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015 素直じゃない先輩

 「今日は、アデリナが送ってあげて」


 勉強会で使用した道具を片付けながら、ハンナ様が言う。窓からは夕日が差し込んでいる。研究室の掛け時計を見ると、時刻はもう少しで午後六時十五分になるところだった。


 私が誘拐されたことは周知の事実だ。ハンナ様たちの勉強会に顔を出すようになってから、帰りは女子寮までハンナ様が送るのが日常となっていた。アデリナ様とエドヴィン様も一緒に送ってくれることはあったが、どちらか一人だけと帰ったことはなかった。


 「あれ、ハンナは来ないの?」


 アデリナ様が不思議そうに訊ねる。もう遅い時間だ。この後に学校で何か用事があるとは想えないのだろう。エドウィン様も同じ気持ちなのか、私たち三人の視線はハンナ様に集中していた。


 「ディルク先生に呼ばれてるんだ……」


 ハンナ様は大きなため息をつく。本当に行きたくないのか、不機嫌そうに抱えていた勉強道具を棚に押し込んでいる。

 アデリナ様とエドヴィン様は納得した様子でうなずいている。二人は同情的な眼差しをハンナ様に送っていた。……私だけが話についていけてなかった。


 「嫌な先生なんですか?」

 「ん? ああ、そうだな……俺は、苦手だな」


 近くにいたエドヴィン様に訊ねる。少し考え込んだ後、エドヴィン様は不快げに顔を歪めて答えた。その話しぶりもどこか冷たい。

 アデリナ様、ハンナ様の順に視線を送る。二人ともエドヴィン様に同意するように、苦手だと教えてくれた。


 「優秀な先生だとわかっているんだよ。この学校の先生で比べるならば、一番の実力者だと想う」


 吐き捨てるような口調でハンナ様は言う。そして、数秒間ほど目を瞑る。


 「でも、私はディルク先生を尊敬なんてしない。あの人は……最低だよ。エリーゼには、近づいて欲しくない」


 凍てつくような視線が私を射抜く。肯定以外の言葉は許さない、ハンナ様のあまりの迫力に何の言葉も浮かんでこなかった。

 カタカタ、勝手に歯が音を立てる。……怖い。誰、この人?


 私が知っているハンナ様は、ニコニコと笑顔が多くて、面倒見が良くて……。私の知る面影を探そうと必死に見つめるが、どこにも見当たらない。一歩、二歩、と後ろへ足が動いていた。


 「止めなさい、ハンナ!」

 「――っ」


 アデリナ様の言葉が私の悲鳴を上書く。慌てて顔を横へ向けると、エドヴィン様が私を支えるように肩を押さえていた。

 優しくポンポンと肩を叩いた後、エドヴィン様は顔を正面に向ける。その横顔は真剣そのものだった。


 ――パシン!


 唐突に甲高い音が響き、私の意識は奪われる。顔を向けると、ハンナ様が呆けた顔で片頬を手で押さえていた。

 アデリナ様が手を振り抜いた姿勢のまま、ハンナ様を睨みつけていた。そして、今度はアデリナ様の手が振り下ろされた。


 ――パシン!


 何の抵抗もせずにハンナ様は逆頬を叩かれる。姿勢を崩し、慌てて倒れそうになった身体を机に手をつけて支えていた。ハンナ様は机に寄りかかってアデリナ様を見上げている。


 重苦しい沈黙は十数秒だろうか。アデリナ様の口からは大きなため息が出た。


 「少しは反省したかしら?」

 「……痛いよ、アデリナ」


 不満顔でハンナ様が両頬を擦る。すると、アデリナ様はにっこりと微笑んだ。


 あっ、怒っている。見た瞬間、アデリナ様の心情がわかった。

 スタスタと足早にアデリナ様は進み、ハンナ様の真正面に立つ。何も言わず笑顔でハンナ様を見下ろしていた。

 ハンナ様の顔は可哀そうなくらい青褪めていく。二人の力関係は完全に逆転していた。


 ……アデリナ様は、怒らせてはいけない人物かもしれない。


 ハンナ様の鼻を力一杯に引っ張るアデリナ様を見ながら私は想う。

 涙目でハンナ様は謝罪を口にするが、アデリナ様は簡単に許すつもりはないのだろう。ハンナ様の苦悶の時間はすぐには終わりそうになかった。


 「いつものことだから、エリーゼは気にしなくていいさ」


 エドヴィン様が相好を崩してつぶやく。アデリナ様の私刑を止めるつもりがないのか、眼鏡のレンズを拭き始めていた。


 「……止めなくていいんですか?」

 「ハンナが悪いから、止めなくていいさ」


 当然のようにエドヴィン様は答えるが、私にはどうにも納得ができなかった。

 怒りを露わにしたハンナ様は、正直に言って怖かった。でも、それだけだ。アデリナ様から制裁を受けるほどではない。

 少しやりすぎではないか、そう私は想ってしまう。


 私の疑念を察したのか、エドヴィン様は眼鏡をかけ直す。そして、私の顔をジッと見つめた。


 「……あの、エドヴィン様?」

 「エリーゼは、ハンナから何も聞いていないのか?」


 記憶の糸を手繰るが、私には想い当たる節がない。困った顔で頭を左右に振る。

 エドヴィン様は「そうか」と小さくつぶやき――私の頭にポンと手を置いた。


 「ハンナは魔法を使おうとした、悪い奴だろ?」


 冗談めかして言うエドヴィン様は笑顔だった。そして、ぐりぐりと私の頭を撫でまわしていく。エドウィン様に押し込まれて私の頭は下へとさがっていた。私はイヤイヤと大きく首を左右に振って抵抗する。

 反省の欠けらも感じられない「すまない」の謝罪と供にエドウィン様の手が遠ざかっていった。


 「どんな魔法を使ったの?」


 私は訊ねるが、エドヴィン様は何も答えない。もう一度だけ優しく私の頭を撫でて、ハンナ様とアデリナ様のもとへと歩き出していた。


 遠ざかっていくエドヴィン様の背中を見つめながら、私は心の中にある種の確信を抱いていた。


 ――ハンナ様の魔法を、アデリナ様とエドヴィン様は知っている。そして、それを隠しているんだ。


 隠しているのは、ハンナ様がクラウディア様に使った魔法に違いない。

 あれでクラウディア様は豹変したのだ。もしアデリナ様が止めなければ、私も何かが変わっていたのだろうか。


 クラウディア様は攻撃的になった。私は、どうなっていた……?

 ハンナ様に怯えた私が攻撃的になるとも想えないし、この場の三人と戦って勝てる見込みもない。

 ……もしもの未来を想像しても仕方がない、か。

 私は心に浮かんだ未来予想図を放り投げ、現実的に確認すると決める。静かにまぶたを閉じ、瞳に魔力を集中させていった。


 アデリナ様とエドヴィン様、二人がハンナ様の友人以上の関係ならば、クラウディア様の敵で決まりだろう。

 意地っ張りなアデリナ様、お兄さん気質なエドヴィン様。二人のことが……いつの間にか大切に、好きになっていた。

 だから、敵だなんて想いたくない。間違いであって欲しい、そう心の中で強く願っていた。


 恐るおそるまぶたを開いた瞬間、私は固まってしまう。三人の視線が私を射抜いていたのだ。心臓がドクドクと警鐘を響かせる。

 ――魔法を使うのがバレた?

 口から飛び出しそうになった悲鳴を必死に飲み込む。私は素知らぬ顔でニコリと微笑んで見せた。


 三人の視線が色濃く語っていた。私は――警戒されている。


 「エリーゼ、ごめんね」


 ハンナ様が悪戯のバレた子供みたいに謝る。警戒の色を視た後では、その場限りの謝罪にしか想えなかった。


 アデリナ様がハンナ様の頭を下へと押し込み、深くおじぎをさせる。ジタバタとハンナ様は暴れるがお構いなしだった。

 エドヴィン様は助ける気がないのか、ハンナ様に呆れた眼差しを送っている。

 三人の意識の半分はそれぞれ別の方向を示しているが、残り半分は私に向いたままだった。


 嫌な汗が背中を伝う。まだ、何もわかっていないのに、ハンナ様の敵として追い出されるわけにはいかない。私は……まだ何もできていない。


 「ハンナ様、怖かったです」

 「ごめんね! 本当に、ごめん!」


 瞳に込めた魔力を消し去り、代わりに涙を溜め込む。傷ついた表情で顔を俯かせていく。やれるだけやるしかなかった。誰かを騙すような演技は得意ではないが、苦手だからと許されるわけでもない。

 声が上擦っていないことを願うしかなかった。口を開くこと自体が怖くて仕方がない。


 「ハンナ、そろそろ時間よ。ディルク先生のところに行きなさい」


 アデリナ様が命令口調で告げる。覗き見た掛け時計は午後六時半を示していた。


 「……でも、私は――」

 「――エリーゼは、私が見るわ」


 心配そうなハンナ様の声に被せてアデリナ様が宣言する。そして、落ち着いた足どりで私のもとまで歩き、一方的に私と手を繋いだ。


 「私とエリーゼは、これで失礼するわ。エドヴィン、ハンナのことは任せたわ」

 「わかりました、お姫様」


 アデリナ様は私の手を引いて歩き出す。それを、エドウィン様は恭しく頭を下げて見送った。私とハンナ様、二人だけが呆けたまま事態に流されていた。


 引き摺られるように歩き、アデリナ様に続いて研究室の外へ出る。足を止めることなく、アデリナ様は廊下を進んでいった。

 ギュッと掴まれた手のひらがジンジンと痛い。しかし、抗議の声は上げられなかった。


 黙ったまま二人で歩き続ける。もう元の関係には戻れないかもしれない、そんな不安が胸の奥で渦巻いていた。

 ハンナ様が良しとしても、アデリナ様とエドヴィン様が許すとは想えなかったのだ。私に優しくしてくれることは……もう二度とないのだろう。それが、とても悲しかった。


 これが最後になるかもしれないのに、何を話せばいいのかもわからない。

 謝罪? 懇願? それとも、悪態?

 どれが答えかなんて、私にはわからない。どこに向かっているかも知らず、ただ黙々と歩き続けるだけだった。アデリナ様を見ていられず、その足元だけをずっと見つめていた。


 「座りなさい」


 唐突な言葉に歩みが止まる。私が見上げるとツンとした顔でアデリナ様が見下ろしていた。顎で横のベンチを指し示している。

 私は促されるままにベンチに座る。その隣にアデリナ様が座った。繋いだままの手は外されていなかった。


 数秒後、アデリナ様がキッパリと訊ねる。


 「貴方、精霊憑きなのね?」


 聞こえた言葉を理解した瞬間、想わず私は腰を浮かす。しかし、アデリナ様に強く手を引っ張られてベンチへ戻されていた。


 「やっぱりね。そんな気がしていたわ」

 「……どうして?」

 「もう少し、隠す練習をした方がいいわ。あんなに目を大きく開いて見つめられたら、何かあると誰でも想うわ。何か見ていたのでしょう?」


 違う。私が聞きたいのは、それじゃない!

 アデリナ様に見破られて心臓がバクバクとうるさい。この分だと、ハンナ様はもちろんエドウィン様にも気づかれているのだろう。それは、予想がつく。

 私が聞きたいのは――。


 「どうして、私と一緒にいてくれたの? 遠ざければ良かったのに……」


 私がクラウディア様側だとわかっていたのなら、精霊憑きの私を近づけるのは危険なことだ。ハンナ様を守りたいのなら、私はすぐにでも追い出すべきだったはず。

 しかし、アデリナ様の反応は私の想像とは違っていた。何を言っているの? そう言いたげな顔でアデリナ様は首をかしげている。


 「エリーゼが好きだからよ。……違う、嫌いじゃないだけ。勘違いしないで!」


 さらりと口にした言葉をアデリナ様は慌てて言い直した。


 「最初は、ハンナが信じたからよ。その後は……私から見ても大丈夫だと想えたから……別に、ハンナに対して、何か傷つけるつもりはないのでしょう?」


 私は大きく首を上下に振る。アデリナ様は満足そうに笑った。


 「それなら、もういいでしょう。私たちがエリーゼと一緒にいたいと想った、それが全てよ。エリーゼはどうしたいの?」

 「……一緒にいてもいいの?」

 「別に構わないわ。エリーゼの好きになさい。でも……」


 アデリナ様は言葉を途切れさせる。そして、表情を引き締めて私を見つめた。あまりにも真剣な瞳に、私の顔は強張っていく。


 「ハンナを傷つけることは許さないわ。よく覚えておきなさい」


 約束できるわね? 言外にアデリナ様は訊ねている。

 この質問に私は即答しなければならない。それなのに、真っ先に心に浮かんだのは涙を零したクラウディア様の姿だった。


 緊張でカラカラに乾いた喉で、私は必死に声を絞り出していた。


 「ハンナ様は、クラウディア様の敵ですか?」


 訊ねた瞬間、アデリナ様から表情が消えた。

 これで関係が終わったのだと、後悔が私の心を襲う。目の前が真っ暗になった気がした。


 「エリーゼは誤解しているわ」


 呆れた声と同時に、額に鋭い痛みが走る。

 焦点の合った瞳は、私の額に向かってピンと指を弾いたアデリナ様の姿を映していた。


 「あの噂は嘘よ。ハンナはクラウディアの味方だわ」

 「……嘘、味方なの?」

 「本当よ、エリーゼ」


 微笑むアデリナ様の口調はとても優しげだった。

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