014 敵サイド?との日常
晴れわたる青空の下、私は目を閉じて心を落ち着かせる。指先で描く魔法陣は、幾十幾百と練習してきたものだ。もう直接目で見なくとも、指先がするべきことを覚えている。
今の私ならきっとできる、そう信じている――。
カッと目を開き、私は正面に浮かぶ四つの水風船を視認する。
できる、できる、できる。心の中で繰り返し祈る。そして、魔法陣へと一気に魔力を流し込み、風魔法を放った。
「……できた。同時に、四つ」
四つの水風船は風の刃で縦断され、真っ二つになっている。二つ同時がこれまでの最高記録だった。
口元が勝手にニマニマと動き出す。振り返るとクラウディア様が笑顔で私を見つめていた。
「おめでとう、エリーゼ」
「クラウディア様のおかげです!」
想わず返事の声が大きくなる。クラウディア様の指導が始まるまでは、風の刃を同時に二つ放つのが精一杯だったのだ。それが、一月余りで二倍に増えた。嬉しくないわけがない。
クラウディア様と……ハンナ様の指導の成果だ。私は確かに成長している。
開いていた手のひらをギュッと強く握りしめていた。
「頑張った成果が出たね。私も嬉しいよ」
クラウディア様もまるで自分のことの様に喜んでくれる。そのことが、私をより一層嬉しくする。
最近の私は素直に気持ちを伝えられていた。
嬉しい、悲しい、悔しい、苦しい……。心に秘めていた気持ちを隠したりはしていない。素直になる努力を始めてから、いろんなことが順調に進んでいる。魔法だけでなく一般教養でも調子が良かった。
クラウディア様とハンナ様には感謝しかない。二人は私の恩人だ。
初めは落ち着かなかった。私自身の弱さを晒しているようで、何とも嫌な感じがして、素直に気持ちを伝えることを何度も躊躇した。
当然、話す相手は選んでいる。しかし、『お前のことなんて興味がない』、そんな態度を取られたらと想うと凄く怖かったのだ。
まだ、素直になれるのはクラウディア様とセレナ、ハンナ様の三人だけだ。
いつかはお父様やお母様にも寂しいと伝えられるのだろうか。少しでも関係が変わったらいい、そんな都合の良い未来を想像したくなる。
『少しずつでも慣れていけばいいんだよ』
クラウディア様とハンナ様は、何度も同じことを言っていた。でも、きっとどれもが正しいのだろう。
私は、二人の恩人が示してくる道を信じて頑張ると決めていた。
私はハンナ様、セレナはクラウディア様。この組み分け作戦は、結論から言って大成功だった。
敵対関係にある二人だが、本質的に似通っているところがあるのかもしれない。慕う後輩を無下に扱ったりはしない。面倒見がとても良かったのだ。
私は魔法研究、セレナは魔法実技。それぞれで教えて欲しいと頼み込めば、困った顔をしても断ったりはしなかった。
自然と、活動場所は研究室と演習場に別れてしまっていた。
ハンナ様がクラウディア様に何か魔法を使っているのならば、魔法を使う機会を与えなければいい。私とセレナが共謀して二人を遠ざけていた。
時間の許す限り、私はハンナ様たちと行動してるが、今のところは何も怪しくない。派閥で集まって、魔法の勉強をしたり雑談したりしているだけだった。
本当にハンナ様はクラウディア様の失脚を狙っているのだろうか? それ自体に疑問を抱いてしまう。
医務室の一件でクラウディア様に魔法をかけた場面を見ている。だから、ハンナ様がクラウディア様へ害意を持っているのは確かなはずだ。それなのに、あまりにも平穏に日々が過ぎていくから、幻想だったのでは? と私自身の記憶を疑いたくなる。
ハンナ様たちと過ごす時間はいつも和やかだ。それは、今日も変わらなかった。
「ふん、随分とマシになったんじゃないかしら? 認めてあげてもいいわ」
アデリナ様がぷいっとそっぽを向き、長い脚を組んで座り直す。相変わらず普通に褒めてはくれなかった。
クラウディア様に披露したのと同じく、風の刃を四つ同時に発動させて見せたのだ。前回の勉強会で披露した際は失敗していたので、密かに私はリベンジに燃えていた。
パチパチパチ、同席していたハンナ様とエドヴィン様が両手を叩く。
二人の眼差しは優しげで「頑張ったね」と褒めてくれていた。自然と、私の顔は綻んでいく。とても嬉しかった。
見守ってくれた三人に向かい、私は深く頭を下げた。
「短期間でずいぶんと腕を上げたもんだ」
エドヴィン様は感慨深げにつぶやきながら、パチンと指を鳴らす。その瞬間、風で二つに別たれた火の玉が霧散していった。
「皆さんのおかげです。……私自身、とっても驚いてます」
「あら、私が教えたのだから、できて当然よ。もしできないようなら、お仕置きするつもりだったわ」
アデリナ様は横目でギロリと私を睨みつける。……冗談で言ってるんだよね? あまりの迫力に疑念が頭をよぎる。
顔を横にスライドしてハンナ様とエドヴィン様を見る。二人はやれやれと肩を竦めていた。
「アデリナ、そろそろエリーゼに嫌われるよ? それで、いいの?」
「全くだな。嫌われてから、後悔しても遅いんだぞ?」
「……そんなこと、知らないわ。勝手にしたら、いいのよ」
小さくつぶやいたアデリナ様は体ごとそっぽを向く。
私はしばらくアデリナ様の後ろ姿を眺めていた。強気な言葉とは裏腹に、その背中はとても寂しげだった。
相変わらずチグハグな態度のアデリナ様。もう少し素直になればいいのに……想わず心の中でつぶやいてしまう。ハンナ様もエドヴィン様も苦笑いだった。
椅子から立ち上がったハンナ様が私に近づく。そして、悪戯っぽく微笑んで私の耳元に口を寄せた。
「アデリナに、好きだって言ってみて」
ハンナ様の唐突な言葉に、私は想わず大きく後退る。見上げた先のハンナ様はどこまでも愉しげだった。
『アデリナに、好きだって言ってみて』
今度は声を出さずに、ハンナ様は口だけを動かす。助けを求めてエドヴィン様を見つめるが、素知らぬふりで顔を逸らされた。
私は不満をあらわに顔をしかめて見せるが、ハンナ様に気にした様子はない。アデリナ様に告白するまで解放するつもりはないのだろう。
大きなため息が私の口から漏れ出す。ハンナ様は満足そうに私の頭を撫でまわし始めた。
「アデリナも、そろそろ素直になることを覚えないとダメだと想うんだ。だからさ、エリーゼが少しだけお手本、見せてあげて」
数秒後、私はコクンとうなずいていた。ハンナ様は、アデリナ様のことも心配していたのだ。
見慣れたハンナ様の優しい眼差しだが、今回は私に向いていない。私を通してアデリナ様に向かっていた。まじまじと見つめていると、ふいに胸へストンと落ちるものがあった。
――そっか、私とアデリナ様は似ているんだ。
私ほど歪んではいないだろうが、アデリナ様も素直に気持ちを伝えることを恐れている。理由なんて私は知らないし、恐れることが間違いだと私は想わない。
ただ、アデリナ様は自分の言葉を悔いているのだ。それならば、ハンナ様のお節介は決して余計なことではないのだろう。
クラウディア様とハンナ様、二人が私に手を差し伸べてくれた。だから、私は少しずつ変わり始めた。前向きになれたんだ。
今度は、私が誰かに手を差し伸べる番なのかもしれない。その相手がアデリナ様ならば、私が協力を拒む理由はどこにもない。魔法の指導をしてくれたアデリナ様への恩返しになるのだから。
それに、ハンナ様がやりたいことにも何となく予想はついていた。
私に気持ちを伝える練習をさせるのと同時に、アデリナ様にも同じ練習をさせるつもりなのだ。
ハンナ様は押しが強い。私だけが一方的に気持ちを伝えて、アデリナ様が何も言わずに逃げるなんてことは、絶対に許さないだろう。
そもそも、アデリナ様は素直ではないけれど非情ではない。アデリナ様も何か気持ちを返してくれるはずだ。……私がアデリナ様の立場だったら、間違いなくそうする。
ハンナ様から視線を移す。鏡映しのようにアデリナ様の背中に、私自身の姿が見えた気がした。
気づけば、私はアデリナ様のもとへと歩き出していた。
真後ろで立ち止まる私に、アデリナ様は何の反応も返してはくれない。それはわかっている。だから、今から振り向かせてみせる。私は大きく息を吸い込んでいた。
「私は! アデリナ様のことが……好き、です……」
頭が真っ白になる。口を開いた瞬間、夢から覚めてしまった。
――私は、何を言っているの!
後悔が心を黒く塗りつぶしていく。アデリナ様に嫌いと言われたら、どうしたらいいの? ……もとの関係に戻れるの?
消え入るような声が届かなければいい、そう願ったが無駄だろう。
アデリナ様はギュッと両腕で自分の身体を抱きしめていた。
――拒絶された。……嫌われ、た。
喉が急速に乾いていく。ハンナ様に揶揄われただけなのだろうか……私が、素直に気持ちを伝えても意味なんてなかったのだろうか。
両足がガクガクと震え出して落ち着かない。視界もグラグラと揺れ、呼吸のリズムが狂って気分が悪くなっていく。
今すぐにでも逃げ出したかった。でも、足に力が入らない。私は、ただ立ち尽くしていた。
「アデリナは答えないの?」
ハンナ様が大きな声で訊ねる。すると、アデリナ様が振り返った。
「――へっ、あ、ちょっと、待っ、待ってよ」
真っ赤に上気した頬に、少しだけ瞳を潤ませるアデリナ様。慌てた声は大した意味を成していなかった。
どうしたのだろうか? 私はアデリナ様を戸惑いがちに見つめる。
アデリナ様は目が合った瞬間、クシャリと表情を歪めて両手で顔を隠してしまう。そして、身体を折り曲げて顔を俯かせていく。その耳はビックリするほど赤く染まっていた。
「……あの、アデリナ様」
「待って、お願いだから。……少し、待ってよ」
それだけ言って、アデリナ様は再び背中を向ける。不思議と、今度は拒絶されたとは想わなかった。
トントン、唐突に肩を突かれ、私は振り返る。いつの間に近づいていたのか、笑いを堪えて変な顔になったハンナ様が立っていた。
「素直になるって、素敵なこと、だよね」
何度も笑いを噴き出しながらハンナ様が言う。……笑い声、ごまかせてないですよ、ハンナ様。
あんまりな態度に同意することが躊躇われる。チラリとエドヴィン様を見ると、にやけた口元を押さえて身体を小刻みに震わせていた。
想わず私の視線に険がこもっていく。すると、ハンナ様とエドヴィン様は視線を合わせないように顔を背ける。私は仕方なしにアデリナ様を見つめていた。
数十秒が経過した頃、アデリナ様が顔を向ける。不安に揺れる瞳が、私を見上げていた。
「……私は、エリーゼのこと……嫌い、ではないわ」
ポツリポツリとつぶやき、アデリナ様は顔を背ける。そして、椅子を蹴倒す勢いで研究室の外へと出て行った。
「アデリナも、エリーゼが好きだって。もちろん、私も好きよ!」
「俺も、好きだぞ!」
冗談めかしたハンナ様とエドヴィン様の声が大きく響く。二人の眼差しはとても優しかった。
「私も、二人のこと……嫌いじゃない。好きだと、想う」
私も二人への気持ちを伝えてみると、心がポカポカと満たされていく。何となく恥ずかしくて顔を背けてしまっていた。




