 ハアハア、とアデリナ様は荒い呼吸を整えている。

 私は――アデリナ様の瞳に魅せられていた。


 「私は、嘘をついていたかしら?」


 アデリナ様は不敵に言い放つ。私はアデリナ様の背中に手をまわし、胸元に顔を押し当てる。心が叫ぶままに、泣き縋っていた。




 「精霊憑きであることは、私だけの秘密にしておくわ」


 乱れた私の衣服を整えながら、アデリナ様が小さくつぶやいた。パンパン、と軽く衣服の汚れをはたいていく。

 私の視線を気にする様子はない。次に、アデリナ様は自分自身の衣服を整え始めていた。夕焼けはすっかりと沈み、星の輝きが紫がかった空を彩っていた。


 「アデリナ様、ありがとうございました」


 私は深く頭を下げる。今日一日だけで、どれだけ恥ずかしい姿を晒してしまったのだろうか。正直、もう考えたくはなかった。

 アデリナ様は一瞬だけ視線を送ると、興味を失ったかのように再び身だしなみを整え出す。気にしなくてもいい、そう態度に示すアデリナ様へもう一度お辞儀をする。感謝の気持ちで心が満たされていた。


 私の一歩前を歩くアデリナ様に続いて女子寮への帰路を急ぐ。門限の時間はとうの昔に過ぎていた。寮長への反省文の提出は避けられないだろう。

 何か考え事があるのか、アデリナ様の口数は少ない。早足のアデリナ様についていくことに必死な私も話しかけることができなかった。


 寮へと続く道に人の気配はない。街灯の頼りない光がかろうじて夜道を照らしている。私とアデリナ様、二人分の足音がやけに大きく響いていた。


 そうして歩き続けるうちに、女子寮が見え始める。私がホッと一息ついていると、真剣な表情のアデリナ様が振り返った。


 「エリーゼにお願いがあるのだけれど――」


 重々しい口調でアデリナ様は語る。断ってくれて構わない、そう前置きして始まった話は予想外だったが、アデリナ様に頼られるのは嫌ではなかった。

 よく考えて答えて欲しい、心配するアデリナ様の気持ちが嬉しい。それでも、私の答えは初めから決まっている。断る理由はどこにもなかった。


 『私と一緒にクラウディアを助けようか』


 アデリナ様の言いたいことは、たった一つだけだった。




 私を先導して歩くアデリナ様に続いて、長い廊下を進んでいく。後ろから覗き込んだアデリナ様の横顔は少し強張っていた。緊張からか、会話は全くなかった。


 昨日のアデリナ様との会話を私は想い出していた。

 私にいったい何ができるだろうか?

 どうしたらクラウディア様を助けられるだろうか?

 その答えは、まだ見えてこなかった。


 クラウディア様とアデリナ様は同じ侯爵家で、幼馴染の関係らしい。お互いのことをよく知る友人でありライバル。アラン殿下の婚約者候補としてアデリナ様も名を連ねていたそうだ。


 選ばれた者と、選ばれなかった者。クラウディア様が婚約者に決まってから、二人の関係は淡泊なものになっていた。


 選ばれなかった悲しみでアデリナ様も塞ぎ込んだ時期があったらしい。しかし、今はもうアラン殿下への想いを吹っ切っている。……アラン殿下とクラウディア様の熱愛ぶりを見て諦めがついたのだと、アデリナ様は呆れ混じりに教えてくれた。

 それからは、二人の関係を微笑ましく見守っていたそうだ。


 だが、この二ヶ月間で状況は大きく変わってしまった。


 クラウディア様の豹変。突然、平民や下級貴族を虐げ出したのだ。それは、アデリナ様を含めたクラウディア様を知る貴族たちには、衝撃的な出来事だった。


 『クラウディアは身分で差別するタイプではないわ。初対面のころはハンナにも優しくしていたし……むしろ、私の方がハンナを毛嫌いしていたくらいよ』


 今の三人の関係からは考えられないが、クラウディア様経由でアデリナ様とハンナ様は出会っていた。


 突然貴族になった魔法の天才、その特殊性からクラウディア様がハンナ様の生活をサポートしていたのだと言う。使える魔法属性が被っていることも都合が良かったのだろう。


 本来は同学年のアデリナ様が担当すべきだったが、人見知りのきらいがあった。だから、一つ年上のクラウディア様を緩衝材としたかったに違いない。

 その学園側の思惑は成功し、クラウディア様からアデリナ様への引き継ぎは完了している。しかし、その頃にはクラウディア様とハンナ様の関係が崩れていた。


 始まりは魔法実技で、クラウディア様とハンナ様が模擬戦闘をしたときだった。

 片や優秀と名高い次期王太子妃。

 片や平民上がりの天才魔法士。

 学園に通う貴族と平民がどちらを応援するかは明らかだった。たかが学園での模擬戦闘、そこまで重要な位置にはない。しかし、このときばかりは、ある種の代理戦争の様相を呈していた。


 アラン殿下が見学に訪れていたことも良くなかったのだろう。代理戦争にもう一つ意味が加えられたのだ。アラン殿下の愛を巡った女同士の戦い、と。

 クラウディア様とは婚約で縛られた偽りの愛。

 ハンナ様とは女神様に祝福された真実の愛。

 大衆向けのロマンス小説に重ねて見れば、クラウディア様は悪役だ。

 素敵な王太子殿下と平民だった少女の恋物語。ロマンス小説のヒロインを――この場合はハンナ様を応援する雰囲気が演習場を漂っていたそうだ。


 当事者の三人を置いてけぼりに周囲だけが盛り上がった。

 きっとクラウディア様は学園卒業後を見越して、アラン殿下にハンナ様を紹介したかっただけなのだろう。二人を引き裂くつもりも、恋心を芽生えさせるつもりもなかったはずだ。ハンナ様の評判を考えれば、魔法研究でアラン殿下の治世を助けることは明らかなのだから――。


 そこから、アラン殿下とハンナ様が恋仲だと噂されるとは、クラウディア様も想像していなかったに違いない。

 誰が描いた筋書きかはわからないが、すでに舞台は整えられていたのだ。


 異様な雰囲気の中、クラウディア様とハンナ様の模擬戦闘が行われる。

 その結果は――ハンナ様の勝ちだった。

 アデリナ様の見立てでは二人に実力差はなく、十回やれば五勝五敗で終わるくらい拮抗している。……たまたま、ハンナ様に勝ちの目が転がっただけだった。


 『今になって考えてみれば、この時点でクラウディアへの仕込みは終わっていたのでしょうね』


 万雷の拍手の中、座り込んだクラウディア様へハンナ様が手を差し伸べる。その手を振り払い、クラウディア様はハンナ様の頬を力一杯に叩いた。そして、ハンナ様のことを口汚く罵ったのだ。


 突然のことに、止めに入ったアラン殿下はハンナ様を庇ってしまった。それが、誤解を加速させた。

 悪女に傷つけられた少女を王太子殿下が守る。奇しくも観衆が望むラブロマンスの一場面を演じてしまったのだ。


 そこから、噂が真実として勝手に一人歩きを始める。

 噂を肯定するようにクラウディア様の豹変が始まったので、噂は収束の糸口を見つけられず、さらに拡散していった。

 斯くして、悪辣令嬢クラウディアが誕生した。


 こうして、アデリナ様から教わった事情を想い返しているうちに目的地へとたどり着いていた。

 部屋の扉には『精霊研究科』と刻んである。高等学部の旧校舎は今にも砕け落ちそうなほどに老朽化していた。私とアデリナ様以外に人の気配は感じられない。部屋の中に人がいるのかと疑いたくなってしまう。


 「エリーゼ、できるわね?」


 振り返ったアデリナ様が小さくつぶやく。私は大きくうなずき、瞳に魔力を集中させていった。


 「できます」


 私が答えた瞬間、アデリナ様はドアを開けて勢いよく足を踏み入れる。部屋に入ると机に突っ伏して眠る男性がいた。

 ズンズンと奥へと進むアデリナ様に後を追う。男性まで後三歩の距離でアデリナ様は立ち止まった。


 「寝たふりは止めてください、ディルク先生」

 「……ノックくらいしたらどうなんだ」


 不機嫌を隠そうともしない声で言い、男性は退屈そうに寝ぼけ眼を擦っていた。

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