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012 芽生える悪戯心

 「……本当にこれでよかったのかな」


 夕日が差し込むカフェテラスで私はポツリとつぶやく。事情聴取が終わり、この席に座ってから三時間は経っていた。

 注文したミルクティーもすでに三回は飲んでいる。明らかに飲み過ぎだった。


 学園に隣接したカフェは学生たちの人気スポットとは言え、夕暮れ時となれば人はまばらになる。カフェに残ったのは私を含めて二人だけだ。

 一人……二人……三人……。授業帰りの同級生たちが寮に向かって歩いて行く。不思議そうな顔もそろそろ見飽きてきた。どうしてここにいるんだ、男も女もなく誰もの顔に描いてあったのだ。


 私は何度目とも知らないため息を吐き出す。真向かいから、クスクスと笑い声が聞こえてきた。


 「学園に許可は貰っているから、エリーゼは気にしなくてもいいんだよ」


 上機嫌なハンナ様が楽しげに笑うが、私は笑顔を返す気にはなれなかった。

 今日の私は本当にどうかしている。クラウディア様の敵であるハンナ様と二人きりで過ごすなんて軽率すぎる。


 私は何をしているのだろうか?

 事情聴取が終わったのならば、講義を受けに講義室へ行くなり自室で休むなりすればよかったのに……。


 この三時間、何度も何度も心の中で問いかけていた。しかし、答えは出なかった。いや、心ではわかっているのかもしれない。ただ、認めたくないだけだ。

 ハンナ様が全面的に私の証言を肯定してくれた――私はこの人に助けられていた。


 嬉しいのか、悲しいのか、悔しいのか。

 ハンナ様にどんな感情を向ければいいのかが、私にはわからない。それでも、ハンナ様が私を庇った事実だけは変わらなかった。


 もともとハンナ様で最後だったのか、それとも魔法を使って教師たちを説得したのか。どちらであるかを知る術は、私にはなかった。

 一通りの事情聴取が終わるとハンナ様は応接室を出て行き、私に待っているように言ったのだ。


 一人きりで待っていたのは五分くらいだろうか。

 戻ってきたハンナ様は満面の笑みを浮かべていた。そして、『事情聴取はこれで終わりだよ』と宣言していた。


 突然のことに目を白黒させている間に、ハンナ様が私の手を引っ張って歩き出していた。気づけば、学園のカフェに連れ込まれていた。それからは、ハンナ様の押しの強さにドギマギするばかりだった。


 私の何に興味を惹かれたのか、ハンナ様の質問攻めに合っていた。奇しくも質問の多くは、昨日のクラウディア様からされたものと同じだった。取るに足らない、私自身についての質問ばかりだ。

 ただ、ニコニコと嬉しそうに聞くハンナ様の姿は意外で、ついつい話過ぎてしまっていた。私はハンナ様のペースに巻き込まれていたのだ。


 「――エリーゼ、聞いてる?」


 どうやらずいぶんと思考の渦に飲み込まれていたらしい。

 心配そうな顔でハンナ様が見つめていた。


 「いえ、ごめんなさい。……今日は、疲れてしまって」


 咄嗟に私の口から本音が漏れていた。すると、ハンナ様はニッコリと微笑んだ。


 「素直に気持ちが言えたね」

 「……私のことを、バカにしています?」

 「怒らないでよ、エリーゼ。今日は付き合ってくれてありがとう」


 ハンナ様に堪えた様子は少しもない。私も本気で怒っているわけではないのだが、気持ちを読まれているようで少しだけ悔しかった。


 今日一日だけでハンナ様との距離は随分と近づいてしまった。

 私は絆されやすい質なのだろうか。自分自身のことが嫌になってしまう。

 ……昨日ほどの敵意はもう持てないかもしれない。ごめんなさい、クラウディア様。心の中で謝罪を繰り返していた。


 「また、エリーゼを誘ってもいいかな?」


 次を求めるハンナ様の誘いに、私はコクリと小さくうなずいていた。




 コンコン、小さなノックの音が響き、私は顔を上げた。ハンナ様に女子寮へ送り届けられてから、すでに二時間は経過している。

 私の部屋に置いてある掛け時計は午後八時半を刻んでいた。


 読んでいた本を机に置き、ドアに向かって歩く。ガチャリと開いたドアの先には、顔を俯かせたセレナが立っていた。

 心配……させちゃったのかな? でも、私は……。


 クラウディア様の敵、ハンナ様と親しくなった。その事実が私の気持ちを重くする。セレナと顔を合わせることが、少し躊躇われていた。


 「エリーゼ、入ってもいい」


 セレナがボソッとつぶやく。そして、私の答えを待たずに、手を引いて歩き出していた。足を縺れさせる私の背中で、バタンと大きな音を立ててドアが閉まる。

 引きずられるように歩く私を、セレナはベッドに向かって投げ捨てる。私は仰向けに倒れ込んでいた。


 ベッドの端で両足をだらりと下ろし、背中をベッドにつけたままセレナを見つめる。泣き出しそうな顔のセレナが悲しげに見下ろしていた。

 涙目のセレナを見ていると、乱暴な扱いに怒る気持ちが霧散していった。


 「泣かないでよ、セレナ」

 「うるさいよ、バカ! バカ! バカ、バカ……バカ……」


 感情任せで放たれるセレナの言葉は徐々に小さくなっていく。最後は、口をパクパクと動かすだけだった。

 寝転んだまま私は手を伸ばす。セレナの手に触れた瞬間、ビクンと大きく跳ねた。……私は、本当にバカだ。


 セレナの手を掴み、私は力一杯に引っ張った。セレナは前のめりに倒れていき、私の横でうつ伏せになる。

 慌てて体を起こしたセレナを横から押し、ぐるんと私とセレナは一緒に回転する。そして、横に寝転んだ態勢のまま、私とセレナは見つめ合った。


 「私は大丈夫だよ。ありがとう、セレナ」


 涙を溢れさせるセレナの鼻を掴み、優しく引っ張る。少し怒った様子のセレナに涙目で睨みつけられていた。

 不謹慎だが、怒ったセレナが可愛くて仕方がなかった。


 クラウディア様は言った。嫌われることは関心を持たれることではない、と。

 ハンナ様は言った。素直に気持ちを伝えることが大切、と。


 敵対関係にある二人だが、私に伝えてくれたことは間違っていない気がするのだ。そして、私の目の前には、『私に関心を持っていて』『私が素直に気持ちを伝えられる』セレナがいる。

 二人からの教えを実践するには丁度いい機会なのだろう。


 セレナはきっと……違う、絶対に私を心配してくれている。疑ったらダメだ。

 私は心配されて嬉しかった。だから、私も素直に伝えようと想った。セレナのことを、私も信じているのだから――。




 セレナの話では、私はクラウディア様に洗脳されたことになっていた。

 応接室で何度も話を聞かれたのも、洗脳が解けたかどうかの判断ができなかったから……らしい。曲解もいいところだった。


 どうして変な噂ばかりが蔓延するのか。さっぱりわからない。

 薬でか魔法でかは知らないが、本当に洗脳された疑いがあるならば解放されたりはしないだろうに……。


 噂をする方は気楽でいいが、噂をされる方にはたまったものではない。

 どうにもならない苛立ちが募っていく。誰か一人でも噂の真相を明らかにしようと動けば、すぐにでも間違いだとわかるはずなのに――。


 「それは、私も同じね……」


 ため息まじりの言葉が私の口から漏れてしまう。傍観者から当事者となっているのに、いつまで他人事でいるつもりなのだろうか。

 クラウディア様に纏わる悪評。その中に、私もセレナも組み込まれているのだ。無視したところで、何の解決にもならない。


 私のベッドの上で寝息を立てているセレナを見つめる。

 泣いて、笑って、怒って。表情豊かな私の友人はクラウディア様を心酔しているが、猪突猛進なところがある。頭が良くても、計略ごとにはまるで向いていない。


 アラン殿下とクラウディア様では手詰まりなのだろう。対応策があれば、とうの昔にどうにかできているはずだ。

 ……クラウディア様自身が豹変を恐れているならば、自分で調査することも難しいに違いない。アラン殿下も王族である以上、クラウディア様へ一方的に肩入れできないだろう。


 今、解決に向けて動けるのは……私しかいない。


 噂の渦中にある私が表立って動くことは難しいかもしれない。でも、ハンナ様の監視付きならば事情が変わってくる。

 黒幕がハンナ様であるかはわからないが、いくらかの裁量権が与えられているのは間違いない。そうでなければ、ハンナ様の一存だけで私への事情聴取を終わらせることはできないはずだ。


 どういうわけかハンナ様は私に対して友好的だ。これを利用しない手はないだろう。クラウディア様側にいたら、ハンナ様側の事情は決してわからないのだから。


 ――クラウディア様にも、ハンナ様にも、接触できるのは私だけだ。


 「……私が、クラウディア様を助ける」


 セレナがクラウディア様へ向けるほどの熱意は、私の言葉にはない。

 ただ、『私』を見ると約束してくれた。それが、嬉しかったから、助けてあげようと想っただけだ。


 面倒事に巻き込まれる予感しかしないが、それはもう今更だ。現段階でも十分に巻き込まれているのだから、言っても仕方がないだろう。


 それに、私は確かめたいのだ。

 嫌われることが私を見ることにならないならば、正しいことをすれば私を見てもらえるのだろうか? 私はそれが知りたい。知らないといけない。


 パンパン、私は気持ちを切り替えるように両頬を叩く。そして、指先に魔力を込めて宙に向かって文字を書き綴った。


 『今夜だけ部屋を交換するから、明日の朝は私を起こしに来ること!』


 寝起きの悪いセレナだとしても、三時間も早くに寝れば寝坊はしないはず。早い時間に起きるのは間違いない。

 たまには、セレナが私を起こしに来ても罰は当たらないだろう。


 私は椅子から立ち上がると、足音を立てないようにゆっくりと歩く。ドアを開き、パチンと指を鳴らして部屋の明かりを消した。


 ドアを閉じた私は長い廊下を歩いて行く。

 セレナはクラウディア様、私はハンナ様。セレナの信奉者振りを真似るわけではないが、明日からはハンナ様の信奉者を演じるとしよう。


 最近は見送るばかりだったが、これからはセレナと一緒に高等学部へ押しかけることになるのだろうか?

 行き先は別だが、セレナと過ごす時間が増えるのならば嬉しいことだ。


 クスクス、と想わず笑みがこぼれる。

 高等学部へ押しかけたとしても、クラウディア様に夢中となったセレナのように、私がハンナ様に夢中になるとは想えなかった。

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